2009年12月12日 (土)

早すぎる赤星選手の引退を惜しむ

阪神タイガース・赤星選手の突然の引退を知って驚いた。まだ33歳、早すぎる引退である。中心性脊髄損傷と診断され、今度やったら命にかかわる、と医者に言われての決断だったという。

彼が阪神に入団した時は、俊足でこそあれ、非力な打撃からレギュラー取りが危ぶまれたが、当時の野村監督にその俊足という一芸を認められ、レギュラーに定着。打撃の方も人一倍の努力で腕力などを強化し、そこそこの打率を残せるようになり、阪神には欠かせない選手となった。当時、藤本選手、沖原選手らと共にF1トリオと言われて活躍していた頃が懐かしい。 
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彼は何回かの盗塁王をとったが、盗塁数に応じて車椅子を寄付する社会貢献活動を続けていたという。華やかに見えるスター選手である一方で、このような活動を続けていたことに対して感動を覚える。

今後、彼ならば、野球の指導者としての道もあるだろうし、あるいは他の道を選ぶかもしれない。彼がいなくなって淋しいが、後の人生を有意義に切り拓いていって欲しいものだ。

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2009年12月 6日 (日)

“ぐるなび”における事業躍進の背景

飲食店の情報検索サイト“ぐるなび”は、現在、加盟店数6万店を超え新年会や忘年会などの会場探しに便利で重宝がられている。私も先月、同窓会の幹事として、場所を探すのに利用させてもらった。地域、料理の好み、人数やカラオケを必要とするかに至るまで、入力すると何の苦労もなく希望の店を選んでくれる。

ぐるなびに加盟すると飲食店は自店のホームページを与えられ、ホームページ作成のためのコンテンツ作成指導も受けられ、自社の好みに合わせたホームページを作成できる。独力でホームページを持ちことがむつかしい飲食店にとっては大変ありがたい話だ。

これが大きな販売促進ツールとなるとともに、ネットを通じて、全国に自店が周知されることの効果は大きい。また、飲食店は立地条件に大きく商売が左右される業種であるが、ネットを通じた販促効果で、裏通りとか、メイン通りから外れたところでも、それほどハンディキャップを感じなく営業ができるというのも良い。しかもそのような場所では家賃も安いし、一挙両得だ。

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”ぐるなび”の事業は成功したが、ここに至るまでの過程は大変であったという。1996年、駅などに見られる看板広告の会社としてスタートしたが、経営状態は困難を極めた。しかし、広告業も将来はITとネットワークによって大きく変化する時代が来るだろうと読んだ同社の滝会長はそれに備えて、様々の面での調査・情報収集に努めたという。そして、インターネットの登場と、的を飲食店に絞ることにより、一挙に事業は花開いたという。

同社の成功事例から学ぶことは、日頃の絶え間ない情報収集とアイデア発想の大切さ、そして事業化のためのマーケティング志向の大切さである。滝会長は、「インターネットの出現はまさに幸運そのものであった。しかし、それまでの地道な勉強を続けていなければこのような幸運を手にすることができなかった」と言われているが、まさにその通りだと思う。

飲食店を選んだというのも、地道な調査により、飲食業界におけるロングテール現象を上手く捉え、的を絞ったということである。

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2009年12月 5日 (土)

我が国における高い不確実性回避文化

先日、NPO法人プラスチック人材アタッセ主催で経営セミナーが開催され、講師の一人として講演した。タイトルは「QC的モノの見方・考え方(現状と将来)」。この中で我が国の品質管理が直面する問題について、次のようなことに言及させて頂いた。

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オランダのG.ホフステードは、その著「多文化世界」の中で、国の文化と経営について次の様に述べている。

①いくらグローバル化が進展し、インターネット等の新技術が出現しても、国の文化はなかなか収斂するものでない。②企業経営に関する多くの理論や手法は、それが考案された国の文化のもとで有効であっても、異なる文化特性を持つ国では、有効であり得ないことが多い。③従って、優良企業への道は、決して一つでない。

上記は含蓄のある言葉であり、欧米からの様々な経営手法が我が国に導入されたが、我が国に根付いて定着したものは、それらの中の極めて僅かなものであったことからも、なるほどと頷ける。

そして、ホフステードは次のような文化の4次元を提唱している。
①権力格差:部下の上司への依存の度合い、②個人主義対集団主義:個人主義の集団主義に対する相対的強さ、 ③男らしさ対女らしさ:男女の役割が明確かあるいは重なり合っているか、④不確実性回避:曖昧さに対してどれだけか寛容か、逆に脅威、不安を感じる程度、

我が国は、世界の国々との比較において、権力格差、個人主義は中位で、男らしさ、不確実性回避は強い。特に不確実性回避の文化は首位を占めている。圓川隆夫氏はその著「我が国文化と品質」の中で、この高不確実性文化が日本の産業に大きな影響を与えていると指摘している。

この高不確実性回避を特徴づけるものの1つとして、精密さと規則正しさが自然に身に
つくという特徴が挙げられる。精密さや規則正しさを阻害する“あいまいさ”を嫌う文化である。これが我が国の高品質や高信頼性及び納期厳守などの組織的改善努力が生み出された源泉である。

一方で、ホフステードは、この特徴をもつものは、あいまいさに寛容であることが要求される経営戦略上の問題解決が不得意であると指摘している。また、この特徴をもつ国の消費者は、総じてCS値(顧客満足度)が低いと指摘している。

従ってこの高不確実性回避文化には良い面と好ましくない面がある。良い面は、細やかな改善を継続的にやってきた結果として、不良ゼロや納期短縮などを達成してきたということである。好ましくない面は、食に代表されるように、我が国だけだと思われる過剰ともいえる安全・安心への対応である。これにより高品質・高信頼性の副作用ともいえる現象や高コスト体制を招いて来たといえる。

また携帯電話がその典型であるが、要求が厳しい我が国消費者が支えた高品質・高機能を日本の中だけで進化させ、競争を激化させている一方で、世界では“そこそこ”の機能で低価格がスタンダード化し、我が国企業は世界の競争から取り残されてしまったということである。また、我が国は総じて急激な経営環境の変化に対するマネジメント力が弱いということである。

上記の好ましくない面を是正するためには、
費用対効果を追求した実質安全という考え方で、国、メーカー、消費者のコンセンサスに基づくモノづくりを検討する、携帯電話に代表されるような高品質・高機能の行き過ぎに対しては、今後広く世界的な製品に変えていくために、グローバルな市場性を把握したマーケティング戦略を検討する、また、強い現場だけに依存するだけでなく、企業全般を見据えての戦略的な思考を行うようにする、等が必要となる。

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平山郁夫さんを悼む

画家・平山郁夫さんの美術館が“しまなみ街道”にある生口島・瀬戸田町にあるという話を聞いたのは、今年の6月末、尾道での仕事を終え、どこか近くに良いところがないかと、行き先を探していたところであった。

平山さんの絵には詩情が溢れている。それも東洋の悠久の歴史を感じさせるものが漂っており、見るたびに心が癒される思いにさせてくれる。是非、そこへ行きたいと思った。

平山さんは、その瀬戸田町で生まれ、瀬戸内の青い海や緑の木々でおおわれた島々からなる美しい自然の中で育ったという。平山さんは「自分の感性は、明るく温暖な瀬戸内の風土によって育まれた」と自ら語っておられる。

早速、行くことを決め、尾道から小船でたどり着いたのは、静かな佇まいが残っている瀬戸田の村であった。美術館には絵画とともに、平山さんの生い立ちや、少年時代の絵画などが紹介されていた。更にスケッチや下絵なども展示されていて興味深く鑑賞した。東京美術学校日本画科では、奥さんと同期で、奥さんが首席、平山さんが2番で卒業されたという話も始めて知った。奥さんは結婚後、平山さんの補助に徹し、その後は一切絵筆を握っていない。その奥さんの描いた絵画も少し展示されていた。

平山さんの画家としての原点には、15歳の時の被爆体験があるという。原爆後遺症に苦しみ、少しでも救いと平和を願う作品を描きたいとの想いから、唐の長安を旅立ち、17年間の苦労の末インドの経典をもたらした玄奘三蔵の喜びを描いた「仏教伝来」を昭和34年に発表し、これが大いに評価されたという。これを契機として勇気づけられ健康も回復、その後次々と仏教や仏伝をテーマとする作品を発表された。

日本文化に大きな影響を与えた仏教文化の源流を求めるうち、東西文化の交流へと視点も広がり、シルクロードへの取材も始められてという。

絵画活動と並行して文化財の保護活動にも注力。北朝鮮の高句麗壁画古墳の世界遺産登録への推進、アフガニスタンのバーミアン遺跡の復興など、多くの活動に参加された。

平成12年、奈良薬師寺玄奘三蔵院に収められた大壁画「大唐西域壁画」は平山さんの画家活動の集大成と言われるもののひとつといえるであろう。

平山さんはお亡くなりになられたが、後を引き継ぎ、芸術家の枠を超え、世界的に活動できるスケールの大きい若い画家が現れることを期待したい。

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平山郁夫美術館
の入り口付近
(「仏教伝来」
 の絵が掲げ
 られている)

写真撮影は
これ以降禁止

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「仏教伝来」
(作品集より)

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「楼蘭の月」
(作品集より)

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最近の民主党政権について想う

民主党政権が発足してから2ヶ月ばかり経ったが、今、幾つかの難題を前にして世間では賛否両論が入り乱れている。民主党政権を厳しく批判する向きもあるが、まだ政権獲得後、間もない時期であり、前政権が残した負の遺産の整理をすることが最初の仕事であり、この政権なりの、我が国を導いて行こうとするビジョンを明確にする作業は、これが済んだ後でなされるであろうことを期待したいと思う。

来年度予算の編成に当たって、前政権が惰性的に、ビジョンもなく族議員との癒着の上で行って来た行政のムダを省くための事業仕分けは、政治の闇の中で行われてきた予算を巡っての攻防を国民の前で公正にやるということに大変意義深いものであった。

勿論短時間でこのような作業でなされたことへの反論もあろう。行政刷新会議では、今後、予算の削減や見直しを求めた事業について、再度第2幕の事業仕分けを行うということだが、ノーベル賞受賞者や五輪メダリストから出された大きな声だけに惑わされないで、発言力が弱い者の小さい声も見逃さずに公正に取り入れて欲しいものだ。

米軍普天間飛行場の移設問題がアメリカ側との交渉で難航していることが伝えられて
いる。沖縄基地問題は、沖縄の人々にとって生活に影響を及ぼす切実な問題であり、橋下知事などは、沖縄の痛みを全国で分かち合うべきである、というようなことも発言している。

しかし将来的には、グアムなど国外へ移設してもらうことで、忍耐強く、アメリカ側と交渉すべきである。理解できないのは、最近のオバマ米大統領の態度である。核兵器廃絶への発言とかベルリンでの平和宣言をされていることを考えると、沖縄県民の気持ちを無視しているかのように、全く沖縄県民の気持ちを思いやるような言動が見られないことは理解できない。多分本人は、良識ある人物なので、充分それについて考えているように思うが、軍部などの反対があり、自分の意見を述べていないのであろう。

日本側としては、安易な妥協は禁物である。アメリカとの友好関係は必要だが、アメリカの機嫌をとるをせず、独立国家として、言うべきことは言い、忍耐強く交渉すべきである。

もうひとつ、鳩山氏の政治資金問題で、鳩山氏の母親からの資金提供がとりざたされている。鳩山氏は、このような大金の管理を秘書に任していたので自分は知らなかったと弁明している。このこと自体は管理責任を放棄するようで容認できることではないが、鳩山氏の人柄、今までの言動から判断して、知らなかったというのは事実であろう。しかも不正な金でなく、身内の金なので、とかくあまり大きくとりあげ、騒ぎ立てる問題ではなさそうである。

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2009年11月28日 (土)

奥丹波での野菜収穫体験

奥丹波で、11月23日の勤労感謝の日に、秋の野菜収穫体験ができるイベントがあるという話を知人から聞き、家内と一緒に出かけました。

場所は、篠山市より少し北側の丹波市市島町にある「農園奥たんば」である。11時頃到着し、早速、農作業。経営者の青木千代江さんの指導で、大根、白菜、かぶら、にんじんなどをSimg_2351生まれて始めて収穫。好天にも恵まれ、紅葉に覆われた山々の麓にある農園での快い汗をかきながらの作業は楽しかった。

昼食は青木さんの手作りで、コシヒカリのおにぎり、野菜たっぷりの豚汁と丹波小豆のおぜんざいと、都会では味わえない新鮮な味覚を味わった。

帰りにはお米と、もち米のお餅で作ったおはぎを頂く。

帰途、奥丹波の地酒「山名酒造」を見学し帰路についた。

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2009年11月21日 (土)

伊賀の里・モクモク手作りファーム

三重県・伊賀の里に「モクモク手作りファーム」という少し珍しい名前の農事組合法人がある。先日、農工商連携のセミナーの一環として、同法人を見学する会合があり、受講者の一人として参加した。私としてはこのような農業関係の企業を訪問することは少ないので、大変新鮮で興味深く感じた。

Simg_2346現在、同法人は、農業・牧畜全般にわたって広く事業を行っている。1987年、伊賀の養豚農家19名でハム工房を始めたのがビジネスの起点だという。しかしハムを作ろうにも売れず、物を売るだけでは駄目だと痛感。転機となったのは、手作りウイナー教室を開いてからだという。この教室の評判が良かったこともあり、同社の名前は口コミで伝わった。その後、来客の増加もあって、食事をサービスする必要性もあり、レストランを開設するなど、事業の範囲を拡大した。1995年には現在の姿であるファクトリーファーム「モクモク手作りファーム」をオープンした。

現在は農場全般にわたっての事業を手がけている。自社保有の農場や近隣農家との連携により、そこで生産された米、野菜、ハム、ビール、ワイン、ジャージー牛乳などを販売すると共に、農産物を使った直営レストランの経営、宿泊ロッジの運営、農学舎の運営、などを行っている。お話をお聞きしたM理事さんは、同社の事業はあくまでもモノづくりであり、観光事業ではないと言い放っておられる。1996年には通信販売も開始した。

設立当初からそうであるが、営業的には口コミが頼りで、またこれで十分だというところが興味深い。事業にはつきもののクレームは殆どなく、顧客から愛される存在であるらしい。顧客からの手紙(感謝の手紙が多いという)が格好の従業員の教育材料となっているというところも面白い。

そこで働いている方の平均年齢は32歳と若さに溢れている。社内結婚も多い。学歴不要で誰でも応募でき、霞ヶ関に勤めていた元官僚の若者もいるという。事業の性格上、給料は高いといえないが、皆働き甲斐を感じているという。実際、彼等の様子を見ているとそのように感じた。

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野菜の
直売場

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2009年11月14日 (土)

奈良・桜井 纒向遺跡

今年になって、明日香での万葉セミナーを聴講したことをきっかけとして、古代への興味をもった。それ以来、遺跡発見などのニュースには素早く惹きつけられる。

先日、邪馬台国の有力候補地とされている奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀前半(弥生時代末~古墳時代初め)の大型建物跡1棟が見つかったというニュースを聞いた。

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11月14日、15日には現地説明会があるというので、行こうと思っていたが、残念ながら他に所用があり都合がつかなかったのは残念だ。このような現地説明会には数回行ったことがある。最初は、卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳に近い黒塚古墳で三角縁神獣鏡が発見された時だ。1998年1月のことだ。この時感じたのは考古学ファンが思ったよりも多いということだ。寒中というのにJR柳本駅から現地まで延々と行列が続き、現場にたどり着いたのは4時間後であった。

新聞の報道によると、今回の現地説明会には1万人以上の人出が見込まれ、JRは巻向駅までの臨時電車を運行し、桜井市も職員50人を派遣するという。

さて、この纒向(まきむく)遺跡の発見を機に、邪馬台国の所在地論争がまた活発化するのであろう。邪馬台国は、3世紀末の中国の史書「魏志倭人伝」に記載されている。宮殿や物見櫓、城柵があったと記載されているが、纒向遺跡ではこれまで大型建物跡が出土されておらず、畿内説の弱点とされてきただけに、今回の発見により、どのような論争に発展するか面白い。

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写真は
某新聞社
撮影
2009.11.14

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2009年11月12日 (木)

セキスイハイムにおける顧客満足経営

我が家はセキスイハイムにお世話になった。阪神淡路大地震の時、住んでいる箕面市はそんなに被害を被ったわけではないが、我が家は少々老朽化していたこともあって、この時をきっかけに建替えすることにして、セキスイハイムを選んだ。

セキスイハイムを選んだのは、地震に対し強い構造であったこと、建替え時間が短いという2点が大きな理由であった。特に後者は、その時の我が家族の種々の事情を考えると必須条件であった。

建替えてから感心したことは、セキスイハイムの顧客サービスの良さである。定期的な無料点検サービスがあり、悪くいえばひつこいくらいの“御用聞き”サービスがあった。セキスイハイムを選んだ他の人からも、同社のサービスの良さを幾度となく耳にした。悪い評判は聞いたことがない。

このようなセキスイハイムの工場を一度見てみたいと思っていたので、先日、営業担当の方にその旨、問合せしたところ、1年に一度、「お客様感謝祭」というイベントを行っているという。私が問合せするまでもなく、それまでもそのようなイベントが行われていることは、営業の方より我が家に何度も話があったのであろう。しかし多忙であったので、そのようなことを聞いても聞き流したいたものと思われる。

そこで、先日の日曜日、始めてセキスイハイム近畿が主催する大感謝祭に参加し、同社の奈良県にある工場まで行って来た。近くの営業所まで行くと、そこからはバスツアーのような雰囲気である。お弁当付きで、バスで送り迎えしてくれ、現地では工場見学、色んな景品が当たる抽選会や福引、リフォーム相談会、太陽光発電セミナー、リフォーム税制セミナー、また、地震体験コーナーでの地震体験、ユニット落下実験見学、奈良特産品販売コーナーでの野菜や果物の廉価販売、等々、子供さん連れの方も来ていたが、子供さんを連れて来ても充分楽しめる一日であった。

このイベントは2日間にわたり行われ、1日約800名もの人が、来場したという。バスも一日20数台もチャーターし、営業・技術人員も多数動員していた。これを顧客満足経営の点からみると、新規顧客のみならず、既存の顧客も大切にし、顧客のフォローを充分に行っている同社の顧客戦略が窺い知れるというものだ。マーケティング用語でいえばリレーションシップ・マーケティングのモデルを見ているように思われた。

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工場見学

及び

リフォーム
事例展示
見学

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各地より
観光バス
で到着する
参加者

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2009年11月10日 (火)

酒田市からの講演依頼・酒田市に関する余談話

10月末、山形県酒田市商工観光部から講演依頼のメールを頂いた。ホームページなどを見て、私が適任だろうということで講演依頼のメールをお送り頂いたとのこと。早速、こちらからお電話を差し上げ、内容とか日程とかについて確認後、講演の企画書をお送りしてあったが、先日、開催が決定しましたとの連絡を頂いた。

日程は1月末、講演内容は『非製造業・製造業ともに役立つ「ものづくりにおけるマーケティングと新製品開発について考える」 ~売れるものをつくるには、今後、マーケティングを重視する考え方が大切だ~ 』ということに決まった。

酒田市にも中小企業が多く、それぞれ悩みを抱えておられるということであるので、少しでも地域の活性化のお役に立つことができればと思っている。今から、講演の準備だ。このような機会を頂いた酒田市に感謝。

余談であるが、酒田市といえば、日本三大急流のひとつ最上川が日本海に注ぐところだ。天下に聞こえた庄内米と紅花の集散地で、江戸時代から、海路、京大阪とを結ぶ北前船による貿易で栄えた。このあたりの様子は司馬遼太郎作の「菜の花の沖」にも描かれている。

また、偶然にも最近観た映画「おくりびと」のロケが行われた地である。映画での酒田市の情景が思い起こされた。

Okuri04_2 この映画は、2008年アカデミー賞外国語映画賞を始めとして数々の賞を受賞した。監督は津田洋二郎。本木雅弘、広末涼子、山崎努、余貴美子、吉行和子さん等の素晴らしい演技力が強く印象に残る映画であった。

元々は青木新門著「納棺夫日記」が原案であったが、本木さんと著者との話し合いの中で、原作とは別名の「おくりびと」で映画化されることとなり、ロケ地も原作の富山県から、ロケにより好適であるとのことで、山形県の酒田市が選ばれたとのことである。


更には、これも最近朝日新聞に掲載されていた岸洋子さんのことについても触れずにはいられない。それによると、彼女は酒田市生まれだそうだ。17年前にお亡くなりになったので若い方には知らない人も多いと思うが、東京オリンピックの頃、彼女の歌「夜明けのうた」が流行った。この歌はレコード大賞歌唱賞を受賞。一躍彼女の名が知られるようになった。今でも私の好きな歌だ。

・・・・・夜明けのうたよ あたしの心の きのうの悲しみ 伝えておくれ・・・・・・

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その後も「恋心」「希望」などの歌を世に出した。朝日新聞の記事によると、彼女は、故郷の自然を抜きに、私は存在しない、と述べ、心臓神経症?という難病を抱えながら、歌に生涯をかけ、求道者のように歌ったと、コメントされているが、今から思えばそのような歌い方だったなあ、と思い出される。





by
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2009年11月 6日 (金)

事業化交流マッチング総合展2009に参加して

今年も例年通り、11月初めの11月5日・6日、事業化交流マッチング総合展2009が行われた。この総合展は、経済産業省から認定を受けた企業(地域資源活用、農工商連携、新連携関連、等)を含む中堅・中小企業が新製品・新技術・新サービス等を一同に会し展示することにより、販路や取引先の拡大、連携先の発掘、人脈拡大などを促進し、ビジネスマッチングの成果に繋げることを目的としている。

今年の総合展は、副題として、「商売を創りこむ多彩なネタ・ジョイントコーディネーターが仕掛け人」というフレーズがついている。ジョイントコーディネーターとは、ビジネスマッチングの仲介をする役目をする者のことである。今回、私はその一人として、また出展者(事業化交流マッチングコーディネーター有志グループ)の一人として参加した。

コーディネーターとして参加していて思うのだが、毎年新しい発想を基にして、時の流れをうまく捉え、ニーズを敏感に察知した新しいビジネスの芽が生まれて来るのを見ていると新鮮な感じにさせられる。

今回、そのようなビジネスの芽と思われるものを展示している企業を探してみると、

1)健康志向という点では、オーラルケア用品、自然化粧品、消臭ソックス、抗カビ靴下、を製作する企業、 2)癒し志向という点では、インテリア掛軸、信楽焼と照明を合体させた屋外用照明、壁面緑化タイル、レーザー加工による装飾用ランプ、を製作する企業、ロハスなホテルを運営する企業、

3)多様なニーズに応えるという点では、種々の塗装に迅速に応える試作塗装ドットコムを運営する企業、市場リサーチなど販促支援ソフトを提供する企業、4)消費者のニーズを先取りするという点では、超極細筆、滑り止め塗料、等を製造する企業、5)その他、遊休農地を利用し、地域の活性化を図るため村民募集を行っている企業、などがあった。

これらの製品を見ていると、不況の中でも新規な製品を開発するために創意工夫している中小企業があるのだということを実感させられ、日本の将来もまだまだ大丈夫だという感じがする。

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事業化交流マッチング
コーディネーター有志
グループのブース

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事業化交流マッチング
総合展の風景

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2009年11月 4日 (水)

続・トルコの思い出

前回のブログでは、トルコの思い出として、親しく接してくれたトルコの人々について記したが、今回は現地のガイド・YAVYZさんが話してくれた内容を中心として印象に残ったことについて記す。

<トルコ全般に関すること>
トルコへの観光客は、年間2,500万人。ドイツ、ロシア、イギリス、日本の順に多い。国土は日本の約2倍で、人口は逆に日本の1/2。生育している植物については日本に見られるものが多い。特に松の木が多く、松に覆われている山が多かった。また、ピラカンサの木が多いのも目立った。チューリップはトルコが原産で国花となっている。チューリップといえばオランダが思い浮かぶが、トルから伝わったものだ。

絨毯はトルコが原産で、イラン(ペルシャ)絨毯はトルコから伝わったという。トルコ絨毯は、2重結びで自然彩色で編み目が細かいのが特徴だ。青いトルコ石は、ノアの箱舟で有名なアララト山が原産地。青(blue)は天の色を表し、イスラム化以前に原住民が空の神を崇拝していたことに通じるらしい。トルコ料理はフランス料理、中華料理と並ぶ世界3大料理のひとつ。料理の数も多い。茄子料理だけでも40種類あるという。

国民の約99%がイスラム教(スンニ派)であるが、宗教色はイランなどと比べると弱い。これは建国の父、ケマル・アタチュルクが定めた世俗主義に起因している。

トルコの歴史:現在、トルコが位置する地域には、紀元前6000年頃から人が住み始め、鉄を使ったといわれるヒッタイト人が、最初に王国を築いた。その後、ペルシャ、ギリシャ、ローマ帝国、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)に支配される。もともとは中央アジアの遊牧民(6世紀頃建国の突厥)であったトルコ民族は、9世紀後半に中央アジアに移動し、セルジューク朝を開く(首都はコンヤ)。そして小アジアにも進出してビザンティン帝国と対峙し、これを破った。その後、オスマントルコ帝国が覇権を握り、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、ウイーンにも及び大帝国を築いた。しかしオスマン帝国は次第に衰退し、第一次世界大戦の結果、領土を削られるなどしたが、オスマントルコの将軍であったムスタファ・ケマル・パシャの努力の結果、オスマントルコのスルタン制を廃止するなど、国内の民主化を進め、アンカラを首都とするトルコ共和国を樹立した。

<トロイ遺跡>
ホメロスの叙事詩「イリアス」に出てくる「トロイ戦争」で有名な伝説上の都市と信じられていたが、これを実在の都市であると、ひとり信じ続けてきたドイツの考古学者シュリーマンが私財を投げ打って発掘を続け、1870年、ついに遺跡を発掘した。(写真1)

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写真1:
トロイの木馬
(復元されたもの)

<エフェソス都市遺跡と聖母マリアの家>
小アジア最大の古代都市遺跡群。紀元前11世紀、ギリシャからやってきたイオニア人によって建設された都市。この都市の黄金期はローマ帝国支配下の紀元前130年頃。当時はローマ、アレキサンドリアに次いで3番目の都市として栄えた。この都市は、キリストの死後、使徒ヨハネが聖母マリアを伴って移り住み、余生を過ごした地としても知られている。聖母マリアの家は18世紀末、ドイツ修道女アンナ・カテリーナが天啓を受け、聖職者たちによって発見された。(写真2)

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写真2:
聖母マリア
の家

<カッパドキア>
カッパドキア地域には、非常に珍しい形のキノコ岩、谷、クレパスが見られる。他にこのような風景が見られるところは世界中にない。紀元後4世紀にビザンティン帝国の領土となってから、この地方に移住して来たキリスト教徒によって岩窟住居が作られた。11世紀に入るとイスラムの支配下に置かれたが、カッパドキアはアラブからの攻撃の砦となり、住民は身を守るために多くの洞窟を掘り、頑丈な石の扉の下に隠された地下都市なども建設した。
カッパドキアはきれいな「馬の国」という意味。紀元前13世紀、ヒッタイト人はここで最初にワインを作った。また、当地でカエサルが「来て・見て・勝った」という言葉を発したところだという。当地で、ガイドさんが知り合いの家庭に連れていってもらった時の写真は、前回のブログに掲載済み。数年前、ウルルン滞在記で竹内結子さんもこの家庭にお世話になったという。(写真3)

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写真3:
カッパドキア
の風景

<アタテュルク廟>
トルコ共和国創立者ムスタファ・ケマル・アタテュルクが眠る霊廟。随所にガードマンが配置されていた。霊廟の前面には「若者に告ぐ」の言葉が刻まれている。子供達を連れた先生の見学が絶えないそうだ。トルコ国民は彼をアタテュルク(トルコの父の意味)と呼ぶ。彼は独裁者でなく、国民に愛された。身内に私財を残さず、政治権力を引き継がなかった。(写真4)

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写真4:
アタテュルク廟:
霊廟を前にして
警備の人と
撮った写真は
前回のブログ
に掲載

<イスタンブール>
イスタンブールは、古来より歴史と文化の大舞台であり、アジアとヨーロッパにまたがる東西文明の接点であり、交通の要衝であった。トルコ最大の都市で、様々な人種、様々な文化が混ざり合っている。イスタンブールはボスポラス海峡で、アジアサイドとヨーロッパサイドに大きく分けられる。ボスポラス海峡は黒海とマルマラ海を結ぶ全長35kmの海峡。海峡沿いには、ブルーモスクやアヤソフィアなどの宮殿や寺院、城塞、別荘などが立ち並ぶ。アジアとヨーロッパの二つの世界を見ながらのクルージングは東西交流の歴史を思い出させ感動的だ。(写真5)

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写真5:
ボスポラス海峡:
左側はヨーロッパ、
右側はアジア、
この先を行くと
黒海がある

<アヤソフィア:イスタンブールにあり>
ビザンティン帝国の最盛期を統治した皇帝ユスティニアヌス1世の命により、537年に完成したキリスト教の大聖堂。震災や略奪、モスクへの改築など、その波乱に満ちた歴史はイスタンブールの変遷を物語っている。現在は無宗教の博物館として公開されており、2つの帝国(ビザンティンとオスマン)、2つの宗教が同居する不思議な空間である。モスクに転用された後、偶像崇拝を禁じるイスラム教の教えに背くことから、モザイクの数々は500年もの間、漆喰で塗りつぶされていたが、トルコ共和国になってからの大修復によって、現在は「キリストを抱いた聖母マリア」のモザイク画などが、昔の姿をほぼ取り戻した。(写真6)

Simg_4725

写真6:
アヤソフィア:
歴代のスルタン
によって建てられた
4つの尖塔が
異彩を放つ

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2009年11月 3日 (火)

トルコの思い出・親しく接してくれたトルコの人々

10月初め、トルコを旅した。イスタンブールよりスタートし、トロイの遺跡、エフェソス遺跡、パムッカレ、コンヤ、カッパドキア、アンカラを経て再びイスタンブールに戻るルートであった。その旅程を通じて感じたのはトルコの人たちの親日的な態度であった。旅行前からトルコが親日的であることは話に聞いていたが、トルコに来て見てそれを肌で感じた。

通常、私は旅行を終えた時、紀行から書くことにしているが、今回は先ずトルコと日本の友好的な関係と、つかの間のトルコ訪問であったが、旅行中快く接してくれたトルコの人々との触れ合いの一部を写真によって残しておきたい。

それでは、日本とトルコとの間には、どのような関係があって、トルコの人たちが日本を好いてくれるのであろうと思い、調べて見ると何人もの方が日本とトルコのそのような友好的な関係について触れられている。その中で、日本・トルコ協会の大曲さんという方は、次のように述べられている。
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トルコはフィンランド、ハンガリーと並び、世界一の親日国だといわれている。トルコでは日本関連の報道が多く、また、「世界で一番好きな国はどこか?」という世論調査では日本が必ず1位に選ばれるほどである。

このトルコ人の親日感情は、1980年のトルコ軍艦エルトゥール号の乗員に対する和歌山県串本町民の懸命な救助活動に対する感謝(注1)、トルコ人と日本人が中央アジアから東西に分かれて移住していった同じアジア系であるという同族意識(注2)、トルコの宿敵ロシアとの日露戦争での日本の勝利(注3)、敗戦国日本が世界の経済大国へ成長したことへの尊敬等が主な理由だといわれている。

<筆者脚注>
(注1)1980年のトルコ軍艦エルトゥール号の遭難事件:オスマン帝国皇帝が小松宮殿下のトルコ訪問の答礼として、オスマン提督らをエルトゥール号で派遣した。その帰途で台風に遭遇し、和歌山県串本町樫野崎沖で座礁した。串本の漁民は献身的な救助活動を行い、約600名の死者を出した大惨事であったが、生存者69名は日本軍艦によって送り届けられた。トルコでは今でもそのことが語り継がれており、トルコの学校教科書にも取り上げられ教材となっている。

(注2)中央アジアで暮らしていたトルコ人は、6世紀にモンゴル高原を中心とする遊牧帝国・突厥を築いた。現在のトルコ共和国では一般に、突厥の建国を以って「トルコの建国」と考えている。

(注3)日露戦争における日本の勝利は、瀕死状態のオスマン帝国にとって、大きな希望を与えたといわれている。当時、東郷、乃木 等の名前を付けるトルコの人が続出したといわれている。

ところで、1980年のイラン・イラク戦争の時に、イランから脱出できずにいた日本人のために救援機を飛ばしてくれたのもトルコだ。明治維新に倣い国内改革を断行した、トルコ共和国建国の父である初代大統領ケマル・アタテュルクが、明治天皇を崇拝し、陛下の肖像画を書斎の机に飾っていたという有名な逸話もある。
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というようなわけで、このような歴史的な出来事が背景にあることを知った。

トルコ旅行中、幾度かトルコの人々に話しかけられたり、また、一緒に写真に収まるようお願いした時、気持ち良く応じてくれたが、下記にそれらの写真の幾つかを掲載しておきたい。

写真1→ バスで移動中立ち寄ったレストランで:可愛い3人の娘さんを連れた母親がおられたので、家内が一緒に撮影を依頼したところ応じてくれた。この時は英語での会話が成立した。

写真2→カッパドキアの洞窟家屋にて:ガイドのYAVUZさんが知り合いの民家にツアー一行を連れて行ってくれた。そこで、その家のおじさん、おばさん(中央)と懇談後、一緒に撮影。この家の奥さんは日本が少し話せた。

写真3→アンカラのアタテュルク廟で、警備隊員の男性と一緒に撮影。普通は一緒の撮影は駄目だそうだが、無理にお願いしたところ、応じてくれた。

写真4→イスタンブールのレストラントにて:女友達と一緒に食事をしていた一人のトルコ女性が、レストランの食事はどうだったかと、日本語で話しかけてくれた。それをきっかけに話が弾んだ。彼女は日本で9年間滞在し、立命館大学やトヨタで日本的経営を学んだという。現在、Kircilar社でマーケティングを担当している。彼女の名はZehra Yurdsever さん。帰国後、この写真を送った。最初日本語でメールを送ったが文字化けしたので、英語で再送したところ、上手な英語でのメールを返してくれた。

写真5→今回の旅行を通じてガイドしてくれたYAVUZ(ヤブズ)さん。アンカラ大学・日本語学科卒業の若者。トルコに関するあらゆること、社会・文化・歴史・産業・日常生活などを教えてくれ大変良い勉強になった。日本のことについても非常に良く勉強されている。


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写真1

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写真2

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写真3

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写真4

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写真5

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2009年11月 2日 (月)

小学校同窓会は楽しく閉幕

先日の土曜日、堺市立浜寺小学校のクラス同窓会が大阪・難波・法善寺横丁近くにある「フェローズ」で行われた。14名が参加。今回、幹事の一人として、同窓会の企画を行って来たが、無事完了してほっとしたところ。終了後の挨拶状も発送完了。

我々のクラスは全員で56人。その内、お亡くなりになった方が4人。住所や電話番号が判明しており、連絡が取れる方は42名である。遠方にお住まいの方や法事やその他の会合でお忙しい方などがおられて、もっと多くの方に来て頂きたかったが、少人数ながら楽しいひとときを過ごすことができた。

物故者への黙祷に続き、校歌の斉唱をO氏のリードで行った。皆様、校歌を忘れてしまっていたが、歌い始めると何とか思い出し、懐かしい思いに耽ることができた。もっとも我々の頃の校歌は旧校歌となっており、学校のホームページを見ると、今は時代を反映した新校歌に変わっているのが淋しい。

その後、懇談をしながら各人の近況報告と続いた。まだ現役として働いておられる方もおられるが、色んな趣味や旅行、孫の面倒などで忙しい人、ボランティアで頑張っておられる方、など、人それぞれ元気に活躍されているのを聞くと自分も元気を頂いたような気持になった。欠席者の多くの方からは、心のこもった近況を知らせて頂き、次回には是非出席したいという方もおられた。

Simg_2294c_2 今回、私の方で、昔の卒業写真に名前を付して、顔と名前を一致させて見やすくしたものや現在の小学校近辺の写真などを、プロジェクターで映してご覧頂いたが、皆様、なつかしくご覧頂いた様である。

カラオケでは、我々の時代に歌われたもの、例えば、越路吹雪や石原裕次郎、水原弘の歌、最近のものでは、「千の風になって」などの歌が歌われた。

最後に、幹事の一人、Yさんが昔、NHKのラジオ番組に出場し、皆で歌ったという童謡「みかんの花咲く頃」を全員で歌って締めくくり、次回2年後の開催日を決め、再会を約束した。

その後、心斎橋にあるコーヒー店「英国屋」で懇談。5時間半に亘る同窓会は、皆様大いに語り、大変思い出深いものになった。

最後になるが、フェローズというお店は、料理も立派で割安感があり、店員の方のサービスも行き届き、更にカラオケやプロジェクターを使えることもあり、次回も使ってみたいと思うような店で、皆様にも好評であった。英国屋も雰囲気が良く、皆で懇談するのに最適の場所であった。

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2009年10月28日 (水)

大阪販売士協会での講演

先週、大阪販売士協会が主催する「販売士塾」で、講演する機会があった。同協会では、販売士の資質向上・メンバー間の交流並びに会員の拡充を図るため、“販売士塾”と称した講演会を年に数回開催している。販売士に限らず、一般の方も参加できるが、今回、約40名と多くの参加者を得て、マイドーム大阪の研修室での講演はやりがいがあった。

因みに申し上げると、販売士というのは、商工会議所認定の販売・マーケティングの専門家資格である。

今回、私が行った講演は、『非製造業の方にも役立つ ものづくりにおけるマーケティングについて考える』で、多くの事例を挙げて説明した。

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そもそも私が、このようなマーケティング関連の講演を始めたのはごく最近で、その理由は、一般的に見て製造業の方は、ものをつくるのに顧客とか市場とかを意識されることが少なく、つくれば売れるだろうと考えておられる傾向がある、また、ものづくりには自信があるが、販売とかマーケチングは弱い、と自己分析されているからである。

そこで、マーケティングの基本を知って頂き、ものを売るためのしくみを理解してもらおうというわけである。
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講演後の交流会・名刺交換会で、聴講された方と懇談させて頂いたが、皆さん少々は満足されている様子が窺えたので安堵している。

今回のような、「ものづくりにおけるマーケティング」に関連した講演を、今後も実施して行きたいと考えていたところ、来年早々、東北地方の某都市の商工会から講師の依頼があったので、同様な講演を行うことを考えている。

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2009年10月22日 (木)

大阪市中央卸売市場 本場で見た光景

先日、中小企業庁主催で実施されている農商工連携支援人材の研修会の一貫として、大阪市中央卸売市場本場(ほんじょう)の見学会に参加。果物卸売場、野菜卸売場のせり、水産、果物、野菜仲卸売場を見学。

せりは、水産物は午前4時頃から、果物・野菜は午前5時頃から行われており、当日は果物せりの現場を見ることができた。卸売会社(売り方)が全国各地から出荷された果物をスーパーや小売店から注文を受けた仲卸業者(買い方)に、せりによって販売している様子を見た。売り方は、せり人、記帳者、品物の紹介者の3人1組で行われ、一番高いところに落ちる。せり人はアーとかウーと掛け声を出して買う人の手(値段)を見ている。(写真1)

近年、せりの量が、果物生産者の高齢化により次第に減少して来ているとのことで、かってはせりに参加する人がもっと多く活況を呈していたという。更にこの状態が続けばどうなるのだろうと思うと淋しくなる。農業行政の行方に期待したい。

果物仲卸売場の中に、徳島県・上勝町からの出荷品だと思われる「木の葉」を見かけた。これは、日本料理の「つまもの(飾り)」として使われるもので、上勝町が町の活性化につなげた商品である。(写真2)  →以前のブログ参照。

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(写真1)
果物のせり

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(写真2)
果物仲卸売場で
見かけた
「木の葉」

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2009年10月20日 (火)

関西空港について思うこと

ここ2年間、海外旅行に何回か行ったが、日本に帰ってくるたびに関西空港の地味な装いが気にかかる。何も豪華にせよということではないが、成田と並ぶ日本の玄関口として、もう少し、ここは日本だなあと思わせる演出が欲しいところだ。

例えば、日本文化を代表するような花鳥風月をちりばめた絵画とか、日本建築の特徴を帯びた造形物とかにより、空港を彩ったりしたらどうかと思う。今のような彩の少ないコンクリートと鉄骨で固められた様子は殺風景そのものだ。

ドバイ空港などのように、オイルマネーの力を誇示するように必要以上に豪華なものは要らないが、せめてベトナムのサイゴン空港などのように、南国の花で美しく彩り、自国の特徴を表現している空港にすればいいのになあと思う。

しかし、そこには、世界でも珍しい株式会社が運営する関西空港の持つ限界があるのだろう。空港の建設費はいまだに、着陸料や空港施設の使用料などに跳ね返っている。ボーイング777の着陸料は仁川17万円、関空58万円という。経営努力だけではどうしようもない。空港の見映えよくするなどということは所詮無理なことであることは理解できる。

関西空港は、見映えは良くないが機能的には優れているという。日本で唯一、国内線と国際線の乗り継ぎができ、24時間使用でき、貨物便も利用できる空港で、空港としては良い部類に属するという。問題は高コストと都心へのアクセスの悪さだという。

そくで今後求められるのは、国家戦略としての航空行政なのであろう。最近羽田空港のハブ化とかいう話が出ている、また日本のハブは仁川とまで言われているが、このような問題も含めて、国が本格的に、関西空港、羽田空港、成田空港を含めて、他国との航空競争に立ち向かうことができる空港にするために知恵を絞る時が来ているのだと思う。

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2009年10月 6日 (火)

苦節5年、悲願成就・楽天イーグルス

先日、CSシリーズ進出を決定し、更に2位を窺う東北楽天ゴールデンイーグルスの躍進は、何ごとでも、皆が一致協力すればできるんだなあ、という教訓や希望を与えてくれる好例である。

そもそも楽天球団は、近鉄球団の経営不振を契機に生まれた球団である。今から5年前、近鉄球団が廃団となり、10球団1リーグ制度が当時のプロ野球関係者の間で議論されたことがある。その時、選手会が経営側に対してストを打ち、またファンが2リーグ制維持を支持して、生まれた球団である。

2009100400000504sanspobaseview000_3 当初、選手集めが大変だった。本来、廃団となった近鉄球団の選手は、吸収先のオリックス球団と2分されるべきだったのにもかかわらず、殆どの選手がオリックスへ引き込まれた。そんな一からの出発であった。初代の田尾監督、現在の野村監督と、このようなチームをよくここまで育て上げたものだ。

これは朝日新聞に掲載された記事からの抜粋であるが、チームのリーダー的役割を演じている山崎剛司選手の手記を読むと、球団創設時からの苦労話がよく伝わって来て、思わず涙を誘われる。
============================

・・・・楽天に来て、よかった。オリックスをクビになった時にやめなくてよかった。4年前、久米島のキャンプに行った時のことを覚えている。自由契約になって不安いっぱいの俺がいうのも何だけど、メンバーを見て「ひでえな」と思ったね。捨てられた選手の集まりだもん。練習の仕方もわからない、連携もカットプレーもできない。環境面も1年目はフルスタのロッカーは狭くて、シャワーの水もあまり出なくてね。・・・・・・・・・

試合は連敗、連敗で本当に勝てない。結局、38勝しか出来なかった。だから1勝の喜び、重みを感じるようになった。どんな不細工でもいいから勝つように若手を仕向けない、という気持ちが出てきた。技術的なことはしようがない。でも、その前の戦う姿勢がないとかボーンヘッドとかは、めちゃめちゃ怒ったね。・・・・例えば青山。1塁のベースカバーを何度も怠ったときは、心を鬼にしてひっぱたいた。ワンバンドを体で止めない嶋にも言ったね。お前のミスで、どれだけみんなの生活をダメにしてるんやと。永井は逃げの投球でKOされた時、ベンチで説教した。今年、ようふた桁勝ってくれたよね、うれしいよ。最近では鉄平。中日の後輩でかわいいし、リーダーシップを取って欲しいから厳しく言った。首を痛めて欠場した日、ミーチングでやり玉に挙げたよ。痛いって言い過ぎなんじゃと。・・・・・・・

・・・・野村監督に出会って(自分自身も)大きく変わった。それまでは何も考えず、配球データも見たことがなかった。データや監督の教えを参考にするようになって、沢山打たせてもらった。三振を怖がらなくていいと言われたのも大きかった。読みが外れたら「ごめんなさい」で帰ってきていいと。嬉しかったのは、07年の4月。全く打てず、ああ、これで引退していくんかなという気持ちだった。元気のなさが顔に出てたんだろうね。監督が打撃ゲージまで来てくれて「まだ4月やぞ。ベテランなんだから、焦らずやれや」と言ってくれた。すごく楽になった。あの時からエンジンがかかって2冠王(本塁打、打点)が取れた。だから、監督には優秀の美を飾らせてあげたい。是非、胴上げしたいね。・・・・・・・・
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野村監督は、自身の下積み経験があるためか、他球団でお払い箱になった選手を再生する手腕では有名だ。楽天に来てからも、山崎選手が自身の才能を遅まきながら開花させたし、中日では目の出なかった鉄平を今期、首位打者有望になるまでの状態に開花させた。草野、渡辺直の三遊間は社会人出のドラフト下位指名。他球団なら年齢を考えて獲得しなかっただろう、と野村監督は述べている。その他、適材適所で、選手の長所をうまく引き出している。勿論、岩隈選手や田中選手などの陽の当たる選手の活躍は言うまでもない。

楽天球団の経営方針もしっかりとしていた。地域密着主義に徹し、仙台を始めとした、東北地方のファンを獲得しようとファンサービスに努めた。若手選手による小学校訪問などはその一例である。そして今期の平均来場者数は1万6700人を超えた。

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2009年9月29日 (火)

大和三山万葉ウオーク

万葉文化館主催の万葉ウオークに家内と一緒に参加(9月23日)。近鉄・大和八木に集合。一行約40名。講師は万葉古代学研究所主任研究員の井上さやか さんとガイドであるご夫婦の案内で秋のひと時を楽しむ。

我々はこのウオークには始めての参加であったが、毎年1回、この時期に行われているそうだ。そしてルートは、なかなか立ち寄ることの少ないところを結んだルートで、観光ルートからは外れている。

まずは耳成山へ。耳成山は大和三山では、139mと最も低い山である。もとはもっと高い山であったが、盆地の陥没で沈下し、山の頭部が地上に残された単調な円錐形で、人の顔にたとえれば耳がないような山なので耳無山→耳成山といわれるようになったそうだ。

麓に詠み人知らずの歌碑があるのを見て横大路(伊勢街道)を東へ向うと三輪神社があった。境内には、江戸時代、御蔭まいりの時、多くの人々の目印になった大欅(けやき)があった。現在はご神木として地域の人に崇められている。

そこを出て吉備池へ。吉備池の堤に大津皇子と大伯皇女の歌碑があった。ここからは大和三山の香具山、畝傍山、耳成山が一望でき、美しい眺めだ。辺りには彼岸花が沢山咲いており、のどかな気分にさせられた。

(大津の皇子の歌:皇子が謀反の疑いをかけられ死刑に処せられる時に詠んだ歌)

「ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」
      (百に伝う磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日を限りとして、
                               私は雲の彼方に去るのだろうか)

この後、安部寺跡→磐余の道→安部文殊院→土舞台を経て、桜井駅へ。
桜井駅に至るまでに、「桜の井」という桜井の名の由来となっている井戸があった。

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耳成山
登山口

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三輪神社

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大津の皇子の歌碑
(吉備池の堤にある)
(遠方に見えるのは
畝傍山)



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万葉恋歌・・・ああ、君待つと・・・新井満

今年に入って原始・古代文化への憧憬の念が強くなり、奈良県の明日香地方には幾度が足を運んだ。昨日の9月27日(日)にも奈良県の県立万葉文化館が主催する「万葉のこころを未来へ」というシンポジウムが、大阪厚生年金会館芸術ホールで開催されたので参加した。

このシンポジウムは、昨年から平城遷都1300年にあたる2010度にかけて全国主要8都市で開催されており、2009年は、大伴家持が日本最古の歌集「万葉集」の最終歌を詠んでから1250年を迎えるので、これを機に、万葉集に焦点をあてた事業を展開することにしているそうだ。

今回のシンポジウムの出席者は、奈良県立万葉文化館長・中西進氏、作家、作詞、作曲家・新井満氏、大阪大学総長・哲学者・鷲田清一氏、華道家・池坊由紀氏、国立国際美術館長・建畠氏の面々であり、約4時間に亘って感動的な話を聴かせて頂いた。

シンポジウムでは、中西進氏によるプレゼンターションの後、新井満氏と鷲田氏が講演されたがその内容は示唆に富み、感動的なものであった。その後パネルディスカッションが行われた。

新井満氏は皆様ご存知の様に、小説家としては芥川賞作家であり、最近では「千と風になって」を作詞・作曲された方である。本シンポジウムでは、万葉集の和歌にメロディーを付けて自ら歌唱したCD「万葉恋歌 ああ、君待つと」が生まれた経緯を、面白おかしく話された上、実際に歌唱された。この歌は歌手の小林幸子さんが、自分も歌いたいと名乗り出て、今巷で話題になっているそうだ。当日、新井満さんのCDが会場で販売されていたので買い求めた(下記の写真)。

Simg_1800 さて、この万葉恋歌の生まれた経緯であるが、中西進氏から、万葉集の和歌にメロディーを付けて、一つの楽曲を作って欲しいという依頼であった。

新井さんは万葉集など読んだことがなく、最初はこの依頼に当惑したという。

そこで3ヶ月かけて4500首もある万葉集を何とか読み通したという。そして未来へ伝えるべき万葉のこころとは、一体何なのだろう?と自問した結果、「それは多分愛のこころではないか」と自答した。そこで新曲のテーマを“愛の歌”とし、しかも女流作家の和歌のみで歌詞を構成することにした。

そして4500首の中から3ヶ月かけて最終的に5首を選んだ。その内訳は額田王が1首、磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)が3種、播磨娘子が1首である。5首の和歌は、それぞれ独立していて関係性はない。これらの5首の和歌を5枚の白いカードに書き写し、それを様々な順番で並べては崩し、また並べ直すということを繰り返すうちに、ある配列に出会った。やがてそこからひとつの情景が浮かび上がってきた。それは、来てくれない恋人をひたすら待ち続ける女性の切ない横顔であった。そしてこのストーリーに作曲をほどこしたという。心がけたのは、万葉集の原文をできるかぎり忠実に生かすことだったという。

実際、新井さんはこの万葉歌を会場で歌って見せられたが、歌の上手さは言うまでもなく、万葉人のこころが1250年の時空を超えて伝わってくるように思われ、大変感動的であった。辺りを見回すと涙ぐんでいる方もおられた。この曲は、小林幸子版としても発売されているそうなので、後ほどこれも買い求める予定である。

歌詞の最初の部分は次のようである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ああ 君待つと わが恋ひをれば
わがやどのすだれ すだれうごかし
秋のかぜ吹く

ああ 君が行き けながくなりぬ
山たづねたづね むかえか行かむ
待ちにか待たむ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中西進氏は、この歌に対して次のようなコメントをされているが、
我々日本人の心の本質を見事に表現されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人を愛することとは、待つことだ。しかも白髪になるまで待つことだと作者は訴える。
欧米人の愛はどうだろう。出かけていったり、好きだ、好きだを連発するのではないか。

ところが日本人は「待つ」ことが愛だという。なぜなら愛は、その中で次第に濃縮され、
抑制されればされるほど蓄えられる力が大きくなる。この歌の中で「待つ、待つ」と
歌われるたびに、われわれに愛の激しさが伝わってくるのもそのせいである。

実は何にせよ、この抑止することで内容を濃くする方法は、日本人の得意技であった。
お能の動作もそうだ。お茶の仕草も同じ。柔道は相手の力を利用して勝つ。
仕方なく待つのではない。自分の愛を確実にするために待つのである。

ご参考:万葉集のサイトがあります。

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2009年9月28日 (月)

巨人軍における世代交代

人間誰しも、会社の経営者とか、野球の監督とか、政党の領袖となった場合、自らその地位を維持している期間中は、得てして長期的でなく、短期的な考えで物事をおし進める傾向にある。何故ならば彼等は早く成果を早く出すことを求められることが多いからである。これは経済合理性の観点から効率性を求められるからであるとも言える。

短期的な観点と長期的な観点のどちらが重要かということであるが、両者どちらも必要であるにせよ、長期的な観点がより重要であることはいうまでもない。

今年のプロ野球界は、クライマックスシリーズを考えなければならないが、年間を通じた真の成績で見る限り、セでは巨人が優勝し、パでは日本ハムが優勝する見込みである。今回、この両チームとも、長期的な選手の育成が上手く花開いたとも言える実例を示してくれている。

アンチ巨人の私であるが、原監督の下で素晴らしいチームに変身したことを認めざるを得ない。原監督はベテラン選手と若手選手の組合せを上手く行い、調和のとれたチームに成長させた。坂本、亀井、山口、越智などの若手選手を我慢強く起用し、長期的なチームつくりに徹し、彼等の才能を見事に開花させた。従来のベテラン選手だけを使ったり、他球団の看板選手を金の力にものを言わせて集める巨人流の短期的なチーム強化策は姿を消した。

日本ハムや楽天イーグルス、昨年のチャンピオンチーム西武ライオンズなどについても、同じように若手を長期的な観点で育て上げた結果として、チームの躍進があるものと思われる。一方、阪神やオリックスなどは、若手の成長があまり見られず、世代交代に失敗した例として挙げられるであろう。その結果、チームは低迷している。

企業や政治の場も同じことが言える。若手の出る幕がなく、長老が実権を握っているところは、成長が鈍る。長老は裏方に徹し、若手に門戸を開かなければならない。自民党や古い体質の企業の低迷を見るにつけ、世代交代の必要性を切に感じるこの頃である。

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企業再生と国の再生

先日、企業の経営相談の仕事をしている仲間であるAさんとお酒を飲みながら話をしていると、企業再生というのは、成功する確率というのは10%程度か、それ以下だという。Aさんは、税理士でもあるが、企業再生の専門家である。現在、公認会計士の方と一緒に銀行からの依頼で、幾つかの企業再生の仕事をされている。Aさんと、立ち直れる企業とは?に関して話をしていて時間の経つのも忘れた。

Aさんと合意に至ったのは、やはり立ち直れる企業というのは、まず第1に、核となる技術やノウハウがあり、それを支える“やる気”のある人材が存在すること、第2に企業の理念がしっかりとしていること、である。企業の理念は中小企業であれば経営者が持つ理念とも言える。これらが欠如しておれば致命的であり、幾ら再生のためにお金を投入しても無駄であるということだ。このことについては“言わずもがな”と言われる内容であるが、実際にはこれらが揃っている企業は意外と少ない。財務上、経営がうまくいっていると思われる大企業でも然りである。

======================
政治の世界では民主党政権による日本国の再生が始まっている。この10数年間に自民党政権によってもたらされた潤いのない社会、市場原理主義の行き過ぎによってもたらされた絆のない、連帯感のない社会を何とか回復させて欲しいものだ。

企業再生に例えた場合、日本は有史以来、緻密なものづくりの精神や自然と協調し、自然を愛する民族として、自らはそれらを意識しないが、世界的に見れば、他国が模倣できない核となる技術やノウハウ、感性、などを保有して来た。中国やインドの台頭が最近、盛んに協調されているが、何も大きいことが全てよいことではない。日本としては、小さくても威光を放つ小さなダイヤモンドの様な存在でもいいわけである。このような潜在的な能力を我々は持っているのだ。

一方、企業理念に喩えられる国家としての理念は、経済は一流だが政治は3流といわれる様に、誠に淋しく思われる程度のものしか保有していない。国家としての理念は、政治家の理念と言っても同じだ。世界の中で、特に目立たなくてもよい。国が進むべきビジョンを描き、国民が普通の生活を享受でき、かつ世界に対しても何らかの貢献(例:環境保護技術などの提供)をできるような国にして欲しいものだ。我が国の再生は民主党政権の双肩にかかっている。

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2009年9月10日 (木)

石見銀山紀行

8月半ば、世界遺産となった石見銀山を訪れた。ガイドさんの話しによると、世界遺産に登録された直後の熱気は一段落し、観光客で溢れるということにはなっていないらしい。私が訪れた時もそうだった。

石見銀山は戦国時代から江戸中期にかけて日本最大の銀山として栄えた。最盛期は江戸時代初期で、年間150~200トンの銀を産出したという。石見銀山の注目すべき点は灰吹法という原始的な精錬法で驚くべき生産高を上げたこと、採掘の技術者集団や精錬に使う鉛、燃料の木材、交通ルートなど、鉱山を持続的に運営する条件が整っていたこと、等が挙げられる。これらのことが高品質の銀を大量に生産・輸出できた大きな理由である。

石見銀山を巡っては、日本国内では、戦国時代、大内氏、尼子氏、毛利氏、豊臣秀吉による熾烈な争いが繰り広げられた。また、徳川家康が天下を取ってからは、いち早く幕府直轄地とし、銀山奉行(大久保長安)を派遣した。

世界史的に見ても、石見銀山の名は、大航海時代には世界に知れ渡り、当時のポルトガルの地図にもその名が載っている。また、かの有名なフランシスコ・ザビエルが手紙に「スペイン人が日本を銀の島・ジパングと呼んでいると記している。そして、多くの銀が明を経由して陸路ヨーロッパへ、あるいは海路で渡ったと言われる。

その他にも石見銀山にまつわる興味深い話がある。関が原の戦い後の大阪冬の陣では、徳川家康が石見銀山の堀子を使って地下道を掘り、難航不落の大阪城を地下から攻めたとか、大阪城の地下水を遮断したとか言われている。

また、ガイドさんが、ポルトガル人による種子島の鉄砲伝来に関連して、実は彼等は銀を求めて日本にやって来た途中、遭難し種子島に上陸した、と説明していたが、私もさもありなんと思った。そして若しこれがスペインであったなら、日本の運命は変わっていたかも知れない言っていたが、スペインによるインカ文明の破壊などを考えると、歴史の仮説とは言え、真実性も少しあるようにも思われた。

鉱山を支える住宅地域「大森地区」については、当日は商店街の休業日で、人通りはまばらだった。街の景観を維持するための色々な配慮が工夫されており、下記の写真にあるような木製の自動販売機が目に付いた。

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Simg_1711

石見銀山
初代奉行・
大久保長安
の墓

Simg_1722

龍源寺
間歩

Simg_1744

大森区
にある
自動販売機:

街並み景観
に配慮して
いる

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2009年9月 7日 (月)

久しぶりのゴルフ

先週、学生時代の友人二人と久しぶりのゴルフを宝塚にあるゴルフ場で楽しむ。数年前の同窓会の席上、時々集まって情報交換をしようということになり、ゴルフ技術の維持も兼ねて行っている。プレー後は、友人の一人Oさんが学生時代からよく利用したという宝塚駅近くの飲み屋で、色んなことについて議論をするのが楽しみだ。仕事の話は余りしないが、日常生活で発生した色んな話題の提供とか、健康や趣味についての話である。

先週のゴルフでは我々のグループの前に韓国のトッププレーヤー・女子プロの李知姫さんが、友達二人を連れてゴルフを楽しんでいた。彼女らの華麗なゴルフスイングを見ながらのゴルフは大変参考になった。因みに李知姫さんにサインをもらおうと思ったがあいにくサインペンを持ち合わせていなかった。残念だ。

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2009年9月 6日 (日)

メッキ業界におけるユニークな会社「エビナ電化工業」

先日、テレビ番組「カンブリア宮殿」を観ると、東京大田区にあるエビナ電化工業という会社が取り挙げられていた。

この会社はメッキを業務とする会社で、ナノレベルの高精度薄膜技術を誇っている。そして他社がやらない難しい仕事を積極的に引き受けているという。

社員は約100名。メッキ会社であるというのに、従業員の6割は女性だ。社長の海老名氏の話によれば10年程前から優秀な女性を採用することを会社の方針にしているという。

というのは、優秀な男子は大企業に取られてしまうので、同社としては優秀な女性を採用しているのだという。そのため女性の給与は世間相場より高くしている。

最近では結婚して夫の職場が他府県にあるので勤務上無理でやめていく女性社員を引き止めるため、女性社員の給与を引き上げているとも言っておられた。その場合、彼女の夫は同社近くの会社に勤めることに変更するのだという。

また、同社は研究開発に力を入れているが、彼女達の仕事は、男性よりは相対的に緻密であるという。緻密さやl細やかさについては一般的にそのような傾向があるので、私も同感だ。

同社では女性が多いため、社内の化粧室や娯楽室など、女性重視の職場環境にするためにかなり投資し、女性が働きやすい環境をつくることを心がけておられる。

番組では、若い女性が仲良く協力して活き活きと働いている様子が映し出されていた。人材不足気味な中小企業における女性の積極的な登用という意味で、今後、参考となる事例であると思った。

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旅を通じての友人

以前は団体旅行に参加すると、まず自己紹介から始まるので、お互いの名前やどこに住んで、どんなことをしている人かがわかり、気心が知れた人と容易に親しくなれる機会が自然とできた。

しかし、近年は個人情報保護法というものができたため、旅行社の方で参加者の名簿を作ってあっても、参加者には配付しない。従って団体旅行とはいっても、お互いの名前を名乗らない限り、知人の関係にはならない。寂しい限りだ。単に同じ交通手段を使い、ガイドさんの後についていく集団で、そこには同じ旅行を楽しんでいる者とは違う雰囲気がある。

個人情報保護法にも良い面と悪い面がある。名簿などを無統制に発行しないことは個人のプライバシーの侵害を防ぐことにはなるが、反面、自由な人間関係の成立を阻害することにもつながる。ビジネスにおいてもプライバシーマークといった法律がもう何年も前からできていて、その取得のために企業は大層多くの時間を費やしているが、顧客情報の漏洩を防止するといったような良い面がある反面、法を守るための業務ルールを新たに決めるなど、無駄な業務が発生することで、企業の生産性を悪化させている。この種の法律の行き過ぎた実施には私は反対だ。

ところで、このような最近の旅ではあるが、何日か旅を一緒にしていると、自然と親しくなる人が出てくるものだ。そのような時は、我々夫婦は努めて、名前を名乗り、お互い関心のあることについて気楽に話をするようにしている。

そのお蔭で、今年、旅行で知り合った幾組かのご夫婦の方と情報交換をさせてもらっている。先日も突然、今年始め、ご一緒した堺市のご夫婦の訪問を受け、楽しい思い出話に耽った。

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2009年8月30日 (日)

某企業の経営改善

大阪商工会議所の経営相談員をしていた当時からお付き合い頂いている企業がある。大正元年の創業で、従業員40名程度の老舗企業である。

同社も昨年末以降、金融危機の影響を受け、雇用調整助成金の支給を受けながら何とか雇用を維持し、大変経営に苦労されている。社長さんは皆の意見を聞きながら、それらを経営の中に生かすタイプで、いわゆるワンマンでなく、社員との一体感の維持に努められている方である。

2ヶ月程前から社長さんと色々と話し合って来た。・・・今後、会社の改善をどのように進めればよいか、従業員の方にやる気を出してもらうにはどうしたらよいか、新製品開発をどのように進めればよいか、などなど。

そうした中、一度、従業員の方が日常、会社生活をどのようにとらえているかを調査しようということになり、先日アンケート調査を実施した。

アンケート調査の結果を見ると、会社の現在の状態がそれほど良くないという状況にもかかわらず、会社との一体感、会社を良くして行きたいという向上意欲が見て取れた。これはやはり社長さんの人間性によるものだと感じた。

このような職場の雰囲気を持った会社であれば、何とかなると感じ、今後、改善の進めかたについて助言していく予定である。

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驕れるものは久しからず

今日の衆議院選挙投票日を前にして、民主党が圧倒的に勝利するだろうと報じられている。自民党の大敗は、まさに驕れるもの久しからずといった感じがする。一度、政権交代により、民主党を主体とした政権により、閉塞した世の中の悪い動きを断ち切ってもらいたいものだ。

戦後の政治を担ってきた自民党政権は、初期の頃は敗戦後の廃墟からこの国を建て直し、それなりに日本の発展に尽くして来たかもしれない。しかし、その後、長期安定政権の上に胡坐をかき、特に最近は、日本の将来への展望を描こうとする意欲に欠け、短期的な自己保身にうつつをぬかし、雇用、医療、介護、教育、社会福祉、など、どれを見ても、惨憺たる状態にしてしまった。行政のムダも多い。ムダな外部機関をつくり、天下りを容認し、我々から集めた税金をゴミ箱に捨て去った。我々選挙民にもこのような政党を政権党に選んだ責任がある。

さて、今日の投票のことであるが、私は既に投票を済ませた。どうせ一人くらい投票しても世の中は変わらないと思わずに、特に若い方は選挙に行くべきである。一人ひとりの投票は確実に世の中を変える。どこに投票するかは個人の自由であるが、今の世の中をこのようにしたのは誰かを考えて見れば、自ずと投票先は決まる。

もっとも私も民主党が全て良いとは思わない。O氏による院政的な影響力を排除し、より民主的な体制に脱皮すればもっと良くなるであろう。またH県において他党の似非改革主義者としか思われない人物を推薦したりして、理解に苦しむところもある。しかしそのようなことは抜きにして、全体としては大きな問題ではない。今後の政治を、民主党、社民党、国民新党による連立政権に委ね、長期的な観点で日本の将来を考えて欲しいものだ。

たいものだ。

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2009年8月16日 (日)

女性診断士の会「ピザの会」がビジネスプランコンテストを開催 

大阪に「ピザの会」という、大阪を中心として活動している女性だけの中小企業診断士の会がある。この会の代表者は、北口祐規子さん。私の中小企業診断士仲間である。

3aefb568s_3 ピザの会は、働く女性・起業家を応援することを主な目的として、女性の診断士の視点で企業経営の相談や創業や新事業を支援しているユニークな会だ。今まで、数多くの女性起業家を世の中に送り出すこと、などにより社会に貢献している。その活動は広く認められ、読売新聞を始めとして多くのメディアでも紹介されている。

さて、ピザの会では、2005年から毎年1回、ビジネスコンテストを開催しており、創業や新規事業のプランの応募を募っているが、今年も募集中である。

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同会による今回の案内状を見ると、コンテストのコンセプトは、「おんなが選ぶ、みんなが選ぶ」、「審査員は全員女性の中小企業診断士、応募者自身が審査員としても参加!」とあり、起業を目指す人、新たな事業を志す人に、男女は問わず、応募を呼びかけている。

そして女性コンサルタントの視点で評価し、優秀プランには、賞金と一年間の事業化相談・支援を行うとしている。応募資格は、関西在住、もしくは関西での起業や新事業への進出を目指す個人・法人で、応募期間は8月1日~9月20日である。

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このような女性を主体としたビジネスプランコンテストは少ないように思えるので、新しく事業を始めたいと思っている方は、是非一度、参加してみてはとお薦めする。毎年、開催されるので今年は無理でも来年は、という方も是非、一度見ておかれるのもよいだろう。

応募に関する詳しい内容については、次の案内文をご覧下さい。 案内文

ピザの会については、ここをクリック 

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2009年8月14日 (金)

紀行・・・明日香村・豊浦寺跡

先に藤原京跡を訪れた後、万葉文化館へ行こうとタクシーに乗って、運転手さんと色々と話をしていると、明日香に来た時には必見のところがあるというので連れて行ってもらった先が豊浦寺跡(とゆらでらあと)である。この運転手さんは脱サラして今の仕事をされているということで考古学を趣味としており、歴史上興味深いことを沢山教えてくれた。

さて、豊浦寺。現在は向原寺(こうげんじ)という。
552年(欽明天皇13年)百済の聖明王が朝廷に献上した金銅の釈迦像(日本初渡来の仏像)を蘇我稲目(そがのいなめ)が賜って向原の自宅に持ち帰り、自宅を浄めて寺としたのが日本最初の寺とされている。

しかしその後疫病が流行した時、災害は仏教崇拝によるという理由で、仏像は、廃仏派である物部氏により難波(なんば)の堀江に捨てられ、寺は焼却されたという。後、再興され、豊浦寺の前身となった。因みにこの堀江は寺の直ぐ横にある。

ところで、この辺りは推古天皇の宮殿があったと伝えられ豊浦宮跡ともいわれている。

そして前述の仏像は、その後長野県の善光寺に祀られたという善光寺縁起として語り継がれている。仏教伝来が538年と歴史の授業で教えられたが、その後、蘇我氏と物部氏の仏教信仰を巡る争いなどを経て、仏教文化が繁栄していく様子が窺え、興味深く感じた。

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さて、万葉文化館での話であるが、上野誠先生の「歌木簡は語る」というお話を聞いた。
話の内容は、歌を刻んだ木簡が多く発見されているが、木簡は何のために作られたのであろうか?ということについて、万葉集や日本書紀の話を交えながら面白おかしく話して頂いた。結論的には、何かの儀式があった時、聴衆が一緒に歌うために、歌の内容を詳しく知らない人々にも知らしめるため、会場のどこかに掛けておく歌詞カードであったのではなかろうか、というのが上野先生の説明であった。

古代の人々の文化的?な側面が思い浮かび、古代へのロマンを感じる一日であった。

Simg_1652

豊浦寺
(向原寺)

Simg_1656

物部氏により
仏像が捨て
られた池
(難波の堀江)

Simg_1655

難波堀江
の由来を
記してある





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2009年8月13日 (木)

紀行・・・藤原京と大和三山

8月8日藤原京を訪れた。
近鉄線・八木西口で下車し、徒歩で藤原京へ。

藤原京は、唐の長安を模倣して造られたと言われている。当時は天皇が変わるたびに宮殿も転々としたが、壬申の乱後確立した律令国家体制を堅持するために永久的なものにしようという要求から、天武天皇の意思を引き継いだ奥さんである持統天皇(女帝)によって建設された。そして持統、文武、元明天皇三代に亘る都であった。

藤原京跡は、現在、大極殿(天皇が政治や儀式を行ったところ)の礎石しか残っていないが、5.3キロ四方の規模の都市で、大和三山(北に耳成山、東に天香具山、西に畝傍山)を内に含み、後に建設された平城京や平安京をしのぐ規模であったという。

大極殿から見た大和三山の姿であるが、北にある耳成山は辺りの森に隠れ、僅かに頂上が見える程度であったが、天香具山、畝傍山は辺りに遮るものは何もなく、美しい山容が鑑賞できた。下の写真は大極殿から見た天香具山である。

明日香地域は歴史的な景観を維持するための条例が敷かれているので、高い建築物や広告塔などの俗っぽいものがなく、昔にタイムスリップしたような思いにさせてくれるのがありがたい。

持統天皇が詠んだ有名な歌が思い出された。

「春過ぎて 夏来にけらし 白たへの 衣ほすてふ 天の香具山」

香具山の緑の木々の中に夏着の白さを見つけて、初夏の訪れに感動している様子が窺える。
 

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Simg_1649

藤原京跡
大極殿脇に
立つ宮内庁の
説明文

Simg_1642

藤原京跡
大極殿
に立つ
碑文

Simg_1643

藤原京跡から
天の香具山
を望む

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2009年8月12日 (水)

家族の絆について

一度訪れた町は何となく愛着を感じるものである。つい先月訪れた広島県・尾道に関する新聞記事が目に留まった。その記事は往年の名作である映画「東京物語」について描かれていた。

この「東京物語」は1953年(昭和28年)に制作された松竹映画で、小津安二郎監督、笠智衆主演の日本映画である。その後、テレビドラマとして何度か放映されたらしいが、私は観たことがなかった。新聞記事を読んだ後、映画そのものを観たいという衝動に駆られ、近くのツタヤでCDを借りて観た。

物語は、今のうちに成長した子供達(5人の息子・娘を持つ)に会っておこうと、広島・尾道から東京を訪れる年老いた夫婦(笠智衆、東山千栄子が演じる)と、忙しさのためか、それを快く思わない子供達を通して、家族の絆、親と子供、老いと死、人間の儚い一生、を冷徹な視線で描いた作品である。

現代における核家族化や高齢化社会における家族の絆、といった問題を先取りしたようなテーマであると、ある映画評論誌は述べているTokyo_monogatari_poster_2_2が、私もそのように思えた。最近、SNSでも家族の絆に触れられている方がおられたことも、この映画を観てみたいと言う私の気持ちを後押ししてくれた。

=========
場面は戦後間もない、まだ日本が貧しい時代である。さて東京へ出てきた老夫婦であったが、長男も長女も毎日忙しく両親をかまってやれない。

寂しい思いをする二人を気遣って慰めてくれたのが戦死した次男の嫁の紀子(原節子が演じる)であった。

尾道に帰った母は脳出血で倒れて間もなく亡くなる。葬儀のためやって来た実の子達は形見分けのことまで口にしてあわただしく帰って行き、次男の嫁だけが数日間、舅のもとに残った。

また、次女で一番若く、独身で、尾道で小学校の先生をしている京子(香川京子が演じる)は自分本位に考える兄や姉に対して怒りを感じるが、兄嫁の紀子には親しみを感じる。

その嫁も今日は東京へ帰るという朝の場面がこの映画のクライマックスであり、次のような舅と嫁の会話が続く・・・・・・・

「次男のことなどは忘れてもらっていい。縁があったらお嫁にいっておくれ」と舅が告げる。

「自分を買いかぶらないでほしい」と嫁が言う。「買いかぶっとりゃせんよ」と舅が言う。
「いいえ。わたくし、そんなおっしゃるほどのいい人間じゃありません」「いや、そんなこたあない」「いいえ、そうなんです。あたくし、ずるいんです」と二人の会話が続く。

嫁は、夫のことばかり考えてるわけじゃない、忘れている日もあると言い、「わたくし、ずるいんです」と三度繰り返す。そして、一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとても寂しい、どこか心の隅で何かを待っている、という本心を吐露したあと、

笠が演じる舅が「ええんじゃよ、それで・・・やっぱりあんたはええ人じゃよ、正直で・・・」 と述べ、嫁を案じるくだりが胸を打つ。
=======================
この映画は小津映画の集大成とも言える作品で、日本映画の最高傑作とも言われているし、海外でも高く評価されている。細やかな人間描写が、モノクロ画面の中で一層生かされており、主演の笠智衆を始めとして、原節子、香川京子、東山千栄子等の俳優人の演技は素晴らしい。

そして、この映画は、文明の進化と共に、家族が一緒に生活する基盤が狭まり、家族の繋がりが希薄化する方向にある現代を憂えている。だからそのようにならないように努力・工夫しなければならないと警鐘を発している様に思えるのだ。当時と比べて核家族化が進行しつつある現在の世の中においては、一層このことの重要性が感じられる。

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Tokyo_monogatari_poster_3

 

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2009年7月31日 (金)

関学ビジネス講座

関西学院大学が社会人のために大阪梅田キャンパスで「関学ビジネス講座」を開催しているのを知り、その中に興味のある講座があったので、7月、夜7時からの3回に亘る講座を受講した。

最近、中小企業の方に製造業におけるマーケティングの必要性を説いているので、そのためにも大学の先生の最新のマーケティング理論を聞いておきたいという気持ちになったからである。

受講生は、10名(内、女性3名)で全て私よりも若い方で、若い人たちに混じって久しぶりに学生気分に浸った。皆、熱心で、質疑などを聞いていると復習もしっかりとやって授業に臨んでいる様に感じた。講座名は「現代マーケティング戦略」。その内容は顧客価値の創造と維持、顧客の好みと製品開発、リレーションシップ・マーケティング、で事例を交えながらの説明は分りやすかった。

マーケティングの基礎的な知識が必要であったが、先生の説明は上手く、質疑を含めた講義は充実したものであった。最後にはレポートを提出する必要もあった。

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QCサークル近畿支部の発表大会

7月末、QCサークル近畿支部が主催するQC活動発表大会があった。今回、9会場を使っての大会であった。私は第5会場の川村義肢㈱で聴講した。

参加企業は全体として大企業が多いものの、元気な中小企業もかなり参加していた。
私の参加した第5会場の発表者は全て病院とか障害者施設など、医療施設の関係者で、それらの施設におけるコスト削減とか業務のムダの削減、部門間の連携強化、などに関する活動について上手く発表されていた。発表者は、全て看護師やヘルパーさんなど、若い方で、内容的にも良く頑張っている、という印象を受けた。

最近、製造業でのQC活動が停滞しており、サービス業などにおけるQC活動が増えて来ているというが、その状況がよくわかった。

発表プログラム終了後は、会場である川村義肢㈱の施設見学であった。同社は義足や車椅子などの生活用品を製造している従業員574名の中堅企業である。今回の発表大会では、顧客満足度合い向上のための活動について発表していたが、施設見学した際にもQC活動のレベルがかなり高いとお見受けした。

その後、グループ討議があったが、QC活動を活発にするためにはどうすればよいか、QC活動は時間内か時間外か、どちらかよいのか、時間外の場合の手当ては?などに関する意見交換が行われた。

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Simg_1627

川村義肢㈱
の施設見学

QC活動の
状況を示す
掲示が目に
ついた。

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2009年7月26日 (日)

イタリア紀行(その3)

<ポンペイ>
ポンペイは紀元前8世紀に建設された商業都市で、ナポリの南東に位置する港町。紀元前4世紀に古代ローマの支配下に入って発展を続けていたが、79年、ヴェスヴィオ火山の噴火により街は一瞬の内に瓦礫と灰の中に埋もれてしまい、そのまま忘れられていたが、1748年、ナポリのカルロ7世が発掘し、当時の街が蘇った。船着場、車の轍が残る街道、倉庫(遺品やミイラが保存されている)、浴場、パン屋、などを見学。

<カプリ島>
ナポリから30km南、人口2000人の小さな島。風光が美しい。歴代の古代ローマ皇帝の別荘地であった。島の名所が「青の洞窟」。光の屈折で神秘的な青い色に変化した洞窟内の海面の美しさは感動的だ。洞窟内に入れるかどうかは波の静けさにかかっており、我々のグループは幸運にも入ることができた。

<ナポリ>
ローマ、ミラノに次ぐ3番目の都市。昔から「ナポリを見て死ね」という諺があり、世界3大美港のひとつを持つ。しかし、近年、ゴミの問題で街の様相が変わり、その回復が世界の注目を浴びている。事実、ナポリの街の汚さは予想外であった。ゴミが散乱し、道路の未補修などが目についた。

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S78

ポンペイ
の遺跡

S714

ナポリから
カプリ島に
向う船上

遠くに
見えるのが
ヴェスヴィオ
火山

S715

カプリ島

青の洞窟
入り口

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イタリア紀行(その2)

<フィレンツェ>
紀元前59年にカエサルが退役兵士に土地を与え、城壁をめぐらせた町を造ったことが起源。その名前の由来は「花の女神フローラの町」という意味でのフロレンティア。15世紀に織物と銀行で財を築いた豪商メディチ家がルネッサンス文化の扉を開く。

訪れた所:ミケランジェロ広場、シニョーリア広場、ウフィッツイ美術館、サン・ジョバンニ洗礼堂、ヴェッキオ橋、ドゥオモ

ミケランジェロ広場はアルノ川の対岸で、フィレンツェ市内を見下ろす小高い丘の上にあり、そこからの眺望は素晴らしい。広場の中心にミケランジェロのダビデ像(複製)が立っている。シニョーリア広場は噴水やダビデ像などの彫刻群があり芸術性満点だ。ウフィッツイ美術館はメディチ家が収集した多くの絵画等を所蔵する。ボッティッチェッリの「ヴィーナスの誕生」「春」などを見学。サン・ジョバンニ洗礼堂はロマネスク式の八角堂で、ミケランジェロが「天国の門」と命名した旧約聖書の物語が刻まれた門を持つ。ドゥオモは、メケランジェロが1471年に完成させたクーポラを持つ世界で3番目に大きい聖堂である。

<ピサ>
ピサは、11世紀から13世紀にかけて東方と交易する港町として発展。11世紀にピサの艦隊がイスラム教徒を破り、戦利品でドゥオモを建設。1173年から鐘楼(ピサの斜塔)の建設に着手、途中、地盤低下で傾くがそのまま続けて1350年に完成した。ガリレオ・ガリレオの落体実験で有名である。観光客が、斜塔を背景に、それを支えるようなポーズで写真を撮る光景が印象的であった。

<ローマ>
紀元前753年、ギリシャ神話の英雄の子孫・ロムルスにより建国され、都市国家から王政を経てローマ帝国の首都となった。ローマ帝国滅亡後は、大小の国に分裂し、15世紀からはローマ法皇領の首都としてルネサンス文化の中心地となる。

訪れた所:コロッセオ、フォロ・ロマーノ、ヴァチカン市国、トレヴィの泉、スペイン広場

コロッセオは4階建ての巨大な円形競技場で、現代の15階建てビルに相当するという。近くには新旧二つの凱旋門があった。フォロ・ロマーノは古代ローマ帝国の宗教・政治・司法・文化の中心地。ヴァチカン市国はローマ法皇と聖職者や閲兵だど人工1000人という世界最小の独立国、約10億人の信者を持つカトリックの総本山である。訪れた時は丁度、世界ミットが開催されており、アメリカのオバマ大統領がヴァチカンを表敬訪問中であったので、厳しい警戒体制が敷かれていた。サン・ピエトロ広場とその中に立つサン・ピエトロ寺院の景観は壮大であった。
トレヴィの泉は「泉に背を向けてコインを投げるとローマ再訪が叶う」という有名な言い伝えがある泉で、多くの観光客で溢れていた。スペイン広場は映画「ローマの休日」で一躍有名になった広場で、ここで毎年、ファッション・ブランドがショーを開催しているという。

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S41_2

<フィレンツェ>
ミケランジェロ広場
よりのフィレンツェ
の眺め

S410_2

<ピサ>

ピサの斜塔を
背景にした
写真撮影

若い女性が
斜塔を支える
ポーズを
とっている

S51

<ローマ>

コロッセオ
前での一行
の記念撮影

S62

<ヴァチカン
市国>


オバマ大統領
訪問で警護する
警官

S64

オバマ大統領
のヴァチカン
訪問を伝える
現地の新聞

Simg_0011 

ウフィッツイ
美術館

ボッティッ
チェッリ
「春」

S56

ローマ

トレヴィ
の泉

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イタリア紀行(その1)

先週、某旅行社のツアーでイタリアの旅を楽しんだ。
ツアーの総勢は約40人で、いつもの通り約7割が女性であった。夫婦、女性同士、家族連れ、と様々であった。特記すべきこととしては、世界サミットの時期と重なったことで、ローマにおいて、アメリカのオバマ大統領のヴァチカン訪問に遭遇し、スケジュールが若干変更になった。

最近、イタリアに於ける日本人観光客は減少気味だという。
他の国からの観光客は増加し、全体としては増えているというのにである。この理由として、ある新聞紙上には、イタリアにおけるホテルや店のサービスの低下、不当な料金の請求などが挙げられていた。

日本人観光客が減少している原因としては、ひとつには女性が多いこともあると思う。西欧人の場合は、旅行は夫婦か家族連れといったケースが多いが、日本人の場合は、夫婦連れも少なく、女性同士での旅行というケースが多い。

旅行の目的は各人様々だが、現地の文化や芸術、自然などの他に、料理やショッピングを楽しむことも大きな目的であるが、後者は圧倒的に女性の方々が重視する傾向にある。私などは、ホテルが少々粗末であったりしても我慢できるし、買物なども余り興味がないが、女性の方々はそうはいかない。ホテルや店のサービスの低下には敏感である。
イタリア政府も今後、サービスの向上に努め、日本人観光客の回復を図るそうだ。

========================
さて、今回はドバイ経由でミラノ入りし、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ピサ、オルビエート、ローマ、ナポリ、ポンペイ、カプリ島と旅行した。以下は、自分が作成した「No.9 旅行の思い出」からの抜粋(主として印象に残った点)である。

ドバイ空港の免税店は、約1kmの長さに亘り、きらびやかな店が立ち並び、石油資本で潤っている国の繁栄を感じるが、反面空しさを覚える。

<ミラノ>
イタリア経済とファッションの中心地である。

訪れた所:スフォルツェスコ城、スカラ座、十字型の商店街、ドゥオモ(大聖堂)

スカラ座は教会の建物の上に1778年、オペラ座を建て増した建物で世界の舞台となっている。十字型の商店街はイタリア統一を記念して1867年に建てられたアーケード街で、イタリア初代国王の名前が付してある。十字路の中央にあるドームの天井のガラスを通して入る自然光が、フレスコ画やモザイク画を優美に浮き立たせて美しかった。フレスコ画には、4人の女神が描かれている。それぞれアジア、アフリカ、南アメリカ、ヨーロッパ、と当時の世界を構成する4大陸をイメージした寓意画となったいる。また、世界のファションをリードするファッションに溢れた街であった。ドゥオモは500年近い歳月をかけて建てられたゴシック建築でミラノのシンボル。天に伸びる135本の小さな尖塔がある。

<ヴェネツィア>
12世紀以降、大航海時代、東西貿易の中継地として莫大な富を築く。マルコポーロが生まれたところである。またシェイクスピアのヴェニスの商人で知られている。

訪れた所:サン・マルコ寺院、ヴェネツィアガラス工房、ドウカーレ宮殿

4人乗りのゴンドラ船で迷路の様に入り込んだ運河を巡る遊覧を楽しんだ後、サン・マルコ寺院へ。サン・マルコ寺院は、828年、アレキサンドリアから運ばれた聖マルコの遺骸を安置する場所として礼拝堂を建てたのが起源。18金尽くめの装飾で覆われていて絢爛たる姿を呈している。ヴェネツィアガラス工房を見学。ここで金彩入り赤、青ペアのグラスを購入。

続く

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<ミラノ>

十字型商店街

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<ヴェネツィア>

サン・マルコ寺院

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<ヴェネツィア>

ゴンドラ遊覧

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2009年7月24日 (金)

蝉の勢力図に変化?

昨年の夏頃から感じ始めたことだが、蝉の世界に異変が起きている様だ。

現在、大阪の箕面市に住んでいるが、最近、朝起きると、クマゼミのけたたましい鳴き声で目が覚める。庭の木には白い透明な羽をもったクマゼミが何匹も連なるようにとまって鳴いている。私の子供時代には、当時、堺市に住んでいたが、クマゼミは少なく、クマゼミを見つけると嬉しくなって捕まえようとしたものだ。クマゼミは希少で価値のあるものであった。

W_niiniizemi4071 子供時代の蝉といえば、ニイニイゼミが多く、次に、茶色の羽のアブラゼミが多く、クマゼミが希少であった。また、ツクツクボウシは夏の終わりに見られた。

先週、あるテレビ番組で、屋久島の杉の年輪を調べて、太陽活動を研究している方がおられたが、その人によると700年頃?活発であった太陽活動は、その後衰えたが、近年、再び活発になって来ているという。しかし700年頃の気温は今ほど高くなかったらしい。これはやはり地球の温暖化を裏付けるものだ。

蝉も気温の変化の影響を受けているのだろうか?蝉の種類は気温によって変化しているのであろう。クマゼミの勢力拡大?に反比例してアブラゼミやニイニイゼミが非常に少なくなった。アブラゼミやニイニイゼミの減少には淋しさを感じる。以前、これらの蝉の鳴き声を聴きながら、静かに?物思いに耽ったり、昼寝を楽しんだものだ。

芭蕉が詠んだ句に、

「閑(しず)かさや岩にしみいる蝉の声」 というのがある。

この句は紀行「奥の細道」の中にあり、芭蕉が山形藩の立石寺(山形市山寺)という
静かな山寺で詠んだものである。

夕暮れの静寂の中で、蝉の声だけが、岩にしみとおるように聞こえてくる、という
意味である。そして、この蝉の種類はニイニイゼミであろう、といわれている。

成る程、そうであろう。クマゼミのようなけたたましい鳴き声はこの句の場面に合わない。小さな鳴き声で鳴くニイニイゼミがぴったりである。夏のひと時、静かに物思いに耽ったり、静かに惰眠をむさぼるためにも、ニイニイゼミやアブラゼミが再び増えて欲しいものだ。

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2009年7月23日 (木)

全英オープンゴルフ選手権を見て

先週、第138回全英オープンゴルフ選手権のテレビでの実況放送に深夜釘付けになった。期待されていた石川遼やタイガー・ウッズが予選で敗退したが、久保谷やトム・ワトソンの活躍を見ていて大変感動した。

久保谷は一時、トップ争いを演じるほどであったが27位に終わった、しかし風を意識した弾道の低い正確なショットは素晴らしいものがあった。石川遼は距離のあるホールでは、他の選手がアイアンや3番ウッドなどを使っているのに、あくまでもドライバーに徹し、若さ溢れるプレーを見せてくれた。、優勝は、59歳の米国、トム・ワトソンと同じ米国、36歳のスチュアート・シンクの間でのプレーオフとなったが、最後は若いスチュアート・シンクが優勝を勝ち取った。

全英オープンが行われるゴルフ場は、まさに野原といった感じもするところである。フェアウェイは、ティーショットの地点からかなり離れた所から始まるし、それに非常に狭い。しかもラフに入るとゴルフ球が見えないほど背の高い雑草が生えているので、殆ど1回での脱出は不可能となり、少なくとも1打をロスする。バンカーも至るところにあり、殆どが絶壁のような壁を設けてある。その上、海岸ぎわなので風が強く、更に夏なのに気温が低い。まさに自然との闘いだ。人間を楽しませてくれるためにやさしく造った日本のゴルフ場に比べると、まさに自然が立ちはだかったゴルフ場だ。このようなゴルフ場でこそ、ゴルフでいうコースマネジマントが要求されるのであろう、と思ってテレビを観ていた。

さて、トム・ワトソンの若い時のプレーはよく見た。数々のタイトルを手にした彼の顔には、その後30年余りを経た今、年輪を感じさせる皺が目についたが、正確なショットは往年のプレーを思い出させるものがあった。また、紳士的なプレー、観客へのサービスを忘れない態度には感心させられた。

ところで、ゴルフというものは、中高年にも適したスポーツであるが、それはあくまでも楽しむためのゴルフである。これが仕事のためのゴルフとなれば話は別だ。4日間の長いプレーに打ち勝つ体力が要求されるので、技術、精神力に加えて体力がものをいう。若し、試合が1日間や2日間であったならば、50歳前後の者でも間違いなく優勝を狙えるだろう。

今回のトム・ワトソンもプレーオフを闘うだけの体力がなく、力尽き、優勝を逃した。そして全英オープンの最高年齢での優勝記録樹立も逃したが、私も含め、多くのゴルフファンに感動を与えてくれた。

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2009年7月 6日 (月)

尾道・・・坂のある風景/林芙美子

6月某日、広島県・熊野町にある白鳳堂を訪問した後、尾道を訪れた。
尾道と言えば坂のある風景と作家林芙美子が思い浮かび、それらの雰囲気に触れることが訪問の目的であった。

宿のある千光寺山荘付近の散歩を楽しむ。尾道は瀬戸内海に面しているが、対岸には向島という島があり、その間は大変狭く、尾道水道というまるで川のような海が横たわっている。このような地形の故、海運が盛んで、江戸時代、北前船の停泊地となり、海産物の集散地として繁栄したらしい。多くの回船問屋があり栄えたそうだ。

ロープウエイで展望台に上り、千光寺山頂からつづく文学のこみちを下る。
志賀直哉の「暗夜行路」、林芙美子の「放浪記」など、尾道にゆかりのある作家や作品は非常に多く、彼等の文学碑が刻まれた25の自然石があった。第9番目に志賀直哉、10番目に林芙美子の文学碑があった(写真2)。

文学碑の文字を追いながら小説が書かれた時代背景に思いを馳せる。

林 芙美子 

海が見えた。海が見える。
五年ぶりに見る尾道の海はなつかしい、
汽車が尾道の海へさしかかると、
煤けた小さい町の屋根が提火のように、
拡がって来る。
赤い千光寺の塔が見える。
山は爽やかな若葉だ、緑色の海向こうに
ドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしている。
私は涙があふれていた。

林芙美子は「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」の名句で知られる。行商を営んでいた母と共に各地を転々としたが、最終的に港町・尾道に落ちついたそうだ。高校在学中は学費を得るため夜は帆布工場で働いていたという。そしてその後、放浪の日々を綴った私小説「放浪記」を出し、新進作家として大成した。この碑の筆者小林正雄氏は小学校当時の恩師である。

街の方へ下って行く途中で、尾道の坂道散歩を楽しんでだ(写真3)。海の対岸に見えるのは向島である。

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(写真1)

林芙美子像

JR山陽本線
尾道駅の東

商店街の入り口
にある

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(写真2)

文学のこみち
にある
林芙美子の
文学碑

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(写真3)

坂道のある
風景

対岸は、しまなみ
街道のひとつ
向島

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