枚方市の文化に触れる
枚方と言えば、枚方パークとか菊人形が有名でまだ子供たちが小さい頃訪れたことがある。先日、何となく枚方のことを調べていると枚方には多くの歴史的・文化的遺産があることがわかったので興味を覚え、行ってみることにした。
訪れたのは枚方宿鍵屋資料館と百済寺跡である。
枚方宿鍵屋資料館は、かって淀川水運の要衝として、また東海道57次(53次の間違いではない)の宿場町として賑わった往時を偲ばせる。鍵屋は伏見と大坂を結ぶ三十石船の船宿として江戸時代に栄え、近年まで料亭を営んでいたそうだ。
司馬遼太郎の小説「竜馬がいく」の中でも、幕末、坂本竜馬が何度もこの三十石船を利用して京都と大坂を行き来したことが記されているが、鍵屋の2階から淀川を眺めると、ふと小説の記述が蘇り、その時代のことが偲ばれた。展示室には“三十石船”と"くらわんか舟”とのやりとりを再現したミラービジョンが見られ面白かった。枚方には”くらわんか鮨”という珍しい美味しい鮨があることを始めて知った。“くらわんか”は“食べないか”という庶民的な言い方である。
次に訪れたのは、国の特別史跡百済寺跡である。この百済寺は、いわゆる白村江の海戦で新羅・唐連合軍に滅亡させられた百済王氏(くだらこにきし)という渡来系氏族の氏寺である。訪れる人は少なく、境内はひっそりとしていたが、堂々とした伽藍配置は全盛時を偲ばせるものがあった。隣には氏神である百済神社があった。
百済王氏は、聖武天皇の大仏造立に際し、その子孫が金を献上した功により河内守に任じられたという。また、百済王氏は桓武天皇の生母が百済系だったこともあり、その後も栄えたというが、百済王氏と皇室との関係を示すものとして興味深い。
百済寺跡の辺りは昔、清少納言が「野は、交野」(枕草子第164段)と述べ、その風光を愛でた交野原(かたのはら)であり、平安貴族の遊猟地であった。在原業平は、この地の渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠んだが、これによって交野は、藤原氏のために皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、その名前が記憶されるようになったという(山川出版社 大阪府の歴史散歩 より引用)
鍵屋資料館
前の道路は
旧東海道
鍵屋の2階より
淀川が見え、
昔の船宿に
いるような
気持ちにさせ
てくれる。
百済寺跡
ひっそりした
たたづまい
の中に
往時が偲ばれる
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