« 関西に多い老舗企業 ~関西企業はもっと自信を持とう! | トップページ | 黒門市場で買い物を楽しむ »

2007年12月26日 (水)

時代と国境を超えて生き続ける名曲

12月23日、作家、五木寛之さん主宰の番組で、私がまだ若い頃(1960年代の頃?)、良く聴いた「風に吹かれて」「花はどこへ行った」「ヘイ・ジュード(Hey Jude)」という歌についてのエピソードを聞き、しんみりとした気持ちになった。


「風に吹かれて」は、いわゆる反戦歌である。ピーター・ポール・アンド・マリーによってよく歌われ有名になった歌だが、歌の原作はボブ・ディランである。前者は美声であったが、後者の声は悪声ではないが、憂いに満ちた素朴さを感じさせる声だった。

この歌は、世界的に広がり、ナチスドイツに反抗を呼びかけたドイツの女優兼女性歌手、マレーネ・ディートリッヒにより、「答えは風だけが知っている」というタイトルで、東西ドイツ分断下のドイツで歌われた。更に、お隣の韓国では、朴政権下、学生達が民主化に目覚めないように、堕落した学生街を意図的に作り出した、いわゆる愚民化政策を実施した朴政権への批判を込め、・ユスクにより「波乱に富んだ世の中」というタイトルで歌われた。



一方、「花はどこへ行った」は、これもピーター・ポール・アンド・マリーによって歌われ有名になったが、それ以前も歌われていた。この歌を作ったのは、フォークソングの父、ピート・シガーと彼の仲間との共作である。ピート・シガーはロシアの作家、ショーロフの小説「静かなドン」の中のコザックの子守唄からヒントを得て、この曲を作ったと言われている。

そして、この歌は、やはりピーター・ポール・アンド・マリーの後、ドイツの女性歌手、マレーネ・ディートリッヒによって東西ドイツ分断下のドイツで歌われ、ベルリンの壁で隔てた東ドイツの人々に希望を与え続けたと言われる。
また、フィギュアスケート、サラエボオリンピックの優勝者、カタリーナ・ビット(この時は東ドイツ所属)が、次のオリンピック、リレハンメルオリンピックで、全盛期を過ぎていたにもかかわらず出場し、この「花はどこへ行った」の曲で演技し、サラエボ紛争という悲劇を乗り越え、世界へ平和の必要性を訴えたという。この時、7位に終わったが、会場の観衆からの拍手は鳴り止まなかったと言われる。



「ヘイ ジュード」は、ビートルズの代表的バラードだ。
そして、この歌は、この歌に強い影響を受けたチェコスロバキアの女性歌手、マルタ・クビショヴァーより、1968年のプラハの春の時代(ドプチェク第一書記が政治指導者として活躍していた時代)、「マルタの祈り」という歌と共に民主化運動を鼓舞するために歌われた。当時、マルタは25歳、であった。

しかしその後、ソ連軍のチェコ侵入によってチェコは暗黒の時代に戻った。だが、彼女は初心を忘れず、体制に批判的立場を維持、その後、大統領になった民主化運動指導者ハベル氏を助け、ベルリンの壁崩壊後のビロード革命(1989年)に貢献した。
その当時、学生達がマルタを集会に招いて彼女に「ヘイ ジュード」を歌うよう頼んだと言われている。しかし、長い年月を経ていたのでマルタ自身、その歌の歌詞を忘れていた。だが学生達は言った「忘れていても口ずさんで下さい、歌詞については、僕達が覚えていますから」というエピソードがある。これほどまでに自由を求める人達に忘れずに生き続けて来て、人々の生きる支えとなって来たという歌の存在に感動した。勿論、彼女に信念を守り続けた人間としての魅力があったからだということは言うまでもない。


歌は国境を超えて伝わる不思議な共通語だ。不思議な力を持っている。しかし、全ての歌がその様であるわけではない。やはり作曲者、作詞者の人生における、或いは人間社会に対する深い使命感に満ちたものだけが永遠に生き続けるのだろう。

|

« 関西に多い老舗企業 ~関西企業はもっと自信を持とう! | トップページ | 黒門市場で買い物を楽しむ »

2.日記・随想・歴史紀行・音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 時代と国境を超えて生き続ける名曲:

« 関西に多い老舗企業 ~関西企業はもっと自信を持とう! | トップページ | 黒門市場で買い物を楽しむ »