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2008年1月

2008年1月31日 (木)

浮世絵とフランス画家モネ

先日、NHKで、日本の浮世絵がフランスの画家に多大な影響を与えたという番組を放映していたのを見たが面白かった。

中でも安藤広重と葛飾北斎がマネ、モネ、セザンヌ、ゴッホなどに影響を与えたという。

作品で言えば、モネの「印象、日の出」「睡蓮の泉」「睡蓮の連作」、ゴッホの「ひまわり」「夜のカフェ」等である。

モネは終生印象主義の技法を追求し続けた、もっとも典型的な印象派の画家であった。1874年パリで開催された第1回印象派展に下記の「印象、日の出」という作品を出品。この作品が「印象派」という名称の由来となったという。

Simpression

また、モネはジヴェルニーというところに、広重の絵を模して、睡蓮が浮かぶ池を中心とした庭を造り、そこに日本風の橋を架けている。モネがこれほどまで浮世絵を愛したということは日本人としても誇りにしてよいのではないかと思う。

浮世絵の愛好家であるモネは、沢山の浮世絵コレクションを持っていた。このような沢山の浮世絵はどのようなルートで手に入れたのであろうか?シルクロード経由?と想像することは面白い。

このようにフランスの画家が浮世絵を愛したということは、フランス人と日本人の美的な
価値が類似しているからなのだろう。料理の面でもフランス料理と日本料理は、西洋と東洋という全く異なった場所にいながら、繊細で、柔和な美を愛するという共通点があるのも不思議だ。

最後に、「光の画家」と呼ばれたモネは、同じモチーフを異なった時間、異なった光線の下で描いた連作を数多く制作しているが、「睡蓮の連作」もその一つであり、フランスのオランジェリー美術館に展示されているという。
下記の清美さんという方の素晴らしいホームページにその絵が掲載されていたので流用させて頂く。

オランジェリー美術館 (Welcome to my House 清美のサロンへようこそ)

Sorange2

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2008年1月27日 (日)

脳科学から見た仕事の効率化

脳科学者、茂木健一郎氏によると、一生懸命考えていた難しい問題が解けた時、人は喜びを感じ、この時、脳の中では、「ドーパミン」という物質が分泌されるという。
そして、このドーパミンが分泌されると、この時どんな行動をとったかが記憶され、更にこの快感を再現しようと、ドーパミンを分泌するために神経細胞がつながり、新しいシナプス(神経回路網)が生まれる。これが学習のメカニズムであるというのだ。

そして、脳が喜ぶ3つのしくみとして、①強化学習により脳を強化する、②タイムプレッシャーにより脳の持続力を鍛える、③瞬間集中法(スピード・分量・没入感)を習慣化する、を挙げている。

①については、人間のやる気は、その人が好きなことをして、人からほめられたり、人から認められるという肯定的なことから生まれる。そして大切なのは、強制でなく、自発的にさせることが大切である。また、できることは続けても脳は喜ばない、苦しければ苦しいほど、成し遂げられた時、その後の喜びは大きく、脳はより強化されると、茂木氏は述べている。

企業における業務に当て嵌めてみると、例えば、現場で改善を行う場合、経営者や管理者からの一方的な命令ではなく、働くメンバーが一人ひとり仕事に愛着を持ち、自分達がやらなければならないと意識して、自発的に困難な課題の改善を推進する。そして改善が上手く行けば経営者の側から感謝の行動が示される、といったことが必要だということだ。

②については、自分の作業に時間制限を設けることだと茂木氏は述べている。

同様に、これを企業に当て嵌めてみると、経営者や管理者から強制されず、自ら目標を掲げてスケジュールを作成すること、などを意味する。そして、楽しくやることが大切だ。そのためには職場環境への配慮も必要だ。

③については、文字通り、集中してものごとをやることの必要性を述べている。

いずれにしても、「自発的にする」ということが、キーワードであり、人の能力を向上させ、仕事の効率化につながる。

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2008年1月23日 (水)

相手に理解されるコミュニケーション

我々が日頃話すコミュニケーションにおいて、決定的な影響力をもつ要素として、言葉の内容は僅か7%に過ぎず、残る要素は、話し方や声の調子による部分が38%、話をする態度による部分が55%だという。

これは、「メーラビアンの法則」というアメリカの経済学者が提唱したものである。つまり、言語コミュニケーションが7%で、残りの93%は非言語コミュニケーションということだ。

話し方や声の調子とは、話す速度や声の質、大きさ、感情を込めて言うか感情を抑えて言うか、により伝わり方が異なるということだ。態度とは、見た目、表情、しぐさ、視線のことである。

言葉そのものの影響力が極端に小さく、他の要素が大きいのには驚かされる。
しかし、この法則が正しいか否かはともかく、コミュニケーションにおける話し方や、態度
の重要性を指摘したと言う点では間違いがないであろう。

それだけに、我々は、言葉以外の要素も充分意識して話すことを教えられる。
話し相手が何をどのように受けとめたのかを、時折、注意して観察し、反省することが必要であると思う。

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2008年1月20日 (日)

食品のマーケティング

先日、大阪販売士会のセミナーで、㈱イズミヤ総研の金原由香氏が「環境の変化と
これからの小売業」というタイトルで話され、その中で、女性を対象として食生活に
ついてのアンケートを行い、マーケティングについての視点をまとめられていたので
私なりに、その要点を記したい。食品関係の方の参考となれば幸いである。


 ・静かに進行するメタボリックシンドロームの影響を受け、生活全般で「健康志向」
  が高まっている。

 ・女性には「買う楽しさ」と「喜び」が大切。
  →ネット販売は買う楽しさを増加させている。

 ・メディアから発信される「健康情報」を重視している。「料理番組」も良く見ている。
  従って、メディアとしては正しい情報を発信する義務がある。

 ・自然の恵みで健康増進を図りたいという気持ち、安全性志向が強い。
  →自然食品、産地食材への願望。

 ・健康と栄養のバランス、そして旬が食を決定する鍵である。

 ・「栄養」「手間」が副菜決定の要因→共稼ぎ等で料理に割く時間が限定されて
  いる世の中を反映している。

 ・求められる躾と食へのこだわり→一例として、食事前の「ごちそうさま」という
  言葉」を大切にしたいという気持ち、伝統的な礼儀作用へのこだわりがある。

 

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2008年1月16日 (水)

和紙と光の空間--堀木エリ子の世界展を見て

先日、mixi 仲間であるタケやんさんに勧められて、そごう心斎橋で開催されている「堀木エリ子の世界展」に家内と一緒に行った。

和紙でこんなに巨大な作品ができるものだとは思わなかったので大変感動。和紙と光線とが織り成す淡い、ぬくもりを感じさせる雰囲気には日本文化を感じた。


成田空港の到着ロビーにも堀木さんの作品が設置されているそうだが、殺風景な関西空港にも設置して欲しいものだ。外国人を迎え入れる玄関には、日本のよさ、日本らしさを示さなければならないと思うが、堀木さんのような作品がぴったりだ。

下記の写真は、そごうの1階に設置された堀木さんの作品だ。

注:
堀木さんは、銀行勤務の後、和紙を扱う会社へ転職、手漉き和紙に出会い、和紙の革新的技術を次々に開発した。200年に「堀木エリ子&アソシェイツ」を設立。

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日本のモノづくりを支える日本人の特性(その2)

李御寧氏が縮み志向こそ日本人の特性だと語っているが、

同氏の言葉を借りれば、「私を日本論に向かわせたのは、私自身が日本を経験した特異な立場なのです。よく似ていながらも、それでも本能的に違うと感じられる日本の特性を、私はかぞえで八つの時、小学校の教室で経験しました。・・・・・・私の文化なのだと強要された日本文化のうち最後まで同化しきれないもろもろの要素が私の頭の中にこびりついていたのです」というところから始まっている。

そして、この縮み志向を次の6つの型に分類している。
①入れ子型-込める
②扇子型-折り畳む・握る・引き寄せる
③姉さま人形型-取る・削る
④折り詰め弁当型
⑤能面型-構える
⑥紋章型-凝らせる

①入れ子型-込める の例として、
日本人の意識の方向性は、石川啄木の、「東海の小島の磯の白砂に わが泣きぬれて 蟹とたわむる」という有名な歌に端的に現れていると指摘している。「の」を繰り返し、大海を小島に、小島を磯から白砂へ、ついには蟹と涙一滴にまで縮めている。「の」があらゆる考えや形象を縮小させる媒介的な役割を果たしているというのだ。ですから、東海から始まる広い世界を凝縮したものであり、世界を縮めようとする、その意識の志向が直接言語に現れた形が、三度も「の」を繰り返した日本独特の構文法であると指摘している。

②扇子型-折り畳む・握る・引き寄せる の例として、
扇子を採りあげ、これを日本独特のものだと指摘している。

③姉さま人形型-取る・削る の例として、
ミニチュア、人形、雛祭りなどが挙げられ、「枕草子」で清少納言が「なにもなにも、ちいさきものはみなうつくし」と述べている一節を紹介している。

以上、一例をご紹介したが、最後に本書の解説者、高階秀爾氏が述べている下記の書評の適切さに共鳴し、感動させられた。

「我々はふだん、何となく、大きいことはいいことだと思っている。少なくとも西欧世界は、大きさをひとつの価値とする美学を発達させてきた。だが日本人は逆に、清少納言が「なにもなにも、ちいさきものはみなうつくし」と語ったように、小さなものに対する愛好を保ち続け、育て上げてきた。しかもそれが、単に美意識や感性の領域のみにとどまるものではなく、生活様式や行動規範までつながり、また、現代の先端的なハイテク技術の支えともなっているという著者の主張は、充分な説得力を持っていて、傾聴に値するものであろう」

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2008年1月15日 (火)

日本のモノづくりを支える日本人の特性(その1)

私の過去のブログ記事(2007年12月16日付“近江商人に学ぶ”及び12月19日付“関西に多い老舗企業”)で、野村進氏の“長寿企業は日本にあり”の内容を紹介させてもらったが、その中で野村氏が引用されていた書籍に、「縮み志向の日本人」というタイトルの書籍がある。著者は韓国の比較文化論者である李御寧(イー・オリョン)氏である。

この書籍は25年程前に書かれた本である。私も当時、そういう本があったことを覚えているが、その時はあまり気に留めなかった。しかし今回、この改訂版を読んでみて著者の鮮やかな説明に魅了された。

野村氏は日本企業のモノづくりにおける特徴として、「丹精」、即ち、モノづくりの際、すみずみまで気を配り、決して手を抜かない、この「丹精」への飽くなき志向を挙げられている。そして、この丹精さに関して、李御寧(イー・オリョン)氏、「縮み志向の日本人」の中で、まさに的確に、それが日本人の特徴であると述べていることが興味深い。

話は変わるが、現在に至るまで、多くの日本人論が、外国人及び日本人によって語られてきた。ルース・ベネディクトの「菊と刀」、ブルーノ・タウトの「ニッポン」、土居健郎の「甘えの構造」、中根千枝の「タテ社会の人間関係」、等である。
しかしながら、李御寧氏はこれらの書籍で述べられていることが、本当に日本人特有のことであるかについて疑問を呈している。これらの書籍で述べられていることは何も日本人だけの特徴でなく東洋人全般の特徴であるものも含んでいると言及している。

そして、世界中のどこにもあったウチワを折り畳んで軽便な、それと同時に表情豊かな扇子にしてしまった日本人は、庭でも建物でも木々でも料理でも、何でも縮ませて、箱庭、茶室、盆栽、折り詰め弁当などを生み出した。この縮み志向こそ、日本人の特異性だとしている。→ 続く

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2008年1月13日 (日)

人を育てることの大切さ

企業にとって何よりも必要なのは、そこで働く人達の人材育成であると思う。モノづくりは人づくりからである。自社で働く人材は、自社で育成することが最も望ましいと言える。

企業には、それぞれの企業文化・企業風土がある。人材の養成が自社ではできないからといって、即戦力として、他社から引き抜いてくるよりは、現在、自社の中にいる人の中に、潜在的な良さを見つけて育成することが大切である。また、他社から引き抜いてきても、それらの人を教育する人がいて、教育することが大切である。

企業における人材養成の必要性は、プロ野球の世界を見ればよく分かる。人材の育成を自分でやったチームが結局、勝利を収めている。

現在の巨人軍は、なぜ同じ失敗を繰り返すのであろう。巨大な資本力を背景に今年もまた、ラミレスやクルーズなどの他チームの主力を入れて補強?した。これでは巨人の若手は可哀想である。自らレギュラーになろとする意欲がなくなってしまう。その上、優勝できるという保障もない? プロ野球においても、市場経済至上主義は上手くいかない。なりふりかまわず自分だけがよければよいという経営思想は破綻を来たす。
即ち、どのような世界でも他人との共存共栄を基本に据えた適度な市場論理と倫理観が望まれる。

ビジョナリーカンパニー(ジェームズ・C・コリンズ他、著)の中でも時代を超えて生きている企業に共通するものは、比較的に「社内の人材を登用し、基本理念を維持する企業である」と言う指摘があるが、肯ける。

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2008年1月 5日 (土)

たとえ貧しくても心豊かな生活を!

経済的にそれ程恵まれていなくとも心豊かな生活の方がよいのではないかと思うことが多い。仏教国ブータンでは、現国王が提唱したGNH(国民総幸福量-Gross National Happiness)という基準がある。一人単独での幸福はない。他人の幸福があってこそ自分は幸福なのだ、という考えである。ブータンの人達は物質的な欲望や金儲けに対しては貪欲でない。

現在、原油価格高騰により、オイルマネーが世界を席捲している。中東の国、ドバイは人口140万人の小さな国である。人口の80%は外国人が占める。そこでは建設ラッシュが続いており、海を埋め立て椰子の形をした島を造ったり、高さ800Mから1000Mの高層ビルが建設中だ。それらの建設に従事するのは、外国人の多くを占めるインドやパキスタンからの貧しい出稼ぎ労働者だ。彼等の稼ぎは、僅か1日2ドルだ。その一方では、裕福な生活をしているドバイの人の存在がある。まさに極端な格差だ。

ドバイ政府としては、石油がある内に、世界の金融資産、不動産を買収し、また、教育や文化を育成しようというつもりなのだろう。

しかし、実体のない富の蓄積はいずれ消滅するだらう。製造業のような地味な産業を興さなければ国づくりは難しいものと思われる。かって、日本でも「金儲けが何故悪いのですか」と言った人がいたが、あぶく銭を基に国づくりをすることは不自然であり、当然の結果として、人材が育たない。市場経済至上主義の矛盾はここにも現れている。

ブータンとドバイ、どちらが人間的に豊かであるかは明白だ。
                                          (八木芳昭)

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2008年1月 2日 (水)

阿比太神社へ行って来ました

元旦の昼過ぎ、近くの阿比太神社へ新年の参拝に行った。
最近は、遠くに行かずに近くにあるこの神社へ行くことが多い。境内の外側にも長い行列が出来ていて、多くの参拝客がお祈りの順番を待っていた。
この1年間、家族皆が健康に過ごせるように、また、意義のある生活が送れる様にとの願いを込めて、お祈りした。お祈り後、破魔矢を買って帰った。

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