紀行(松江城と小泉八雲記念館)
2月某日、みぞれが降る寒い日だった。
◆堀川めぐり船:松江に着き、深紅のカラーを基調とした美しい観光遊覧バスに乗り、堀川めぐり船発着場へ。堀川遊覧船は10人程度が乗れる小船で、我々夫婦の他は若いカップル一組だけだった。
この遊覧船は平成9年頃に始まったばかりだというが、人気を呼んでいる。現在、100隻ほどあり、約70名の船頭さんはシルバーボランティアだそうで、中には女性の船頭さんもいるという。
こたつ付きの小船に乗っての観光は風情があり、縄手通りを始めとする松江の街並みや松江城の風景を充分楽しんだ。
この遊覧船の出現は、松江の活性化に大いに貢献しているものと思われる。
◆松江城:松江城は、全国に現存する12天主の一つである。堀尾氏、京極氏の後、徳川家康の孫にあたる松平直政の居城となった。6階にある天守閣に登り、宍道湖方面を眺望する。素晴らしい眺めだ。
◆小泉八雲記念館~小泉八雲旧居~武家屋敷
小泉八雲はアイルランド人の父とギリシャの母との間に生まれた。2歳で、アイルランドに移り、大叔母に引き取られる。7歳の時両親が離婚し、16歳で左目を失明、大叔母の破産も重なり、19歳でアメリカに渡る。
アメリカでは文学を嗜み、文才を認められ新聞記者になる。そして39歳の時、記者として來日。松江で教師の職を得た。その後、小泉セツと結婚。その後、八雲は熊本から東京へ移り、東京でなくなるまでの14年間を日本で過ごした。
アメリカ時代から日本文化に深く魅せられ、憧れの日本に来た八雲であったが、松江在住は僅か1年3ヶ月、その間に多くの松江に関する著作を遺したことは大変な驚きだ。左目を失明、右目は極度の近視であったことが、このような膨大な著作に集中せしめたのかもしれない。
「雪女」などの作者として有名になった八雲の功績は、当時の西洋人としては、珍しく日本に対する偏見がなく、むしろ過ぎるほど好意的な目で当時の日本を広く世界に紹介したことだ、と言われている。
小泉八雲旧居は、八雲の居間、書斎、セツ夫人の部屋、それらを取り囲む庭が観覧の対象である。この庭は、作品「知られぬ日本の面影」の舞台となったそうだ。
堀川遊覧船
から松江城
を眺める
小泉八雲記念館
小泉八雲旧居
小泉八雲が
使っていた
机と椅子
小柄で眼が悪い
ので、机に顔を
非常に近づけて
著作に励んだ
という。
日本庭園が
見える
| 固定リンク
「2.日記・随想・歴史紀行・音楽」カテゴリの記事
- 強行された五輪ではありますが、懸命に頑張っているアスリートには敬意を表したい(2021.07.27)
- 相撲道を守るには How to keep Sumo-do(2021.07.20)
- 大谷翔平さんはなぜ、皆に愛されるのだろうか(2021.07.14)
- 現代人が留意すべきこと(2021.07.10)
- テイカカズラ(定家葛)(2021.06.16)
コメント
八雲の生い立ちや、松江城の歴史などから、出雲旅情が伝わってきました。とても素敵な旅ですね。歴史は、調べれば調べるほど、見聞きする風景に味わいが出てきますね。また素敵な旅レポート楽しみにしております。
投稿: 井上晴雄。 | 2008年2月15日 (金) 19時19分
松江の様子、小泉八雲の名前に反応してコメントします。
ず~と昔、大学時代、絵の題材を求めるスケッチ旅行に美術部仲間とおとずれ、その風情のある土地に再度惹かれて、両親、妹と再度訪れたことがあります。
八雲の旧居ちかくの蕎麦屋さんでみた池の鯉のあまりの大きさに驚いたものです。
あのころと風情は変わっていない感じですね。船でお堀めぐりができるのは良いですね。
数年前に萩に行ったときも、昔行ったときにはなかった遊覧できる船があって、町おこしのトレンドなのかもしれません。
旅行者には何よりですよね。ゆったりと町をめぐる船に揺られる時間は・・・・。
旅にでたくなりました。、
投稿: 木村佳世子 | 2008年2月16日 (土) 02時14分