« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »

2008年4月

2008年4月26日 (土)

カンボジア社会で貢献する若者

昨年末、カンボジアのアンコールワット遺跡を見るため旅行した時、観光バスが立ち寄った店の中にアンコールクッキーを販売しているお菓子店があった。

ガイドさんからそのお菓子のブランド名は「マダムサチコ」と言い、店の経営者は日本人だという説明があった。その時撮影した店の写真は→下記の写真(1)

 先日、朝日新聞を読んでいると、フロントランナー 「クメール・アンコール・フーズ社長・小島幸子さん(35歳)」という記事があった→下記の写真(2) 

彼女が現地で見た店のオーナーだと分り、その記事を読んでいくにつれ大変感動させられた。

=====================
最近、海外でも国内でも、地域社会に溶け込んで活躍している若者を見ると、男性よりも女性の方が多いように見受けられるが、何故だろうか。最近、若い男性の頼りなさが目に付く今日、一層このような思いがする。

小島さんは会社勤めが好きになれなかったらしい。日本語教師の資格をとり、青年海外協力隊に応募したが2度落選したという。しかし、人生何がどうなるかわからないものだ。若しも採用されていたら今日の自分はなかったと小島さんは言う。

阪神淡路大震災の時はボランティアとして活動。その後、カンボジアでアンコール遺跡のガイドを募集していたのを機会にカンボジアに渡り、そのまま現地に定住した。

そして、今や、生産・販売・カフェ部門を持つ従業員60名からなる会社の社長である。
店舗は1軒だけだが、当面は現在の会社の衛生やサービスの充実に注力するそうだ。

そもそも儲けるために会社を大きくしようという意志はなく、手作りに徹し、ビジネスそのものより現地の従業員の成長を見届けたいというのが目標だと彼女は言っている。

最終的には会社を現地の人達に任せるのが目標だという。若いのにしっかりとした哲学を持っている。また、現在の店は観光客用だが、将来的にはカンボジア人を対象にした店を作りたいとのことだ。

雑誌「日経ウーマン」が選ぶ「ウーマン・オブ・ザ・イヤー 08」の審査員を務めた北川正恭・早大大学院教授は彼女を1位に推した。結果は総合4位、キャリアクリエイト部門1位だった。

“援助でなく、仕事を生み出すことでカンボジアの若者の自立を促したい”という小島さんの思いの素晴らしさが評価されものだ。

Webの中に、カンボジア・ウオッチという小島さんについて書かれた記事を見つけた。
併せてご覧下さい。http://www.locomo.org/cambodia/cwspecial/jpn/2006/02.php

著者HPhttp://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

Simg_1146

写真(1)

Simg_1552

写真(2)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月22日 (火)

瀬戸内寂聴さんに学ぶ

瀬戸内寂聴さんは、現在84歳。老いてますますお元気である。

僧職になって34年。京都にある寂庵で、月に一度、法話を行っているが、多数の聴講者が訪れる。そして多くの人の人生相談にのっておられる。

徳島県出身だ。私財を投入した地元の文学館の館長も勤める。阿波踊り“寂聴連”にも参加している。とても84歳とは思われない。

寂聴さんによると、自分が何かの役に立っていると思うことが生き甲斐である、と言われている。文化勲章も受章されたが、この受賞は文学ではなく生き方を認められたこと故の受賞だと喜んでおられる。

====================================

寂聴さんは70歳になって、「源氏物語」の現代語訳を始めたという。なぜこの翻訳の仕事を始めたのか? それは15、6年前当時の日本が急速に力と自身を失い始めたからだそうだ。

それまで、世界でトップクラスを保ったきた日本が政治的にも経済的にも先進諸国の中でも下位に落ちてしまった。

そのような状況の中で、作家である寂聴さんは、作家である自分は社会のために何ができるかを考えたという。日本人一人ひとりに自信を取り戻したい。その答えが、世界に類のない千年前の「源氏物語」の凄さを知ってもらうことであった。

このような小説を、千年前に日本人が作ったのだ。自分の国に誇りを持ってもらいたい。そして次の世代に文化を残すのが私たちの務めです。と寂聴さんは言う。

更に、寂聴さんの言葉を続ける。
「自信を失うと、人は目先のことに振り回されるようになる。簡単にもうけることばかりを追い求め、そこに哲学がなくなる。

何の為にそれをするのか、自分の仕事がどう役に立つのか、見えないままに走る。末梢的なことにしか反応しない今の日本は、やはり考え直さないとつまらない選択をする羽目になる。

もうかるから、需要があるからと武器を作り、売りさばいている大手企業もある。自分の作る製品が殺人の材料であることを知っていながら目をつぶるという経営でいいのか。仕方がないというのではなく、哲学としてどうか、と考えることも大切である」と述べられている。

==================================
寂聴さんの言うように文化を守ることは大切だ。文化を失うことは、人生の生き方、企業経営の仕方、政治の仕方、など全てに対する哲学的な思考を貧しくし、国家の品格を落とす。

==================================
先日、私は寂聴さんの源氏物語を読もうと、とりあえず講談社の文庫本10巻の内、2巻を買ったところだ。少し読み始めたが、後ろに「源氏のしおり」と「語句解釈」がある上に、現代語で書かれているので読みやすく且つ理解しやすい。これなら最後の10巻まで読破できそうだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月16日 (水)

橋本府政下における中小企業施策

今月の初めより、(財)大阪産業振興機構の中にある大阪府中小企業支援センターからのお誘いを頂き、中小企業の方々のための創業支援や経営革新のための相談のお手伝いをさせて頂くことになった。

同じ仕事に携わるのは9名である。最初、私より年配の人がお一人おられるという話であったが、最終的には、メンバーの中で私が最長年者となった。まだ体力的にも、精神的にも若いと思っていたが、いつの間にか周囲を見渡すと多くの若い人に囲まれるようになってきた。

しかし、若い人と一緒に仕事をすることは、気分的にもフレッシュであり、若さを維持するには良い環境だと思う。

=================

ところで、大阪府中小企業支援センターも橋本府政の発足で、大阪府の他の部署と同様に、財政再建のため事業規模の縮小を余儀なくされている。

即ち、大阪府は「財政非常事態宣言」を発し、府の全ての事業、出資法人及び公の施設をゼロベースで見直し、「歳入の範囲内で予算を編成する」という原則を平成20年度
から徹底することにしたのである。

ということで、現在、7月末までは暫定予算で実施されており、8月以降のことについては、プロジェクトチームを組んで検討中である。

予算をゼロベースで見直すということは、我が国においては、国・地方公共団体を含めて殆ど前例のなかったことだ。財政難を克服するため、このような荒療治が必要であることは私も同感だ。

ただ、荒療治のやり方として、予算を削ると同時に大阪の活力を取り戻し、大阪の未来を担う事業には予算を増やすことも考える必要がある。

予算の削り方としては、民間企業がやっているように、ただ闇雲に予算を削りやすいところから削るのではなく、本当にムダなところから手をつけることが必要だ。役人の天下りの温床になっているところをなくすとか、施設を全廃しなくても必要最小限の部分を残すとか、といった努力が必要だ。

また、大阪の未来を担う事業、例えば、水の都・大阪の復元とかいった歴史的・文化的なものを再現する事業や大阪産業の復興のための中小企業の育成事業、等には多くの予算を割り当てて欲しいものだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月11日 (金)

大阪における異文化共生の街・生野コリアタウン

大阪の復活の基になるのは、大阪しかない伝統と歴史だ。

大阪生野区に「コリアタウン」と呼ばれる商店街(御幸通商店街)がある。東西に走る
約500Mの道路の両側には韓国料理の店や、あでやかなチマ・チョゴリの民族衣装店が並んでいて賑やかだ。ここは、近年、韓国・朝鮮人と日本人が共生する街として再生された。

元々この辺りは、5世紀頃、古代朝鮮で高句麗・百済・新羅の三国が鼎立した時代、朝鮮半島から渡ってきた渡来人の集住地であり、百済野とか、猪飼野と呼ばれていた。渡来人は朝鮮半島の優れた文化を伝え、それらが今日の日本文化の源流となっていることは言うまでもない。また、この商店街の中に、御幸森神社があるが、この名前の由来は、仁徳天皇が度々鷹狩のために行幸になったのが由来とされている。

先日、この商店街の中にある「流れる千年」という店を訪れた。2度目の訪問だ。最初は、昨年末、商工会議所の経営相談員をしていた時、「わがまちクラブ生野」の活動で活躍されている旭進ガス器製作所 社長・Y氏の案内で訪れた。

今回の訪問は、クリエイション東大阪にある異業種グループのロダン21で、ひと育成実践塾の代表をされているM・Kさん(私のマイミクでもある)を「流れる千年」の代表者である洪貞淑さんに紹介するためであった。

洪貞淑さんは、お父さんの会社である徳山物産という食材メーカーに勤めていたが、現在は、同じく徳山物産が昨年新たに設立した「流れる千年」の経営を任され、その代表として活躍されている在日2世の女性である。

一方、M・Kさんは、父が韓国人、母が日本人という背景をもっておられる女性で、今まで在日の人達とのコンタクトが殆どなかったので、今後、在日の方との交流を深めたいということで、今回の訪問となったものである。

お二人ともほぼ同世代の女性同士であるので、それぞれの自己紹介や今後の抱負等についての話を、韓茶を頂きながらして、これからの韓国と日本の話に及んだ。

洪さんの話によると、徳山物産の会社の理念は、韓国の食品を通じて日本の人達との理解を深め合うことであり、これまで、韓国の伝統的なもの、韓国の良いものを輸入し、日本の皆さんに紹介する、あるいは製造して日本の皆さんの食卓に届けることをずっとやってきたという。

また、洪さんのお父さんのライフストーリーを読むと、従来はコリアンタウンを訪れるのは韓国・朝鮮の人達が多かったが、88年のソウル・オリンピックや最近の韓流ブームを契機として、日本人が増えて来たという。それも買い物が主でなくて、異文化に接したいという人達が多く来るようになったという。

===============

私、M・Kさん共々、今回の訪問で、コリアンタウンというのは、単なる一般の商店街でなく、在日と日本人の共生の街であるということ、そして、この街も大阪を元気にする一翼を担っているのだという点で同様な意見だった。

帰途、近くにある徳山物産の異文化交流の家にも立ち寄った。

下記の写真は、流れる千年の玄関及び1階の韓国伝統文化博物館の前で写したお二人の写真である。

参照:過去の記事:流れる千年:韓国の食文化を発信

著者HPhttp://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/
   
 

Simg_1289

Simg_1533

Simg_1529

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月 5日 (土)

日本の工芸品の海外への流出

最近、鎌倉時代の仏師・運慶作の「大日如来坐像」が、ニューヨークのオークションで三越を通じて宗教法人「真如苑」が落札し、日本の誇る文化財の流出が防がれたというニュースを聞いた。

日本からの工芸品の流出は今に始まったものではない。我々日本人は国宝級の工芸品が海外へ流出するのを嘆く傾向にある。

先日、ドナルド・キーン「果てしなく美しい日本」を読んでいると、日本工芸品の海外流出に関して述べていることが興味深い。ドナルド・キーン氏は日本文学の研究者で広く日本文化を海外に紹介されている方である。

同書の中で、日本の工芸品の海外流出が日本文化を世界に広める大きな役目を果たしたと肯定的な側面も述べている。なるほどと感じた。

以下は、ドナルド・キーン氏が述べていることで、同書からの引用である:

 日本人は日本の国宝級のものが外国に流出したことを嘆いています。日本の素晴らしいものが外国へ流れていったことを、大変残念に思うような日本人がいますが、私に言わせると、流出は大変いいことだったと思います。というのは、もし日本の優れた美術が全部日本だけにしかなく、外国に日本の美術として二流、三流のものしかなければ、日本美術を正しく評価することは全く不可能だったろうと思うからです。

 もうひとつ、当時(注1)の外国人の観光客、日本に来た人達は買いたい、買いたくないにかかわらず、どうしても買わなければならない羽目になったということがありました。当時の人々の日記を読むと、どこか日本の旅館に泊まると毎晩毎晩骨董屋さんが来るんです。骨董屋さんがぜひぜひ買って下さいと言うので、うるさい骨董屋さんを帰すために、欲しくないものでも買いました。それが国宝だったというわけで、特別に国宝を狙っていたわけじゃないのです。

 外国に流れたもので一番いいものは屏風でしよう。どうして屏風を買ったかというと、それは国宝だからじゃなくて、あるいは非常に美しいからじゃなくて、寒い風が入らないようにするために買ったのです。非常に単純な理由です。でも、そのおかげで日本文化の水準の高さが再び外国で認められるようになったんです。そして、日本のあらゆる芸術が外国で高く評価されるだけでなくて、ヨーロッパに大いに影響を与えるようになりました。

 ヨーロッパの19世紀の画家(注2)で日本の浮世絵の影響を受けなかった人は、殆どいなかったと思います。パリの近代美術館に行きますと、各画家の部屋があって、その中に、アトリエにあったような道具とか、物が置いてありますが、全ての画家のアトリエに浮世絵があったということがわかります。浮世絵はヨーロッパの芸術家に大きな影響を与えました。革命的な影響ともいえるでしよう。

筆者注記:
注1:明治新政府が発した神仏分離令によって、神道を重視し仏教の全てを否定する
   愚かな「廃仏毀釈」が惹き起こされ、多くの寺院や仏像が破壊され、そして多数の
   仏教関係の工芸品が流出した。当時とはこの頃のことをいっているものと
   思われる。

注2:安藤広重、葛飾北斎などが、マネ、モネ、セザンヌ、ゴッホ等の画法に大きな
       影響を与えた。

     参考:筆者の過去の記事「浮世絵とフランス画家モネ」

著者HPhttp://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

   

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月 1日 (火)

関西・大阪を元気に(2)

◆前回、かっての大阪には、皆で頑張ろうという公共心の伝統があったが、最近は、このような公共心の低下が目立つようになった、と記した。

大阪の街は汚く(東京に比べれば)、あちらこちらにごみが落ちているのが見られる、ひったくりが多い、違法駐車が多い、乗り物などで横入りが多い、企業は儲かるものであれば、金をを使うが、街並みを綺麗にするとか、皆で住みよい街にするとかいう話になると、あまり協力しない、行政の中にも、街づくりを熱心に進めようとしている人がいるが、地元の人達の意見を充分取り入れていないので効果をあげていない、等々である。

◆なぜ、このようになって来たのだろうか? この疑問に答える明確な答えは難しいが、考えられるのは、江戸時代、大阪が大坂藩でなく、幕府直轄の天領であったことに起因するのかも知れない。

天領であったから、大坂には武士が少なく、町民が人口の圧倒的多数を占めていた。
従って、町民による自治が行われていたといってもよく、このことが良い面につながった、と言う点では、人々が協力して物事を進める好ましい雰囲気の醸成ができたということだ。そして、比較的自由な雰囲気の中で天下の台所という商業都市を生み出した。

しかし一方、悪い面では、リーダーシップを持った人がいなくなると、烏合の衆となり、まとまりがなくなり、各自勝手なことをしている状態になる、ということだ。今の大阪がそのようなひどい状態であると言うつもりはないが、そのようになる事態になって来たと思われる。

従って、このような事態を避けるには、今後、大阪の将来を担う若い世代の強力なリーダーの出現が望まれるのだ。

余談だが、「大坂を藩としないで幕府の天領としたのは大坂に力を与えないための幕府の戦略であった。この戦略は、いまだに国の構図として残っている」という、大阪21世紀協会理事長・堀井氏が言った記事をどこかで見たが、これは、これとして、このような意見もあるということを記憶にとどめて欲しい。

注:江戸時代、今の「大阪」は「大坂」という字が使われていた。

◆大阪には伝統と潜在力がまだ残っている。まだこれらが残っている間に、強いリーダーシップを持った若いリーダーが関西・大阪の各地で、「関西・大阪をよくしよう!」と街づくり、産業興しの狼煙(のろし)をあげれば、その他の人達も元気付けられて、その活動に参加するように思われる。

大阪では、江戸時代、世界で最初に先物取引が始まった。経済活動と情報が結びつき幾つかの新聞社も出来た。河村瑞賢が開発した東回り海路、西回り海路により、大坂は全国の物資の集散地として栄えた。北前船も北海道、東北から瀬戸内海を通ってやってきた。

金融、情報、物流。今最も求められる産業は元々大阪にあったのだ。
それが明治維新とともに、権威の中心が東京に移った(天皇が東京に行かれた)ことで、大阪の衰退が始まったと言われている。

◆それでは、大阪はどのように復活したらよいのか?
東京の真似をしなくてよい。地方分権時代に突入しようとしている現在、行政に頼らず、民の力でまず、活性化ののろしをあげ、それに官を巻き込むことだ。日本の場合、官は動きが悪いからだ。

復活の基になるのは、関西・大阪しかない伝統と歴史だ。
京都・奈良の歴史的価値は言うに及ばす、大阪にも、先に述べた江戸時代における商業都市としての歴史と伝統に加えて、仁徳天皇稜、等に代表される古代の歴史、難波の宮、更にはアジアとの距離が短かったことにより、韓国、中国、インド、ベトナムなど様々な人々の子孫が暮らしているということ、など誇るべきものが多い。

このような伝統と歴史を活用するのだ。

つい最近まで、私は大阪商工会議所の東成・生野支部の仕事に少し携わっていたが、生野区では、「わがまちクラブ生野」という集いがあり、生野区の活性化に向けて民間の方、役所の方が一緒になって活動している。
そこには生野コリアンタウンもあり、江戸時代、来日した朝鮮通信使との歴史的係り、等にも関心を寄せ、街づくりに活かせようとしているのが、印象に残った。

◆最後に、現在の関西・大阪は、東京に比べて情報発信力が弱いということだ。
大阪・神戸 米国総領事館領事・カミングスさんという人の発言を新聞でお見受けしたが、彼の言っていることが当を得た発言であるので次に引用させて頂く。


・来日した米国・中西部の副知事4人の話として、「こんなに良いところなのに、関西、大阪は聞いたことがなかった」という話があったが、これは印象的だった。

・米国の使節団に「自治体は、パンフレットやウエブサイトを使って誘致に取り組んであるが、分厚い資料ばかりで肝心な情報がない。プレゼンテーションも下手」と言われたことがある。聞く側がどういう立場の人達なのか、どういう情報を求めているかを考える習慣が自治体の方にはないようです。

・型にはまったプレゼンが多い。ウエブサイトも情報過多。煩雑でどこから入ればいいか分らない。役所は情報は量さえあればいいと思っている。ニーズがどこにあるか、少し勉強すればわかるはずなのに。

・大阪・兵庫・京都のそりが合わないのも一因です。それぞれに窓口があるから迷ってしまう。我々でさえも関西全域の情報を得るのに苦心します。
行政は自らの管轄しかみていない。関西はそれぞれの都市に歴史があり、拮抗しているから調整が難しいのでしよう。
→これは、昨年、自治体を超えた広域連合を目指す関西広域機構が発足した、ことにより改善されることを期待したいところです。

=================

このカミングスさんの発言は本当に当を得た発言です。情報発信の資料やウエブサイトを作るのに、官主導で作り、そこに現場で実際に実務をしている民の人達の意見が取り入れていないと言うことに尽きます。
このようなことを役所の人達も含め民間の者も大いに議論して反省しなければなりません。

著者HPhttp://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/
   
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »