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2008年6月21日 (土)

子供の教育について

先日、少し前の文藝春秋の記事を読み直していると作家の塩野七生氏が、「我が国に活力を取り戻すために」というタイトルで種々の面から意見を述べられているのが目にとまった。中でも教育についての意見が興味深く感じられたので、紹介する。

最近、フリーターやニートの問題が話題となっているが、塩野氏は次のように述べ、現在の日本の教育に疑問を呈している。

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そのような若者が増えて来たのは「子供の自主性、個性を尊重する教育」という時代の
風潮にあったのではないでしようか?

個性尊重は結構なことですが、ただしそれも、理(ことわり)を理解できる年頃になって
からの話です。それまでは問答無用の躾が必要です。

私も、息子を育てていた時期は、平手打ちをくわせたこともしばしばでした。子供には理を踏んでの説明は必要でありません。善し悪しの判断を、理屈でなく丸ごと身につける時期が、子供には絶対に必要です。

最初にこのようにして躾ければ、幼少期を脱する頃には、子供の方も物事を理解する力がついてきます。

学校教育の面が批判されることが多いですが、根っこには家庭教育があります。それは二千年前から変わりませんよ。「ローマ女の鑑」と謳われたグラックス兄弟の母コルネリアは「子は、母の胎内で育つだけでなく、母親のとりしきる食卓の会話でも育つ」といっています。

こうした幼少期を通過しなかった世代が、おそらく今の若者の多くではないでしようか。
そして彼らの親の世代は八百万人とも言われる団塊の世代です。彼らが教育を間違えたからではないでしようか。

この現象は世界的なもので、ヨーロッパでもニートや若者の失業対策が社会問題化しています。これも突き詰めれば親世代の問題で、根は同じだと思います。

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藤原正彦氏も「国家の品格」の中で、幼少期における躾けの必要性を強調している。
しかし、この躾けというのは大変重要な問題であり、かつ注意を要する問題だ。

躾けは、子供が明らかに間違った行動をした時、たとえば、我が子が、虐められている他の子供がいるのに、それを見て見ぬふりをしていたりしている時、

親が、弱い者は助けなければならない、弱い者を虐めるのは悪いことだと、我が子に言い聞かせるような過程を経ることが必要である。決してそれは問答不要の不適当な体罰などを伴ってはいけないということだ。

(筆者注);
 塩野七生(しおの・ななみ)氏は「ローマ人の物語」などの著者で、
 99年、司馬遼太郎賞。2002年、イタリア政府より国家功労賞を授与されている。

by yagiyoshiakihttp://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

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コメント

家庭の教育力、大切に思います。

が、現実を見ると、「子どもにどのように接していいのかわからない」、無関心、放任・・・そんな事例ヶが沢山あります。

個々の事情も異なります。
家庭の形態も異なります。

権利と義務はセットなのに、権利ばかりを主張する親世代もいます・・・

課題が多すぎて、簡単に解決ならないこともあります。

でも。
今を生きる私達が、しっかり次の世代のことを考えて行動しなければならない、と思います。

家庭の食卓も、理想とかけ離れている現実があります。

孤食、個食。
母親だけの問題でもありませんし、社会全体の問題と私はとらえています。

心も体も健康な子どもを社会全体で育てること。
これからも取り組んでいきたい、と思います。

投稿: ママゴン | 2008年6月29日 (日) 10時36分

ママゴンさん

補足説明をして頂いてありがとうございます。
家庭の問題だけでなく、社会全体の問題である、
という捉え方、全く同感です。

投稿: やぎ | 2008年6月29日 (日) 18時32分

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