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2008年8月

2008年8月29日 (金)

北京オリンピック雑感

中国・北京でのオリンピックは政治や地球環境など、様々な問題を抱えながらもなんとか無事に終ったことは喜ばしいことである。

今夏の後半はテレビでのオリンピック観戦に明け暮れた感がある。たかがオリンピックと言ってしまえばそれまでだが、今回のオリンピックを観て感じたことは実に様々である。私自身の備忘録として遺しておきたい気持ちが生じた。

◇開会式・閉会式
 素晴らしい演出で立派過ぎるほどであった。しかし、共産主義政権下での商業主義をあらわにした催しは矛盾に満ちたものであり、芸術性はあまり感じられなかった。人海戦術による空虚さを感じさせられた。

 今後はもっと質素で人間的で温かみのあるものにすべきだと思った。
 次回の開催国、イギリスの新聞・タイムズ紙やガーディアン紙が、次回のオリンピックで北京オリンピックを凌ぐ演出は無理だと言い放っているのはうなずける。

◇陸上男子100M
 ジャマイカ、ボルト選手の100M、9秒69の記録(もう少し真剣に走っていれば更に良い記録が出たかもしれない)は、今後もボルト選手によって更新されるであろうが、
彼に続く選手は、20年程度後?でも現れないであろうと思う。

何故なら身長196cmという長身でありながら俊敏性を持ち合わせた人間は稀だからである。過去のトップレベルの短距離選手で、このような長身選手は存在しなかった。

◇女子ソフトボール
 強豪アメリカを破っての優勝は見事であった。チームワークの良さと投手上野選手の頑張りによるものである。上野選手が3試合連続で投げきったことには大変感激した。
 上野選手は毎日、500回の腹筋と500回の背筋をしているという。素質に加え、毎日の努力の積み重ねの必要性を教えてくれる。

 また、変則的なトーナメント方式の故に負けたとも考えられるアメリカチームが日本チームの優勝を心から称えていた姿は微笑ましかった。

◇柔道
 男子石井選手、女子塚田選手については先に記した。→ここをクリック
男子内柴選手の優勝は、3人の母(生みの母、育ててくれた母、現在の母)と奥さん・子供さんに捧げる金メダルであったという。
 「僕のスポーツに対する想いは他のアスリートとは違うのです。僕の想いは家族を支えるためです」という彼の言葉は非常に印象的だ。(テレビ番組より)

 その他、女子の谷本選手と上野選手が優勝した瞬間、喜びを表した姿が感動的であった。

◇女子サッカー
 沢選手、池田選手を中心とした頑張り、初戦の敗戦から立ち直り、日本史上初めての4位入賞を成し遂げた意義は大きい。池田選手を支えた彼女の夫の思いやりは微笑ましい。

◇フェンシング
 男子太田選手の銀メダル、女子菅原選手の日本選手初の7位入賞も素晴らしい。

◇陸上男子400Mリレー
 塚原・末続・高平・朝原選手のトラック競技での人見絹江さん以来のメダル獲得も感動的だった。

◇女子バドミントン末綱・前田組 の4位入賞については先に記した。→ここをクリック

◇女子射撃
 女子エアピストルで、現在紛争中のロシア、グルジア両国のロシア、ナタリア・パデリナ選手とグルジア、ニーナ・サルクワゼ選手が夫々銀、銅メダルを獲得し、仲良く健闘を称えあっている姿には感激した。

◇選手の選考問題、他
 柔道の選手選考において、最終選考会の勝者が代表に選ばれないということは納得がいかなかった。例えば選考会で谷選手を破った山岸選手などは気の毒に思う。谷選手との実力の差が著しく大きいのであれば話は別だが、大差がない状況では、若手を育てるという必要性を、柔道連盟も谷選手も認識すべきである。谷選手の特別扱いは問題である。

また、マラソンの補欠を作っておきながら、補欠選手の出場の機会を奪った陸連の態度にも疑問を感じた。

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女子ソフトボール

再会を誓い合う
日本・アメリカ・
オーストラリア
チーム
  

 

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2008年8月16日 (土)

日本柔道の伝統を守った石井・塚田

不振を続ける日本男子柔道であったが、100キロ超級の石井選手(21)が金メダルを獲得し柔道日本の面目を保った。決勝戦までは全て一本勝ちで危なげない勝利であった。

大阪府茨木市出身。柔道の名門・国士舘高校に進み技を磨いた。人一倍の練習量が彼の現在の地位を築いたとも言える。戦国武将上杉謙信にあこがれ、謙信が信仰した毘沙門天の文字を帯に入れているという。

一方、女子の塚田選手も78キロ超級で、金メダルこそ取れなかったが、決勝戦までは全て一本勝ちで勝ち抜き銀メダルを獲得した。初戦の段階で足を痛めたこともあったのか、決勝戦ではリードしていながら最後10秒前に中国選手に体力負けしたのは残念だった。しかし全力を尽くし良く頑張った。

お二人の検討で柔道日本の威信が何とか維持できたことを大変嬉しく感じた。

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石井選手

塚田選手

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2008年8月15日 (金)

バドミントン:末綱・前田組と小椋・潮田組の健闘

バドミントンの試合は今まで殆ど観たことがなかったが、今回、北京オリンピックでじっくり観て楽しんだ。

女子ダブルスにおけるスエマエこと「末綱・前田組」とオグシオこと「小椋・潮田組」が健闘した試合だ。

・「末綱・前田組」は世界ランク8位、世界ランク1位の中国ペアを破り、日本勢で史上初の準決勝進出を果たした。準決勝では一方の韓国選手のマナーの悪さに引きずられたこともあってか敗戦を余儀なくされたが善戦し、3位決定戦でも世界ランク2位の中国に善戦した。結果は、日本女子バトミントン史上最高の4位だった。

何よりもチームワークが抜群だった。お互いいたわり合い、元気づけ合っていた。準決勝進出決定後、嬉しさのあまり床にうずくまり泣き伏していた姿は感動的だった。屈強で無表情な中国選手とは対照的に女性的な優美さを感じた。

オグシオ人気の陰に隠れて目立たなかったが、それにめげず今日の結果に至ったことに対して敬意を表したい。マスコミは選手を平等に扱うべきだと思った。

試合後、末綱は引退を表明し後輩の指導に当たるという。このペアが脚光を浴びたのは短い期間であったが私にとっては強烈な印象を受けたペアであった。

・一方、「小椋・潮田組」もマスコミが作り上げた人気ペアではあったが、さすがにそれだけのことはあった。

準々決勝で、男性的で明らかに体格に優る中国選手を相手に、チームワーク良く、善戦とはいわないが全力を尽くした姿は美しく感じられた。技術ではなく体力負けしたような試合だったのは気の毒であった。

何よりもオグシオ人気に驕れることなく、謙虚さ、平凡さを貫き通した姿は立派であった。

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末綱・前田組

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小椋・潮田組

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北京オリンピックを観て

北京オリンピックの開会式はまさに豪華絢爛の一言に尽きた。
絵巻物に模した人海戦術による中国の歴史説明は素晴らしく賞賛に値するものであったと思うし、中国の国威の発揚には充分過ぎるほどであった。

しかし共産主義国家と商業主義と言う矛盾した組み合わせには空しさも感じた。これほどまで豪華にする必要があるのか? 共産主義国家ならもう少し質素なものではいけなかったのか?などと思う。

また、豪華なオリンピックの舞台裏で、チベット民族や新彊ウイグル地区における少数派民族への対応の仕方、地方よりの出稼ぎ労働者への対応の仕方など、人権問題で考えさせる問題も孕んだ中での今回のオリンピックである。

スポーツの世界と政治の世界とは無縁であるようなことになって欲しいものだ。

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北京オリンピック
開会式

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2008年8月 2日 (土)

プロ野球・オールスター戦を観て

プロ野球オールスター戦を観た。今年の勝敗は1勝1敗という結果に終わった。

昔は、人気のセリーグ、実力のパリーグと言われたものだが、最近はパリーグの人気が上昇してきた。

これは北海道日本ハム、千葉ロッテ、東北楽天などの地域密着型の球団経営が効を奏したとも言える。巨人一辺倒であった野球フアンが分散化されたことはいいことだ。

ところで、オールスター戦での勝敗だが、以前はパリーグが“実力のパリーグ”の看板通り圧倒的な強さを示していたが、最近ではセリーグの方が勝ち数において優っている。

これは何故だろうか。たとえお祭りゲームであるものの気になるところだが、当日、解説者の野村克也氏が、「我々の時代は、パリーグは観客が少なく、沢山の人に観て貰えるのはオールスター戦の時だけだった。だから皆、団結して、セリーグに負けまいと必死に戦った」と言っていた。

このことは、今はパリーグも強くなったので、何がなんでもセリーグに勝とうと言うハングリー精神が失われて来たことを示しているのであろうか。

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紀行(養老の滝・醒ヶ井宿)

7月末、関が原、米原方面へ姉と家内の3人で日帰り旅行。

養老の滝:

関が原の近くにある高さ30M,幅4Mの滝。
養老孝子伝説で有名。日本の滝100選にも選ばれている。
近くに名水百選・菊水泉がある。

元正天皇の時代、美濃国に貧しく、苦労しながら、老いた父を養っていた一人の男がいた。ある日、酒の香りがする泉を見つけ、毎日汲んで帰り孝行に励んだ。

この万病を癒す薬の水の噂を聞いた天皇は当地に行幸され、めでたい泉の出現は孝養の徳の賜物であるとして、717年、年号を「養老」と改めたという。謡曲「養老」はこの伝説に基づいて作られた。 → 写真


旧中仙道・醒ヶ井(さめがい)宿(米原市にある):

旧中仙道61番目の宿場町。昔の家屋の佇まいが保存されており大変美しい街である。
道に沿って、「居醒の清水」を源流とする地蔵川が流れており、梅花藻(バイカモ)が梅の花に似た可憐な白い花を咲かせているのが美しい。 → 写真

「居醒の清水」は、古事記や日本書紀にも登場、日本武尊が熱病に倒れた時、体毒を醒ました霊水とも伝えられており、昔、中仙道を旅する人の憩いの場であったとのことだ。

和歌をつくってみました。

 醒ヶ井の静かな道を踏みしめて 中仙道の旅人を想う
                                 (やぎ)

by yagiyoshiakihttp://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

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謡曲「養老」
の謂れを
記した説明文

 

   

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中仙道
・醒ヶ井

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梅花藻

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