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2008年10月

2008年10月19日 (日)

アトム電器チェーン・町の電器屋さんの救世主

最近、小売店の大規模化を巡る話が多い。百貨店の統合とか、大手量販電器店の更なる拡大とかである。その一方で地域に密着した小さな小売店が姿を消していく。

果たしてこれでいいのであろうか? 地域にある小売店は我々の日常の生活と共にあり、地域になくてはならない存在として、地域のコミュニケーションの円滑化に大きく貢献して来たと言える。大規模な小売店も時として必要だが、大規模な商店だけでは荒んだ世の中になりかねない。

このような状況の中、町の電器屋さんにとっての救世主が現れた。その名は「アトム電器チェーン」(本部:大阪・羽曳野市)だ。

最近、アトム電器チェーンさんが私の拙いホームページを訪問頂いたことが契機で、先日、同社の井坂社長さんとお話させて頂く機会を頂き、仲間と一緒に懇談させて頂いた。

ところで、同社は日経スペシャル・ガイアの夜明「巨象に立ち向かえ~町の電器店と商店街の闘い」という番組で紹介されている。

同社のホームページの冒頭に、同社についてのわかりやすい説明がある:
「アトム電器」は「大型量販店にも負けない町の電器屋さん」を謳い文句に全国展開している「町の電器屋さん」のフランチャイズチェーンです。「アトム電器チェーン」では、「21世紀型電器店」というキャッチコピーのもと、大型量販店の長所と町の電器屋さんの長所を融合させた、「いいとこ取り」のサービスを提供しております。

即ち、アトムチェーン本部が加盟店(現在500店舗を超える)分を一括で仕入ることにより製品を安く提供すると共に、町の電器屋さんは従来と同じきめ細かいサービスを提供するというもの。

アトム電器チェーンが目指すのは、地域店の復権だ。かっては5万軒あった町の電器店も今では3万弱と言われている。販売だけでなく、配送、取り付け、修理、取扱い説明などのきめ細かな役割を担ってきたが、最近では量販店の価格攻勢を前に、小回りの利くサービスを提供し続けてきた電器店は減少の一途を辿るばかりである。このような状況を目の当たりにして、社会に不可欠な町の電器屋さんを応援するべく立ち上がったということだ。

フランチャイズチェーンとはいうが、アトム電器チェーンは縛りのない自由な経営を特徴とする。本部からチェーン店へフランチャイズパッケージ(仕入、販促、情報のノウハウ」を提供し、毎月、安価なフランチャイズ料を徴収する以外は一切徴収しない。また、店名・看板も変更する必要もないし、ノルマもゼロ、等・・・・・・

このような経営方針をお持ちだから、経営については一切隠し立てをしない。本部だけが利益を貪るいうようなことはあり得ない。本部は経費節減を心がけている。事実、本社の社屋など、質素そのものである。
経営の危機を救われた町の電器屋さんからはお礼の連絡が多く来るという。借金を返せた、お蔭様で子供を希望の学校に行かせることが出来た、等・・・・・・・

このような社会的使命感に溢れた同社のご健闘をお祈りしたい。

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北口様のブログ「創業モデルのご紹介」で          お知らせ頂きました

前回、10月17日付で「テクノグローバル㈱・プラスティック金型を専門とする若い会社」という記事を書きましたが、この記事が、オフィスKITS代表である中小企業診断士仲間の北口祐規子さんのブログでご紹介頂きました。

北口さんのブログ記事「創業モデルのご紹介」→ ブログ「ママさん診断士のてんてこまい日記」をご覧下さい。

北口様のHP オフィスKITS も併せてご覧下さい。

北口様は企業の経営とIT・人材育成・キャリア開発について中小企業者の方々や起業家の方々を支援されています。北口様の主宰する女性診断士の会「ピザの会」では、ビジネスコンテストなどの活動を通じ、起業を目指す方の支援等を活発に行っておられます。これらの活動の模様は読売新聞などで紹介されています。

私は北口様とは、地域活性化コーディネーターとして大阪マイドームにある(財)大阪産業振興機構でご一緒に仕事をさせて頂いております。

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2008年10月17日 (金)

テクノグローバル株式会社・プラスティック金型を専門とする若い会社

(財)大阪産業振興機構(場所:マイドーム大阪)の中に、今年の3月末まで「大阪府中小企業支援センター」という中小企業支援機関があった。永らく中小企業者支援のために種々の活動を実施し、多くの中小企業者に愛された機関であったが、橋本府政の改革で惜しまれながら姿を消した。それに代わるものとして、同じ大阪産業振興機構の中に、地域創造支援グループがある。現在、私はそこの地域活性化コーディネーターの仕事を時々させてもらっているが、先日、同機構のテイクオフ21認定事業者の一つであるテクノグローバル㈱を訪問して懇談させてもらった。

テクノグローバル㈱は、創業は平成18年10月であるからまだ創業後2年の新しい会社である。創業者の高田さんは福井県のご出身で、大阪に出て来られて金型メーカーに就職され、約22年間勤められた。そして2年前に独立し、プラスティック製品の設計、開発、生産技術、金型製造、品質管理、量産成型などのモノづくり工程を総合的にコーディネートする仕事を始められた。

創業時は、顧客はゼロでスタートしたが今は顧客もある程度増え、4名の方と一緒に将来に夢をもって元気にやっておられる。

事業を始められた動機は、22年間プラスティック製品の開発、金型の設計に関し、企画開発から量産成型に至るまで何でもやってきた経験と社会貢献意欲だ。

高田さんによれば、金型の製造には従来、職人芸が要求され、技術者のスキルにより最終製品の善し悪しが大きく左右されたという。しかし近年、CAD/CAM/CAEというコンピュータ技術の発達と工作機械の自動化により職人芸が殆ど必要とされなくなり、誰がやってもそこそこの製品ができるようになった反面、顧客の要求に合致した製品を作るとか、精密さを要求される製品を作るという点では、それらの要求にマッチした優れた製品を作り出すことにしばしば問題が生じているという。

これは、受注~設計~製造に至る各工程の分業化が進み、全ての工程内容を全体的に把握し、管理できる人材が激減して来ているということに起因するという。例えば、設計の現場では、CADデータに頼り、製品化までのプロセスが理解できず、多くの問題が発生している。

高田氏は、このような事態を目の当たりにして、「良い製品は金型技術に委ねられている。金型はモノづくりの根幹であるにもかかわらず、このような状態では日本のモノづくりが崩壊する」という危機感から、長年に亘って企画開発から量産まで総合的に携わってきた経験とノウハウ、国内、海外の多くの外注先を利用して来た実績とを活用し、社会に貢献したいという想いを抱いて事業を立ち上げられた。

高田さんが今後注力したいと思っているのは、「バーチャル・ファクトリー」である。これはモノづくり工程を総合的にコーディネートするためにWEBサイトで、顧客ごとに独立したセキュリティ空間を設け、遠隔地からでも安全にプラスティック製品の開発に関し、相談を受け付け、それにより開発期間の短縮やコストダウンのお手伝いをするものだ。

高田さんの今後のご発展を期待したい。

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テクノグローバル
の事務所にて

高田氏

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2008年10月13日 (月)

金融危機:金融工学という不気味なもの

アメリカで、サブプライムローンの破綻に端を発する住宅バブルの崩壊が生じているという報道を昨年聞いた時は、アメリカの国内問題に過ぎないし、そのうち何とか収まるだろうと思っていたが、最近になってこれが世界恐慌に発展しかねないと言い出す人も出てきて皆の不安をかきたてている。株とか投資とかには縁がない私であるが、この方面に係わっている人にとっては大変な問題であると思う。

文藝春秋11月号の記事「田代秀敏氏“恐慌前夜ドル崩壊が日本を襲う”」によると、アメリカが発達させた金融工学はデリバティブやローンの証券化などの複雑な「証券化商品」を生み出し、世界中にリスクをばらまいた、と言われている。
話題となっているサブプライムローンについても、ローンを証券化するとともに、証券をバラバラに分解し、別の証券と組み合わせるなどするため、どこにどれだけの損害が生じているか判明しない。すなわち、「事故米」が混入した米を、正常米として世界中にばら撒くような仕組みを編み出したものである、という。

証券化商品とは、リスクあるものを組み合わせることにより、リスク減を図ったものだが、リスクの所在が不明らしい。日本総研の寺島実朗氏が新聞紙上で、ニューヨークで金融関係者と議論した時に出たジョークとして、「金融工学とは、本来、お金を貸してはいけない人たちにどうやってお金を貸すかという技術だ」という話を紹介されていた。寺島氏によれば、そんなものはいずれ破綻すると・・・・・。

もうひとつ「レバレッジ」というものがある。これは借入金をもとに何十倍もの(たとえば30倍?)もの投資ができるという仕組みである。儲かればよいが、運用が失敗すれば大きな損失を生じるというものだ。

現在、サブプライムローンの破綻を端緒に投資銀行や銀行の破綻、更には株の暴落が生じるとともに、信用収縮が起こり銀行が融資を渋るという悪循環が世界を駆け巡っているが日本とて安心などしておられない。

これら金融工学が生み出した「証券化」とか「レバレッジ」とかいうものは、いわば労せずして儲けるという手段である。あぶく銭を稼ぐ手段である。このような金融工学が生み出した金融経済は、実体経済を蝕んでいる。世界全体で1992年時、実体経済3,100兆円に対し5,500兆円であった金融経済は、2007年には、それぞれ6,400兆円、2京2,000兆円となり、その格差は飛躍的に上昇した。

今回の金融危機を機に米国主導経済への反省がなされるだろうと言われている。そして、金融経済に対する規制が強められるだろうと言われているが、そのようになって欲しいものだ。労せずして、楽をして儲けられるという仕組みに一定の上限を設けるとかして、厳しい規制をかけ、真面目に働いて勤労所得を得る人が暮らしやすい世の中になって欲しいものだ。

今回の米国の例を見ても、政府が公的資金を投入しようとした時、儲けすぎているウオール街のエリートのために何故、我々の税金を投入するのかという声があがり、法案の修正を余儀なくされたことは、アメリカの勤労者の偽らざる声を反映したものであろう。

一方、このような金融危機の最中、三菱UFJや野村が破綻した海外の投資銀行の一部を手に入れようとしている。なぜこのような危険なことをしようとするのか疑問に思っていたが、上記の田代氏や寺島氏も、このような動きを戒めて次のように言っておられる。
「いままで投資銀行専門の金融機関が育ってこなかった日本は、ウオール街流の投資銀行モデルがもはや成立しないということを悟り、単に資金を投入すれば、ブランドやM&Aノウハウ、人材などのソフトを手に入れられると考えて、この金融再編劇に参加しているのならば、それは見通しが甘いと評価されても仕方がないだろう。新しく日本流の投資銀行のビジネスモデルを組み上げる覚悟と戦略が必要だ」と・・・・・

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2008年10月 8日 (水)

楽天-ソフトバンク 最終戦・王さん最後の試合

昨日は楽天-ソフトバンクの最終試合であるとともに、世界の王さんにとっては監督としての最終試合であった。また、この試合は両チームにとって最下位脱出を賭けての大切な試合でもあった。

楽天ファンで野村ファンである私にとっては、楽天に最下位脱出をしてもらいたいし、また王さんも好きであるので、最終戦を勝利で飾って欲しいと言う気持ちがあり、複雑な気持ちで、試合の終盤はヤフーの実況動画に釘付けになった。

試合は、田中、杉内の投手戦となりゼロ対ゼロのまま、延長戦に突入したが、延長12回、山崎の劇的なレフト前ヒットにより楽天が劇的な勝利を収めた。これにより楽天は最下位を脱出したが、不本意なシーズンであったとも言える。しかしながら岩隈選手の投手部門3冠、リック選手の首位打者獲得、など明るいニュースもあった。来シーズンの上位進出を期待したい。

試合後、野村監督より王監督への花束贈呈や今期で引退する小倉選手の引退セレモニーなどが行われた。野村さんと王さんとは現役時代はリーグが違ったが、打撃部門においての好敵手であり、お互いに尊敬し合っていた仲のようであり、二人が仲良く懇談している場面が過去しばしば映像を通じて見られた。このような仲であったからか、最後の花束贈呈も野村さんからの発案でもあったらしい。

王さんの現場からの引退により、一つの時代が終わろうとしている。昨年は稲尾さんも逝去されたし、人生の先輩が何らかの形で去っていくのは淋しいことであるが致し方ないことかもしれない。

この試合には、仙台のファンが多数駆けつけ、超満員であった。ここ仙台におけるプロ野球の進出は大変な成功と言える。
深夜11時頃になっても野球ファンは、球場に留まり、王さんの引退を惜しんでいた。このような熱狂的な様子は、多くの人に愛された王さんの人柄を反映しているように思われる。また、小倉選手という多分、楽天ファンでしか余り知られていない選手の引退セレモニーを計画した楽天球団の暖かい配慮には感心した。小倉選手に花束を渡す小さな二人の娘さんの姿はほほえましかった。

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Photo  

野村監督より
王監督に

花束贈呈
 

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2008年10月 3日 (金)

会社が永く生き残るために

 最近、私は元気な企業とか、長く生き続けている企業の特徴とかに興味があり、そのような目で企業を観たり、そのような企業の事例を調査しています。
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 さて、日本の老舗企業に広く共有されている倫理観として、近江商人の「三方よし」があります。「売り手よし、買い手よし、世間よし」です。前のふたつは、売り手にとっても、買い手にとってもよい、という意味で、いわゆるWin-Winの関係です。最後のひとつは、世間(社会)においても喜ばれる、ということです。
 この中で最も強調されているのは、「世間よし」です。「世間よし」によって社会的な責任の必要性を表しています。これは、近年の「会社は株主のもの」という市場経済至上主義」に対するアンチテーゼとも言えます。儲けるだけでなく社会性・公共性も考慮する必要があります。

 老舗企業の歴史を見ると、「儲かる」か「世の中の役に立つ」かの2者選択を迫られた時、かならず「世の中の役に立つ」を選んで来た会社や商店が、結局は生き残って「老舗」と呼ばれるようになっているようです。

 もっぱら天秤棒を担いでいた小商人の段階にあった近江商人が、どのような心構えでいたのか、ということを追憶談として語ったものに、丁吟の初代・小林吟右衛門の次のような述懐があります。

 「たとえ天秤棒を担いだ小商人といえども、自分のことばかりでなく、世の中の一員としての自覚を持って、不義理や迷惑をかけないように絶えず周囲や世間の人々のことを思いやりながら、労苦を厭わず懸命に働けば、立派に商人として認められ、やがて相当の身代を築くことができるものである・・・・・・・・始めから欲にかられて大金を願望しても、無駄であり何の益にもならない」

 成功後の述懐といえ、これは近江商人が小商人の段階からすでに社会の一員としての自覚を持って活動する重要性をわきまえていたことを伝えています。

 また、近江商人・中村治兵衛宗岸は、自分を継いだ養子の宗次郎へ次の様な書き置きをしたためています。

 「他国へ麻布などの行商へ出かける時は、気分よく商品を購入し、活用してもらうために、まずその土地の人々のことを大切に考えること、自分のことばかり計算して高利を望むようなことをしてはならない。・・・・・・行商のために他国へ入国する際には、たえず相手のことを思いやる志を持つことが第一である」

 この二つの述懐や書き置きは、近江商人の商行為の精髄にある「三方よし」の理念の原点となったものです。
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 「エノキアン協会」という同族経営でありながら、長い歴史の風雪に耐え、今日まで堅実な経営を維持している世界的な組織があります。加盟企業は全世界で僅か39社の優れた会社だけであり、日本から参加を認められているのは「月桂冠」や「法師(旅館業)」を含む4社です。

 エノキアン協会に加盟している企業に共通しているのは、次の5点です。
①危機に対して柔軟で創造的な適応をなしうる。 ②オリジナルな品質への限りないこだわり。 ③後継者の育成への注力。 ④過度な成長、過度なパワーを望まない。 ⑤社会に受け入れられる企業文化を確立し、その文化を経営者のみならず、全社員にも連綿として継承している。

 以上、「近江商人」と「エノキアン協会」を例に出して、永続する企業の特徴的なことを述べて来ましたが、まとめますと、永続する企業の条件は、自分の会社のことだけを考えるのではなく、お客様や社会のことも考え、また、時代に即した改善を継続して行っていくことだと思われます。
 これは、簡単のことで当たり前のことのように思えますが、実践することは非常にむつかしく、新規に創業された方、また現在事業をされている方にとっても、心して意識していくに値することだと思われます。

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2008年10月 1日 (水)

竹田城跡・天空の城 日本のマチュ・ピチュ 

日本にもあの“マチュ・ピチュに似た天空の城”があるという情報を見つけたので、是非とも行きたい!ということを、マイミクのアーティスト・穂苅有香さんが日記に書いておられた。その城の名は、兵庫県にある竹田城という。

竹田城と言えば、作家・司馬遼太郎氏の「太閤記」か徳永真一郎氏の「明智光秀」の中で、そのような城名が出てきたように記憶していたので俄然興味を持った。

調べてみると、竹田城は、兵庫県朝来市和田山町竹田にあり、但馬の守護大名・山名持豊(宗全)が、播磨、丹波、但馬の国境近く、街道が交わる地に侵攻を防ぐ目的で、1441年~1443年に築城した。その後山名氏の被官・太田垣氏が5代にわたって城主となったが、織田信長の命令による秀吉の但馬征伐で1580年に落城した。
更にその後、羽柴秀長、赤松広秀が城主となったが、関が原合戦の後、廃城となった。

竹田城は、縄張りが虎が臥せているように見えることから、別名虎臥城(とらふすじょう)と呼ばれ、また城下から遥か高く見上げる山の頂に位置し、いばしば円山川の川霧により霞むことから、天空の城という異名を持つ。また、良く似ていることから日本のマチュ・ピチュ?とも言われているらしい。

竹田城は、東に立雲峡を望む標高354mの古城山の山頂に築かれ、縄張りは、南北約400m、東西約100m。天守台はほぼ中央に配置されている。そして、雲海に浮かび上がる古城の累々たる石垣群の威容は名物となっているそうだ。

また、山上にあって視界を遮る樹木が少なく、従って天守台に立つと、180度パノラマの景色が広がり、まさしく天空に向って立つ思いがするそうだ。

ところで、マチュ・ピチュはペルーインカ帝国の遺跡で、しばしば空中の楼閣と呼ばれ、ユネスコの世界遺産に指定されているが、竹田城は日本国の史跡にすぎないが・・・。

なお、この竹田城跡は、1990年公開の映画「天と地と」(上杉謙信の生涯を描いた海音寺潮五郎氏の歴史小説を映画化)のロケ地として使われた。

竹田城跡の写真は下記。

更に詳しくはここをご覧下さい。非常に美しい竹田城跡の偉容が見られます!

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01_1

日本の
マチュ・ピチュ

天空の城
竹田城

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