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2008年11月

2008年11月28日 (金)

西郷隆盛と勝海舟との会見

NHK番組「篤姫」は好評の中、いよいよ終盤を迎える。今年の始めに「大河ドラマ“篤姫”が面白い」とブログで書いたが、その後の物語の展開も大変面白く、この一年、
久しぶりにNHKの大河ドラマを最後まで欠かさず観た。

さて、物語の最後は、官軍による江戸城総攻撃が勝海舟と西郷隆盛の会談によって回避されるところがクライマックスだと思われる。江戸百万の人々の命をなんとか助けたいという気持ちが二人の合意に結びついたと言われている。もっともこの裏には、ドラマに描かれているように天璋院篤姫と和宮による必死の嘆願があったのであろう。

勝海舟と西郷隆盛の会談は、最終的に西郷が「それじゃ勝さん、全部あなたにおまかせしますよ、あとはあなたの思ったとおりやってください」という一言で決着が付き、江戸城の無血開城が実現した。談判の大詰めで西郷は勝の要求をすべてのんだ。総攻撃は中止された。

海舟の墓がある東京洗足池、海舟のかたわらに並ぶ西郷の留魂碑、西南の役で非業に倒れた西郷を海舟がひそかに弔っていたのである。彼は碑文に次のように刻んだ。
 「嗚呼、百万の生霊を塗炭に陥らしめず、君すでに逝く。欽慕の情おのずからやむあたわず。嗚呼、君よく我を知り、君を知る我に如く莫し」

渋沢栄一「子曰く、巧言令色には鮮(すくな)し仁」、という論語の言葉を引用し、西郷を次の様に評している:維新の三傑の随一といわれた西郷隆盛は、実に仁愛の深い同情心に富んだ人であった、また、西郷は剛毅なる大丈夫で平生いたって寡黙だったが、実に君子の趣があったと。そして薩南の健児三千人に担がれて明治10年に賊将となったのも、つまり仁愛に過ぎたためと見ることができる、と弁護している。

「子曰く、巧言令色には鮮(すくな)し仁」の意味するところは、次の通りである:
人に接するのに言語弁舌を巧みに使い飾り、あるいは顔色物腰をきれいにして、人に喜ばれようと努め、外面 の体裁にだけこだわるような人は、悪意はないにしても、この種の人には不仁者が多いものだ。
       仁は孔子の生命であり、孔子がその中心にすえた倫理規定であり、人間関係の基本と 
      なるもの。「他人に対する親愛の情、優しさ」と言える。


西郷は晩年、征韓論に破れて下野するが、西郷ほどの人が征韓を主張したことが彼の生涯の最大の汚点だったという人がいる。私もそう思う。明治維新に貢献したこの人物が何故侵略戦争を主張したのか、西郷は本気でこのようなことを考えていたわけでないという説もある、また晩年、西郷が正常な判断をできなくなるような精神的病に冒されていたという説もある・・・確か司馬遼太郎氏がどこかでそのように述べておられたように思う。

余談だが、渋沢栄一は次のように西郷と大久保利通を比較している。
大久保利通は私の嫌いな人で、私もひどく彼に嫌われたが、彼の日常を見るたびに、立派な人物で感嘆の情を禁じえなかった。たいていの人はいかに識見が卓抜であっても、その考え方はだいたい外から推測できるものである。ところが大久保は、正体がつかめず、私のような不肖者ではとても測り知ることができない。これがなんとなく嫌な人だと感じさせた一因だと思う。
これに対して西郷は、ひとことにしていえば、大変親切な同情心の深い、一見して懐かしく思われる人だった。外から見たところでは、はたして偉い人であるのか、鈍い人であるのか、わからなかったくらいである。賢愚を超越した将に将たる君子の趣があった。

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2008年11月27日 (木)

久しぶりの同窓会

大学時代を共に過ごした者が集い、久しぶりの同窓会が先日開かれた。卒業後、何十年もの歳月が流れた。あるものは実業に、あるものは教育や研究の道に進んでいったが、卒業後、初めて顔を合わせた者も中にいて、懐かしさがこみ上げて来る。

宝塚のある旅館で開かれたこの同窓会では、幹事さんにより、気の利いた色々なメニューが準備され、昔を懐かしみ、楽しく晩秋のひと時を過ごした。

プロジェクターによる入学式当時の集合写真や当時京橋の近くの東野田にあった工学部旧学舎の写真などが紹介された。また、今回は記念文集が発行され、近況報告を始め、歴史探訪、古代史の勉強、旅行、日本百名山登頂トライ、など仕事を離れて取り組んでいる各人の様子がよくわかり、皆元気に頑張っているんだということを知り、元気をもらった。

我々学生時代は、今とは違って激動の時代であった。当時学生運動が盛んであったが、今でもその信念を貫き、実生活に反映している者もいて大変感動を受けた。

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おおさか地域創造ファンド事業者交流会

大阪府の関連機関である(財)大阪産業振興機構主催で11月20日、おおさか地域創造ファンド事業者交流会が開催され、3人の地域活性化コーディネーターの1人として参加した。

今回、大阪地域創造ファンド事業認定事業者から、相互の事業交流を希望する企業を募ったところ43社、59名の方が参加され、主催者が予想したよりも多くの企業が集まり、大変盛況であった。

参加企業による自社PR・事業説明のあと、モノづくり部会、マーケティング部会、人材・マネジメント部会に分れて活発な議論が繰り広げられた。

今回の交流会を通じて、多くの事業交流(マッチング)が成立した模様である。参加者アンケートを見ると、交流会への参加目的としては、異業種情報収集、人脈の拡大、事業者の連携企業探し、販路拡大、などで、企業が発展する上で、他社との交流を通じて何らかの発展の契機をつかみたいという企業の意図が感じられた。

また、感想としては、他企業の事業の進め方が参考になった、異業種の考え方(異なるアプローチなど)が参考になった、同様な悩みや課題に触れて励みになった、触発され、新しいアイデアが浮かんだ、というような意見が多く見られた。

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2008年11月22日 (土)

美少年酒造㈱--風評被害による経営危機を克服

美少年酒造㈱は熊本県にある酒造会社だ。
私も時々この会社のお酒を飲んだことがある。
同社の起源は1752年(宝暦2年)に遡るという。時の肥後藩主細川重賢の命を受け、熊本の地で酒造を始めた。従業員50名の家庭的な老舗の酒造会社だ。

同社のスローガンは「1本1本に感謝を込めて出荷させていただく」で、お客様に「おいしい」と喜んで頂ける酒造りに精進しておられる。同社のホームページを見ると同社が追及する顧客志向の経営姿勢と品質向上への限りない想いが感じられる。

同社はこの度、三笠フーズによる事故米流通事件により多大な被害を受けた。三笠フーズの関連会社から事故米対象原料を全く知らずに購入していたからだ。

同社は素早くこれらの原料を用いた製品を自主回収したが、風評に悩まされ、売上は激減。会社は経営危機を迎えた。経営危機の理由は、酒店が風評を恐れて同社の酒を店頭においてくれなくなったからだ。

そこで同社は緊急の対策を協議。従業員全員の雇用を確保することを前提に、失われた信用を取り戻す為に必死の努力を続けた。特に営業員は各地の酒店を回り、失地の回復に必死に努めたという。その模様はテレビ番組「ガイアの夜明け」で放映されていた。

営業マンによる誠意と同社の経営姿勢の真摯さが酒店にも通じたのであろう。同社製品の安全も確認されたこともあり、最近、同社の製品が店頭に並べられるようになってきたという。

今回の事故米事件を契機として、同社が更に優良企業として発展されることをお祈りしたい。

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2008年11月 8日 (土)

第27回事業化交流マッチング総合展・                   テクノメッセ東大阪2008

先日、11月5,6日の両日にわたってマイドーム大阪で、「第27回事業化交流マッチング総合展」が開催された。

事業化交流マッチング総合展は、販路開拓・業務提携など異業種企業との交流や事業化を目的として毎年4回ほど開催されており、私もコーディネーターとして時々参加させて頂いている。 前回の事業化交流マッチングの記事はここ。

今回は、そのコーディネーター仲間6名が「有志グループ」を結成し出展したが、私もそのなかの一人として参加し、自己PRをさせて頂いた。

同日、マイドーム大阪ではテクノメッセ東大阪2008が同時開催され、ものづくり東大阪の多数の企業が参加。ブースの一つに東大阪から打ち上げられろ人工衛星のコーナーがあり、多くの見学客を集めていた。

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事業化交流マッチング
総合展

コーディネータ
有志グループ

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テクノメッセ東大阪
における
人工衛星
「まいど1号」
コーナー

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紀行・モンサンミッシェル

ノルマンディーと言えば第二次世界大戦におけるナチスドイツとの戦いで連合軍が上陸作戦を行ったところである。世界遺産・モンサンミッシェルはそのノルマンディー地方にある。この地方は牧草地帯が限りなく続き、酪農が盛んだ。バター、ヨーグルト、チーズの生産が豊富。チーズではカマンベールチーズが有名。水力発電の風車も所々に見られた。

パリからモンサンミッシェルへは片道5時間。バスの運転手は2名交代で運転した。フランスでは、運転手の勤務時間がタコメーターで厳しく監視されている。日本に比べると働く者の人権が十分に保障されている。

中世の忘れ形見モンサンミッシェルは幻想的な佇まいを漂わせ魅惑的であった。この辺りは一年を通じて晴れた日が少なく、どんよりした空に覆われていることが多いという。訪れた時もこのような天候であったが、このような天候が一層、幻想的な雰囲気を助長しているように思われた。

アヴランシュの司教オベールにより大天使を奉る聖堂がトンブ山に建設された708年、モンサンミッシェルの歴史が始まったという。

天に向って突き出た岩山に造られたこの聖域は、光を導いて闇と戦う大天使ミカエル(神の使者、7大天使の一人)を祭る理想的な場である。頂上に聳える大修道院教会が中世の精神世界に君臨したキリスト教を象徴する一方で、商業の栄えた町を守る城壁は軍事力を誇示しているようにも見える。ここには英仏間の100年戦争の攻防の舞台になってきた影が感じられる。100年戦争と言えば、あの聖女ジャンヌダークが出現し、フランスを救った戦争だ。

また、ここは潮の干満が15mにも達するということで有名で、水に呑み込まれた森の伝説に象徴されるように、幾多の奇跡と伝説の舞台になってきたところだ。

ところで、モンサンミッシェルの建造物の、建造と改築の歴史を観察すると、10~15世紀に至る中世の建築史をなぞることが出来る。ロマンネスク様式の修道院、すらりと伸びたゴシック建造物、強固な城壁、そして古い町並み・・・・・、宗教建築物と軍事建造物、民家が融合した町を形成しているのだ。

1969年になって、7人のベネディクト派修道士が修道生活を再開した。中世以来の巡礼をはじめ、70年間続いた監獄時代(海のバスティーユと呼ばれた)を経て、19世紀以来、多くの観光客が訪れるようになったという。

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モンサンミッシェル
遠望

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モンサンミッシェル
からの海の眺望

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聖堂への
参道沿いの
町並み

観光客
で賑やか

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2008年11月 7日 (金)

祝オバマ氏の米国大統領選挙当選

民主党オバマ氏が米国大統領選挙に勝利したことをお祝いしたい。選挙戦の終盤、優勢を伝えながらも、多くの白人有権者が最後は黒人候補であることに躊躇し、投票しないのではないかという風評も流れたようであるが杞憂に終わった。結果はオバマ氏の地すべり的な圧倒的勝利に終わった。

米国人は賢明な選択をした。イラク、アフガニスタンでの戦争、金融危機、これらの事態を招いたブッシュ共和党政権を引き継ぐマケイン候補が勝利していたならば、世界は永久に泥沼から這いあがれなくなっていたであろう。

ブッシュ政権の8年間、米国は世界の警察と自称し、勝手気儘に世界を混乱に陥れてきた。また、米国発の経済のグローバリズムは、弱者を犠牲にし、一部の強者の富が蓄積されるのを助長した。米国の腐敗した金融システムは何の価値もない腐敗した証券をを売りまくった。その労せずして儲けた一部の超富裕層の陰で泣いている大多数の真面目に働いている勤労者が存在する。

一方、オバマ氏は、人類が人種、宗教を問わず、一つになって仲良く生きて行くことの必要性を訴えている。米国のみの利益を考えたブッシュとは対象的だ。

経済のグローバリズムのことだが、市場経済=資本主義に代わる適当なシステムがない今日、今回の金融危機を招いた市場経済至上主義の行き過ぎを是正し、市場経済の枠組みの中で、一定の規制を設けるような仕組みが望まれる。例えばヨーロッパ諸国が採用している社会民主主義路線のようなシステムを一部取り込むことも必要となろう。
オバマ氏には、このような世界の人々が争いなく、平等に生きて行けるような仕組みを、他国の指導者と協力して作って欲しいと思う。

最後に、日本の経済関係者の間では、オバマ民主党政権が厳しい米国経済を守るため保護主義に走り、これにより日本からの輸出が抑制され、日本経済が悪化するのではないかと危惧する向きもあるが、オバマ氏は常識的な考えの持ち主であるから、米国だけの利益を考えての行動は慎むものと思われる。
(保護主義のことだが、何でもかんでも自由化すべきだというのが正論だといわれているが、地域の経済を破壊しないで各国が平穏に暮らしていける適度な貿易の秩序が今後、模索されるべきなのであろう)。

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2008年11月 2日 (日)

すべての道はローマに通ず

先月末、ドイツ、フランスに出かけた時、古代ローマ帝国の影響がこの西欧諸国にも遠く及んでいたことを改めて認識した。ガイドさんの口からも「ローマ」という言葉がしばしば出てきて、古代ローマ帝国の巨大さを感じさせられた。

私がこのようにローマという言葉にことさら引寄せられるのは、現在、塩野七生氏の「ローマ人の物語」シリーズを読んでいることにも大いに関係がある。

すべての道はローマに通ず、といわれるまでになるローマ街道は、ヨーロッパ、アジア、アフリカにまたがって建設されているが、ローマ帝国は、新しい道を築き、既存の道は幅を広げ、橋をかけ、トンネルを掘り、水はけを良くし、平坦になるように舗装したのだ。

塩野氏によれば、ローマの巨大化の要因は、勝者による敗者の同化、すなわち征服した地域の歴史・文化を尊重して残し、自治を完全に認め、両者がともに参加する運命共同体の形成を行ったと言われている。その運命共同体の形成に、他のなによりも貢献したのがローマ街道らしい。

ところで、紀元前3世紀、偶然にしろ、地球の東と西で大規模な土木事業が始まった。東方では、万里の長城(秦、明の時代に建設されたものを合わせて5千km)、西方では、ローマ街道網(紀元前3世紀~紀元後2世紀までの500年間に、幹線だけでも8万km、支線まで加えれば15万km)。

塩野氏はこの東西の土木事業の違い、すなわち防壁の建設と街道の建設の違いに興味を覚えたと言っている。防壁は人の往来を断つが、街道は人の往来を促進する。自国の防衛という重要な目的を、異民族との往来を断つことによって実現するのか、それとも、自国内の人々の往来を促進することによって実現するのかという違いを、民族性あるいは国家戦略の違いによるものであろうと感想を述べられている。そして、この街道というハードが、ハードな分野に終わらずにソフトな分野、つまりは精神の分野にまで影響を及ぼしたとも述べられているが説得力がありうなずける。

ローマ人はこの街道、このほかにも水道などを含むインフラを、人間らしい生活をおくるためには必要なことと考え、重要な国家の責務、「公」が担当すべき分野として考えた、とのことだ。

今回の旅行で、このローマ街道の一部をバスで走った。ひとつはドイツのベルツブルクからヒュッセンに至る350kmの道で、「ロマンティック街道」と呼ばれる街道である。沿道は小麦畑、牧草地などの緑と、民家のオレンジ色の屋根とが調和した美しい農村風景が続き美しい。また、パリ市内でも、ガイドさんがセーヌ河近くで、この道はローマに通じている道ですと説明してくれたのが印象に残る。

下記の写真は、ロマンティック街道の終点である町「ヒュッセン」を
バスから写した写真。

by yagiyoshiakihttp://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

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ロマンティック街道の
終点の町・ヒュッセン

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