すべての道はローマに通ず
先月末、ドイツ、フランスに出かけた時、古代ローマ帝国の影響がこの西欧諸国にも遠く及んでいたことを改めて認識した。ガイドさんの口からも「ローマ」という言葉がしばしば出てきて、古代ローマ帝国の巨大さを感じさせられた。
私がこのようにローマという言葉にことさら引寄せられるのは、現在、塩野七生氏の「ローマ人の物語」シリーズを読んでいることにも大いに関係がある。
すべての道はローマに通ず、といわれるまでになるローマ街道は、ヨーロッパ、アジア、アフリカにまたがって建設されているが、ローマ帝国は、新しい道を築き、既存の道は幅を広げ、橋をかけ、トンネルを掘り、水はけを良くし、平坦になるように舗装したのだ。
塩野氏によれば、ローマの巨大化の要因は、勝者による敗者の同化、すなわち征服した地域の歴史・文化を尊重して残し、自治を完全に認め、両者がともに参加する運命共同体の形成を行ったと言われている。その運命共同体の形成に、他のなによりも貢献したのがローマ街道らしい。
ところで、紀元前3世紀、偶然にしろ、地球の東と西で大規模な土木事業が始まった。東方では、万里の長城(秦、明の時代に建設されたものを合わせて5千km)、西方では、ローマ街道網(紀元前3世紀~紀元後2世紀までの500年間に、幹線だけでも8万km、支線まで加えれば15万km)。
塩野氏はこの東西の土木事業の違い、すなわち防壁の建設と街道の建設の違いに興味を覚えたと言っている。防壁は人の往来を断つが、街道は人の往来を促進する。自国の防衛という重要な目的を、異民族との往来を断つことによって実現するのか、それとも、自国内の人々の往来を促進することによって実現するのかという違いを、民族性あるいは国家戦略の違いによるものであろうと感想を述べられている。そして、この街道というハードが、ハードな分野に終わらずにソフトな分野、つまりは精神の分野にまで影響を及ぼしたとも述べられているが説得力がありうなずける。
ローマ人はこの街道、このほかにも水道などを含むインフラを、人間らしい生活をおくるためには必要なことと考え、重要な国家の責務、「公」が担当すべき分野として考えた、とのことだ。
今回の旅行で、このローマ街道の一部をバスで走った。ひとつはドイツのベルツブルクからヒュッセンに至る350kmの道で、「ロマンティック街道」と呼ばれる街道である。沿道は小麦畑、牧草地などの緑と、民家のオレンジ色の屋根とが調和した美しい農村風景が続き美しい。また、パリ市内でも、ガイドさんがセーヌ河近くで、この道はローマに通じている道ですと説明してくれたのが印象に残る。
下記の写真は、ロマンティック街道の終点である町「ヒュッセン」を
バスから写した写真。
by yagiyoshiaki:http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/
ロマンティック街道の
終点の町・ヒュッセン
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コメント
素敵な旅ですね。
私ははじめての海外旅行がローマでした。もう22年も前。アンカレッジを経由した長い空の旅でした。
塩野さんの本は難しくてなかなか読み切れず、やぎさんの説明がとてもありがたく、もう一度読んでみようか…という気になります。
また、時々お邪魔します。
投稿: 世間師 | 2008年11月 4日 (火) 10時16分
世間師さん
お忙しいところ、コメントありがとうございます。
このような旅行を始めたのは、まだ最近のことでイタリア、ローマにはまだ行ったことがありません。是非機会があれば行きたいと考えています。
塩野七生さんは実際にイタリアに在住されている作家なので、何となく説得力がありますね。
やぎ
投稿: やぎ | 2008年11月 4日 (火) 11時27分