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2009年4月

2009年4月30日 (木)

一風堂  ラーメン屋業界のカリスマ

先日、”ラーメン屋業界のカリスマ”と称されている一風堂の店が大阪梅田にもあると家内が言うので一緒に行ってきた。阪急メンズ館裏にこの店がある。昼時だったこともあるが、入り口は順番を待つ客の列だ。

一風堂は河原成美氏がつくった店である。ラーメン屋と言えばなんとなくダサくおっさんが行く店というイメージしか湧かないが、女性でも気軽に入れるラーメン屋を、と考え
つくったのが一風堂であるらしい。客の4割が女性だと聞いていたが、実際そうであった。

人気の秘密は味だけでなく、店の雰囲気を大切にしていることだ。味が大切なのはいうまでもないが、”店は舞台だ”という河原氏の信条に基づいているそうだ。店の者は、演劇人とした振る舞い客にサービスを提供するべきだということだ。同氏には演劇を志した時代があったと聞く。演劇という芸術をラーメン屋の世界にも取り入れたということだ。確かに店の人は表情豊かでてきぱきと働いておられた。

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一風堂
梅田店

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2009年4月28日 (火)

匠の技を持つお二人の対談

先日、匠の技をお持ちのお二人が一同に会す場面を設定させて頂いた。
お一人は㈱小西金型工学社長の小西智實雄さん。
もう一人は仏師(仏像彫刻師)山田国行さん。

小西さんは金型製造の権威であられる。若い頃、九州から大阪に出て来られ幾つかの会社で金型技術の修業をされた後、現在の㈱小西金型工学を設立された。自動車の車体、電器製品、精密機器、更には造花などをつくる種々の金型を作って来られた。一方、山田さんは奈良仏師の系譜をひくお父さんの技を継承する2代目で、工芸高校を卒業後、仏像彫刻に従事され、主として金剛力士像、大国天像など、約1200体から1500体の修復を手がけて来られた。

そもそも今回、お二人がお会いすることになったのは、小西さんの息子さんで小西金型工学の取締役をされている小西修史さんが、昨年行われた大阪府異業種グループ交流促進協議会主催の異業種交流会「事業化交流マッチング」に参加された時に、コーディネーターの一人として出席していた私と小西修史さんが同じグループのテーブルでご一緒したご縁による。その時、色々と熱心に質問される小西さんの会社に私が興味を覚え、後日、訪問させて頂いた。

その時、お父さんの小西智實雄さんがご専門の金型とは別に、仏像彫刻のご趣味があるとお聞きしたので、そのことであれば私が山田さんという仏師さんを知っていますよ、とお伝えすると、それでは是非山田さんを紹介して欲しいという話があり、今回の対談となったもの。尚、小西さんは趣味の彫刻を活かし、寺院等へ彫刻物を寄付しておられる。

お二人のお話は仏像彫刻に関するかなり専門的な内容に踏み込んだものであり、私自身理解できない点もあったが、仏像と金型とは「彫る」という点では共通点があり、切削工具や切削刃のこと、仏像修復後の色調整、材料の割れ対策、等について、意見交換をされていた。

また、”熟練の域”においては、手加減=力の微妙な入れ方や作業するタイミング、等、言葉や文章では言い表されないものがあり、それらは体で覚えるしかない、という共通認識を持たれていることも印象に残った。更には仏像にしろ、金型にしろ、依頼人(顧客)への責任を果さなければならないと思うと、眠れない時もあるという思いも語って頂いたが、匠にもそういった側面があるのだなあと改めて感じた。

余談だが、この不況下、大黒さんの注文が多いと山田さんが言われたのを受けて、小西さんが、不況の時は大黒さんにお祈りをする人が多いからですよ、と言われていたが、早く景気回復の兆しが見えて欲しいものだと思った。

仏師 山田さんに関する以前のブログは→ここをクリック
(注)山田さんのお名前は正式には「國行」だが同氏のブログでは「国行」を用いておられるのでこれに従った。

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山田さん(左)
小西さん(右)

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2009年4月26日 (日)

「大阪の教科書 大阪検定公式テキスト」を読んで

大阪商工会議所からのFAXで、「なにわなんでも大阪検定」と称した受験案内が来た。最近、各地で「ご当地検定」が行われるようになったが、大阪でも行われるという。そして公式テキストとして、「創元社編集部編 橋本紳也監修 大阪の教科書」というのがあり、出題は主としてそこから出されるという。

この検定試験を私自身、今更受けるつもりはないが、歴史や文化といった書籍には大いに興味があるので、購入して通読してみた。なかなか良い本である。大阪人として、我々が住んでいる大阪のことについて広く知っておく必要がある常識的なことが網羅されていて大変勉強になる。

よく外国人とのコミュニケーションにおいて、日本人が外国人から信頼・尊敬されるには、外国のことよりも日本のことをまず知っておくことが必要であると言われるが、同様なことが日本国内において、他府県の人とのコミュニケーションについても言える。江戸時代、上方文化を生み出し、また、学問面でも、産業面でも日本の発展に大いに尽くした大阪の地盤が低下している折、郷土愛といっては大げさだが、大阪の真の姿を知らしめることが必要でないか。吉本興業のお笑いも必要だが、それだけが大阪だと思われるようなことは避けなければならない。

そういった意味で、この書籍の監修者・橋本紳也氏が、序言で、実に上手く次の様に述べられていることに大阪人として大変共鳴した。

・・・たとえばテレビのワイドショーやバラエティ番組をみれば良い。しばしば大阪人が、笑い者として晒される。この街で成功した人でさえ、自虐的に大阪をほめることが少なくない。それが「愛情の裏返し」であり、ユーモアの範疇であれば許せるが、度を過ぎると腹立たしくもなる。東京のメディアが求める典型的な大阪像、すなわち、お笑い・こなもの・阪神タイガースに象徴される大衆的で親しみやすい都市像を、私たち自ら増幅して来た。それも確かに大阪の一面だろう。41wgctev9bl__ss500_しかし大阪の個性は、より多様であるはずだ・・・・・・・

ということで、大阪の方にも、あるいは他府県の方にも、大阪の真の姿を知って頂くためにお薦めできる本である。教科書と聞いたとき、”堅苦しい”という反面、”わかりやすい”という響きがあると思うが、この本には堅苦しさを感じない。気楽に読める本である。また辞書的に、その都度、必要な時に読めるという利点もある。

さて、内容だが、大阪のことば、歴史、文化、経済などを含みながらも、食文化や街歩き、芸術・娯楽、スポーツ、等を網羅している。また巻末には「大阪」に関する参考文献があるの大変役に立つ。

因みに第一回の大阪検定試験は本年6月21日(日)に開催される。詳細は大阪商工会議所にお尋ね下さい。

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2009年4月24日 (金)

㈱丸十 精密板金加工の先端を行く会社

先日、兵庫県加古川市にある ㈱丸十さん を訪問した。同社は鉄、アルミ、ステンレス等の精密板金の先端を行く会社である。同社とのご縁は、昨年末、異業種交流促進協議会主催の「事業化交流マッチング」という会合に、同社がプレゼンターとして参加された時、私がプレゼン後の同社を中心としたグループ討議のコーディネーターを勤めさせて頂いたことにある。

JR加古川駅で営業徳賀さんと待ち合わせ、車で北へ20分、農村風景が続く中に、センスの良い美しい本社兼工場があった。松尾社長の出迎えを受ける。同社は1931年、松尾清市鎌製作所として創業、1972年、㈱丸十として法人化し現在に至っている。従業員70名、平均年齢35歳という若さ溢れた会社だ。

2005年、新工場完成を契機として、第3の創業と称し「伝統原点!使って喜ばれる超精密板金」をスローガンとして頑張っておられる。社訓の中に、信用を重んじ誠実を尽くし・・・、勤労を喜び和をもって社員の幸福を築く、という言葉があるが、3代目である松尾社長はこの精神を受け継いでおられる。工場を歩いて驚かされるのは、中小企業としては広い工場エリアに整然として並んだ生産システムとそこで働く人達の明るい表情だ。社訓と照らし合わせて見て成る程と思わせるものがあった。

同社は板金加工が専門であるが、板金加工のみならず、メッキ・塗装、組立・配線まで対応可能であるというのがセールスポイントで、受注後、図面・金型の検討→NCプログラム作成→抜き→曲げ→溶接→塗装・メッキ→組立→検査→出荷、という一貫生産を行っている。同社が誇る設備は、3次元CAD/CAMシステム、レーザー機、プレス機、溶接機、レーザーQCシステム等、多種多様だ。それらの設備によって作られる製品は、ETC用車両検知器、高速道通行券発行機、自動販売機、医療機器関連機器、物流装置関連機器等、多種多様で、約70社との取引実績がある。

良き製品を供給するために日夜努力されており、今回の工場見学においても、工程の改善活動が現場で行われている様子をお見受けした(写真)。また、顧客からのクレームや社内不適合については、発生後、30分以内に通報すると共に、2日以内にグループ長が対策書を作成し社長に提出しなければならないというルールを徹底している、等品質管理が徹底している様だ。

最後に、同社は、インターンシップや地域祭りへの参加、等、地域への貢献も積極的におこなっており、地元に愛される会社として存在しているとお見受けした。

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明るい事務所

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整然とした工場と

改善活動の状況
を示す掲示板

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2009年4月20日 (月)

北海道旭川市での森林再生NPO活動

北海道旭川市で森林再生のNPO活動をされている陣内さんという方のブログを時々拝見する。陣内さんはマイミクの一人だ。

私の住む大阪府箕面市にも森林があるので、かねてから森林の間伐には興味があったこともあり、昨年、mixiで陣内さんの活動を知った。

お会いして直接お聴きしたことはないのだが、ブログを拝見していると、森林間伐活動と地元産業(観光も含む)との結びつきを考えて、長期的なビジョンで北海道をよくしようと考えられているようで、感心させられる。

先日、「薪とり」といタイトルで、間伐作業の様子を記されていたのでご紹介する。
下記の写真は陣内さんのブログの写真を借用したもの。

詳細は→ブログ名:どろんこ&森の日記

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間伐作業

 

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2009年4月19日 (日)

不況の今こそ内部固めを

今年4月より、公的な仕事はひとまずやめ、フリーな立場で中小企業の方のお役に立とうと活動を始めた。この不況下で何とか苦境を耐え景気回復を待ちわびている企業が多い。

過去、大阪商工会議所、大阪産業振興機構(中小企業支援センター)の経営相談員として知り合った企業を中心として話を聞いているが、この不況下で何とか以前と変わらぬ程度の受注を確保している企業もあれば、雇用調整助成金をもらいながら、生産を調整しつつ雇用を維持している企業もある。

このような企業に対し、不況を逆にチャンスと見て、組織を立て直したり、経営基盤を強化したりするために利用すべきだとアドバイスしている。そして私自身、そのための支援をボランティア的に行うことを申し出ている。現在、O社、S社、K社については、早速、近日中に経営基盤のための活動のお手伝いを始めることを決めた。

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2009年4月15日 (水)

小学校同窓会の幹事

今年から小学校クラス会の同窓会幹事を引き受けることになり、6月初めの同窓会に向けて準備をしている。幹事は男性陣2人、女性陣2人で、一応私が主幹事を務めさせて頂いている。

我々は○○年、堺市にある堺市立浜寺小学校を卒業した6年1組に属し、56人のクラスである。卒業以来、歴代の幹事さんのお世話で時々クラス会を開いているが、私自身は、就職後、関東地方での勤務が長く、出席する時間的余裕がなかったので、殆ど出席できなかった。

大阪に戻って来てからは、前々回のクラス会ぐらいから出席し、前回のクラス会で幹事を代わって欲しいという話があったので、喜んで引き受けた。そして前回、皆年をとって来たので2年に一度、クラス会を開こうということになり、今回の開催となった。

56名クラスの同窓会であるが、前回は22人の出席であった。友人に聞くと、小学校の同窓会でこれくらいの人が集まるのは驚きであると言っていたが、彼の場合、小学校の同窓会などは開催されたことがなく、皆、どこでどのように暮らしているか全くわからないと言っていたので、我々は恵まれたいるのだと思った。同窓会が継続して開催されるには、世話役の存在が不可欠だ。

皆に楽しんでもらい満足してもらおうと務めるのが幹事の役目である。場所は、従来、堺市内でやっていたが、今回は大阪難波の法善寺横町の近くにフェローズというパーティ専門の店があったので、そこに決める。遠来からの参加者にとって便利だと思ったからだ。カラオケ付で、プロジェクター設備もある。懐かしい写真や現在小学校周辺がどのように変化しているかを写そうと思っている。

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2009年4月12日 (日)

サラエヴォの思い出

先日、長い間整理しないで放置していた写真を整理しようと思い立った。30数年の間、後からアルバムに整理しようと箱の中に放り込んでいたのだが、何回かの引越しの途中でなくなってしまったものもある。

30歳代の半ばから41歳の頃まで、会社で海外プロジェクト部というところに所属し、主として中近東、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、イラク、更には中国やインドネシアなどへ仕事の関係で行った。

とりわけ思い出深いのは、最初に携わったアラブ首長国連邦、アブダビでの電化プロジェクトの国際入札の仕事であった。入札の準備のためアブダビでの現地調査を終え、ジョイントベンチャー(企業合弁)の候補の一つであったユーゴスラビアのエネルゴインベスト社という会社を訪問した。同社の本社はサラエボ(サラエヴォ=Sarajevo)にあった。

S商事のA氏と一緒に、アブダビからローマをへて首都ベオグラードへ、そこで一泊し、国内航空でサラエボへ向った。サラエボは静かで落ち着いた美しい街であった。初対面のエネルゴイインベスト社の方は女性を含む7人程のメンバーで、日本から来た我々を遠来の客として歓迎してくれ、夕食にも招いてくれた。

静かな雰囲気が漂う洒落たレストランであった。サラエボは多民族、多宗教(イスラム、カトリック、正教徒、など)の街であるが、当時はそれぞれのアイデンティティを維持しながらも仲良く暮らしていたのだと思う。我々を歓迎してくれた人も色々な民族、宗教を背景に持つ人達であったのであろう。

アブダビでの国際入札の結果は競合が厳しく落札しなかったので、エネルゴインベスト社の人々とは、その後会う機会がなくなったのので淋しく思っている。

サラエボで撮影した写真が幾つかあったはずなので、先日も探して見たがやはり見つからなかった。非常に残念だ。唯一サラエボの思い出として形として残っているのは、サラエボの街の土産物屋で買った飾り皿だ(添付写真)。この飾り皿を見るたびに街の様子を思い出す。

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ところで、ユーゴスラビアという国名は現在、存在しない。当時の正式な名称は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国であった。東欧共産主義国家のひとつであったが、カリスマ性とバランス感覚を有したチトー(ティトー)大統領の下で、ソ連とは一線を画し、ネールインド首相等と共に非同盟運動の指導者として、西側とも友好的に付き合い、独自路線を歩んだ偉大な人物であった。人間実のある社会主義者であった。私が訪れたのは、ティトーは1980年に亡くなっているが、ほぼ同じ頃であったように思う。

ティトー亡き後、この国は多民族・多宗教国家ゆえの問題を抱え、紛争が続発。1991年に発生した紛争後、スロバニア、クロアチア、ボスニア、ヘルツェゴビナ、セルビア(コソボ)、モンテネグロ、マケドニアの7~8カ国に分離したことは皆様ご存知の通りである。

バルカン半島に位置した他民族国家、ユーゴスラビアのサラエボ。その歴史は15世紀のオスマントルコに遡る。サラエボの呼称はトルコ語の「宮殿」を意味する言葉を語源としているらしい。1914年のオーストラリア帝位継承者の暗殺事件を契機として第一次世界大戦が引き起こされた「サラエボ事件」の街として有名だ。また1984年には冬季オリンピックの会場ともなった。

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思いでの
飾り皿

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現在の

ボスニア・ヘルツエゴビナ
の首都

サラエボ

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2009年4月 7日 (火)

ほんのりした温かみを感じる母と子の話

4月4日の朝日新聞の「声」欄に久保さんという35歳の主婦の方の投稿文が掲載されていた。それを読んでほんのりとした温かみを感じた。

やさしいお母さんとその愛情の下で健全な成長を遂げていく子供の姿を見た。
現代は親子の断絶を助長するような社会環境に満ちているが、日常の少しの心がけ次第で、このようないたわりあう親子関係が維持されていくのではないかと思った。

以下は朝日新聞の記事である。
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「男3人、子育て大変でも幸せ」

夕食の後片づけをしていると、8歳の長男が「ぼく、女の子の方がよかった?」と聞いてきました。努めて明るく振る舞っているようでしたが、その表情は不安げに揺れていたので「何いうとん。男も女も関係ないよ。お母さんは、あんたがほしかったんよ」といって、ぎゅっと抱きしめました。

私には3人の男の子がいます。次男は5歳、三男は1歳。外出先でバタバタしている私達の姿に、見知らぬ人から「大変ね!」「女の子が1人ほしかったわね!」と、しばしば同情的にいわれます。その度に相手に合わせて、あまり考えず、「そうですね!」と答えていました。

この言葉に、長男は傷ついていたようです。その夜、深く反省した私は、これからこう答えようと決めました。「確かに大変ですけど、とっても幸せです」。そして、私の手足にまとわりついて寝ている子供たちを順番にまた、ぎゅっと抱きしめました。

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2009年4月 4日 (土)

自然とお客が集まる大衆居酒屋

大阪難波、千日前1丁目。千日前通り北に位置し、相合橋筋に沿ったところにこの店がある。店の名は「正宗屋」。大衆居酒屋だ。

この店には時々、大学時代からの友人某氏に誘われて来る。最初、誘われて来た時は、難波にしては人通りが少なく、少し暗い感じのする通りにあるこの店に入る気にならず、もっと賑やかな通りにある洒落た店に行こうと抵抗を試みたが、この店は美味しいものが沢山揃っているので是非、と彼が譲らないので、やむを得ず店に入った。そしてその後、何度か、彼と会う時はこの店を愛用している。

昨日もその友人と難波高島屋の入り口で待ち合わせた後、この店に入った。この店は、毎回来るごとに思うのだが、いつも満員で活気に満ちている。それも席を確保するのが難しいくらいなのだ。店の外観とは少し異なり、店内は明るく、6人程の店の人がいて、忙しく働いている。

なぜこのように人気があるのか? と昨日、改めて考えてみた。まず、注文した食べ物の味が本物であることがわかる。とにかく美味い、心がこもっている・手を抜いていない、新鮮でしっかりとした食材を使っている、ということは食べ物に素人の私でもわかる。いわゆる製造業でいう品質管理が徹底していているのだ。また店の人のサービスが良い。注文してからの時間が短い。しかもメニューが豊富である。

このような店であるから、口コミで人が集まることは十分に理解できる。特にPRしなくても自然と人が集まる・お客が探してでも行く飲食の要だ。まさに日本的品質管理のキーワードである「品質第一」だ。すなわち、品質を第一に考えていれば、いつかはお客にその気持ちが伝わり、お客を呼ぶのだ。

因みに昨日、店の人に聞くと、この店にも一応ホームページがあるというので帰宅後見てみた。簡素なホームページではあるが、そこには、「美味しい・安い・早い」をモットーとしていますという言葉があった。偽らざる真実であると思った。

余談だが、いつもこの店に一緒に行く友人は、名前を言えば、その業界では誰でも知っている会社の元専務である。そのような彼ではあるが、現役時代にも、一個人として名前を明かさず、この店によく来たという。私は、彼とは大学時代、ボランティア活動をしていた時知り合った仲間だ。

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これも余談だが、この店がある場所は、昔、坂町と呼ばれていた。江戸時代、京都の伏見から最初、玉造に移住してきた人が、「伏見坂町」と命名し、その後江戸時代中期、現在の地に移住、「元伏見坂町」となり、更に前を省略して「坂町」に、更に「阪町」となったそうである。その後行政区画の変更が頻繁に行われ、坂町や阪町という名前は消えていった。

現在、阪町という名前を継承し、「阪町屋」という、大阪千日前で、小さな旧家で雑貨店(とんぼ工房・手作り雑貨)を営んいる女性の方がおられる様なので、ご覧下さい。私もいつか訪問したい。

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正宗屋

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2009年4月 3日 (金)

不況の今こそ、社員のアイデアを集め全社一丸の経営を

先々月、産業情報化新聞社「日本一明るい経済新聞」の竹原編集長さんにお会いした。

その時、この不況の時代に中小企業として、何をしておけばよいと思いますか、という質問を頂いたので、不況の時こそ社員のアイデアを集めた全社一丸となった取組が必要です、お答えした。

下記は、その時の様子を伝える記事です。

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2009年
2月号
第1面

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私に関する
記事

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人を考課するむつかしさ

企業における人事評価制度において、人が他人を評価する難しさについては管理者の皆様はよく実感されていると思う。

私も会社に勤めていた時、管理職として部下を評価することの困難さを味わったものである。また同僚の管理職が、自分のことを棚上げして、感情的に、自分の趣味を全面に出して随分恣意的に部下を評価している現実を見てきた。

先日、仲間同士の研究集団であるSAVS支援センターの会合で、H氏が発表された「やさしい考課制度の作り方」は、同氏の中小企業支援の豊富な経験に基づいて考え抜かれた独創的なものであり共感を覚えた。

同氏によれば、人事考課を難しくしているのは、「能力考課」とその「考課基準」であり、「能力」よりも「働き」をストレートに評価できる方法がよい、と提唱されている。

そして、中小企業においては、「やさしい、なっとくの考課」が相応しいのではないかと、すなわち結局は感情の問題があるので、被評価者が「自分で判断」する方法が良く、当人が約束した「働き」を評価の対象にすればよいということである。

具体的には、「能力考課」を廃して、「業績考課」を採用すること。その内訳は、成績評価とプロセス考課より構成されている。そして、これは絶対評価であるから、当然ながら部門間調整は行わない。プロセス考課とは、業績に至るプロセスはどうであったか、を問うもので、責任性や協調性などを含む。

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この世の中、行き過ぎた成果主義が横行し、そのために社内がぎすぎすした雰囲気になり問題となった企業や問題となっている企業も多いと思うが、日本的経営の良さである協働意識を再度見つめなおすという観点から、この考課制度は一考の余地があると思うものである。

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2009年4月 1日 (水)

オーストラリア紀行(その2)

前回からの続き

世界遺産・土ボタル洞窟は、土ホタル(みみずのような生き物)が暗闇の中で明るく輝き幻想的だ。その辺りの空を眺めると南十字星が非常にはっきりと認められた。南十字星がオーストラリア国旗の一部を構成していることを始めて知る。

シドニーは、1770年、オーストラリアの歴史が始まった都市である。ミセスマッコリーズポイントで一行全員で記念撮影。ここは、オペラハウスとハーバーブリッジを望む展望スポットである。軍港も隣接している。オペラハウスは1973年完成したシドニーのシンボルである。海に浮かぶ帆船をイメージしてデザインされた姿は素晴らしい。外観の美しさと構造的強度に工夫が施されているという点が特徴らしい。オーストラリア人は、この建築物を大変誇りにしている。

シドニーで案内頂いた中尾さんという女性の方のご主人はオーストラリア人だ。先祖はマケドニアから移住して来たそうだ。中尾さんは青年の船で20数年前、当地にやって来た。そこでご主人に見初められ、そのまま当地にとどまりガイドをしながら生活している。ご主人との共稼ぎだ。日本には老いた母親がいるので年に一度は日本に帰国されているという。

中尾さんは観光以外にも、オーストラリアの社会生活について色んなことを話してくれた。中でも記憶に残っているのは高速道路の話である。オーストラリアには国を1周する高速道路があるが、全長14、000KM.。通行料は無料。但し途中のサービスステーションのようなサービスは一切ないという簡素なものである。
また、我々が若い頃はオーストラリアの主要な産業は羊毛だと教えられたが、今は鉄鉱石やオパールなどを採掘する鉱業が主力である。因みにオパールの世界シェアは98%にも達する。

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オペラハウス

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オーストラリア紀行(その1)

3月末、初秋のオーストラリアを旅する。今回、向ったのは阪急交通社・トラピックスのツアーで、東海岸のゴールドコーストとシドニー周辺の地域だ。オーストラリアは新しい国なので、歴史的史跡等は少なく、見て回る主な対象は自然である。

ゴールドコーストでは、日中は美しい砂浜の海岸やサーフィンに興じている若者を眺め楽しむ。夜はアウトバック・スペキュラクターというオーストラリア版西部劇の様なショーを見せるところがあり楽しむ。

アウトバック(outback)とは、オーストラリアの内陸部に広がる砂漠を中心とする広大な人工希薄地帯である。ワーナーブラザースが巨額の費用をかけて建設したもので、四方が観客席に囲まれた闘牛場のような劇場で、土は土埃が立たないように特殊な工夫が施されている。そこで見るオーストラリア開拓史の映画は、雷などのシーンも散りばめ、リアル性を感じさせる。ウエスタンミュージックのような哀愁を帯びた歌や乗馬の曲芸などがあり、オージービーフを食べながら、これがオーストラリアだと思った。

花に関しては、オーストラリア原産のものは少ないようだ。殆どが外来種である。名前を忘れたが、橙色の花が唯一の原産だそうだ。

先住民族アポリジニは、約2万年前、東南アジア経由で当地にやって来た。当時は、海面が現在よりも200M近く低く、オーストラリアとは陸続きであったそうだ。大陸が孤立化してからはオーストラリアは乾燥が進んでいる(砂漠化)。

ユーカリの木は乾燥化につれて誕生した。ユーカリの木は乾燥に強い。コアラはユーカリを常食とする。コアラはアポリジニの言葉で「水を飲まない」から名付けられたそうだが、このユーカリの中から水分を含む限られた要素を選んで食べているという。今年のオーストラリアの山火事でコアラが消防員の差し出すペットボトルの水を飲み干している映像が日本でもテレビを通じて映し出されたが、水を飲まないコアラであるが、余程のどが乾いていたのであろう。

ブルーマウンテン国立公園で見たアポリジニの伝説が残る奇岩・スリーシスターズとその辺りの原生林に覆いつくされた景色の美しく壮大な眺めは筆舌に尽くしがたい。ブルーマウンテンの名前の由来は、ユーカリの木から発する油分の粒子に陽光が当たり、プリズム作用を起こして青く見えるのだそうだ。オーストラリアでは森林の3/4はユーカリで覆われている。

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ゴールド
コースト
の海岸

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ブルーマウンテン
3姉妹の奇岩

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コアラ

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