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2009年6月21日 (日)

アラビアのロレンス・・・・サウジアラビアの思い出

先日、テレビの「世界史発掘・時空タイムス」という番組で、映画「アラビアのロレンス」を題材としたドキュメントが放映されていた。アラビアのロレンスに関しては、学生時代、そのような映画が上映されていたことは覚えているが、実際観たことはなかったので、興味を感じ最後まで観続けた。

実は、なぜ興味があるかと言えば、アラビアのロレンスが昔、居合わせた歴史的な現場に私も時代を隔てて訪れたことがあるからである。
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40歳の頃より約3年半の間、中近東のサウジアラビアに仕事で滞在していた。仕事というのは、サウジアラビア紅海沿岸の都市・ヤンブにある工業地帯の電化・配電プロジェクトというもので、そのプロジェクト管理の仕事であった。プロジェクトは、私の所属する会社と西ドイツのBBC社(ブラウン・ヴォバリー)とのジョイント・ベンチャーであった。

サウジアラビア滞在中は、サウジアラビア政府が外国人のために建設したプレハブ式家屋からなる居住区域があり、ひとつの村を形成していたが、その中で生活していた。

日本と違って、仕事を終わってからや休日には、飲みにいくところもないし、またこれといった行く所もなく、ましてや歴史的・文化的施設もあるわけではないので、日本人の仲間と雑談したり、休日には紅海の珊瑚礁に恵まれた美しい海で、スノーケルを付けて熱帯魚を観賞したり、貝や伊勢海老を採って食べたり、また時々は英語会話の勉強を兼ねて欧米人の家に遊びに行ったりしていた。

もうひとつの楽しみと言えば自動車での砂漠の探索があった。サウジアラビアには、大昔の居住者が残した石碑や文字を刻んだ岩などが、何ら管理されずに放置されている。それらを見て回るのが楽しみであり、まとまった休日には仲間と一緒に探索旅行に出かけた。

ある時、長期に滞在しているドイツ人から、昔、1914年の第一次世界大戦頃の鉄道の遺骸がどこそこにあると聞いたので、自動車で探索に出かけた。自動車で行くといっても、道路からはずれた脇道に入ると、いつ軟弱な砂漠に突入するかも知れないので注意が必要である。難波した時に備えて、脱出するためのロープやウインチなどを常に保有していた。ある時、砂地に入り込み、通りがかりの車に牽引してもらい脱出したことが幾度かあった。砂漠から脱出できず、炎天下の下で疲弊し亡くなった人がいるとの話も聞いたことがある。

そのような危険を伴う探索だけにそこにたどり着いた時の喜びはひとしおだった。下記の写真はアラビアのロレンスがアラブ反乱軍を支援して爆破したと言われている鉄道の機関車と駅舎の残骸を前に撮影した写真である。この鉄道については後述する。

この探索旅行の時はヤンブ(Yanbu)から内陸にある幹線道路を経て、ヨルダンとの国境であるアカバまで行った。アカバの海は限りなく青いブルーで、その美しさは今でも私の脳裏に残っている。海の彼方に、預言者モーゼがさ迷ったと言われるシナイ半島が見られたのが大変印象に残っている。

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前述の鉄道のことについてウイキペディアの資料からも参考にして説明しておきたい。
この鉄道はヒジャーズ鉄道という。

アラブの反乱(1916~1918)は第一次世界大戦中に、オスマン(トルコ)帝国からのアラブ人独立と、アラブ国家の樹立を目指して、メッカの太守(シャリーフ)・フサイン・イブン・アリーが起こした戦いである。

フサインは三国協商の側について協力することによりエジプトからペルシャまでの全域を包含するアラブ帝国建国という報奨をうけることができると確信し、オスマン帝国との戦いのため連合国側のイギリス、フランスとの同盟を結んだ。

エジプトにあったイギリス軍はこれに協力するため、1916年、俗に後年「アラビアのロレンス」として知られるトーマス・エドワード・ロレンスをアラブ軍に派遣した。ロレンスはアラブ指導者に対し、ヒジャーズ鉄道終点のメディナに拠点を構える強大はオスマン軍と戦って追い出すのではなく、その代わりにヒジャーズ鉄道を各地でゲリラ的に破壊するように指導したと言われている。

また、ロレンスはアラブ人を率いて、アカバ湾奥の港町アカバを攻撃した。アカバはアラブ反乱軍の補給港となるだけではなく、イギリス側の補給港としても重要であったからである。

このフサインが主導するアラブ諸部族は、イギリスの支援を受けてオスマン帝国軍と戦いその支配からの脱却には成功したが、世界大戦の終盤に、イギリスやフランスの利権を巡る争いから、これらの国の委託統治領となり分断され、統一国家として独立することはなく現在に至っている。また、イスラエル誕生により、アラブとイスラエルの新たな争いにも発展している。

後年、ロレンスはこのような状態を嘆いていたと言われている。
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 by 八木: http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

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サウジアラビアの地図

「私は西海岸の
ヤンブ(Yanbu)
に滞在していた」

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オスマン帝国が
建設した
ヒジャーズ鉄道の
残骸

(アラビアのロレンス
が率いるアラブ
反乱軍によって
破壊された)

写真は
私とSさん

                      

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アカバにて
(車窓からの撮影)

海の彼方に
シナイ半島が
見える

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ヒジャーズ鉄道
の路線図
(ウイキぺディアより)

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コメント

アラビアのロレンスを観ていて、SLを襲撃するシーンで、家内と「95年後の今もココ残ってんだよね。」と話しながら検索しました。貴重な写真ありがとうございます!

投稿: zakurochawan | 2011年2月28日 (月) 07時19分

サイト方訪問ありがとうございました。

投稿: やぎ | 2011年2月28日 (月) 10時05分

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