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2009年7月 1日 (水)

奈良 明日香村 散歩

JRの駅で“奈良で歩こう”というパンフレットを見つけた。中を見ると「万葉講座・・万葉線に乗って・・・」という無料の講座が奈良県立万葉文化館であるという。
近くに住んでいながら飛鳥とか明日香と言われるところへ行ったことがなかったので、これを機会に行って見ようという気持ちになり、往復はがきで申し込んでいたところ幸いに当たったので、6月某日明日香村へ向った。そして講座の前後にタクシーも利用しながら明日香村散歩を楽しんだ。

見て回ったのは、高松塚古墳、欽明天皇陵、吉備姫王墓、亀石、天武・持統天皇陵、橘寺、川原寺跡、石舞台古墳、伝飛鳥板蓋宮跡、飛鳥寺である。

・高松塚古墳は現在復元作業中であった(写真1)。隣接している高松塚壁画館で壁画の模写、出土品のレプリカなどの展示を見る。

・天武・持統天皇陵は両天皇夫妻の合同墳。天武天皇は土葬で、棺は朱塗り、持統天皇は火葬で、骨壷は銀製という豪華さだったとされる(写真2)。

・橘寺は聖徳太子生誕の地と言われており、太子創建七寺のひとつである。境内には善悪2つの顔を持つ二面石があった(写真3)。

・石舞台古墳は蘇我馬子の墓だと言われている。この時代にこのような巨石を積み上げた古墳が築かれたことは驚きだ。石室の中に入ると一層その大きさに圧倒される(写真4)。

伝飛鳥板蓋宮跡は有名な大化改新の舞台であったという説が有力である。それまでの宮が茅葺であったのに対し、板葺きであったことからこの名がついているという(写真5)。

・飛鳥寺は蘇我馬子が建立した我が国初の大寺院である。

散歩後、万葉文化館で万葉講座を聴く。6名のこの道の専門家による講座で、物部氏に係わる話、歌によまれた飛鳥・藤原の話、香具山の話、など、約400名の参加者が熱心に耳を傾けていた。万葉集など殆ど知らないし、古文などの知識に乏しい私であるが、むつかしいながらも、素人向けにわかりやすく話してくれる話に惹き入れられた。

講師の一人、井上さやか氏(万葉古代学研究所主任研究員)が説明してくれた次の歌は、今でもありそうなやりとりであり、ユーモアたっぷりで人間性を感じさせる歌であると思った。当時の、そのような出来事があったであろう光景に思いを馳せた。
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天武天皇が妻の一人である藤原夫人(ふじわらのぶにん)とからかいの歌を
交わしたもの。

「我が里に 大雪降れり 大原の古りしに里に 降らまくは後」
(我が里には雪が降ったよ。あなたのいる大原の古ぼけた里には
                            後で降るだろうけれど)

「我が岡の おかみに言ひて 降らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ」
(何をおっしゃるの!私のいる大原の岡の竜神に頼んで降らせた雪のあまりが、
                     そっちに降ったのじゃないかしら?)
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また、明日香宮から藤原宮に都が移った後に、志貴皇子が作った悲しみを
誘う歌があり、しみじみとさせられた。

「采女の 袖吹き返す 明日香風 京を遠み いたずらに吹く」
(采女たちの袖を吹き返していた明日香風・・・・。
                  都が遠くなった今は、むなしく吹いている)

by 八木: http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

Simg_1209

写真1:

復元中の
高松塚古墳

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写真2:

天武・持統天皇陵

Simg_3437

写真3:

橘寺
(聖徳太子
 生誕の地)

Simg_1243

写真4:

石舞台古墳
(蘇我馬子の墓
 だと言われている)

Simg_1251

写真5:

伝飛鳥板蓋宮跡
(大化改新の舞台
 であった)

Simg_1255 

写真6:

奈良県立
万葉文化館
での
万葉講座

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