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2009年8月

2009年8月30日 (日)

某企業の経営改善

大阪商工会議所の経営相談員をしていた当時からお付き合い頂いている企業がある。大正元年の創業で、従業員40名程度の老舗企業である。

同社も昨年末以降、金融危機の影響を受け、雇用調整助成金の支給を受けながら何とか雇用を維持し、大変経営に苦労されている。社長さんは皆の意見を聞きながら、それらを経営の中に生かすタイプで、いわゆるワンマンでなく、社員との一体感の維持に努められている方である。

2ヶ月程前から社長さんと色々と話し合って来た。・・・今後、会社の改善をどのように進めればよいか、従業員の方にやる気を出してもらうにはどうしたらよいか、新製品開発をどのように進めればよいか、などなど。

そうした中、一度、従業員の方が日常、会社生活をどのようにとらえているかを調査しようということになり、先日アンケート調査を実施した。

アンケート調査の結果を見ると、会社の現在の状態がそれほど良くないという状況にもかかわらず、会社との一体感、会社を良くして行きたいという向上意欲が見て取れた。これはやはり社長さんの人間性によるものだと感じた。

このような職場の雰囲気を持った会社であれば、何とかなると感じ、今後、改善の進めかたについて助言していく予定である。

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驕れるものは久しからず

今日の衆議院選挙投票日を前にして、民主党が圧倒的に勝利するだろうと報じられている。自民党の大敗は、まさに驕れるもの久しからずといった感じがする。一度、政権交代により、民主党を主体とした政権により、閉塞した世の中の悪い動きを断ち切ってもらいたいものだ。

戦後の政治を担ってきた自民党政権は、初期の頃は敗戦後の廃墟からこの国を建て直し、それなりに日本の発展に尽くして来たかもしれない。しかし、その後、長期安定政権の上に胡坐をかき、特に最近は、日本の将来への展望を描こうとする意欲に欠け、短期的な自己保身にうつつをぬかし、雇用、医療、介護、教育、社会福祉、など、どれを見ても、惨憺たる状態にしてしまった。行政のムダも多い。ムダな外部機関をつくり、天下りを容認し、我々から集めた税金をゴミ箱に捨て去った。我々選挙民にもこのような政党を政権党に選んだ責任がある。

さて、今日の投票のことであるが、私は既に投票を済ませた。どうせ一人くらい投票しても世の中は変わらないと思わずに、特に若い方は選挙に行くべきである。一人ひとりの投票は確実に世の中を変える。どこに投票するかは個人の自由であるが、今の世の中をこのようにしたのは誰かを考えて見れば、自ずと投票先は決まる。

もっとも私も民主党が全て良いとは思わない。O氏による院政的な影響力を排除し、より民主的な体制に脱皮すればもっと良くなるであろう。またH県において他党の似非改革主義者としか思われない人物を推薦したりして、理解に苦しむところもある。しかしそのようなことは抜きにして、全体としては大きな問題ではない。今後の政治を、民主党、社民党、国民新党による連立政権に委ね、長期的な観点で日本の将来を考えて欲しいものだ。

たいものだ。

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2009年8月16日 (日)

女性診断士の会「ピザの会」がビジネスプランコンテストを開催 

大阪に「ピザの会」という、大阪を中心として活動している女性だけの中小企業診断士の会がある。この会の代表者は、北口祐規子さん。私の中小企業診断士仲間である。

3aefb568s_3 ピザの会は、働く女性・起業家を応援することを主な目的として、女性の診断士の視点で企業経営の相談や創業や新事業を支援しているユニークな会だ。今まで、数多くの女性起業家を世の中に送り出すこと、などにより社会に貢献している。その活動は広く認められ、読売新聞を始めとして多くのメディアでも紹介されている。

さて、ピザの会では、2005年から毎年1回、ビジネスコンテストを開催しており、創業や新規事業のプランの応募を募っているが、今年も募集中である。

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同会による今回の案内状を見ると、コンテストのコンセプトは、「おんなが選ぶ、みんなが選ぶ」、「審査員は全員女性の中小企業診断士、応募者自身が審査員としても参加!」とあり、起業を目指す人、新たな事業を志す人に、男女は問わず、応募を呼びかけている。

そして女性コンサルタントの視点で評価し、優秀プランには、賞金と一年間の事業化相談・支援を行うとしている。応募資格は、関西在住、もしくは関西での起業や新事業への進出を目指す個人・法人で、応募期間は8月1日~9月20日である。

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このような女性を主体としたビジネスプランコンテストは少ないように思えるので、新しく事業を始めたいと思っている方は、是非一度、参加してみてはとお薦めする。毎年、開催されるので今年は無理でも来年は、という方も是非、一度見ておかれるのもよいだろう。

応募に関する詳しい内容については、次の案内文をご覧下さい。 案内文

ピザの会については、ここをクリック 

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2009年8月14日 (金)

紀行・・・明日香村・豊浦寺跡

先に藤原京跡を訪れた後、万葉文化館へ行こうとタクシーに乗って、運転手さんと色々と話をしていると、明日香に来た時には必見のところがあるというので連れて行ってもらった先が豊浦寺跡(とゆらでらあと)である。この運転手さんは脱サラして今の仕事をされているということで考古学を趣味としており、歴史上興味深いことを沢山教えてくれた。

さて、豊浦寺。現在は向原寺(こうげんじ)という。
552年(欽明天皇13年)百済の聖明王が朝廷に献上した金銅の釈迦像(日本初渡来の仏像)を蘇我稲目(そがのいなめ)が賜って向原の自宅に持ち帰り、自宅を浄めて寺としたのが日本最初の寺とされている。

しかしその後疫病が流行した時、災害は仏教崇拝によるという理由で、仏像は、廃仏派である物部氏により難波(なんば)の堀江に捨てられ、寺は焼却されたという。後、再興され、豊浦寺の前身となった。因みにこの堀江は寺の直ぐ横にある。

ところで、この辺りは推古天皇の宮殿があったと伝えられ豊浦宮跡ともいわれている。

そして前述の仏像は、その後長野県の善光寺に祀られたという善光寺縁起として語り継がれている。仏教伝来が538年と歴史の授業で教えられたが、その後、蘇我氏と物部氏の仏教信仰を巡る争いなどを経て、仏教文化が繁栄していく様子が窺え、興味深く感じた。

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さて、万葉文化館での話であるが、上野誠先生の「歌木簡は語る」というお話を聞いた。
話の内容は、歌を刻んだ木簡が多く発見されているが、木簡は何のために作られたのであろうか?ということについて、万葉集や日本書紀の話を交えながら面白おかしく話して頂いた。結論的には、何かの儀式があった時、聴衆が一緒に歌うために、歌の内容を詳しく知らない人々にも知らしめるため、会場のどこかに掛けておく歌詞カードであったのではなかろうか、というのが上野先生の説明であった。

古代の人々の文化的?な側面が思い浮かび、古代へのロマンを感じる一日であった。

Simg_1652

豊浦寺
(向原寺)

Simg_1656

物部氏により
仏像が捨て
られた池
(難波の堀江)

Simg_1655

難波堀江
の由来を
記してある





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2009年8月13日 (木)

紀行・・・藤原京と大和三山

8月8日藤原京を訪れた。
近鉄線・八木西口で下車し、徒歩で藤原京へ。

藤原京は、唐の長安を模倣して造られたと言われている。当時は天皇が変わるたびに宮殿も転々としたが、壬申の乱後確立した律令国家体制を堅持するために永久的なものにしようという要求から、天武天皇の意思を引き継いだ奥さんである持統天皇(女帝)によって建設された。そして持統、文武、元明天皇三代に亘る都であった。

藤原京跡は、現在、大極殿(天皇が政治や儀式を行ったところ)の礎石しか残っていないが、5.3キロ四方の規模の都市で、大和三山(北に耳成山、東に天香具山、西に畝傍山)を内に含み、後に建設された平城京や平安京をしのぐ規模であったという。

大極殿から見た大和三山の姿であるが、北にある耳成山は辺りの森に隠れ、僅かに頂上が見える程度であったが、天香具山、畝傍山は辺りに遮るものは何もなく、美しい山容が鑑賞できた。下の写真は大極殿から見た天香具山である。

明日香地域は歴史的な景観を維持するための条例が敷かれているので、高い建築物や広告塔などの俗っぽいものがなく、昔にタイムスリップしたような思いにさせてくれるのがありがたい。

持統天皇が詠んだ有名な歌が思い出された。

「春過ぎて 夏来にけらし 白たへの 衣ほすてふ 天の香具山」

香具山の緑の木々の中に夏着の白さを見つけて、初夏の訪れに感動している様子が窺える。
 

by 八木: http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

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藤原京跡
大極殿脇に
立つ宮内庁の
説明文

Simg_1642

藤原京跡
大極殿
に立つ
碑文

Simg_1643

藤原京跡から
天の香具山
を望む

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2009年8月12日 (水)

家族の絆について

一度訪れた町は何となく愛着を感じるものである。つい先月訪れた広島県・尾道に関する新聞記事が目に留まった。その記事は往年の名作である映画「東京物語」について描かれていた。

この「東京物語」は1953年(昭和28年)に制作された松竹映画で、小津安二郎監督、笠智衆主演の日本映画である。その後、テレビドラマとして何度か放映されたらしいが、私は観たことがなかった。新聞記事を読んだ後、映画そのものを観たいという衝動に駆られ、近くのツタヤでCDを借りて観た。

物語は、今のうちに成長した子供達(5人の息子・娘を持つ)に会っておこうと、広島・尾道から東京を訪れる年老いた夫婦(笠智衆、東山千栄子が演じる)と、忙しさのためか、それを快く思わない子供達を通して、家族の絆、親と子供、老いと死、人間の儚い一生、を冷徹な視線で描いた作品である。

現代における核家族化や高齢化社会における家族の絆、といった問題を先取りしたようなテーマであると、ある映画評論誌は述べているTokyo_monogatari_poster_2_2が、私もそのように思えた。最近、SNSでも家族の絆に触れられている方がおられたことも、この映画を観てみたいと言う私の気持ちを後押ししてくれた。

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場面は戦後間もない、まだ日本が貧しい時代である。さて東京へ出てきた老夫婦であったが、長男も長女も毎日忙しく両親をかまってやれない。

寂しい思いをする二人を気遣って慰めてくれたのが戦死した次男の嫁の紀子(原節子が演じる)であった。

尾道に帰った母は脳出血で倒れて間もなく亡くなる。葬儀のためやって来た実の子達は形見分けのことまで口にしてあわただしく帰って行き、次男の嫁だけが数日間、舅のもとに残った。

また、次女で一番若く、独身で、尾道で小学校の先生をしている京子(香川京子が演じる)は自分本位に考える兄や姉に対して怒りを感じるが、兄嫁の紀子には親しみを感じる。

その嫁も今日は東京へ帰るという朝の場面がこの映画のクライマックスであり、次のような舅と嫁の会話が続く・・・・・・・

「次男のことなどは忘れてもらっていい。縁があったらお嫁にいっておくれ」と舅が告げる。

「自分を買いかぶらないでほしい」と嫁が言う。「買いかぶっとりゃせんよ」と舅が言う。
「いいえ。わたくし、そんなおっしゃるほどのいい人間じゃありません」「いや、そんなこたあない」「いいえ、そうなんです。あたくし、ずるいんです」と二人の会話が続く。

嫁は、夫のことばかり考えてるわけじゃない、忘れている日もあると言い、「わたくし、ずるいんです」と三度繰り返す。そして、一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとても寂しい、どこか心の隅で何かを待っている、という本心を吐露したあと、

笠が演じる舅が「ええんじゃよ、それで・・・やっぱりあんたはええ人じゃよ、正直で・・・」 と述べ、嫁を案じるくだりが胸を打つ。
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この映画は小津映画の集大成とも言える作品で、日本映画の最高傑作とも言われているし、海外でも高く評価されている。細やかな人間描写が、モノクロ画面の中で一層生かされており、主演の笠智衆を始めとして、原節子、香川京子、東山千栄子等の俳優人の演技は素晴らしい。

そして、この映画は、文明の進化と共に、家族が一緒に生活する基盤が狭まり、家族の繋がりが希薄化する方向にある現代を憂えている。だからそのようにならないように努力・工夫しなければならないと警鐘を発している様に思えるのだ。当時と比べて核家族化が進行しつつある現在の世の中においては、一層このことの重要性が感じられる。

by 八木: http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

Tokyo_monogatari_poster_3

 

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