紀行・・・藤原京と大和三山
8月8日藤原京を訪れた。
近鉄線・八木西口で下車し、徒歩で藤原京へ。
藤原京は、唐の長安を模倣して造られたと言われている。当時は天皇が変わるたびに宮殿も転々としたが、壬申の乱後確立した律令国家体制を堅持するために永久的なものにしようという要求から、天武天皇の意思を引き継いだ奥さんである持統天皇(女帝)によって建設された。そして持統、文武、元明天皇三代に亘る都であった。
藤原京跡は、現在、大極殿(天皇が政治や儀式を行ったところ)の礎石しか残っていないが、5.3キロ四方の規模の都市で、大和三山(北に耳成山、東に天香具山、西に畝傍山)を内に含み、後に建設された平城京や平安京をしのぐ規模であったという。
大極殿から見た大和三山の姿であるが、北にある耳成山は辺りの森に隠れ、僅かに頂上が見える程度であったが、天香具山、畝傍山は辺りに遮るものは何もなく、美しい山容が鑑賞できた。下の写真は大極殿から見た天香具山である。
明日香地域は歴史的な景観を維持するための条例が敷かれているので、高い建築物や広告塔などの俗っぽいものがなく、昔にタイムスリップしたような思いにさせてくれるのがありがたい。
持統天皇が詠んだ有名な歌が思い出された。
「春過ぎて 夏来にけらし 白たへの 衣ほすてふ 天の香具山」
香具山の緑の木々の中に夏着の白さを見つけて、初夏の訪れに感動している様子が窺える。
by 八木: http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/
藤原京跡
大極殿
に立つ
碑文
藤原京跡から
天の香具山
を望む
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