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2009年9月

2009年9月29日 (火)

大和三山万葉ウオーク

万葉文化館主催の万葉ウオークに家内と一緒に参加(9月23日)。近鉄・大和八木に集合。一行約40名。講師は万葉古代学研究所主任研究員の井上さやか さんとガイドであるご夫婦の案内で秋のひと時を楽しむ。

我々はこのウオークには始めての参加であったが、毎年1回、この時期に行われているそうだ。そしてルートは、なかなか立ち寄ることの少ないところを結んだルートで、観光ルートからは外れている。

まずは耳成山へ。耳成山は大和三山では、139mと最も低い山である。もとはもっと高い山であったが、盆地の陥没で沈下し、山の頭部が地上に残された単調な円錐形で、人の顔にたとえれば耳がないような山なので耳無山→耳成山といわれるようになったそうだ。

麓に詠み人知らずの歌碑があるのを見て横大路(伊勢街道)を東へ向うと三輪神社があった。境内には、江戸時代、御蔭まいりの時、多くの人々の目印になった大欅(けやき)があった。現在はご神木として地域の人に崇められている。

そこを出て吉備池へ。吉備池の堤に大津皇子と大伯皇女の歌碑があった。ここからは大和三山の香具山、畝傍山、耳成山が一望でき、美しい眺めだ。辺りには彼岸花が沢山咲いており、のどかな気分にさせられた。

(大津の皇子の歌:皇子が謀反の疑いをかけられ死刑に処せられる時に詠んだ歌)

「ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」
 (百に伝う磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日を限りとして、私は雲の彼方に去るのだろうか)

この後、安部寺跡→磐余の道→安部文殊院→土舞台を経て、桜井駅へ。桜井駅に至るまでに、「桜の井」という桜井の名の由来となっている井戸があった。

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写真上から

・耳成山登山口
・三輪神社
・大津の皇子の歌碑
(吉備池の堤にある。遠方に見えるのは畝傍山)

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万葉恋歌・・・ああ、君待つと・・・新井満

今年に入って原始・古代文化への憧憬の念が強くなり、奈良県の明日香地方には幾度が足を運んだ。昨日の9月27日(日)にも奈良県の県立万葉文化館が主催する「万葉のこころを未来へ」というシンポジウムが、大阪厚生年金会館芸術ホールで開催されたので参加した。

このシンポジウムは、昨年から平城遷都1300年にあたる2010度にかけて全国主要8都市で開催されており、2009年は、大伴家持が日本最古の歌集「万葉集」の最終歌を詠んでから1250年を迎えるので、これを機に、万葉集に焦点をあてた事業を展開することにしているそうだ。

今回のシンポジウムの出席者は、奈良県立万葉文化館長・中西進氏、作家、作詞、作曲家・新井満氏、大阪大学総長・哲学者・鷲田清一氏、華道家・池坊由紀氏、国立国際美術館長・建畠氏の面々であり、約4時間に亘って感動的な話を聴かせて頂いた。

シンポジウムでは、中西進氏によるプレゼンターションの後、新井満氏と鷲田氏が講演されたがその内容は示唆に富み、感動的なものであった。その後パネルディスカッションが行われた。

新井満氏は皆様ご存知の様に、小説家としては芥川賞作家であり、最近では「千と風になって」を作詞・作曲された方である。本シンポジウムでは、万葉集の和歌にメロディーを付けて自ら歌唱したCD「万葉恋歌 ああ、君待つと」が生まれた経緯を、面白おかしく話された上、実際に歌唱された。この歌は歌手の小林幸子さんが、自分も歌いたいと名乗り出て、今巷で話題になっているそうだ。当日、新井満さんのCDが会場で販売されていたので買い求めた(下記の写真)。

Simg_1800 さて、この万葉恋歌の生まれた経緯であるが、中西進氏から、万葉集の和歌にメロディーを付けて、一つの楽曲を作って欲しいという依頼であった。

新井さんは万葉集など読んだことがなく、最初はこの依頼に当惑したという。

そこで3ヶ月かけて4500首もある万葉集を何とか読み通したという。そして未来へ伝えるべき万葉のこころとは、一体何なのだろう?と自問した結果、「それは多分愛のこころではないか」と自答した。そこで新曲のテーマを“愛の歌”とし、しかも女流作家の和歌のみで歌詞を構成することにした。

そして4500首の中から3ヶ月かけて最終的に5首を選んだ。その内訳は額田王が1首、磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)が3種、播磨娘子が1首である。5首の和歌は、それぞれ独立していて関係性はない。これらの5首の和歌を5枚の白いカードに書き写し、それを様々な順番で並べては崩し、また並べ直すということを繰り返すうちに、ある配列に出会った。やがてそこからひとつの情景が浮かび上がってきた。それは、来てくれない恋人をひたすら待ち続ける女性の切ない横顔であった。そしてこのストーリーに作曲をほどこしたという。心がけたのは、万葉集の原文をできるかぎり忠実に生かすことだったという。

実際、新井さんはこの万葉歌を会場で歌って見せられたが、歌の上手さは言うまでもなく、万葉人のこころが1250年の時空を超えて伝わってくるように思われ、大変感動的であった。辺りを見回すと涙ぐんでいる方もおられた。この曲は、小林幸子版としても発売されているそうなので、後ほどこれも買い求める予定である。

歌詞の最初の部分は次のようである。
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ああ 君待つと わが恋ひをれば
わがやどのすだれ すだれうごかし
秋のかぜ吹く

ああ 君が行き けながくなりぬ
山たづねたづね むかえか行かむ
待ちにか待たむ

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中西進氏は、この歌に対して次のようなコメントをされているが、
我々日本人の心の本質を見事に表現されている。
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人を愛することとは、待つことだ。しかも白髪になるまで待つことだと作者は訴える。
欧米人の愛はどうだろう。出かけていったり、好きだ、好きだを連発するのではないか。

ところが日本人は「待つ」ことが愛だという。なぜなら愛は、その中で次第に濃縮され、
抑制されればされるほど蓄えられる力が大きくなる。この歌の中で「待つ、待つ」と
歌われるたびに、われわれに愛の激しさが伝わってくるのもそのせいである。

実は何にせよ、この抑止することで内容を濃くする方法は、日本人の得意技であった。
お能の動作もそうだ。お茶の仕草も同じ。柔道は相手の力を利用して勝つ。
仕方なく待つのではない。自分の愛を確実にするために待つのである。

ご参考:万葉集のサイトがあります。

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2009年9月28日 (月)

巨人軍における世代交代

人間誰しも、会社の経営者とか、野球の監督とか、政党の領袖となった場合、自らその地位を維持している期間中は、得てして長期的でなく、短期的な考えで物事をおし進める傾向にある。何故ならば彼等は早く成果を早く出すことを求められることが多いからである。これは経済合理性の観点から効率性を求められるからであるとも言える。

短期的な観点と長期的な観点のどちらが重要かということであるが、両者どちらも必要であるにせよ、長期的な観点がより重要であることはいうまでもない。

今年のプロ野球界は、クライマックスシリーズを考えなければならないが、年間を通じた真の成績で見る限り、セでは巨人が優勝し、パでは日本ハムが優勝する見込みである。今回、この両チームとも、長期的な選手の育成が上手く花開いたとも言える実例を示してくれている。

アンチ巨人の私であるが、原監督の下で素晴らしいチームに変身したことを認めざるを得ない。原監督はベテラン選手と若手選手の組合せを上手く行い、調和のとれたチームに成長させた。坂本、亀井、山口、越智などの若手選手を我慢強く起用し、長期的なチームつくりに徹し、彼等の才能を見事に開花させた。従来のベテラン選手だけを使ったり、他球団の看板選手を金の力にものを言わせて集める巨人流の短期的なチーム強化策は姿を消した。

日本ハムや楽天イーグルス、昨年のチャンピオンチーム西武ライオンズなどについても、同じように若手を長期的な観点で育て上げた結果として、チームの躍進があるものと思われる。一方、阪神やオリックスなどは、若手の成長があまり見られず、世代交代に失敗した例として挙げられるであろう。その結果、チームは低迷している。

企業や政治の場も同じことが言える。若手の出る幕がなく、長老が実権を握っているところは、成長が鈍る。長老は裏方に徹し、若手に門戸を開かなければならない。自民党や古い体質の企業の低迷を見るにつけ、世代交代の必要性を切に感じるこの頃である。

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企業再生と国の再生

先日、企業の経営相談の仕事をしている仲間であるAさんとお酒を飲みながら話をしていると、企業再生というのは、成功する確率というのは10%程度か、それ以下だという。Aさんは、税理士でもあるが、企業再生の専門家である。現在、公認会計士の方と一緒に銀行からの依頼で、幾つかの企業再生の仕事をされている。Aさんと、立ち直れる企業とは?に関して話をしていて時間の経つのも忘れた。

Aさんと合意に至ったのは、やはり立ち直れる企業というのは、まず第1に、核となる技術やノウハウがあり、それを支える“やる気”のある人材が存在すること、第2に企業の理念がしっかりとしていること、である。企業の理念は中小企業であれば経営者が持つ理念とも言える。これらが欠如しておれば致命的であり、幾ら再生のためにお金を投入しても無駄であるということだ。このことについては“言わずもがな”と言われる内容であるが、実際にはこれらが揃っている企業は意外と少ない。財務上、経営がうまくいっていると思われる大企業でも然りである。

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政治の世界では民主党政権による日本国の再生が始まっている。この10数年間に自民党政権によってもたらされた潤いのない社会、市場原理主義の行き過ぎによってもたらされた絆のない、連帯感のない社会を何とか回復させて欲しいものだ。

企業再生に例えた場合、日本は有史以来、緻密なものづくりの精神や自然と協調し、自然を愛する民族として、自らはそれらを意識しないが、世界的に見れば、他国が模倣できない核となる技術やノウハウ、感性、などを保有して来た。中国やインドの台頭が最近、盛んに協調されているが、何も大きいことが全てよいことではない。日本としては、小さくても威光を放つ小さなダイヤモンドの様な存在でもいいわけである。このような潜在的な能力を我々は持っているのだ。

一方、企業理念に喩えられる国家としての理念は、経済は一流だが政治は3流といわれる様に、誠に淋しく思われる程度のものしか保有していない。国家としての理念は、政治家の理念と言っても同じだ。世界の中で、特に目立たなくてもよい。国が進むべきビジョンを描き、国民が普通の生活を享受でき、かつ世界に対しても何らかの貢献(例:環境保護技術などの提供)をできるような国にして欲しいものだ。我が国の再生は民主党政権の双肩にかかっている。

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2009年9月10日 (木)

石見銀山紀行

8月半ば、世界遺産となった石見銀山を訪れた。ガイドさんの話しによると、世界遺産に登録された直後の熱気は一段落し、観光客で溢れるということにはなっていないらしい。私が訪れた時もそうだった。

石見銀山は戦国時代から江戸中期にかけて日本最大の銀山として栄えた。最盛期は江戸時代初期で、年間150~200トンの銀を産出したという。石見銀山の注目すべき点は灰吹法という原始的な精錬法で驚くべき生産高を上げたこと、採掘の技術者集団や精錬に使う鉛、燃料の木材、交通ルートなど、鉱山を持続的に運営する条件が整っていたこと、等が挙げられる。これらのことが高品質の銀を大量に生産・輸出できた大きな理由である。

石見銀山を巡っては、日本国内では、戦国時代、大内氏、尼子氏、毛利氏、豊臣秀吉による熾烈な争いが繰り広げられた。また、徳川家康が天下を取ってからは、いち早く幕府直轄地とし、銀山奉行(大久保長安)を派遣した。

世界史的に見ても、石見銀山の名は、大航海時代には世界に知れ渡り、当時のポルトガルの地図にもその名が載っている。また、かの有名なフランシスコ・ザビエルが手紙に「スペイン人が日本を銀の島・ジパングと呼んでいると記している。そして、多くの銀が明を経由して陸路ヨーロッパへ、あるいは海路で渡ったと言われる。

その他にも石見銀山にまつわる興味深い話がある。関が原の戦い後の大阪冬の陣では、徳川家康が石見銀山の堀子を使って地下道を掘り、難航不落の大阪城を地下から攻めたとか、大阪城の地下水を遮断したとか言われている。

また、ガイドさんが、ポルトガル人による種子島の鉄砲伝来に関連して、実は彼等は銀を求めて日本にやって来た途中、遭難し種子島に上陸した、と説明していたが、私もさもありなんと思った。そして若しこれがスペインであったなら、日本の運命は変わっていたかも知れない言っていたが、スペインによるインカ文明の破壊などを考えると、歴史の仮説とは言え、真実性も少しあるようにも思われた。

鉱山を支える住宅地域「大森地区」については、当日は商店街の休業日で、人通りはまばらだった。街の景観を維持するための色々な配慮が工夫されており、下記の写真にあるような木製の自動販売機が目に付いた。

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石見銀山
初代奉行・
大久保長安
の墓

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龍源寺
間歩

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大森区
にある
自動販売機:

街並み景観
に配慮して
いる

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2009年9月 7日 (月)

久しぶりのゴルフ

先週、学生時代の友人二人と久しぶりのゴルフを宝塚にあるゴルフ場で楽しむ。数年前の同窓会の席上、時々集まって情報交換をしようということになり、ゴルフ技術の維持も兼ねて行っている。プレー後は、友人の一人Oさんが学生時代からよく利用したという宝塚駅近くの飲み屋で、色んなことについて議論をするのが楽しみだ。仕事の話は余りしないが、日常生活で発生した色んな話題の提供とか、健康や趣味についての話である。

先週のゴルフでは我々のグループの前に韓国のトッププレーヤー・女子プロの李知姫さんが、友達二人を連れてゴルフを楽しんでいた。彼女らの華麗なゴルフスイングを見ながらのゴルフは大変参考になった。因みに李知姫さんにサインをもらおうと思ったがあいにくサインペンを持ち合わせていなかった。残念だ。

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2009年9月 6日 (日)

メッキ業界におけるユニークな会社「エビナ電化工業」

先日、テレビ番組「カンブリア宮殿」を観ると、東京大田区にあるエビナ電化工業という会社が取り挙げられていた。

この会社はメッキを業務とする会社で、ナノレベルの高精度薄膜技術を誇っている。そして他社がやらない難しい仕事を積極的に引き受けているという。

社員は約100名。メッキ会社であるというのに、従業員の6割は女性だ。社長の海老名氏の話によれば10年程前から優秀な女性を採用することを会社の方針にしているという。

というのは、優秀な男子は大企業に取られてしまうので、同社としては優秀な女性を採用しているのだという。そのため女性の給与は世間相場より高くしている。

最近では結婚して夫の職場が他府県にあるので勤務上無理でやめていく女性社員を引き止めるため、女性社員の給与を引き上げているとも言っておられた。その場合、彼女の夫は同社近くの会社に勤めることに変更するのだという。

また、同社は研究開発に力を入れているが、彼女達の仕事は、男性よりは相対的に緻密であるという。緻密さやl細やかさについては一般的にそのような傾向があるので、私も同感だ。

同社では女性が多いため、社内の化粧室や娯楽室など、女性重視の職場環境にするためにかなり投資し、女性が働きやすい環境をつくることを心がけておられる。

番組では、若い女性が仲良く協力して活き活きと働いている様子が映し出されていた。人材不足気味な中小企業における女性の積極的な登用という意味で、今後、参考となる事例であると思った。

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旅を通じての友人

以前は団体旅行に参加すると、まず自己紹介から始まるので、お互いの名前やどこに住んで、どんなことをしている人かがわかり、気心が知れた人と容易に親しくなれる機会が自然とできた。

しかし、近年は個人情報保護法というものができたため、旅行社の方で参加者の名簿を作ってあっても、参加者には配付しない。従って団体旅行とはいっても、お互いの名前を名乗らない限り、知人の関係にはならない。寂しい限りだ。単に同じ交通手段を使い、ガイドさんの後についていく集団で、そこには同じ旅行を楽しんでいる者とは違う雰囲気がある。

個人情報保護法にも良い面と悪い面がある。名簿などを無統制に発行しないことは個人のプライバシーの侵害を防ぐことにはなるが、反面、自由な人間関係の成立を阻害することにもつながる。ビジネスにおいてもプライバシーマークといった法律がもう何年も前からできていて、その取得のために企業は大層多くの時間を費やしているが、顧客情報の漏洩を防止するといったような良い面がある反面、法を守るための業務ルールを新たに決めるなど、無駄な業務が発生することで、企業の生産性を悪化させている。この種の法律の行き過ぎた実施には私は反対だ。

ところで、このような最近の旅ではあるが、何日か旅を一緒にしていると、自然と親しくなる人が出てくるものだ。そのような時は、我々夫婦は努めて、名前を名乗り、お互い関心のあることについて気楽に話をするようにしている。

そのお蔭で、今年、旅行で知り合った幾組かのご夫婦の方と情報交換をさせてもらっている。先日も突然、今年始め、ご一緒した堺市のご夫婦の訪問を受け、楽しい思い出話に耽った。

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