今年に入って原始・古代文化への憧憬の念が強くなり、奈良県の明日香地方には幾度が足を運んだ。昨日の9月27日(日)にも奈良県の県立万葉文化館が主催する「万葉のこころを未来へ」というシンポジウムが、大阪厚生年金会館芸術ホールで開催されたので参加した。
このシンポジウムは、昨年から平城遷都1300年にあたる2010度にかけて全国主要8都市で開催されており、2009年は、大伴家持が日本最古の歌集「万葉集」の最終歌を詠んでから1250年を迎えるので、これを機に、万葉集に焦点をあてた事業を展開することにしているそうだ。
今回のシンポジウムの出席者は、奈良県立万葉文化館長・中西進氏、作家、作詞、作曲家・新井満氏、大阪大学総長・哲学者・鷲田清一氏、華道家・池坊由紀氏、国立国際美術館長・建畠氏の面々であり、約4時間に亘って感動的な話を聴かせて頂いた。
シンポジウムでは、中西進氏によるプレゼンターションの後、新井満氏と鷲田氏が講演されたがその内容は示唆に富み、感動的なものであった。その後パネルディスカッションが行われた。
新井満氏は皆様ご存知の様に、小説家としては芥川賞作家であり、最近では「千と風になって」を作詞・作曲された方である。本シンポジウムでは、万葉集の和歌にメロディーを付けて自ら歌唱したCD「万葉恋歌 ああ、君待つと」が生まれた経緯を、面白おかしく話された上、実際に歌唱された。この歌は歌手の小林幸子さんが、自分も歌いたいと名乗り出て、今巷で話題になっているそうだ。当日、新井満さんのCDが会場で販売されていたので買い求めた(下記の写真)。
さて、この万葉恋歌の生まれた経緯であるが、中西進氏から、万葉集の和歌にメロディーを付けて、一つの楽曲を作って欲しいという依頼であった。
新井さんは万葉集など読んだことがなく、最初はこの依頼に当惑したという。
そこで3ヶ月かけて4500首もある万葉集を何とか読み通したという。そして未来へ伝えるべき万葉のこころとは、一体何なのだろう?と自問した結果、「それは多分愛のこころではないか」と自答した。そこで新曲のテーマを“愛の歌”とし、しかも女流作家の和歌のみで歌詞を構成することにした。
そして4500首の中から3ヶ月かけて最終的に5首を選んだ。その内訳は額田王が1首、磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)が3種、播磨娘子が1首である。5首の和歌は、それぞれ独立していて関係性はない。これらの5首の和歌を5枚の白いカードに書き写し、それを様々な順番で並べては崩し、また並べ直すということを繰り返すうちに、ある配列に出会った。やがてそこからひとつの情景が浮かび上がってきた。それは、来てくれない恋人をひたすら待ち続ける女性の切ない横顔であった。そしてこのストーリーに作曲をほどこしたという。心がけたのは、万葉集の原文をできるかぎり忠実に生かすことだったという。
実際、新井さんはこの万葉歌を会場で歌って見せられたが、歌の上手さは言うまでもなく、万葉人のこころが1250年の時空を超えて伝わってくるように思われ、大変感動的であった。辺りを見回すと涙ぐんでいる方もおられた。この曲は、小林幸子版としても発売されているそうなので、後ほどこれも買い求める予定である。
歌詞の最初の部分は次のようである。
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ああ 君待つと わが恋ひをれば
わがやどのすだれ すだれうごかし
秋のかぜ吹く
ああ 君が行き けながくなりぬ
山たづねたづね むかえか行かむ
待ちにか待たむ
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中西進氏は、この歌に対して次のようなコメントをされているが、
我々日本人の心の本質を見事に表現されている。
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人を愛することとは、待つことだ。しかも白髪になるまで待つことだと作者は訴える。
欧米人の愛はどうだろう。出かけていったり、好きだ、好きだを連発するのではないか。
ところが日本人は「待つ」ことが愛だという。なぜなら愛は、その中で次第に濃縮され、
抑制されればされるほど蓄えられる力が大きくなる。この歌の中で「待つ、待つ」と
歌われるたびに、われわれに愛の激しさが伝わってくるのもそのせいである。
実は何にせよ、この抑止することで内容を濃くする方法は、日本人の得意技であった。
お能の動作もそうだ。お茶の仕草も同じ。柔道は相手の力を利用して勝つ。
仕方なく待つのではない。自分の愛を確実にするために待つのである。
ご参考:万葉集のサイトがあります。
by 八木: http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/
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