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2009年11月 3日 (火)

トルコの思い出・親しく接してくれたトルコの人々

10月初め、トルコを旅した。イスタンブールよりスタートし、トロイの遺跡、エフェソス遺跡、パムッカレ、コンヤ、カッパドキア、アンカラを経て再びイスタンブールに戻るルートであった。その旅程を通じて感じたのはトルコの人たちの親日的な態度であった。旅行前からトルコが親日的であることは話に聞いていたが、トルコに来て見てそれを肌で感じた。

通常、私は旅行を終えた時、紀行から書くことにしているが、今回は先ずトルコと日本の友好的な関係と、つかの間のトルコ訪問であったが、旅行中快く接してくれたトルコの人々との触れ合いの一部を写真によって残しておきたい。

それでは、日本とトルコとの間には、どのような関係があって、トルコの人たちが日本を好いてくれるのであろうと思い、調べて見ると何人もの方が日本とトルコのそのような友好的な関係について触れられている。その中で、日本・トルコ協会の大曲さんという方は、次のように述べられている。
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トルコはフィンランド、ハンガリーと並び、世界一の親日国だといわれている。トルコでは日本関連の報道が多く、また、「世界で一番好きな国はどこか?」という世論調査では日本が必ず1位に選ばれるほどである。

このトルコ人の親日感情は、1980年のトルコ軍艦エルトゥール号の乗員に対する和歌山県串本町民の懸命な救助活動に対する感謝(注1)、トルコ人と日本人が中央アジアから東西に分かれて移住していった同じアジア系であるという同族意識(注2)、トルコの宿敵ロシアとの日露戦争での日本の勝利(注3)、敗戦国日本が世界の経済大国へ成長したことへの尊敬等が主な理由だといわれている。

<筆者脚注>
(注1)1980年のトルコ軍艦エルトゥール号の遭難事件:オスマン帝国皇帝が小松宮殿下のトルコ訪問の答礼として、オスマン提督らをエルトゥール号で派遣した。その帰途で台風に遭遇し、和歌山県串本町樫野崎沖で座礁した。串本の漁民は献身的な救助活動を行い、約600名の死者を出した大惨事であったが、生存者69名は日本軍艦によって送り届けられた。トルコでは今でもそのことが語り継がれており、トルコの学校教科書にも取り上げられ教材となっている。

(注2)中央アジアで暮らしていたトルコ人は、6世紀にモンゴル高原を中心とする遊牧帝国・突厥を築いた。現在のトルコ共和国では一般に、突厥の建国を以って「トルコの建国」と考えている。

(注3)日露戦争における日本の勝利は、瀕死状態のオスマン帝国にとって、大きな希望を与えたといわれている。当時、東郷、乃木 等の名前を付けるトルコの人が続出したといわれている。

ところで、1980年のイラン・イラク戦争の時に、イランから脱出できずにいた日本人のために救援機を飛ばしてくれたのもトルコだ。明治維新に倣い国内改革を断行した、トルコ共和国建国の父である初代大統領ケマル・アタテュルクが、明治天皇を崇拝し、陛下の肖像画を書斎の机に飾っていたという有名な逸話もある。
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というようなわけで、このような歴史的な出来事が背景にあることを知った。

トルコ旅行中、幾度かトルコの人々に話しかけられたり、また、一緒に写真に収まるようお願いした時、気持ち良く応じてくれたが、下記にそれらの写真の幾つかを掲載しておきたい。

写真1→ バスで移動中立ち寄ったレストランで:可愛い3人の娘さんを連れた母親がおられたので、家内が一緒に撮影を依頼したところ応じてくれた。この時は英語での会話が成立した。

写真2→カッパドキアの洞窟家屋にて:ガイドのYAVUZさんが知り合いの民家にツアー一行を連れて行ってくれた。そこで、その家のおじさん、おばさん(中央)と懇談後、一緒に撮影。この家の奥さんは日本が少し話せた。

写真3→アンカラのアタテュルク廟で、警備隊員の男性と一緒に撮影。普通は一緒の撮影は駄目だそうだが、無理にお願いしたところ、応じてくれた。

写真4→イスタンブールのレストラントにて:女友達と一緒に食事をしていた一人のトルコ女性が、レストランの食事はどうだったかと、日本語で話しかけてくれた。それをきっかけに話が弾んだ。彼女は日本で9年間滞在し、立命館大学やトヨタで日本的経営を学んだという。現在、Kircilar社でマーケティングを担当している。彼女の名はZehra Yurdsever さん。帰国後、この写真を送った。最初日本語でメールを送ったが文字化けしたので、英語で再送したところ、上手な英語でのメールを返してくれた。

写真5→今回の旅行を通じてガイドしてくれたYAVUZ(ヤブズ)さん。アンカラ大学・日本語学科卒業の若者。トルコに関するあらゆること、社会・文化・歴史・産業・日常生活などを教えてくれ大変良い勉強になった。日本のことについても非常に良く勉強されている。


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写真2

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写真3

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写真4

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写真5

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コメント

いい旅してますね。
私も仕事が一段落したら真似してみたいです。
年末の同期会、楽しみにしています。

投稿: 村上 一仁 | 2009年11月 3日 (火) 07時15分

村上さん

コメントありがとうございます。
村上さんの記事はいつも拝見しています。
この度、ブログと事務所開設とのこと。
お互いにがんばりましよう。

投稿: やぎ | 2009年11月 3日 (火) 10時02分

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