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2009年12月 5日 (土)

平山郁夫さんを悼む

画家・平山郁夫さんの美術館が“しまなみ街道”にある生口島・瀬戸田町にあるという話を聞いたのは、今年の6月末、尾道での仕事を終え、どこか近くに良いところがないかと、行き先を探していたところであった。

平山さんの絵には詩情が溢れている。それも東洋の悠久の歴史を感じさせるものが漂っており、見るたびに心が癒される思いにさせてくれる。是非、そこへ行きたいと思った。

平山さんは、その瀬戸田町で生まれ、瀬戸内の青い海や緑の木々でおおわれた島々からなる美しい自然の中で育ったという。平山さんは「自分の感性は、明るく温暖な瀬戸内の風土によって育まれた」と自ら語っておられる。

早速、行くことを決め、尾道から小船でたどり着いたのは、静かな佇まいが残っている瀬戸田の村であった。美術館には絵画とともに、平山さんの生い立ちや、少年時代の絵画などが紹介されていた。更にスケッチや下絵なども展示されていて興味深く鑑賞した。東京美術学校日本画科では、奥さんと同期で、奥さんが首席、平山さんが2番で卒業されたという話も始めて知った。奥さんは結婚後、平山さんの補助に徹し、その後は一切絵筆を握っていない。その奥さんの描いた絵画も少し展示されていた。

平山さんの画家としての原点には、15歳の時の被爆体験があるという。原爆後遺症に苦しみ、少しでも救いと平和を願う作品を描きたいとの想いから、唐の長安を旅立ち、17年間の苦労の末インドの経典をもたらした玄奘三蔵の喜びを描いた「仏教伝来」を昭和34年に発表し、これが大いに評価されたという。これを契機として勇気づけられ健康も回復、その後次々と仏教や仏伝をテーマとする作品を発表された。

日本文化に大きな影響を与えた仏教文化の源流を求めるうち、東西文化の交流へと視点も広がり、シルクロードへの取材も始められてという。

絵画活動と並行して文化財の保護活動にも注力。北朝鮮の高句麗壁画古墳の世界遺産登録への推進、アフガニスタンのバーミアン遺跡の復興など、多くの活動に参加された。

平成12年、奈良薬師寺玄奘三蔵院に収められた大壁画「大唐西域壁画」は平山さんの画家活動の集大成と言われるもののひとつといえるであろう。

平山さんはお亡くなりになられたが、後を引き継ぎ、芸術家の枠を超え、世界的に活動できるスケールの大きい若い画家が現れることを期待したい。

 by 八木: http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

Simg_1167

平山郁夫美術館
の入り口付近
(「仏教伝来」
 の絵が掲げ
 られている)

写真撮影は
これ以降禁止

Simg_0002

「仏教伝来」
(作品集より)

Simg_0001

「楼蘭の月」
(作品集より)

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