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2010年2月

2010年2月27日 (土)

蓮池薫さんへのインタビューを聴いて

NHKテレビ番組で、三宅アナウンサーによる蓮池薫さんへのインタビューを聴き、想像を絶する異国での苦難に満ちた人生に驚かされた。最近、蓮池さんは「半島へふたたび」(新潮社)という本を出版されているが、今回のインタビューはそれに関連したものであった。
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今から24年前の学生時代、蓮池さんは、新潟県の柏崎に帰省していた折、交際していた女性(現在の奥さん)と海岸を散歩していた時、一緒に拉致された。拉致されたのは別々であったので、奥さんがどのようになったかはその時は分らなかった。

蓮池さんは4人組の頑強な男に襲われ殴られ、袋に入れられ、船に乗って連れ去られていく時の状況を克明に記憶している。陸の明かりが次第に遠ざかるのを見て一体何が起こったのか分らずパニック状態であったという。

北朝鮮に着いて驚いたのは、収容所近くのアパートの照明が非常に暗い(おそらく20W程度の照明)ということだった。

言葉が全く分らないので、相手が何を言っているのか理解できず、ここで生きて行くにはまず言葉を覚えるのが大切だと考えた。語学の教科書があるわけでなく、世話をしてくれる者に筆談で聞いたり、テレビを観たりして少しずつ覚えた。本音で話せる相手がいないので、表情を見て相手が何を考えているかを推察できるよう努めた。そうしている内に相手の表情が読めるようになって来たという。

一番の苦痛は、絆を失ったことだという。友人や家族などとの絆が全くなくなり、本音で話し合う者がいなくなったことは非常に辛かった。ある時、前触れなく誰かと結婚せよとの命令が下り、会ってみると一緒に拉致された女性(現在の奥さん)であった。ここで唯一の絆が回復し、生きて行く希望を持てるようになる。そのうち子供もでき絆が更に増えた。

子供が成長するにつれ、別の悩みが生じる。反日教育が徹底している当地で、自分が日本人であることを子供に知らせることはまずい。両親が日本人であると子供が苛められる。そこで自分達は在日の韓国人であり、仕事で当地にやって来たと、子供には言い通したという。

当地での生活は大変だった。特に食と住。食については、食糧不足や日本の食べ物(納豆や梅干など)への郷愁であった。納豆や梅干は自分達で工夫してつくった。冬の寒さも大変だった。暖房の燃料がなくなった時は家の中でも零下であった。蒔きを拾って来てはオンドルのようなものを工夫してつくり寒さを凌いだ。

そして一時帰国。続いて子供さんも日本へ。幸いに日本に帰って来たが、日本での生活が不安だった。市長さんが市役所への勤めを勧めてくれたが、最初は勤めるのが不安だった。北の回し者だと警戒されて苛められるのではないかと。しかし、皆親切に対応してくれ、その心配は間もなく払拭された。

蓮池さんは今、友人の紹介で翻訳の仕事にありつき、翻訳家として活躍されている傍ら、地元の大学で韓国語の講師をされている。初訳書は「孤将」。秀吉の朝鮮侵略戦争の時、勇敢に立ち向かい朝鮮を救った英雄・李舜臣についての物語である。この翻訳をする時も、日本との関係を考えて心配したという。秀吉のことを悪く書いてあるので日本人の反感を買うのではないかと。
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今後、拉致問題に関して、政府に望むこととして、絆を意識して問題を解決して欲しいと言っておられた。たとえば、ある一人の者を救出する場合、その者と絆を持つ家族とか友人のことも考えてやって欲しいと。人間は絆なしでは生きていかれないというのは蓮池さんの信条だ。

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2010年2月26日 (金)

トヨタ・米議会での公聴会に想う

先日、トヨタの豊田章男社長が米国議会の公聴会に出席した。公聴会は約3時間半と長時間に及んだ。豊田社長がどのような態度で公聴会に臨むのか大変興味があったが、リコール問題を引き起こした責任を感じていること、米国の顧客に対して多大な迷惑をかけたことを冒頭で率直に謝罪し、公聴会を通じて誠実に、低姿勢に徹したことは、まずまず良かったのではないかと思う。日本における記者会見で、トヨタの技術担当役員がいささか自社を守るために顧客目線での発言をしていなかっただけに心配していたが、そのようなことがなく安堵した。トヨタ非難の急先鋒であった議員からも一定の評価を得たようである。

しかしながら、もう少し説得力のある説明が欲しかった。社長に就任以前の問題であったから自分は問題を良く把握していないので分らないとか、技術屋でないから細かい説明はできないとか、という発言もあり今回の問題を収束させることには至らなかった。

例えば、電子制御システムと急加速との関係を否定した根拠には今ひとつ説得力がなかったし、また米国監督局との交渉でリコールの拡大を防ぎ、1億ドル以上の費用を節約できたという内部資料に対して、ここに書かれている英語が分らない、と質問者の回答を回避したり、アクセルペダルの問題を知った時期を問われて、昨年末あたりと思うと明確な回答を避けたことなどが質問者の心証を悪くした。
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今回のトヨタの問題は、1980年代にあった米国における日本製品バッシングとは趣を異にしている。というのは、その当時とは違い、トヨタは米国に生産拠点と販売拠点を持ち、米国における多くの雇用創出に貢献しているからだ。従って、トヨタを、ここぞと言わんばかりに攻撃するグループもいればトヨタを愛し弁護するグループも存在する。

私など品質管理に関連した仕事も行ってきた者の間では、トヨタの改善(カイゼン)は日本製品の高品質の代名詞であり、世界的にもカイゼンは英語にもなっている言葉なのである。
「問題が生じれば製品ラインを止め、不良品を出さないようにする。そしてその問題が起こったのはなぜかと、なぜなぜを5回繰り返し原因を徹底的に究明する」というのが日本的品質管理の真髄なのである。
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この精神がなぜ、本拠本元のトヨタにおいて綻びを生じたのか分らないが、一時的にせよGMを抜いて世界一になった驕りが組織の中に忍び込んでいたのであろう。それと私が思うには、この世界不況の中で、人を重視して来たトヨタが一時的にせよ派遣切りをしたということである。製品の品質は、これをつくる人々の汗の結晶である。個々の者が、会社を信頼し、働くことに生き甲斐を感じ、皆が当事者意識をもって初めて、よい製品が生まれる。会社の利益のみを考えて、そこで働く人達を躊躇なく切り捨てるような企業においては、良い製品が生まれるはずがない。このことは他の企業においてもいえることだ。特に、自動車や航空機、食品、医療機器、などの人命に関る製品をつくっている企業は心がける必要がある。

トヨタの今後の課題は、このように、従来同社が行って来た人を大切にする経営を取り戻すと共に、グルーバル化した経営の中で、世界における拠点間の意志疎通が円滑に行われるような体制をつくることであろう。

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2010年2月20日 (土)

ここにも健在のメイド・イン・ジャパン

TV番組ガイアの夜明けで不思議な光景が映し出されていた。関空から降り立った若い中国人観光客の女性が近くの岸和田カンカンベイサイドモールにやってきて、メイド・イン・ジャパンの子供服を買い求めているのだ。それもそれらの商品が中国製ではなく、日本製であることを念には念を入れて確認してである。

彼女達が仲間同士で話しているのを聞いていると、このJIPPON(ジポン)というブランドの子供服は、中国製とは明らかに縫製の出来映えが違うのだそうだ。それも歴然とした違いというのだ。しかも安い。たとえば日本製なのに写真の子供服は¥1,995。海外のブランド品では安くて3~4千円するのにというのだ。

Img56432277  なぜこのように日本製でありながら安く提供できるのであろうか、どのような企業が提供しているのであろうか? このデフレの中でユニクロと同様な価格破壊を先導し、薄利で自らの経営を苦しめているのではないかといった疑問を私は持った。しかしそのような心配は杞憂に過ぎなかった。
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このJIPPONは、堺市石津にある株式会社マーキーズが、岡山県倉敷市児島の有限会社マルミツアパレルというところに製造依頼しており、このマルミツアパレルの縫製作業が近くに住む主婦の内職に支えられているのだ。児島は元々繊維業が盛んな地域。現在も学生服、ユニホーム、ジーンズ等の製造が盛んである。日本産ジーンズ発祥の地としても有名だ。

内職の主婦の方々はかってこの地域のアパレル工場に勤めていた人達で、38歳から71歳の女性24人。家庭にはミシンやアイロンがあり、腕は確かで作業は速い。型紙さえあれば、仮縫いや仮止めなどの工程を飛ばして迅速に作業ができるベテラン揃いだ。これがJIPPONの低価格に繋がっている。勿論適切な利益を得ての話だ。

マルミツアパレルの社長さんとこれらの主婦とのコミュニケーションも抜群の様であり、だれがどのような仕事が得意であるとか、どの程度時間が空いているのかといった情報が頭の中にあり、タイミング良く受注を捌いているようにも思えた。そして、地域に埋もれた優れた技術の有効利用という観点からも、また主婦の方々の余暇の有効利用による家計への貢献といった観点からも、興味深いビジネスの発想であると感じた。

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2010年2月11日 (木)

葛飾北斎を支えた娘さん・應為

読売テレビで葛飾北斎の娘さんである三女の”お栄”さんの話が放映されていた。大変興味深い話であった。葛飾北斎は冨獄三十六景などを描いた浮世絵師で、ヨーロッパの巨匠セザンヌやモネに大きな影響を及ぼしたことは有名だが、多くの作品を遺した裏には、彼の娘さん・お栄の存在が大きいという。

お栄さんは三女で雅号は應為(おうい)。この雅号は、父親がおーい、おーいと娘を呼ぶことから付いた名前だという。幼い頃より画才を発揮。一度嫁ぐが、夫の絵師の腕前に愛想をつかし出戻ったとされる。20歳にして父の代筆を勤め、北斎が90歳でなくなるまで30年以上も北斎の制作を支え続けたという。彼女の作品として残っているものは殆どない。というのはその多くは父・北斎の名で世の中に出たからだ。

近年、應為さんの数少ない作品の幾つかがアメリカ・ボストン美術館で発見されたという。
次の二つの写真が應為さんの作品である。
                     Img_2538                                                                  

三曲合奏図:

彼女自身の作品で
境遇が異なる3人の
女性を描いている。
(これは着物の違い
から読みとれる)

應為の雅号が
右下に見える。           

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唐獅子図:

父・北斎との合作品

中央の獅子は父が、
周囲の牡丹は娘が
描いたもの。








 

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幻想的なイルミネーションに魅せられて・なばなの里

この世で、いくら人工的なものにせよ、これ程幻想的な光景は見たことがない。ところは三重県桑名市長島町にある”なばなの里”のイルミネーションだ。先日、名古屋でのセミナーが終わった翌日、気分転換を兼ねて家内と出かけた。

イルミネーションなど見てもたいして感動もしないだろうとたかを括っていた私だが、見て驚きそして感動した。下記の写真は、「テーマはオーロラ」というネーミングで、約27,000㎡(8,000坪)の広大な敷地を天空に見立て、大自然が織り成す神秘のカーテン「オーロラ」を描いている。LED電球150万個を使っての壮大な演出だ。写真では上手く写せなかったが流星も採り入れられている。まさに光の芸術品であった。他にも水上イルミネーション、光の回廊、光の雲海などがあり、光尽くしの夜の光景を満喫した。

休日前とはいえ、驚く程の人出であった。観光バスも数十台が駐車場にいたように思われる。ところで、あとで調べると、この”なばなの里”は長島観光開発㈱というところが経営しており、同社は他にもホテル花水木や長島スパーランドなど、種々多様なレジャー施設を保有している。

この”なばなの里”は、同社のパンフレットのサブタイトルに”長良川の水辺の夢のような小さな村”とあり、花のテーマパークとして平成10年に造られたものだ。四季折々の花が楽しめるように工夫されている。中にはベコニアガーデンがあり、世界のベコニアを集めた広大な温室は、これまた感動に値する(写真)。今回見たイルミネーションは冬季限定の出し物だ。

ところで、我が国には多くのテーマパークが建設されては消えて行ったが、その殆どが第3セクターの経営による役所主導のものだった。この「なばなの里」は民営だ。今回見たイルミネーションにしても、独創的な創意工夫が凝らされているし、園内の売店やレストランにしても大変活気付いていた。やはりこのようなレジャー施設は民営でしか、上手く経営できないのではないかとつくづく感じさせられた次第である。

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オーロラと
題された
イルミネーション


幻想的だ

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水上
イルミネーション

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ベコニア
ガーデン

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園内の
売店

右側の
長島ビール
でビールを
戴く

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品質管理セミナー

先日、名古屋で中部産業連盟主催の品質管理セミナーに講師として参加。過去数回、同じセミナーを行っているが対象とするのは主として製造業の若い方である。品質管理の基礎的なことを中心に講演した。

Simg_2478日本の品質管理は世界的に見ても最高のレベルにあり、それは各人の当事者意識の高さとチームワーク及び日本的なQC的ものの考え方に依っていることを強調。今後とも日本製品やサービスの品質を維持するには日本的なQCを愚直に学ぶ必要があると説いた。

今回初めてグループディスカッションを取り入れ、皆で意見を出し合って問題を解決してもらうことの必要性を実感してもらった。

名古屋地域はトヨタに何らかの関係がある企業が多く、今回のセミナーでも参加者の一人から、今回のトヨタ問題に対してどのように思っているか意見を求められた。

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ウォール・ストリート・ジャーナルより日本品質管理学会への問合せ・トヨタのリコール問題

トヨタ自動車は、一部車種のアクセルペダルが戻りにくくなる問題や、ハイブリッド車のブレーキの効きに関する問題で、世界中で数百万台のリコールを行うと発表した。

これらが設計や製造上の問題なのか、海外メーカーから調達した部品に関わる問題なのか、あるいは、そもそも本当に不具合と呼べる問題なのか、原因や問題点は未だ明らかになってはいないが、このような中、ウォール・ストリート・ジャーナル社東京支局より日本品質管理学会に下記のような質問への回答依頼が入ったそうである。

<ウォール・ストリート・ジャーナル社東京支局の質問>
1.先日,トヨタ自動車が北米で大規模のリコールを発表したことを受け,日本の製造業の品質管理の問題について,ここ5年から10年ぐらいの日本の品質管理の状況についてコメントをいただければ幸いです.

2.日本の品質管理の質は落ちてきているのでしょうか.そうだとすれば,その背景は何でしょうか.

3.品質管理と国際競争力,価格競争力維持を両立する鍵は何でしょうか.例えば,トヨタのリコールでは,価格競争力維持のためのグローバル大量生産により,一つの品質不良が大きな問題になっていますが,これについてどうお考えですか.
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トヨタが引き起こした問題が、世界的な反響を呼んでいることがこれからも窺い知れる。トヨタはようやくリコールを行うことを決定したが、今後も、日本製品の信頼性を損なわないような対応を見せて欲しい。

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2010年2月 8日 (月)

ストリートファッション写真家・Rei Shito さん

”ストリートファション写真家”という私にとっては聞き慣れない言葉が朝日新聞の日曜版を読んでいると目に入ったので読むと、シトウ レイさんという若い女性が東京・原宿の路上で若者の写真を取り続けているという。

アパレル業界では90年代、店頭での売れ行きを重視して生産する企業が急成長し、店には過去に売れた商品ばかりが並んで商品の同一化を招いたが、最近では、これから流行るものに目を向けなければならないという方向に変わって来ている。

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シトウさんは「これから流行るものを見抜く力があり、様々な企業からの依頼を受け、トレンド分析や商品企画などのアドバイスをしているとのことである。

彼女の流行るものを見抜く力は、長年、ストリートで写真を撮り続けた継続性と、優れた感性に裏づけされた消費者目線によるものらしい。

原宿というのは自由に何でもやれる雰囲気があり、新しいスタイルが次々と生まれて来るという。世界的にもこのような街は珍しい。彼女は原宿で撮影した写真は、ブログ「STYLE from TOKYO」から世界に向けて発信している。そして世界中から毎月15万件のアクセスがあるというから驚きだ。写真だけでなく日本語と英語のコメントも載せている。

上記の写真は朝日新聞社により撮影されたもの。
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後日、シトウ レイさんから次のようなメッセージを頂いた:

やぎさん

おはようございます!
ブログ、拝見させていただきました。
とりあげていただいて、ありがとうございます。
マーケティングって、「今」を分析する目と、
やはり「次」を見る目が不可欠だと思います。
「次」を見るには、やっぱりそれは頭で考えるよりも
実際街の動向や様子を丹念にチェックしておくのが一番だと
あたしは思う。
あたしのHPで、ストリートファッションについは
ほぼ毎日更新していますので
「次」を見抜く何かの参考にしていただければと思います。
やぎさんのご活躍を心からお祈りしています。
ではではまたね
レイ♪

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2010年2月 5日 (金)

トヨタの遅すぎた対応

トヨタ自動車のプリウスのブレーキが低速時、瞬間的に利かなくなる問題に対して、日本国内のみならず、世界から苦情が寄せられている。このような大問題であるにもかかわらず、最高責任者である社長が顔を見せず、副社長や専務が記者会見をするようでは顧客の納得が得られない。日産ならばゴーンさんが率先して会見したであろう。

一体、トヨタはどうしたのであろう。世界のトヨタは高信頼・高品質の日本製品の代名詞であった。トヨタの信頼性の失墜は、トヨタのみならず他の日本製品全体の信用の失墜に繋がるものである。

本日、ようやく社長の会見が行われたが、遅すぎた感がある。日本を代表する会社の社長としてはリーダーシップが不足しているような感じでもあった。また、昨日の品質担当役員の会見を聞いていて、耳を疑った。顧客の目線に立った説明ではなく、生産者側の弁明としか思われない発言に終始した。安全が最優先の自動車に、顧客が自動車の不備を自らの判断で回避せよと言う趣旨の発言だ。とんでもないことで、全く信じられない発言だ。

トヨタの名誉のためにいっておくが、このような顧客志向でない発言は、従来のトヨタ関係者からは全くといってよいほど聞いたことがない。そこには世界のトヨタの風格が感じられた。

しかし最近のトヨタの経営陣を見ると、品格と資質が落ちたとしか思われない。昨年のリーマンショック以降の不況下での派遣切りの問題など、何となくおかしくなったところがあるように思われる。自社の先輩経営者が築き上げた信用に泥を塗ることになってはならない。

かっての磐石を誇ったトヨタの信頼が失われないようにすることは、日本製品の信頼が失われないようにすることに繋がるのだ。これは、日本の製造業の運命も左右する大事件であると考えても過言ではない。トヨタの真摯な対応を望むものである。

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寂しい朝青龍の引退

朝青龍が初場所中に泥酔して知人男性に暴行したとされる問題の責任を取り、引退を表明した。個性的で、好きな力士のひとりだっただけに寂しい想いがする。憎まれ役であったように報じられているが、好青年な一面もあった。

Tky201002040439_2  彼は度々横綱の品格を問われ続けた。なぜもう少し皆の忠告を聞き入れ、これを改めることをしなかったのであろう。若くして相撲の頂点に上り詰めたことで、いささか高慢になっていたのであろう。そして彼に真剣に意見してくれる人がいなかったということであろう。もう少し良き指導者に恵まれていたならば、このような事態にはならなかったであろう、と思うと残念でならない。

しかしながら、今回の引退は潔い決断であり、ベストな選択であった。彼の天敵と呼ばれた内館牧子さんが言われるように”横綱たる者がいかなる処分でも勧告されて従うというのは恥ずかしいことです”という事態を避け、自ら引退したことは角界の美意識でもあった。

将来、モンゴルに帰国することになると思うが、決して日本を恨むことなく、日本とモンゴルの友好のために尽くされるとを切に望みたい。
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余談であるが、これとは異なる政治の世界では、部下の者が起訴されているにもかかわらず政治的、道義的責任をとらずにいる人が民主党の中枢にいる(通常、部下の問題は、上司の問題でもある)、ことは、潔くない。民主党にはこれからの日本を良くして欲しいと思う気持ちが強いだけに残念でならない。

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2010年2月 3日 (水)

酒田市散歩

酒田市のセミナーで、終始お世話になった酒田市商工観光部の岸谷さんには、酒田空港に到着後やセミナー終了後の飛行機の出発時間までの時間を利用して、お忙しい中、酒田市内の観光案内役までして頂いた。ブログを借りて改めてお礼申し上げたい。
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◆庄内空港から市内へ
庄内空港で岸谷さんの出迎えを受ける。雪の方は私が訪れた期間中は殆ど降らず、気温も平年に比べて穏やかであった。宿泊先の酒田東急インまでの車中で酒田のことについて色々と説明頂いた。酒田市の現況、現在抱えている問題等々。
空港から北へ向う国道沿いの西側には延々と松林が続いている。これは防風林として、地元の豪商本間家により作られたという。

市内に入る前に最上川を通過する。最上川は日本3大急流の一つだ。芭蕉が奥の細道で「五月雨を集めて早し最上川」と詠った俳句が思い出される。現在は、冬でこの俳句が詠われた季節ではないが、車中から眺めると、なるほどその様に流れが早いと感じた。芭蕉は同じ山形県内の山寺で「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」という句を遺していると、岸谷さんから教えて頂く。

酒田市は昭和51年に「酒田大火」といわれている大火事に見舞われた。火事は翌日まで続き、多くの家屋や歴史的な文化財が被害を受けたという。その後、急速な回復を遂げた。

東急インに到着後、ホテル内にある「田舎」で食事をした。店の方と和やかに懇談。地元のお酒「上喜元」を飲みながら、この季節特有の寒鱈汁を頂く。

第一日目のセミナー終了後、商工観光部、商工会議所の方との交流会に参加。東急インにある郷土風フランス料理の店「ル・ポット・フー」で食事を共に頂く。酒田と大阪の産業の最近の状況についての情報交換などができ、大変有意義な交流会であった。ここで地元のお酒に「初孫」や「上喜元」という銘柄があり、全国的に人気が高いことを教えて頂いた。初孫を少し飲んだが、ワインのようで美味しい味であった。

◆セミナー終了後、飛行機の出発時間までの間、下記の場所を案内頂いた。

★山王くらぶ・・・明治28年建築の酒田を代表する規模と格式をもった元料亭である。北前船の寄港地として栄えた酒田の歴史や来酒した文人墨客を紹介している。大和朝廷の東北支配の象徴である出羽国府などの説明表示、つるし飾りの陳列(酒田のつるし飾りは日本3大つるし飾りのひとつ)、竹久夢二の間などを見て廻った。最近のものでは酒田大火とその後の復興を写した写真、などがあり、興味深く拝見した。
  →写真1:玄関、 写真2:つるし飾り、写真3:酒田大火を伝える写真

★映画「おくりびと」のロケ地・・・市内の所々に映画「おくりびと」のロケ地を案内する表示が見られた。連れていって頂いたのは葬儀屋・NKエージェントの建物。建物の中には、映画で使用された場面のセットの幾つかが遺されていた。 → 写真4、写真4

★鮭を売る店・・・”鮭おくり風干予約承ります”という店があった。東北地方らしい風景に思わず引き寄せられる。 →写真6

★旧鐙屋(あぶみや)・・・酒田を代表する大廻船問屋であり、江戸時代を通じて繁栄した。また、酒田36人衆の一員として町政にも大きな役割を果したという。1688年に出版された井原西鶴の日本永代蔵にも紹介されている。この鐙屋がある辺りには他にも多くの廻船問屋が軒を連ねていたという。 説明員の方がここは今で言う総合商社であったという説明が非常に適切で面白かった。「酒田の歴史」というわかりやすい中高校生用の資料があったので買う。 → 写真7、写真8

★本間家旧本亭・・・本間家三代光丘が庄内藩主酒井家のために幕府の巡見使宿舎として建造したものである。武家屋敷と商家造りの二つの建築様式が一体となっている全国にも例がない建築物である。本間家は戦後の農地改革までは日本一の地主であったそうである。戦後、この建物は一時進駐軍の宿舎としても使われた。→写真9 

★希望ホール・・・酒田市民会館として建てられた音楽ホールで、その名は酒田出身の歌手・岸洋子さんの歌「希望」に因んで名付けられた。岸さんの「夜明けの歌」は若い頃、よく聴きよく唄ったものだ。今でも私の愛唱歌である。 →写真10

★山居倉庫・・・明治26年に建設された米の保管倉庫で現在も農業倉庫として使用されている。ケヤキ並木とともに12棟が立ち並ぶ景観は、非常に美しく、米どころ庄内のシンボルとして有名である。女優の吉永小百合さんもこの前で撮影したことがあるという。私も同じような構図で写真を撮って頂いた。この倉庫の内、2棟が観光物産館となっていた。ここで土産に鱈の干物と酒まんじゅうを買う。 → 写真11、写真12

★土門挙記念館・・・酒田出身の世界的な写真家である故土門挙さんの作品を収蔵・展示した日本で最初の写真美術館である。土門さんはリアリズムな写真を確立された。古寺などの美しい写真を撮る一方で、筑豊の子供達や原爆患者などの写真を撮り、現実から目をそらさない社会派の写真家であった、と改めて認識した。
   →写真13、写真14

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写真1

山王くらぶ

入り口

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写真2

つるし飾り

(日本三大
つるし飾り
  のひとつ)

古くから酒田に
伝わる傘福も
そのひとつ

 

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写真3

酒田大火
を伝える
写真

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写真4

映画「おくりびと」
の舞台となった
葬儀屋
「NKエージェント」
の玄関

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写真5

映画「おくりびと」
のポスター

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写真6

鮭を売る店

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写真7

廻船問屋
「鐙屋」の中の
説明文

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写真8

「鐙屋」
で説明を聞く

手前は
北前船の模型

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写真9

本間家
旧本亭

大きい松の木
に見惚れる

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写真10

希望ホール

岸洋子さんの歌
「希望」に因んで
名づけられた

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写真11

山居倉庫

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写真12

酒田の
銘酒

「初孫」
「上喜元」

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写真13

土門挙
記念館

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写真14

土門挙
記念館の
展示

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2010年2月 2日 (火)

酒田市でのセミナーを終えて

先月の26日、27日の両日、酒田市で行われたセミナーは無事終わりほっとしているところである。この記事と、この後に書く「酒田散歩」の記事をもっと早く書きたかったが、2月に名古屋であるセミナーの原稿締め切りが迫っていたので、書くのが遅れた。酒田市での講演は、講演もさることながら酒田市という憧れの地を訪れたという気持ちも手伝って楽しいものであった。

さて、今回のセミナーの主催者は酒田市商工観光部商工港湾課。港湾課と名前があるのは往時の酒田港の繁栄と今日に至る同港の重要性を伝えるものであろう。江戸時代、西回り航路が、大阪にも縁のある河村瑞賢により発見されてから北前船の寄港地として栄えた。司馬遼太郎さんの小説「菜の花の沖」にも出てきて、酒田の名は私の脳裏にこびりついていた。

セミナーが行われたのは、酒田産業会館。酒田市商工観光部の他、酒田商工会議所も同居していた。セミナーは、酒田市地域産業活性化セミナーの一環として行われ、「ものづくりにおけるマーケティングと新製品開発について」というタイトルで、今後は技術開発も大切だがそれよりもましてマーケティングを重視することが大切であるという内容で講演した。

酒田市は人口12万人。最近の地方都市に見られがちな人口減少が続いているという。それだけに、そのような局面を打破しようとする酒田市の地域活性化に向けての熱意をひしひしと感じた。また、セミナーの参加者は製造業だけでなく、建設業、サービス業、IT関連企業等、多種多様で、予想したよりも多くの人に参加頂き、嬉しく感じた。そして事例演習も含めた講義を熱心に聴講頂いたことには感謝したい。Simg_2398_4

酒田市商工観光部
の玄関

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セミナーのひとコマ

事例演習で参加者
に発表頂いている
場面

 

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