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2010年3月

2010年3月31日 (水)

悪しき組織風土は組織を蝕む

企業組織であれ、政治組織であれ、あるいは学校などの教育を行う組織であれ、悪しき組織風土は、短期的には体を成すことができるかもしれないが、長期的には、その組織は崩壊する。かの亡くなられたP・F・ドラッカーさんもこのようなことを言っておられた。
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最近の民主党。期待外れで世論調査を見てもその凋落傾向が止まない。新聞などの世論調査の項目を見ると、首相のリーダーシップの有無とか、政治と金の問題、公約したマニフェストとの整合性とかが挙げられている。勿論これらは大切なことであるが、もっと大切なのは組織風土の良し悪しではないかと思う。

民主党の現状に不満な人の中には、小沢氏の独裁政治に嫌気を感じている者が多いのではないかと思う。党内で自由にものが言えない、小沢氏に少しでも異なった意見を述べると左遷させられる、といった党内の雰囲気である。鳩山首相も余りにも小沢氏のことを気にしすぎて、どちらが総理大臣かわからないくらいだ。そのような暗い民主党のイメージが定着してしまった。

それ故現在、民主党に最も必要なのは小沢氏に辞めてもらい、明るい党のイメージを取り戻すことだ。その上で、初心に帰って、皆で納得いくまで議論をし、党としての意見をまとめることである。そうでなければ世間は民主党を捨て去るであろう。
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2005年4月のJR西日本、宝塚線脱線事故に関して、神戸第一検察審査会は、ご遺族の意向を受け、歴代3社長の起訴を議決した。喜ばしいことだ。

これまでの判決は、ATSの未整備だけに焦点をあてており、事故の真の原因には踏み込んで来なかった。真の原因は、JR西日本の企業体質、すなわちなりふり構わない人間性を無視した経営の効率至上主義、これに伴う「日勤」という人権無視の制度などにある。特に井手元社長は、このような悪しき組織風土を作った張本人であるのに・・・・。

真の原因(悪しき組織風土)を潰さなければ、再びこのような事故は起こる。

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2010年3月25日 (木)

最近の若者に見る堅実志向

最近、所得の減少や環境教育の浸透などが影響してか、若者の生活態度が堅実的になってきているという。ブランド品を買い求めない、安くて実用的なものを買う、無駄な消費をしない、しかし音楽や旅行などの特定の興味のあるものに対して集中的に投資する、といった傾向が見られるという。

我々の若い時代と同じだ。当時は高度経済成長の時代であったが、モノが現在ほど豊かでなく、比較的質素な生活であった。それだけに倹約志向であり、金を使わないような工夫、例えば読書などの知的な活動に時間を費やした。

これからの若者も、所得がそれほど上がらないので、ムダな消費を抑制せざるを得ないが、これは人間としてのひとつのチャンスではないか。豊かな時代の物質主義から解放され、知的なものに価値を求めることへ移行する良い機会であると思う。

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2010年3月24日 (水)

市民活動・ボランティア活動への参加

人生の適当な時期から地域の市民活動やボランティア活動に参加しようと考えていたが、今年度から本格的に参加することにした。現在住んでいる箕面市、隣の池田市には多くの非営利で公益的な活動をしている市民活動団体、ボランティア活動団体がある。多くはNPOである。

先週よりどのような団体があるかを調べ、それらの代表者に活動の内容を電話で聞いたり、直接話を聞いたりして、自分のやりたいことと一致するかどうかを調べた。

その結果、箕面市では、まちづくりの活動している団体、まちの景観を守り、育てる活動をしている団体、箕面の山の美化活動をしている団体、池田市では、地域社会活性化への企画立案などの助言をしている団体、等が自分のやりたい活動に一致しているので、とりあえず参加してみることにした。

仕事をしながらこれらの活動に参加し、毎日の生活を充実させていきたいと思っている。

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2010年3月21日 (日)

ブンガワン・ソロ・・・インドネシアで聞いた懐かしい曲

まだ30代の中頃、インドネシアのジャカルタに仕事で長期間滞在していた時、ホテルのラウンジで良く聴いた曲がある。ブンガワン・ソロだ。実はこの曲、私の父もよく歌っていた記憶があるので、直ぐに親しみを覚えた。南国を思わせるメロディーの中に哀愁を感じさせるものがあった。

ラウンジで歌っていたのはインドネシアの女性歌手。一緒にジャカルタに滞在していた先輩のYさんとはよくラウンジに行き彼女の歌を聴くのが楽しみであった。彼女が歌うブンガワン・ソロのカセットは今でも大切に保管している。その後、この先輩が早く亡くなったので、尚一層、一緒にジャカルタに滞在していたその時のことが思い出される。彼女と馴染みになっていた我々は、彼女に頼んで飛び入りで舞台に上がらせてもらい、日本の歌を紹介するなどして楽しんだ。一人が日本語で歌いながら、他方は英語で翻訳するなどのようなこともした。楽しい思い出であった。
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さて、先日、朝日新聞のbe on Saturdayの「歌の旅人」欄にブンガワン・ソロの記事が掲載されていたので、懐かしい思いで読んだ。

実はこの曲、日本では長い間、作者不詳のインドネシア民謡だとされてきたが、実はインドネシア生まれのポピュラー音楽「クロンチョン」の歌手だったグサン・マルトハルトノさん(1917~)が1940年に作詞作曲したものだ。この曲は当時、世界最先端のポピュラー音楽であった。インドネシアの「クロンチョン」の中に、米国の最新の流行歌の要素を織り混ぜていたという。クロンチョンは米国のジャズやアルゼンチンのタンゴより古い歴史を持ち、最古のポピュラー音楽とも言われ、ポルトガルからの移民が16世紀頃に生んだポピュラー音楽らしい。道理でポルトガルのファドと良く似ていて哀愁を帯びた音楽だ。
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この曲ができた1940年は、インドネシアという国はなく、オランダ領「東インド」であった。そしてオランダに代わって「大東亜共栄圏」を掲げる日本軍が1942年に進出すると、敵国欧米の音楽は禁止され、日本の歌と共にクロンチョンが推奨された。グサン・マルトハルトノさんも日本軍の依頼でよく歌わされたという。その旋律は、言葉のわからない日本兵の心を癒した。

終戦から2年後の1947年、ブンガワン・ソロのレコードが日本で発売された。インドネシアで聞き覚えた復員兵達の需要も見込まれた。自ら日本語の詞をつけて歌ったのはソプラノ歌手・松田トシさんだった。

松田さんもこの曲がジャワ島などの民謡だと思っていた。しかし時を経て、産経新聞のジャカルタ特派員だった加藤裕さんがグサンさんの存在を知り、1980年、冬の北海道・札幌の雪祭りの会場にグサンさんを招待し、ブンガワン・ソロを歌ってもらった。その姿はテレビ中継され、あの戦後の名曲に生みの親がいたということが日本全国に知れ渡ったという(私は今回のこの朝日新聞の記事を読むまではそういうことは知らなかったので驚きであった)。
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Simg オリジナルのブンガワン・ソロはジャワ島を流れる大河・ソロ川の自然を称えた歌である。日本では松田トシさんが、次のような歌詞をつけて自ら歌った。

ブンガワン・ソロ 果てしなき/清き流れに 今日も祈らん/ブンガワン・ソロ  夢淡き /幸の日たたえ 共に歌わん/聖なる河よ 我が心の母/祈りの歌に乗せ 流れ越える/花は咲き 花は散れど/愛の誓いは 永久に 変わらじ・・・・(写真はソロ川をゆく渡し舟)

ネットで検索していると松田トシさんが歌っている曲が見つかった。聴いてみたが改めて素晴らしい曲だと思った。YouTube「ブンガワン・ソロ(松田トシ」をお聴き下さい。

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2010年3月19日 (金)

京都市北部 幕末歴史散策

3月某日、阪急河原町で下車し、幕末の京都を舞台として駆け抜けた坂本龍馬や桂小五郎の足跡をたどった。

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「酢屋」
京都での龍馬は材木商「酢屋」に逗留していた。ここに彼が設立した土佐海援隊の本部が置かれていた

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「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地」
坂本、中岡両名が暗殺された近江屋があったところ。今ではコンビニ店の前に石碑があるだけである。
龍馬は酢屋からここ近江屋に移り住んでから間もなく刺客に襲われた。
1867年、龍馬を中心として構想された大政奉還が成立し、江戸幕府が幕を閉じた1ヶ月後のことであった。

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「坂本龍馬と中岡慎太郎の墓」
高台寺の近く、維新の道を登りつめたところにある霊山護国神社には明治維新の誕生に尽くした志士達1356名の墓があり、その中に龍馬と慎太郎の墓が並んである。

ここより更に登ったところに、桂小五郎(後の木戸孝允)と幾松夫人の墓が仲良く並んでいる。




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「幾松」
桂小五郎と幾松の寓居跡。幕末当時、幾度となく新撰組の襲撃をうけた。今も尚、抜け穴、飛び穴、のぞき穴、つり天井などが当時に近い形で保存されている。

ここで、私は昼食を戴いた(予約が必要)

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「池田屋跡」
長州藩の京都焼き討ち計画を嗅ぎ付けた新撰組が、長州藩士が集まっている池田屋を襲撃、7名が死亡し、23名が捕えられた。不在であった桂小五郎は無事だった。

今は池田屋の石碑が立っているだけであるが、海鮮茶屋が「池田屋」の名前を商号にして使用しているところが面白い。

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2010年3月17日 (水)

中小企業経営者向けの書籍を出版致しました

昨年より仲間と進めてきた中小企業経営者向けの書籍が出版されました。

書籍名:「中小企業経営実践の道しるべ」
著者:高付加価値戦略支援センター(SAVS研究会)・・・私も含めた12名による共著
発行所:株式会社パレード 
発売:星雲社
価格:¥1,500
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51cfwyyohwl__ss500__3 本書は、中小企業経営者・幹部の皆様へ次のように訴えています:

あなたの会社の舵取りは大丈夫ですか? 本書はあなたの会社の羅針盤です。

高付加価値経営を目指す中小企業経営者・幹部の皆様へ 

 ・先行き不透明な時代に、行く先を示す「お手本」が見当たりません。
 ・ライバルと同じことをしていたのでは、高付加価値は得られません。
 ・未来を洞察し、柔軟に考え、自社に最適 の方法を選んで実践に移す。
経営豊富な経営コンサルトがひもとく「経営実践の道しるべ」には、経営課題解決のヒント満載、苦難を乗り切る経営の進路が示されています。
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本書は単に知識やノウハウを切り売りするだけに止まらず、これから経営の水先案内人として、経営の進むべき方向や方策・手法を共に考え、活路を見出すことを主眼にしています。そして、網羅する内容は、経営戦略、財務、人事、生産、販売、製品開発、品質、環境、等、広範囲に及んでおり、中小企業経営に関する書籍としては、既存のこの種書籍には見られないられないユニークさを有しています。
あなたの会社の経営にお役に立つこと請負です。是非お求め下さい。ご購入ご希望の方は私にご連絡下さい。また、アマゾンにも掲載されています。

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2010年3月11日 (木)

米アカデミー賞・・・アメリカの中の良心を見た

第82回米アカデミー賞は、キャスリン・ビグロー監督の戦争映画「ハート・ロッカー」が元夫ジェームズ・キャメロン監督のSF大作「アバター」に勝利した。「ハート・ロッカー」が作品、監督、脚本など6部門を受賞、技術賞など3賞受賞の「アバター」に圧勝した。喜ばしい結果であった。

「アバター」は2億ドル超を投じた大ヒット作で、自然破壊を進める人間への警鐘を含んでいると言われている作品である。そして3D映画の新時代を開き、「タイタニック」で同監督が築いた世界興行記録を更新した。
335594view007 一方「ハート・ロッカー」は僅か制作費1100万ドル。ビグロー監督が手持ちカメラを駆使し、イラク戦争を従軍取材したジャーナリストの脚本をもとに、爆発物処理班の任務を含む壮絶な日常をリアルに描写した作品である。

監督賞のプレゼンターであるバーブラ・ストライサンドは、「やっとこの時代が来たわ」とつぶやき、女性初のオスカー監督の誕生を称えた。ビグロー監督は「イラクやアフガンで命がけの日々を送る女性、男性に賞を捧げたい。無事の帰還を祈っています」とスピーチした。

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「アバター」は”科学技術重視の人類へ警鐘を発する”を一つの目的としているらしいが、それならば、奇怪な人間もどきの生物を登場させたり、3D技術とか特撮技術とかの科学技術を駆使する必要がなかったのではないか、そのような新規の技術を使うことこそ、科学技術重視ではないか、大切なのは特撮などの撮影技術よりも社会性、思想性、芸術性が大切なのではないかと私は思った。予告編しか見ていないので余り批判する資格はないが、そのように思った。

儲ける映画を作るには、空想的な生物や3D等の新技術を駆使して、娯楽性を持たせることも必要かもしれない。それはそれで良い。そのような映画に作品賞や監督賞などの大賞を与えなければよいのだ。3D技術はもっと安全とか医療など、人類の福祉に役立つ分野に使うべきであり、社会性や芸術性を追求する映画には全く不要だ。

ところで、アカデミー賞は基本的にはアメリカ映画を対象とした映画賞であり、選考はアメリカの映画産業関係者の無記名投票によって決まるらしいが、今回のアカデミー賞で、アメリカ映画関係者が商業主義一辺倒ではなく良識ある判断も持ち合わせているのだということがわかり安堵した。また、ブッシュ政権がもたらしたイラクの悲劇に対して、冷静に批判する良心的なアメリカ人も多く存在するのだということも。

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2010年3月 6日 (土)

伊勢の赤福餅

先日、久し振りに伊勢を訪れた。伊勢神宮内宮へ参拝の後、おはらい町とおかげ横丁を散策。内宮の直ぐ傍にある赤福別店舗でお土産に折り詰めの赤福餅を買おうとしたところ、”本日は販売完了しました”との表示。時間は平日の午後3時過ぎではあったが、既に完売していることに驚いた。しかし直に、赤福さんは、売れ残りがないように生産調整しているのだなあ、と悟った。利益優先主義を改め、安全重視で適量だけを生産するようにしたのであろう。
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2007年の秋、同社は売れ残った餅を冷凍保存し、解凍した時点を製造年月日に偽装して出荷していたことが発覚して、営業停止に追い込まれた。

その後、同社は再包装や再出荷の不正行為を防止するため、包装紙と折箱の両方に製造年月日を印字することや、冷解凍設備の廃棄、更に内部監査室やコンプライアンス室、お客様相談室などの組織体制の改善を矢継ぎ早に実施し、信頼回復に努めた。その結果、現在顧客の信用と信頼を取り戻した様だ。同社のホームページを見ても顧客の信頼を取り戻そうとしている熱意が伝わってくる。Simg_2549

元来、同社は、家業200年以上の老舗優良企業のみが加盟を許される国際組織「エノキアン協会」のメンバーであり、優れた経営を行って来た会社なのだ。エノキアン協会には、日本では月桂冠など5社が加盟している。

同社は偽装事件での過ちを素早く認め、改めた。「過ちては改むるに憚(はばか)ること勿れ」という論語の言葉があるが、過ちを正直に認めて改めることの必要性を示した好例であった。因みに、店内で赤福餅と茶のセットを注文したが、店員さんの顧客をもてなす態度を見て好感を持てた。


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(備考)赤福餅の誕生は今から300年前の宝永4年(1707年)。赤福餅はお餅の上にこし餡をのせた餅菓子である。形は伊勢神宮域を流れる五十鈴川のせせらぎをかたどり、餡につけた三筋の形は清流、白いお餅は川底の小石を表している。名は「赤心慶福(せきしんけいふく)」の言葉から二文字を使い、「赤福」と名付けられたと言う。(赤福HPによる) 赤心慶福とは、まごころ(赤心)をつくすことで率直に他人の幸せを喜ぶことが出来る(慶福)という意味らしい。

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2010年3月 1日 (月)

ダイチ株式会社・五輪選手を支える小さな大会社

バンクーバー冬季オリンピックの終盤の2月28日の早朝、明るいニュースが飛び込んで来た。スピードスケート女子団体追い抜き(パーシュート)で、田端真紀選手(35)、小平奈緒選手(23)、穂積雅子選手(23)のチームが銀メダルを獲得したのだ。金メダルのドイツチームとの差は僅か百分の2秒差という接戦であった。

このチームの中の田端選手と穂積選手は富山県富山市にある社員40人の小さな会社の従業員だ。その会社の名は、ダイチ株式会社。創立40年の歴史を誇る、自然からの災害の脅威である地すべりやがけ崩れ、落石などによる土砂災害の防止とその復旧のための仕事をしている地元企業である。

同社は、1904年、富士急を退社し、スポンサーを探していた田畑選手を迎え入れた。会長の田中実さんが「力のある選手をなぜどこも支援しないんだ」と決断したものだ。翌年、駒大苫小牧高の後輩の穂積選手も加わり、五輪に向け活動を本格化させた。そして同社は、この厳しい経営環境の中、会社ぐるみで2人を支えて来た。

我が国は、中国や韓国とは違い、国家による選手の支援体制は充分とはいえない。そのような中、ダイチ株式会社のような小さな会社によって五輪選手が支えられていることを知って大変感激させられた。下記は毎日新聞が報じる記事である。

ちなみにもう一人の小平選手は、大学卒業後、実業団からの誘いを断り、長野県・松本市にある相澤病院に勤務している。同病院は創業1908年。夢と感動と輝きに満ちた病院を目指している優れた病院だ。

(備考:この他、個人種目では、穂積選手は女子3000Mで6位、小平選手は女子1000Mで5位、1500Mで5位と好成績をあげた)
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五輪スピード 銀メダル田畑、穂積の所属企業 社長が涙
(毎日新聞) 2/28 19:35

日本チームが銀メダルを獲得したバンクーバー冬季五輪のスピードスケート女子団体追い抜き。田畑真紀選手(35)、穂積雅子選手(23)が所属する富山市の「ダイチ」は、社員約40人の中小企業。厳しい経営環境の中、社長の田中洋一郎さん(46)らが自らの給与を削って2人を支援してきた。田中さんは「こんな小さな会社でもメダリストを送り出せた。誇りに思う」と目を潤ませた。

決勝で日本チームの健闘に歓声を上げるダイチの社員ら=富山市一本木の同社で
2010年2月28日午前7時23分、小林祥晃撮影

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ダイチは公共事業の予定地でボーリング調査などを行う地質調査会社。スケート部は95年に発足。田中さんの父で会長の実さん(75)が、国体の地元開催に向けた選手育成を依頼され「地元に恩返しをしよう」と始めた。

04年、富士急を退社し、スポンサーを探していた田畑選手が入社。実さんが「力のある選手をなぜどこも支援しないんだ」と決断した。翌年、高校の後輩の穂積選手も加わり、五輪に向け活動を本格化させた。

 ところがここ数年、景気悪化や公共事業の削減で年商は最盛期の半分以下に。部員2人の経費は年間2000万〜3000万円だが負担は重い。それでも田中さん親子は「小さい会社でもやれるんだ」という思いを胸に、自分たちの報酬を削って部費を捻出(ねんしゅつ)した。

 2人が出場した28日(日本時間)、実さんは現地で、田中さんは社員や家族ら約70人と会社で応援した。田中さんは銀メダルの結果に「苦しかったけれど、続けてきてよかった。特別ボーナスは出せないけれど、よくやったと言ってやりたい」と目を潤ませて笑った。
【小林祥晃】
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下記の写真は、今回は出場できなかった中学生の高木美帆選手も入っての撮影である。今回サポート役に回り、メダルがない高木選手に3人がメダルを架けてあげる様子もテレビに映し出されていて、4人揃ってのチームワークの良さを感じさせるほほえましい光景だった。

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左より

田端選手、
小平選手、
高木選手、
穂積選手

最も若い
中学生の
高木選手は
今回、サポート
役に回った

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バンクーバー・オリンピックを観て

いつものことだがオリンピックの度に愛国心を鼓舞され、テレビの前に釘付けになる。自国の選手に勝って欲しいと思う気持ちは、どの国も同じであろうが、オリンピックという場では、自国の選手だけでなく、他国の選手の活躍にも皆が拍手を送っている姿を観ていると、そこには偏狭な民族主義の色彩はなく、地球上皆が仲良くやっているという雰囲気を感じ、ほのかなやすらぎを感じる。

しかし国家とスポーツの関係には煩わしいものがある。各国がメダル獲得数を競うことは避けられない。中国や韓国などが、国威高揚のために国策として、選手の育成に力を入れているのに対し、我が国は国としての介入は少ない。かってのオリンピック強国ロシアも凋落傾向をとめることができない。かってソ連時代に比べて、国家としてのスポーツ強化策が弱くなったからだと思われる。

スポーツは夢を育む文化として大切であるが、福祉、教育、医療など国民生活に必須の予算との兼ね合いが難しいところだ。もっとスポーツに力を入れるべきだ、いやそうでない、という議論は今後も我が国では続くだろう。

むつかしい話はさておき、今回日本が獲得したメダルは5個(銀3、銅2)で決して多くないが、それぞれの選手がベストを尽くして頑張り楽しませてくれた。
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★カーリング
チーム青森(目黒、本橋、石崎、近江谷、山浦、選手)は、チームワークの良さでロシア、アメリカを破ったが、終盤、あと一歩のところで力尽きたところは残念だった。しかしカーリング競技の奥深さとその面白さを充分に堪能させてくれた。

★スピードスケート
男子500Mでは、長島、加藤選手がそれぞれ銀、銅メダル、女子団体・追い越しでは、田端、小平、穂積、(高木)選手が、僅かの差で惜しくも金メダルを逸し、銀メダルであったがチーワークが効を奏し、昨年4位の雪辱 を果たした。この他、小平選手は女子1000Mで5位、1500Mで5位、穂積選手は女子3000Mで6位であった。

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★フィギュアスケート:
男子では、高橋選手がライサチェック、プルシェンコと互角の戦いをし、銅メダルを獲得。女子では浅田選手が韓国のキム・ヨナ、カナダのロシェットとの美の競演を演じ、銀メダルを獲得した。日韓対決のような雰囲気であったが、両者とも健闘を称え合い友好的な雰囲気に終始したことは良かった。2010022600000212jij_vanpspoview00_6
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★フリースタイル・女子モーグル:
上村選手は健闘むなしく4位に終わったのは残念だった。過去3回の挑戦で、あと一歩のところでメダルに届かなかったことは無念であろう。

★スキー距離
女子30KMクラシカルでは、石田選手が、4位とこの種目、日本選手として始めて入賞したことは立派であった。

★その他
フィギュア・ぺアーの川口・スミルノフ組(日本人とロシア人混成のロ シアチーム)、女子フィギュアの未来選手(日本人であるがアメリカからの参加)、フィギュア・アイスダ ンスのリード組(母が日本人の姉弟ペア)、など、国境を越えた選手の活躍は楽しく見ることができた。

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