京都市北部 幕末歴史散策
3月某日、阪急河原町で下車し、幕末の京都を舞台として駆け抜けた坂本龍馬や桂小五郎の足跡をたどった。
「酢屋」
京都での龍馬は材木商「酢屋」に逗留していた。ここに彼が設立した土佐海援隊の本部が置かれていた
「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地」
坂本、中岡両名が暗殺された近江屋があったところ。今ではコンビニ店の前に石碑があるだけである。
龍馬は酢屋からここ近江屋に移り住んでから間もなく刺客に襲われた。
1867年、龍馬を中心として構想された大政奉還が成立し、江戸幕府が幕を閉じた1ヶ月後のことであった。
「坂本龍馬と中岡慎太郎の墓」
高台寺の近く、維新の道を登りつめたところにある霊山護国神社には明治維新の誕生に尽くした志士達1356名の墓があり、その中に龍馬と慎太郎の墓が並んである。
ここより更に登ったところに、桂小五郎(後の木戸孝允)と幾松夫人の墓が仲良く並んでいる。
「幾松」
桂小五郎と幾松の寓居跡。幕末当時、幾度となく新撰組の襲撃をうけた。今も尚、抜け穴、飛び穴、のぞき穴、つり天井などが当時に近い形で保存されている。
ここで、私は昼食を戴いた(予約が必要)
「池田屋跡」
長州藩の京都焼き討ち計画を嗅ぎ付けた新撰組が、長州藩士が集まっている池田屋を襲撃、7名が死亡し、23名が捕えられた。不在であった桂小五郎は無事だった。
今は池田屋の石碑が立っているだけであるが、海鮮茶屋が「池田屋」の名前を商号にして使用しているところが面白い。
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