スペインとポルトガルの国民性を私の個人的な感覚と私の知識の範囲で比べてみると、スペイン人は、情熱的で、華美な性格を持つ国民であるのに対して、ポルトガル人は温和で、素朴で地味な性格の国民のように思われる。
これを如実に表すのがスペインの闘牛とフラメンコであり、ポルトガルのファドである。また、14~16世紀の大航海時代に、世界に君臨した両国の対応の仕方にもこのことが表れてるように感じた。
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フラメンコとファドのショーを見た。闘牛については、このような残酷な娯楽は私の好むところではないので見なかった。
フラメンコは15世紀にインド北部からアンダルシア地方に移住したジプシーたちの伝統的な踊りと土地の民謡、ユダヤ人の歌が融合して生まれたのが始まりといわれ、その心情を歌や踊りによって表現している。歌のメッセージは愛の歌が多く、喜怒哀楽を表現しながら情熱的に踊る。クライマックスに激しく足を打ち鳴らすエスコビージャはフラメンコの醍醐味である。(写真上)
一方、ファドはポルトガルに生まれた民族歌謡で、運命または宿命を意味し、人生の悲しみや切なさ、郷愁など心の感情を表現して歌われるが、このような意味の言葉で自分たちの民族歌謡を表すのは珍しいといわれる。
ところで、ファドは暗く悲しい歌だという誤解をもって紹介されており、中には陽気なファドもある、と言う方もおられるようだが、私自身は暗く悲しい歌の方に魅力を感じる。また、ファドはよく日本の演歌に似ているといわれるが、私はファドの方が歴史に根ざし、もっと奥行きが深いものに思われた(断っておくが私は我が国の演歌が好きである)。(写真下)
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さて、両国は、いわゆる大航海時代を中心として世界に君臨した。ポルトガルはエンリケ航海王の時代におけるディアスによる喜望峰到達を端緒として、ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路発見、カブラルによるブラジル到達、マカオ到達などを達成し、ご存知のように日本へは1543年、種子島に到達し鉄砲を伝えている。その後、香料や銀などの東方貿易で大いに繁栄したが、下記に述べるスペインのように他国の文明を破壊するような残虐性を持ち合わせていなかったのではないかと思われる(註:このように記載したのは充分に調べていないからである)。
一方、スペインは、コロンブスのアメリカ大陸発見後、カリブ海などの地域で、砂金の採掘やプランテーションで現地の人たちを奴隷化し過酷な労働を強いた。その後もフィリッピンを植民地化した他、1521年にはアステカ文明、1520年にはマヤ文明、1532年にはインカ文明を滅亡させた。これらの惨状を見て、ドミニコ会司祭・バルトロ・デ・ラス・カサスの様にスペイン人による大規模な文明破壊を、カトリック信仰の立場から批判した人物がいたが、極く少数であった。
少し前になるが、石見銀山を訪れた時、現地のガイドさんが、私見であるがと前置きして、種子島へ鉄砲を伝えたのが、もしもポルトガルでなくスペインであったならば、その後の日本がどのような運命を辿ったがわからない、と言っていたが、あながち間違いでもないと感じた。
今回の旅でも、現地の男性の日本人ガイドさんにそのことに関連して聞いた見た。そのガイドさんはポルトガルに憧れ、ポルトガルに定住し30年近くになる方である。彼の説明によると、16世紀までポルトガルは熱狂的なキリスト教徒ではなく、温和なキリスト教徒であったということであり、このことがスペインとは異なった気質を生み出したのではないかということであった。
by 八木: http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/
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