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2010年4月

2010年4月30日 (金)

箕面瀧道アンテナアショップ

先日、箕面瀧道アンテナショップの総会が開催され出席。私は先月入会したばかりであるが、微力ながら活動に参加させて頂くことになった。

総会には十数名の方が参加され、昨年度の事業報告の後、今後の事業については、名称をNPOアンテナショップ「箕瀧案」として活動していくことが決定。箕面市の活性化に貢献するべくアンテナショップを中心として様々な活動をしていくことになった。

Simg 現在、みのお物産としてゆずを使った商品開発などを行っているが、今後、朝市の開催、箕面市観光協会が主催している箕面川床協議会への参加、人力車の運営など、少しずつ活動を活発化していくことになる。

国土交通省近畿地方整備局も後援する川床プロジェクト「箕面 de かわゆか」が4月29日から5月16日まで、社会実験的に行われ、箕面の瀧道に沿って6つの川床店が設けられるが、「箕瀧案」も箕面観光ホテルと共同で、川床梅屋敷として参加する。

昨日4月29日はその初日であり、関西テレビなども取材に来ており、箕面の瀧道は賑やかであった。写真は開店の準備をしているところ様子である。Simg_3108

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2010年4月28日 (水)

雑感・イベリア半島(その4)・・・フラメンコとファド

スペインとポルトガルの国民性を私の個人的な感覚と私の知識の範囲で比べてみると、スペイン人は、情熱的で、華美な性格を持つ国民であるのに対して、ポルトガル人は温和で、素朴で地味な性格の国民のように思われる。

これを如実に表すのがスペインの闘牛とフラメンコであり、ポルトガルのファドである。また、14~16世紀の大航海時代に、世界に君臨した両国の対応の仕方にもこのことが表れてるように感じた。
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フラメンコとファドのショーを見た。闘牛については、このような残酷な娯楽は私の好むところではないので見なかった。Simg_2883 フラメンコは15世紀にインド北部からアンダルシア地方に移住したジプシーたちの伝統的な踊りと土地の民謡、ユダヤ人の歌が融合して生まれたのが始まりといわれ、その心情を歌や踊りによって表現している。歌のメッセージは愛の歌が多く、喜怒哀楽を表現しながら情熱的に踊る。クライマックスに激しく足を打ち鳴らすエスコビージャはフラメンコの醍醐味である。(写真上)

Simg_3016
一方、ファドはポルトガルに生まれた民族歌謡で、運命または宿命を意味し、人生の悲しみや切なさ、郷愁など心の感情を表現して歌われるが、このような意味の言葉で自分たちの民族歌謡を表すのは珍しいといわれる。

ところで、ファドは暗く悲しい歌だという誤解をもって紹介されており、中には陽気なファドもある、と言う方もおられるようだが、私自身は暗く悲しい歌の方に魅力を感じる。また、ファドはよく日本の演歌に似ているといわれるが、私はファドの方が歴史に根ざし、もっと奥行きが深いものに思われた(断っておくが私は我が国の演歌が好きである)。(写真下)
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さて、両国は、いわゆる大航海時代を中心として世界に君臨した。ポルトガルはエンリケ航海王の時代におけるディアスによる喜望峰到達を端緒として、ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路発見、カブラルによるブラジル到達、マカオ到達などを達成し、ご存知のように日本へは1543年、種子島に到達し鉄砲を伝えている。その後、香料や銀などの東方貿易で大いに繁栄したが、下記に述べるスペインのように他国の文明を破壊するような残虐性を持ち合わせていなかったのではないかと思われる(註:このように記載したのは充分に調べていないからである)。

一方、スペインは、コロンブスのアメリカ大陸発見後、カリブ海などの地域で、砂金の採掘やプランテーションで現地の人たちを奴隷化し過酷な労働を強いた。その後もフィリッピンを植民地化した他、1521年にはアステカ文明、1520年にはマヤ文明、1532年にはインカ文明を滅亡させた。これらの惨状を見て、ドミニコ会司祭・バルトロ・デ・ラス・カサスの様にスペイン人による大規模な文明破壊を、カトリック信仰の立場から批判した人物がいたが、極く少数であった。

少し前になるが、石見銀山を訪れた時、現地のガイドさんが、私見であるがと前置きして、種子島へ鉄砲を伝えたのが、もしもポルトガルでなくスペインであったならば、その後の日本がどのような運命を辿ったがわからない、と言っていたが、あながち間違いでもないと感じた。

今回の旅でも、現地の男性の日本人ガイドさんにそのことに関連して聞いた見た。そのガイドさんはポルトガルに憧れ、ポルトガルに定住し30年近くになる方である。彼の説明によると、16世紀までポルトガルは熱狂的なキリスト教徒ではなく、温和なキリスト教徒であったということであり、このことがスペインとは異なった気質を生み出したのではないかということであった。

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雑感・イベリア半島(その3)・・イスラム教とキリスト教

イベリア半島の歴史は複雑だ。この半島を舞台に多くの民族の流出入が繰り返されて来た。しかもユダヤ教、キリスト教、イスラム教入り乱れての熾烈な戦いがあった。我が日本国が侵略を受けたのは元寇ぐらいのものであろう。それも幸運にも自然の力である神風によって一蹴できた。

イベリア半島は、フェニキア人やギリシャ人による地中海沿岸の殖民都市建設、カルタゴによる都市建設、ポエニ戦争後のローマによる支配、キリスト教の1~2世紀における普及、ゲルマン民族による西ゴート王国と続くが、間もなく西ゴートは北アフリカより進入したイスラム勢力・後ウマイア朝に亡ぼされた。後ウマイア朝はコルドバを都としキリスト教勢力を一掃した。キリスト教勢力の一部はイベリア半島の北部に逃れ小国をつくるが、やがてこれらのキリスト教小国が、イスラム勢力の相互内紛に乗じてレコンキスタ(国土回復運動)を始めることになり、最終的には1492年、カスティーリャ王国(イサベラ女王)とアラゴン王国(フェルナンド国王)が統一してできたイスパニアにより、イスラム最期の王朝・ナスル朝は亡ぼされた。1492年とは偶然にもコロンブスがアメリカ大陸を発見した年である。

歴史を見ると、不思議なことに、これらのキリスト教国とイスラム教国の攻防において、一方が他方の文化を徹底的に破壊することなく、一部を温存していることである。後ウマイア王朝のイスラム支配下では、キリスト教とユダヤ教は経典の民として信仰を続けることが許された。ただし庇護民として差別は受けたが。そして大聖堂なども完全には破壊されず、改造して利用された。

例えばコルドバにあるメスキータ(イスラム教寺院)は、イスラム教時代、キリスト教の聖堂があった場所に785年モスクが建てられ、その後歴代のカリフによって増改築が繰り返された。しかし1236年、コルドバがキリスト教徒に再征服されると、再び聖堂(カテドラル)が造られるが、アーチやミフラブなどがそのまま残され、イスラム教とキリスト教が並存する珍しい建物になった。薄暗い闇の中に浮かび上がる赤茶と白の馬蹄型のアーチは幻想的な美しさを呈す(写真)。

グラナダにおけるアルハンブラ宮殿においても、同様なイスラム文化とキリスト文化の共存が見られる。

現代も宗教上の様々な対立が見られるが、お互いにその文化を認め合うことの大切さを改めて感じさせられる。

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コルドバ
にある
メスキータ
(イスラム教
 寺院)

Simg_5210

グラナダに
ある
アルハンブラ
宮殿

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雑感・イベリア半島(その2)・・気候と気質

イベリア半島(スペイン・ポルトガル)の気候は不安定だ。晴れ、曇り、雨の状態が予測できない。現地のテレビなどを見ていると、一応天気予報らしきことはやっているが、当てにできない。これは天気予報の精度の高低ではなく、科学的に予想することが難しいということらしい。

天気予報を信じて晴れだと思って外出しても雨に降られるかも知れないので、毎日傘は必携である。また気温についても、、例年6月始め頃までは、暖かい日もあるが、寒さも続くことが多いので、人々は様々は気温に対応しなければならない。6月でも冬用、春用の衣服を両方備えておかなければならない。従って日本の様に四季に応じて皆が一斉に衣替えするというような習慣はない。街を歩いている人を見ても厚着をしている人、薄着な人と各人まちまちである。

現地のガイドさんから幾度となく、スペインやポルトガルの人々はおおらかな性格なので、日本における時と同じように考えてはいけませんという話を聞いた。例えば、時間の観念である。これは特にイベリア半島の人に限ったことではないが、現地の人との会合での待ち合わせ時間とか、レストランで何かを注文した場合、注文したものが供されるまでの時間である。
日本ならば5分程度の遅れが許容範囲であるが、ここでは20分から30分遅れというのが日常茶飯事で許容範囲である。

私には、このようなスペインやポルトガルの人々のおおらかな性格は、上記のような気候風土が影響しているようにも思われた。このようなおおらかな時間感覚の下で、両国の人々は立派に、長い歴史を刻み、生き抜いて来たのだ。必ずしも日本人のように、時間に厳しく、あくせく働いたり、生活したりして、効率優先的に振る舞うことが良いとは言い切れないと感じた。人間的な余裕のある生活を送ることも大切ではないかと。

(その3)(その4)に続く

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2010年4月25日 (日)

雑感・イベリア半島(その1)・・・偶然に遭遇

家内と先日、スペイン・ポルトガル旅行のツアーの一員として参加した時のことである。

関空からパリへ向う途中の機内で、たまたま隣の席に居合わせた女性の方に、どちらへ行かれるのですかと声をかけたことが契機となって話が弾んだ。楽しいひと時であった。彼女は私とほぼ同じ年齢であり、イギリス人のご主人とロンドン近郊にお住まいである。今回は5年ぶりの日本への里帰りを終えての帰国途上ということであった。日本でお見合いを幾度としたが断り続け、偶然に日本に来て仕事をされていたご主人と英語の先生・生徒の関係で知り合いになり結ばれたという。現在はアーティストのご主人の仕事を手伝いながら、自分自身の日本語教師などの仕事もされている。

お互いの生活のこと、仕事のこと、家族のことなど、色々と家内も一緒になって話しが弾んだ。イギリスへ旅行の機会があれば是非、自宅に宿泊して、イギリスの田園生活を楽しんで頂きたいというお誘いを受ける。連絡先を交換してパリ空港でわかれる。帰国後、早速メールを発信して、機会があれば是非ともイギリスの自宅を訪問できることを願っていますと伝える。

改めてこのような機内での偶然の出会いの不思議を想った。
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13日に出発し、2日目の4月15日頃、添乗員さんからアイスランドで大規模な火山噴火が起こり、火山灰が欧州各地に達し、空路が麻痺しているという話を聞く。突然のことなので驚く。
以前にもアイスランドで火山が噴火したことがあり、フランス革命や日本の天明の大飢饉の遠因となったという話を聞くと事の重大性を感じた。

Rtr_getimg 帰国のスケジュールは不明確だという。それでも私どもツアーの一行は皆、このようなことを気にせず、楽観的であった。しかし旅が終盤に近づくにつれて気になってホテルのテレビのニュースを聴いたりしたが、詳細は分らない。帰国2日前頃になっても見通しがつかず、最悪帰国が延期になった場合に備えて、衣料などの準備をし始めた。

ところが、1日前の20日になって事態は好転。無事予定通り帰国できるということになり全員安堵する。我々の一行は幸運に恵まれた。旅行中に問題が発生し、且つ解決したのだから。

聞くところによると、今回の火山噴火により日本からの出発が中止になったり、旅行の途中で足止めされたりした人たちが多くいるという。帰国時、隣の席に居合わせた方も、フランス旅行をされていたが、最終出発地のパリで6日間足止めされたとのことであった。この方の一行には元気な女性がおられ、健康体操のインストラクターである彼女が一行を集め、空港で皆を元気づけるためにラジオ体操をさせたという。これが欧州のTV局の目に触れ、取り上げられ放映されたという話も聞いた。

歴史的な大噴火事件に巻き込まれたことは、ある意味では良い経験であった。

(その2)に続く

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2010年4月12日 (月)

まちなみパネル展(箕面市)

先日、参加することにした「みのお市民まちなみ会議」が主催する「まちなみパネル展」が箕面市のメイプルホールで行われていたので見に行き、事務局理事のKさんの説明を受けた。

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みのお市民まちなみ会議は、箕面市との連携により、箕面市の街の景観を維持するための活動をしているNPOである。

今回のような「まちなみパネル展」や「タウンウォッチング」の活動、箕面市指定保護樹林のPR活動、などを行っている。市の広報誌「もみじだより」にも記事を投稿している。

写真や写生など、色んな得意技を有している方がいて、熱心に活動されているとのこと。

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箕面アンテナショップ箕瀧案

大阪箕面市といえば明治の森箕面国定公園を有し、日本の滝百選「箕面大滝」と色鮮やかな「もみじ」で知られる関西有数の景勝地である。また明治の森箕面国定公園は、東京都八王子市にある明治の森高尾国定公園とを結ぶ東海道自然歩道の西側の起点としても有名である。この自然歩道は我が国が高度経済成長の下で自然破壊が進む中、自然を見直そうという想いで、当時の厚生省(現在は環境省)の提案により1974(昭和49年)に完成した。

さて、阪急線箕面駅を下車し、箕面大滝へ至る滝道に沿って3分ばかり歩いた左側に、箕面アンテナショップ「箕瀧案」という小奇麗な店がある。


Simg_2631 ここは、NPO組織「ええ・みのお推進市民の会」の呼がびかけで発足した「箕面瀧道アンテナショップ実行委員会」が、箕面商工会議所と連携して運営している店である。このアンテナショップには箕面市の商工業者からの珍しい特産品が所狭しと陳列されている。

最近特に注力しているのは箕面の柚子(ゆず)を使った商品である。箕面は実は知る人ぞ知る「柚子の里」でもある。

その歴史は江戸時代中頃に遡る。明治時代には止々呂美地区の特産品となっていた。箕面の柚子の大部分は「実生(みしょう)栽培」。種から時間をかけて大切に育てられ、病気に強く大粒で香り豊かな良い実をつけS1av1a1a1a1athumbnail2る。
この柚子の一次加工品(果汁・ペースト・粉等)を使ったオリジナル商品を作ってくれる事業所を、箕面市商工会議所のゆずともみじの里・みのおプロジェクト会議では募集している。

先日訪れた時、つぐ工房の「ゆずぷりん」、日乃出餅(桜井市場)のゆず羊羹などが売られていた。美味しそうだったので買い求めた。ゆずの香りに溢れ大変美味であった(写真はゆずぷりん)。
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ところで、NPO組織「ええ・みのお推進市民の会」は、誰もが安心して暮らせる持続可能な地域社会の形成を目指す市民や事業所の”街づくり”活動の支援を行うことを目的として設立された。

そして過去には、空き店舗を利用した物産・土産ショップの開店、箕面市内でのお祭りでの屋台出店、ほろびゆく文化「のぞきからくり」の復元、龍安寺の開祖「役行者」の講演、そして最近では、前文で紹介したアンテナショップの開設、等々、様々な活動を行っている。今後も箕面市の活性化のために種々のアイデアを皆で出し合って活動して行くという。
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私も、今月からこの「ええ・みのお推進市民の会」に参加させてもらうことにした。地元箕面の発展に少しでもお役に立てばと思っている。先日初めての会合に出席。若い方もおられて活発な意見が交わされていた。大変興味深く感じた。

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2010年4月11日 (日)

京都伏見・寺田屋界隈

2010年3月末、某日。坂本龍馬の定宿であった寺田屋は平日なのに、春休みのせいか、観光客で溢れていた。放映中のNHK龍馬伝の人気の高さを物語ってる。かねてから訪れたいと思っていたが、なかなか実現しなかった。京都には、他に、龍馬ゆかりの宿・近江屋・池田屋があるが、それらの姿はなく、わずかに石碑などが残っているだけであり、それ故、当時の面影を残しているのは酢屋とここ寺田屋だけである。そして実際訪れてみて、思っていたよりも書籍では得られない多くの史実を学べ、嬉しく感じた。

さて、龍馬伝であるが、原作を読んでいないが、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の観点から龍馬の生涯を描いたものである。司馬遼太郎作の「龍馬がゆく」とは内容的に少し異なった箇所もあるが概ね、同じであると思う。異なっている点は、それぞれの人物の性格や行動が若干違っていることや、龍馬を巡る女性では、加尾さんや家老の娘・お田鶴さんが司馬遼太郎の小説には描かれているが、今回の龍馬伝では出てこないと言うようなところだ。
福山雅治、香川照之、寺島しのぶ、広末涼子、貫地谷しほり、などがそれぞれ龍馬、岩崎弥太郎、乙女姉、加尾、千葉佐奈子を上手く演じており楽しませてくれる。
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伏見の旅館・寺田屋では幕末史に残る2つの事件で有名だ。ひとつは1862年、薩摩藩急進派と他藩の志士達が寺田屋に集合し、討幕の挙兵を決行しようという計画をしていた時、薩摩藩主島津久光の命で鎮圧し、9名の志士が犠牲となった寺田屋騒動、もうひとつは、1866年龍馬が伏見奉行所の捕方に襲われた寺田屋事件である。

見学して、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」で読んだ様々な光景が脳裏に浮かんできて興味深く思った。寺田屋騒動の際に残されたという刀傷や入浴中の龍馬の妻・おりょうさんが裸で駆け上がり危険を知らせたという階段、宿の女将さん・お登勢さんの肖像画、龍馬とおりょうさんが一緒に写った写真、勝海舟、桂小五郎、龍馬、西郷など明治維新を導いた者達の集合写真、など、多くの史実を物語る多くのものが見られた。

その他、寺田屋の辺りには、龍馬が歩いた竜馬通り商店街、十石舟乗り場、月桂冠大蔵記念館、伏見の酒蔵街、長建寺、など見所満載であった。
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「龍馬がゆく」や今回の「龍馬伝」においても、描かれているように、当時の尊王攘夷運動という流れの中で、尊王攘夷という狭い領域に埋没せず、広く世界と言うものを意識し、勝海舟等とともに、平和裏に幕末の政権交代を演出した坂本龍馬の生涯を改めて再認識した伏見での一日であった。

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寺田屋全貌

Simg_2591

龍馬の妻
おりょうさんが
危険を感じ
駆け上った
という階段

Simg_2598

勝海舟、
桂小五郎、
龍馬、西郷など
明治維新を
導いた者達の
集合写真、

Simg_2578

竜馬通り
と名付け
られた
商店街

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2010年4月 9日 (金)

JAXA関西サテライトオフィス(クリエイション・コア東大阪)

先日、東大阪市のクリエイション・コア東大阪の中にある「宇宙航空研究開発機構(JAXA)・関西サテライトオフィス」を訪問した。ここで宇宙コーディネーターという役目をされている竹林さんに会うためである。竹林さんとは私が住友電気工業に勤めていた時の仕事仲間であり、退社後も時々情報交換をさせて頂いている友人である。以前から一度お伺いしどのようなことをされているか知りたいと思っていた。

Kannsai 関西サテライトオフィスは、宇宙開発利用を促進するための産学官連携拠点となることを目指し、平成15年8月、開設された。

そして、①自社の保有する技術をロケット、人口衛星に活用できないか?などの技術相談・支援、

②JAXAの試験設備を利用してみたい(宇宙環境に機器が耐えられるか?などを検証)、

③JAXAの保有する技術を使って商品化したい、人口衛星から観察したデータを活用して地図を作りたい、などのサービスを行っている。

竹林さんにはこれらのことについて詳しく説明頂いた。
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クリエイション・コアには、セミナー講師などで幾度か訪れている。中小企業が商品を展示できるコーナーもあり、色んな企業の活躍振りを知ることができるが、最近の不況の波を受けて、出店企業が出店費用(2万円/月)を負担に感じ、減少しているとの話も聞いた。淋しい思いがした。

竹林さんの紹介で、ここクリエイション・コアで、金融面で中小企業の相談にのっている大阪東信用金庫の若林さんと懇談した。中小企業の方々が色んな製品開発をする場合に、大学とか産業科学研究所などの支援を受ける際の様々なハードル(申請や適切な文書化など)の高さなどについて意見を交換したが、こういった間を取り持つ人材が不足していることにも問題があるようである。

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吉持製作所様から書籍を贈呈されました

先日、幾度となく私のブログで紹介させて頂いた吉持製作所の社長・吉持さんを訪問した。私が最近、仲間と一緒に出版した書籍「中小企業経営実践の道しるべ」(SAVS研究会著)を差し上げるためである。その時、吉持さんから逆に一つの本の贈呈を受けたので、この本についてご紹介したい。

書籍名は、「昻く!(たかく)・大化け前の関西元気企業」(著者:神内治)である。取り上げられているのは大阪を中心として全て関西の企業である。

Simg 同書のはじめに次の様に記されている:「無名でも元気な関西企業を取り上げていこう」。サラリーマンの応援紙・夕刊フジ(関西版)で2004年10月から始まった連載「大化け前の関西中小企業」は2008年9月の終了までに、取り上げた企業は200社を数えた。

まだ小なりとはいえ、そう遠くない時期には、大きく伸びていくであろう企業を紹介することが、関西全体を元気にすることにつながるはずだ。その思いを神内治氏が結実してくれた。

連載中から読者の反響も大きく、「初めて耳にする会社が、こんな努力と工夫を重ねているのか」といった声が多く寄せられた。(記:前夕刊フジ関西総局次長/現産経新聞大阪本社制作局次長・上坂徹氏)

著者の神内氏は、一般紙や月刊誌、週間誌などでライターとしてご活躍されている。

本書において、吉持製作所も第5章「復興・再生・継承」の中で紹介されている。吉持さんのことについては以前のブログでもご紹介したように、大企業との突然の取引停止を転機に下請依存から脱し、独特の職人の技「ヘラ絞り」を後世に伝えるべく頑張っておられる。今やネットを通じての取引が盛況で、全国からの訪問客が絶えない。また地域社会活性化のリーダーでもある。

その他、多くの企業の成長に至る工夫や苦労話が面白く描かれており、大変参考になる。じっくりと精読するつもりだ。

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光製作所(大阪市東成区)・・風雪を耐えて来た堅実な経営

大阪市東成区大今里というところに㈱光製作所という精密板金加工や照明器具の製造をされている、小さいながらもどことなく風格を備えた会社がある。同社の社長・井上圭司さんとは、私が大阪商工会議所の経営相談員をしていた当時からのお付き合いで、私より少し人生の先輩であり、時々訪問しては、経営の苦労話などをお聴きしては、私の経営コンサルタント業務の糧にさせて頂いた。

同社は1937年(昭和12年)の創業であり、以来、堅実な経営により戦中・戦後の風雪を切り抜けて来た。井上圭司さんは同社の2代目社長である。井上さんはひと言で言えば、厳格な精神をお持ちである。このことが会社全体に適度な紀律のとれた雰囲気を醸し出している。そうかといって決してワンマンでない。温かみを感じる方である。

その厳格さを感じさせる一例を挙げると、会社の会計と個人の会計の分離がある。よく中小企業では、会社のお金と経営者個人のお金とを混同することが多く見られるが、同社ではそのようなことは厳しく管理されており、お金の混同は見られない。例えば昼食などは社長自身、自分の財布から支払う等、会社の財布と個人の財布を完全に分けることが徹底されている。
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さて、井上さんは、中国やセイロン、モルディブなどへ出かけることが多い。同社では、将来に備えて新製品を開発しているが、草刈機、自家用発電機、薬会社向けの分袋機など、それらの多くは井上さんのアイデアで開発したものである。これらの製品は日本国内にも供給されているが、海外にも多く供給されている。

そして発電機などは中国の重慶というところにある中国企業に、台湾企業を通して作らせている。それ故日本企業を相手の話と異なり、契約の問題をしっかりとしなければならないし、品質についても充分指導しなければ満足のいく製品は出来てこないという。

よく現在の中国は技術レベルがかなり高くなり、かっての中国のことを考えると見当違いだという評論家やメディアの報道が多く見られるが、それはパナソニックやユニクロなどの超一流大企業関連企業にのみ当てはまることであって、大部分の中国企業はレベル的には依然として低いという。

従って井上さん自ら自腹で勉強会を開いて、生産管理の基本(QCD:品質、コスト・納期)を徹底的に教育されているという。最近はようやく教育の成果が上がり始めた。しかし折角教育した者が他の良い条件(給料など)を求めていなくなったりするので、苦労も絶えない。

最近、モルディブへ自家用発電機を納める事業をやり終えたとのこと。モルディブはインド洋にある島国である。26の環礁や1200の島々から成る人口30万人の国だ。海抜の最高が2.4mであり、最近では海面上昇による危険に晒されている。同国の大統領とも懇意にされており、井上さんは隠れた親善大使の役目も果されている。事業にまつわるお話を面白く聞かせて頂いた。(写真はモルディブの首都マレ)
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最後に井上さんには2人の息子さんがおられる。次男の方は従来から同社で働いておられるが、最近、外国の大学を出られた長男の方が、他社での勤務を終え同社に加わられた。2人の立派な後継者も得られたことにより、同社の将来は明るい。

先日、お邪魔した時、最近、私が仲間と一緒に出版した書籍を贈呈させて頂いたところ、長男の方が異業種交流会の同友会で活動されており、そこでその本をPRしてくれるという。ありがたい話であった。

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