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2010年4月28日 (水)

雑感・イベリア半島(その3)・・イスラム教とキリスト教

イベリア半島の歴史は複雑だ。この半島を舞台に多くの民族の流出入が繰り返されて来た。しかもユダヤ教、キリスト教、イスラム教入り乱れての熾烈な戦いがあった。我が日本国が侵略を受けたのは元寇ぐらいのものであろう。それも幸運にも自然の力である神風によって一蹴できた。

イベリア半島は、フェニキア人やギリシャ人による地中海沿岸の殖民都市建設、カルタゴによる都市建設、ポエニ戦争後のローマによる支配、キリスト教の1~2世紀における普及、ゲルマン民族による西ゴート王国と続くが、間もなく西ゴートは北アフリカより進入したイスラム勢力・後ウマイア朝に亡ぼされた。後ウマイア朝はコルドバを都としキリスト教勢力を一掃した。キリスト教勢力の一部はイベリア半島の北部に逃れ小国をつくるが、やがてこれらのキリスト教小国が、イスラム勢力の相互内紛に乗じてレコンキスタ(国土回復運動)を始めることになり、最終的には1492年、カスティーリャ王国(イサベラ女王)とアラゴン王国(フェルナンド国王)が統一してできたイスパニアにより、イスラム最期の王朝・ナスル朝は亡ぼされた。1492年とは偶然にもコロンブスがアメリカ大陸を発見した年である。

歴史を見ると、不思議なことに、これらのキリスト教国とイスラム教国の攻防において、一方が他方の文化を徹底的に破壊することなく、一部を温存していることである。後ウマイア王朝のイスラム支配下では、キリスト教とユダヤ教は経典の民として信仰を続けることが許された。ただし庇護民として差別は受けたが。そして大聖堂なども完全には破壊されず、改造して利用された。

例えばコルドバにあるメスキータ(イスラム教寺院)は、イスラム教時代、キリスト教の聖堂があった場所に785年モスクが建てられ、その後歴代のカリフによって増改築が繰り返された。しかし1236年、コルドバがキリスト教徒に再征服されると、再び聖堂(カテドラル)が造られるが、アーチやミフラブなどがそのまま残され、イスラム教とキリスト教が並存する珍しい建物になった。薄暗い闇の中に浮かび上がる赤茶と白の馬蹄型のアーチは幻想的な美しさを呈す(写真)。

グラナダにおけるアルハンブラ宮殿においても、同様なイスラム文化とキリスト文化の共存が見られる。

現代も宗教上の様々な対立が見られるが、お互いにその文化を認め合うことの大切さを改めて感じさせられる。

by 八木: http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/


Simg_5301_2

コルドバ
にある
メスキータ
(イスラム教
 寺院)

Simg_5210

グラナダに
ある
アルハンブラ
宮殿

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