« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月

2010年6月26日 (土)

東洋理機工業㈱ ・・・・・ロボットシステムインテグレーターの旗手

大阪市西淀川区御弊島。この辺りには鉄鋼業などの大きな企業の工場がひしめく。その一角、JR東西線加島駅から徒歩10分ばかりのところに東洋理機工業㈱があった。玄関を入ると細見成人社長が笑顔で迎えてくれた。(下の写真は細見社長)

東洋理機工業㈱は、産業用ロボットのシステムインテグレーター(ロボットエンジニアリング)をメインの事業にしている従業員20名の小さな会社だ。

Simg_3265_2 現在、ロボット分野で、我が国は世界の先頭を走っているが、同社の仕事はロボットメーカーが開発したロボットを顧客の要望に応じて最適な作業をするシステムに作り上げることだ。

得意とするのは多種多様なハンドリング。これに加えて最近では独自開発のカスタムロボットの分野への進出も始めている。

同社は、戦後間もない1948年、細見さんの父が始めた製鉄所関連の設備をつくる鉄工所がスタート。様々な分野の顧客の要望により生産設備の省力化・合理化・自動化のサポートを行って来た。

細見さんは、大学を卒業後、神戸製鋼所の機械研究所でタービンやターボコンプレッサーの研究開発を行って来たが、自分のやりたいことをしたいと思う気持ちが強く、それならば中小企業がよいということで、父の後を引き継いだ。元々機械や電気が好きだったが、家業の主軸であるロボットに興味を持ったのは、早稲田大学時代に師事した故・加藤一郎教授の影響が強い。同教授は世界で始めて二足走行ロボットを開発したことで知られている。

同社の最近の歩みは次の通り。
===========================
「3K職場(きつい、汚い、危険)の過酷な作業や、特殊環境下での作業はロボットに! 人はより創造的な仕事に! 」 という思いを込めて産業用ロボットのシステムインテグレーターとして事業を開始。

1982年より産業用ロボットのマニプレーター及びハンドの開発をスタート。以来、産業用ロボットをニーズに合わせてカスタマイズし、システムインテグレーションすることにより有効で役立つロボットアプリケーションシステムを開発し、生産現場の生産性向上に寄与して来た。現在までに、ハンドリングを中心に200以上のロボットシステムの納入実績がある。

従業員20名という少ない陣容で、機械設計、電気設計、制御システム、システム設計、製造、据付、ロボットのティーチングまで、ハードの外注を除けば、全て社内でこなす。

2005年より新たな分野として始めたのが、コミュニケーションを中心としたより人間に近づいた次世代ロボットを実社会で稼動させるための用途開発だ。2003年には、大阪市の次世代ロボット開発ネットワーク「RooBo」の創設メンバーの一人となり、更には現実の用途に合わせて使えるよう、ロボットシステムをイージーオーダーするカスタマイズチームを立ち上げ実用化を進めている。最近では、病院の入院患者向けに「病院夜間出入口安全見守りロボット」や食品メーカー向けにキャラクターロボットを納入した。

将来的に目指すのは、産業ロボットの用途として、製造業に限定せず食品、化学、医薬品分野や広くサービス分野でのロボットの用途開発を図ること及び少子高齢化での労働人口減少に対する熟練職人の技能伝承を図ることである。

前者については、
たこ焼きロボットやお好み焼きロボット(人と同じ道具を使ってお好み焼きをつくる15軸の双腕ロボット)を開発し、ロボットの巧みな動きとその汎用性を関係者に訴求し、ニーズを探っている。後者については、熟練を要する鍛造作業について、ハンマーの力加減や状況を分析・学習しながら作業をするロボットやグラインダ研磨作業をするロボットの実証実験を続けている。成功すれば世界初である。
Simg_0001
更に、汎用ロボットでは適用が困難な分野には、そのニーズに適した
カスタムロボットをゼロベースで開発し、提供する。これは特定用途向けの専用ロボットであるので、シンプルでコンパクトであり、ティーチングレスで機種変更可能というメリットがある。



===========

ここまで主として同社の製品やその開発状況について述べてきたが、他の面についても若干記しておきたい。

同社には社長の細見さんを除けば、専任の営業人員はいない。顧客としては、神戸製鋼所、小松製作所、日本鍛工などの装置メーカー、安川電機、ファナックなどのロボットメーカーが挙げられるが、これらの顧客の要望には何でも好き嫌いなく応えて来た。このことが特に営業活動しなくても自然と仕事が舞い込むことにつながっている様だ。納入先リストには我が国の有数の大手メーカーが名を連ねる。

社員の平均年齢は40歳と比較的若く、現場を見せて頂いたが、社内は家庭的でフレンドリーな雰囲気に満ちている。そして皆が自社性を発揮するとともに、協力して仕事をしている様子がひしひしと伝わってきた。(下の写真はロボットシステムの調整作業をしているところ)

今後の経営についてお伺いしたところ、自然体で経営を考える。やたらに売上を上げようとせず、世の中の自然な需要に応えていきたい、また中小企業同士のコラボレーションにより、コアー技術を持った企業が協力してやっていくような体制を築いていきたいと言っておられた。

Simg_3271

by homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2010年6月20日 (日)

もしドラを読んで

”もしドラ”として知られているこの本に興味を持ったのは私自身の仕事に関連した経営学からの観点もあるが、秋元康氏に師事し、放送作家として知られる著者・岩崎夏海氏がこのような経営学(マネジメント)を主題とした小説をどのように素人にもわかりやすく説明しているのかということであった。”もしドラ”とは「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの”マネジメント”を読んだら」というタイトルの小説である。

著者はこの本を青春小説としてデビューさせたかったらしく、この書籍が書店のビジネス書のコーナーに並べられていることにいささか不満らしい。しかしこの本の読者はマネジメント(経営)に若干の興味をもった者ではないかと思われる。

さて、物語は高校野球のマネージャー役を引き受けた女子高校生がドラッカーの”マネジメント”を拠り所として野球部を強化し、甲子園出場を果すと言う物語である。主人公の川島みなみは小学生時代は少年野球チームに所属し、男子に混じって野球をし、男子を凌ぐ力量を持っていた実力の持ち主である。

物語は主人公が野球部のマネジメントにドラッカーの”マネジメント”を適用してみようと考えることから始まる。

まずは、野球部の目的と使命は何か?顧客は誰か?ということであるが、考えた末に野球部は顧客に感動を与える組織だということに辿りつく。顧客とは、野球部員を含め、学校の生徒、その父兄、地域社会の人々など、野球部を取り巻く関係者である。

ドラッカーのマネジメントにおいては、組織の出発点は顧客の創造であると説明している。そこで主人公は、野球部員という顧客の現実・欲求・価値からスタートしてマーケティングを始める。その方法としては野球部員のそれぞれのメンバーの長所に合った仕事を与え、成果を上げさせることで働き甲斐を感じさせる。そのためにはチーム制を採りいれた練習方法を工夫したり、自己目標管理を採用したり、また部員間のコミュニケーションを良くする方法を工夫する。

更にはイノベーションにも取り組む。イノベーションとは野球部が成長するための戦略である。そのために送りバントやボールを打たせる投球術を排除することにした。なぜならばこれらは高校野球には向いていないと判断したからである。

また、社会の問題についての貢献にも取り組む。問題児の野球部への取り込み、陸上部や柔道部、家庭科部との連携、地域の少年野球の指導などである・・・・・・・

このようにして野球部のメンバーに目的意識を持たせることにより、野球部という組織が成長し、遂には甲子園出場を勝ち取るというストーリーであるが、組織のマネジメントを分りやすく野球部という身近な組織を通してわかりやすく解説しているところに本書の価値があるように思われる。

八木記載


by
八木: http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年6月19日 (土)

知覧特攻平和会館

先日、鹿児島を訪れた時、知覧にある知覧特攻平和会館に立ち寄った。知覧は太平洋戦争の末期、陸軍の特攻基地のおかれた町である。この知覧特攻記念館は史実を後世に正しく伝え、世界の恒久平和を願い建設されたという。

館内には、命じられるがままに、南の海に消えていった若き特攻隊員の遺影、遺品、記録等が展示されていた。中でも涙を誘うのは彼等の遺書であった。18歳から23歳ぐらいの若者が、母親、父親、兄弟姉妹宛てに、最後の思いを手紙に託し綴っている。

Simg
特に多かったのは母親への手紙であった。今まで育ててもらった母親への感謝の言葉が綴られている多くの手紙を読むと本当に泣けてくる。

館内の案内人の方の説明によると、若者が最後の瞬間に思い浮かべるのは母親だという。(上の写真は、遺影と遺書が展示されているコーナー)

また、鳥濱トメさんという食堂経営者が語る回想のビデオが映されていて、これも印象的だった。トメさんは基地の近くの富屋食堂の経営者で、隊員達の母親的な存在であったという。隊員の話を母親代わりに聴いてあげたという。トメさんには、憲兵の検閲を避けるため隊員がトメさんに託した手紙を代理で投函したというようなエピソードもある。
Simg_0001

この記念館で感じたことは、我が国が軍国主義という間違った道を歩んだ過去の歴史を真摯に見つめ、二度とこのようなことが起こらない様にすることだ。このような歴史を風化させないためにもこのような記念館の存在価値がある。

 

by 八木

| | コメント (1) | トラックバック (0)

消費税引き上げ問題について思う

民主党・菅政権は消費税の引き上げを含む税制の抜本改革案を表に出して来た。良いことである。過去の政権は消費税の引き上げをすれば国民の反発を受けるだろうと言うことで選挙で負けるのを嫌って先送りして来た。民主党政権になったからも小沢氏の意向で同様なことが続けられてきた。

今回、菅政権になってから改めて消費税の引き上げが議論されるようになった。これは急に持ち出されたわけでなく、民主党の良心的な人々の間で熱心にその必要性が叫ばれていたように理解している。

勿論、消費税の引き上げは、自民党政権が放置してきた、あるいは容認して来た行政のムダを徹底的に排除した上でなされなければならないことは言うまでもない。

資本主義(自由主義)体制という体制の他に、適当な体制がみつからない現代において、採るべき道は今のところ次の二つしかない。

①アメリカ型の市場経済至上主義:これは自己責任といえば格好が良いが、自己責任という美名の下で、成功者は莫大な富を得ることができるが、一方普通の庶民や何かの契機でつまずいた者などの弱者を切捨てにする体制である。 あるいは ②北欧のスエーデン、ノルウエイ、デンマークなどの社会民主主義政権下で行われている社会福祉政策に重点をおいた適度な大きさの政府を持つ体制である。この体制下では政府がある程度責任をもって医療、福祉、教育などの面で国民の生活を保護してくれるが、その反面税金が高い。

さて、どちらの体制を選ぶべきかであるが、私としては後者の②の社会福祉政策に重点をおいた体制にすべきであると思う。アメリカ型の体制は日本人には向かない。日本人は古代から皆が助け合って生きてきた。そのような社会がたとえば日本が誇る精緻なモノづくりも生み出しているのである。
=====================
それには、菅さんが言うような最小不幸の社会やアジアにあるブータンの様に国民の最大幸福を指標として掲げているような国の方が良いのではないか?

そのためには消費税の引き上げは、仕方ないことである。税金は高いが生活面での費用が少なくなるという社会を築く方が良い。社民党などが消費税反対を唱えているが、本来ならば同党はこれに賛成すべきことではないのかと思う。

とにかく、いずれにせよ消費税引き上げというような大きな改革をする場合は、参議院選挙や衆議院選挙を通じて民意を問うことが必要だ。その意味で菅政権が参議院選挙前にこのことに触れたことは良かったと思う。

by 八木: http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年6月 8日 (火)

写真を撮るには詩人の心を!・・対談:中西進/織作峰子

我々は、美しい風景やその他の場景を何気なく写真に撮るということが多いと思う。その時でも写真の対象に対して、何かの思いを馳せて写真を撮れば、その写真が生きたものとなり、印象深きものを我々に遺してくれるものだ。すなわち、そのような写真を撮るには詩人の心が必要だということだ。

このような写真の効用を改めて教えられたのは、昨日、奈良県明日香村の万葉文化会館で開催された「まほろば対談」であった。

この対談は現在平城遷都1300年祭の一環として行われているキトラ古墳壁画「四神」特別公開を記念して、万葉集研究の第一人者で万葉文化館長である中西進さんと元日本ユニバース日本代表で写真家・大阪芸術大学教授の織作峰子さんとの間で行われた。
Simg_3172
対談は、織作峰子さんが国内外で撮った写真とその場景に合った万葉集の歌が並列にスクリーンに映し出され、それに基づいてお二人が、それぞれの思いを話されるという設定であった。

織作さんは最近特にスイスやイタリア、オーストラリアなど、海外で写真を撮ることが多く、最近では「SWISS 光と風」などの写真集を発行されている。織作さんは写真を撮られる時、万葉集の歌の心を思い描いておられる。

本対談では、次のような万葉集の歌と写真がが採りあげられた。
=======================
「恋ひ恋ひて逢える時だに 愛しき言尽くしてよ 長くと思わば」(坂上郎女)

 写真:ローマの街で、雑踏の中、恋人同士が短い逢瀬の後
     別れを惜しんでいると思われる写真
=======================
「人もなき空しき家は草枕 旅にまさりて 苦しかりけり」(大伴旅人)

 写真:列車の車窓から眺めたイギリスの農村風景。廃れた家屋が
     荒野の中にぽつんと淋しく立っている写真。

(注:まほろばとは「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の古語

 倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし)

古事記中巻・景行天皇帝紀では倭健命の、日本書紀では景行天皇の望郷歌とされる和歌が「まほろば」の代表的用例として知られる。

by 八木: http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年6月 4日 (金)

日吉屋(和傘屋)・・世界に羽ばたく伝統の技

「日吉屋」さんという、伝統を重んじながらも新しい時代に追随している和傘屋さんがあることを知ったのは、中小企業基盤整備機構が運営する中小企業ビジネス支援サイトに「元気なもの作り企業300社」という欄があり、そこで紹介されていたからだ。にわかにどのような会社であるのか知りたくなり、訪問したいと申し入れたところ即座に快い返事を頂いた。

京都市上京区、堀川通を少し東に入った閑静な街並みに一歩踏み入れたところに、京和傘の老舗「日吉屋」があった。店内に足を踏み入れると和傘とともに柔和な光を帯びた美しい和風の照明が目に入り、一瞬これが傘屋さんかと見間違うほどだ。(下の写真は、照明に囲まれた西堀社長)

日吉屋の創業は今から約150年前、江戸時代後期に遡る。表千家や裏千家のご用達という老舗だ。しかし明治時代に始まった西欧化の流れの中で和傘も洋傘にとって替わられ、今では和傘屋は全国でも10軒にとどまり、京都市内では和傘製作は日吉屋だけが残っているだけだ。
Simg_3152
京都では、古来都として長らく栄えた土地柄、早くから和傘が使われてきたが、過度な装飾を排したシンプルさと最高級の素材と技術で仕上げられた上品さを持つ、京都独自の美意識を持つ和傘「京和傘」として発展して来た。

特に日吉屋では店の立地上、茶道との関係が深く、質素な中にも凛とした佇まいを見せる侘び茶の世界に合う野点傘(のだてがさ)などを生み出して来た。そして、今日でも日本の伝統文化を代表する茶道を始め、日本舞踊、歌舞伎などにはなくてはならない道具としての和傘を供給している。

しかし、和傘産業は産業としては衰退の傾向にある。そこで日吉屋は和傘で培った技術を照明という異分野の分野に転用することで、伝統に新たな息吹を吹き込もうとして来た。

今年、4月ドイツのフランクフルトで開催された照明・電気の大規模見本市「Light+Building」に日吉屋が出展したのは和傘ではなく「古都里-KOTORI-」というブランド名をつけた照明器具だ。

日吉屋は照明器具をスイス、ドイツ、フランスなどに輸出している。日吉屋が照明に取り組み始めたのは2005年であった。そして4年目の2009年には年間2000万円の売上に成長した。海外にまで市場を広げたのは、このようなニッチ商品で事業を成立させるには国内のみでは不十分であるからだ。欧米向けの製品は、主としてホテルやレストランなどの業務用に絞っている。

照明に目をつけたのは、和傘と照明の相性の良さだという。和傘には開閉が自在にできる竹素材の骨組みの幾何学的な造形と、和紙が透過する光の美しさがある。内部に光源を置いて傘を動かすと、影の形や光の透け方も変化する。

この照明は勿論日本国内においても人気を博したが、海外でも注目を浴び、米国のタイム誌などで取り上げられ、欧米の販売業者と次々と契約を結ぶことに成功した。
=========================
日吉屋は今でこそ、6000万円の売上高となり海外販売も手がけるが、1997年頃には年商100万円にまで落ち込み、廃業寸前であった。当時西堀社長(35歳)は和歌山市新宮市役所の観光課に勤める公務員であった。日吉屋は奥さんの実家。業績の厳しい時期、両家全員が反対する中で、西堀社長はあえて跡をついで5代目になることを決意した。

西堀社長がこのように決意した背景には次のようなカナダ・トロントで勉学に励んでいた時の外国人の友人との出会いにある。外国人の友人は自国の文化のことを詳しく知っている。これに対し友人から日本文化のことを聞かれて何も答えられない自分がいた。日本文化のことをもっと知らなければならないとその時感じた。日本文化への興味を掻き立てられた。

そして、初めて日吉屋に行った時、率直に素晴らしいと思った。これほど素晴らしいモノつくりの文化を捨ててしまうのは惜しいと感じたという。

その後、新宮市から毎週京都に通った。職人の作業をビデオで撮影し、帰宅してから作業を真似して修業に励んだ。2003年に正式に跡を継ぐと、観光課時代に培ったウエブサイト構築のノウハウを生かしてネット販売を軌道に乗せた。このネット通販という手段を用いることで大きな潜在需要を掘り起こすことに成功し、現在に至っている。
=========================
マーケティングと商品開発の面から日吉屋さんの特徴的なことを挙げると、必要に応じて、外部のデザイナー、ブランドの専門家、照明メーカー、建築デザイナー等との異分野の人との共同開発を行っていることだ。古都里については、和傘職人の常識になかった傘の上部を開く斬新な構造を採用し、円筒形のランプシェードを実現。伝統と革新的なデザインの組み合わせはメディアの間で話題になった。

現時点での傘と照明の割合は売上比で5:1だという。販路は今後、海外の代理店との契約を強化し、海外に注力する予定。商品の納期は約1ヶ月。

日吉屋さんは最近は「女性自身」、「日経ビジネス」などの雑誌や、多くのメディアに取り挙げられたので、知名度が高くなり、就職希望者が多く押し寄せるという。

従業員は7名。いずれもまだ20代の若者である。お伺いした時には一心不乱に働いている若者を見て、日吉屋さんの明るい未来を感じた。因みに日吉屋さんは「2009年元気なモノ作り中小企業300社(中小企業基盤整備機構)」に選ばれている。
尚、日吉屋では体験工房での実習も受け入れている。

by 八木: http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

Img_3155

日吉屋玄関前
に立つ西堀社長

Img_3145

製作中
の風景

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »