写真を撮るには詩人の心を!・・対談:中西進/織作峰子
我々は、美しい風景やその他の場景を何気なく写真に撮るということが多いと思う。その時でも写真の対象に対して、何かの思いを馳せて写真を撮れば、その写真が生きたものとなり、印象深きものを我々に遺してくれるものだ。すなわち、そのような写真を撮るには詩人の心が必要だということだ。
このような写真の効用を改めて教えられたのは、昨日、奈良県明日香村の万葉文化会館で開催された「まほろば対談」であった。
この対談は現在平城遷都1300年祭の一環として行われているキトラ古墳壁画「四神」特別公開を記念して、万葉集研究の第一人者で万葉文化館長である中西進さんと元日本ユニバース日本代表で写真家・大阪芸術大学教授の織作峰子さんとの間で行われた。
対談は、織作峰子さんが国内外で撮った写真とその場景に合った万葉集の歌が並列にスクリーンに映し出され、それに基づいてお二人が、それぞれの思いを話されるという設定であった。
織作さんは最近特にスイスやイタリア、オーストラリアなど、海外で写真を撮ることが多く、最近では「SWISS 光と風」などの写真集を発行されている。織作さんは写真を撮られる時、万葉集の歌の心を思い描いておられる。
本対談では、次のような万葉集の歌と写真がが採りあげられた。
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「恋ひ恋ひて逢える時だに 愛しき言尽くしてよ 長くと思わば」(坂上郎女)
写真:ローマの街で、雑踏の中、恋人同士が短い逢瀬の後
別れを惜しんでいると思われる写真
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「人もなき空しき家は草枕 旅にまさりて 苦しかりけり」(大伴旅人)
写真:列車の車窓から眺めたイギリスの農村風景。廃れた家屋が
荒野の中にぽつんと淋しく立っている写真。
(注:まほろばとは「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の古語
倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし)
古事記中巻・景行天皇帝紀では倭健命の、日本書紀では景行天皇の望郷歌とされる和歌が「まほろば」の代表的用例として知られる。
by 八木: http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/
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