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2010年10月

2010年10月29日 (金)

瀬戸内寂聴さんの読書論

瀬戸内寂聴さんといえば波乱万丈の人生を歩まれて来た方である。先日、ある新聞を読んでいると、読書について、大変含蓄のあるお話をされていた。その一節を記す。

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子供には本人が面白いと思った本は何でも読ませた方がよいですよ。親がこれがいい、これはダメだといってはいけません。そのうち、つまらない本は読まなくなりますよ。子供が本を選ぶ力は自然と身についてくるものなんですよ。

私は歳をとっても若い人の小説を読んでいます。最近読んだ中では、川上未映子さんの「ヘヴン」が面白かった。どうも若い人の書くものは・・・・・・なんて、というのはその人が古いんですよ。

運命の一冊なんてないですよ。本に助けられたこともない。ただ沢山の本を読んでいるから、自分自身に降りかかったことが特別なこととは思いません。世の中に幾つもあることです、良いことも悪いことも、全てありうる。・・・・・本を読んでいる人はその当たり前のことがわかるんじゃないでしようか。
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さすが、多くの人の人生相談にのっておられる方の読書論であると思った。また、私も、自分のやってきた読書がそんなに間違いでないことがわかり、納得できるような寂聴さんの読書論であった。

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2010年10月27日 (水)

王貞治さん、吉永小百合さんの文化功労者賞受賞

王貞治さん(70)、吉永小百合さん(65)。このお二人に共通するのは、王さんが野球、吉永さんが映画と、それぞれ分野が違うが、その道を極めた人にしては大変謙虚であられるということだ。常に自分のことだけでなく、周囲の人達に気を配っておられるところが私は好きだ。いい人が受賞されて良かった。

今回の文化功労者受賞に際しての感想を聞かれて、お二人は次のように述べている。

王さん:一緒にやってきた人たちの代表として認められたと受け止めています。思い通りにいかなかったことの方が圧倒的に多いですが、我々は悔しさをバネにしてやった来ました・・・・・

吉永さん:先輩やスタッフの方達に励まされて50年の歳月がたちました。俳優としての未熟な私がここまで来られたのは、これらの方のお蔭です。映画つくりを共にしてきた皆様に本当に深く感謝しております・・・・・・

お二人の謙虚さが窺えるコメントだ。

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2010年10月24日 (日)

天下分け目の合戦場・天王山

10月19日、草津商工会議所からの帰途、天王山に立ち寄った。
以前から仕事でJR山崎駅の辺りを通過する時、いつかは山崎で降りて、天王山に登ってみたいと思っていたが、なかなかその機会がなかった。

その日は予定より少し早く仕事が終わり、山崎についた頃はまだ3時半頃だったので、ふと天王山に登ろうと思い下車した。

天王山といえば、本能寺の変の直後、秀吉と明智光秀が対戦し、秀吉が明智光秀を破った天下分け目の合戦が行われたところである。

天王山は僅か270mの山であるが、スーツ姿で革靴という格好での山登りは意外と苦しかった。宝積寺を経て、秀吉が松の樹上に軍旗を掲げたという「旗立松」地点に到着。ここには展望台があり、眼下には合戦が行われたと云われている地域が広がっていた。木津川、宇治川、桂川の合流点は樹木に遮られて見えなかった。

下の写真は、山崎合戦案内板の前面に広がる風景。

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ここから酒解神社、十七烈士の墓(蛤御門の戦いで敗れた長州藩士の内、17名が天王山で自刃したと言われている)を経て、山頂に到着。駅から約40分の道のりであった。

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箕面市の「たきのみち ゆずる」が彦根の「ゆるキャラ祭」に出場

10月23日、24日の両日にわたって、滋賀県彦根市で「ゆるキャラまつり IN 彦根」が開催されているが、箕面市からは「たきのみち ゆずる」が出場している。

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  箕面市のゆるキャラ  ”たきのみち ゆずる”

そもそも「ゆるキャラ」とは、”ゆるいマスコットキャラクター” を略したもので、イベント、村おこし、名産品の紹介などのような地域全般の情報PRなどに使用されるものである。

提唱者のみうらじゅんさんによれば、ゆるキャラとして認められるための条件として、以下の3条件を挙げている。

 1)郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること。
 2)立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること。
 3)愛すべき、ゆるさ、を持ち合わせていること。

 更に、原則として着ぐるみ化されていることも条件に挙げられている。

「たきのみちゆずる」もこの条件にぴったりである。ゆるキャラグランプリの投票では、上位につけて欲しいものだ。

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さて、「たきのみち ゆずる」くんのことであるが、箕面市の止々呂美(とどろみ)地区では100年以上も前からゆずの産地として知られ、市場に出ていた。

種から栽培した実生ゆずが大半で、大きく香りも強いのが特徴だ。箕面市や箕面商工会議所では、
街の活性化の一環として、このゆずの知名度を上げようと、昨年3月にプロジェクト会議を設立。PRキャラクターとして「たきのみち ゆずる」をつくると共に、ゆずポン酢やゆずドリンク「たきのみちゆずる」 を開発した。現在、それらは好評販売中だ。

ゆずドリンクの開発者は、「実生ゆずでつくるドリンクは大変珍しい。一度香りと甘みを楽しんでほしいと」話している。現在、箕面瀧道にある ”アンテナショップ箕瀧案”などで販売されている。

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     たきのみちゆずる

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2010年10月18日 (月)

箕面市の秘境・止々呂美を歩く

10/16の土曜日、みのお市民まちなみ会議の皆様と一緒に、箕面・止々呂美地区を歩いた。

箕面市の北端にある止々呂美地区は、箕面市に残る唯一の農村風景が広がる美しい地区である。四方を山々に囲まれ、集落のほぼ中央を余野川が、北から南に流れ、川沿いに摂丹街道(余野道)が通る。

ここは今、箕面市が”ゆずの産地”として宣伝しているところだ。かっては菊炭の産地としても知られていた。また、我が国に鉄砲が伝来した当時、火薬の原料である硝石の産地として名が知られていたらしい。そのためか江戸幕府はこの地域を天領として支配していたという。
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さて、我々は白島のバス停前に集合。約15分で最近開通したトンネルを越えて止々呂美に到着。止々呂美農協に向かう。

そこでは、皆さんが夕方からの秋祭りに備えて地車の飾りつけをされていた。秋祭りは、豊作に感謝する例祭である。地車は江戸末期のもので、長らく村の倉庫に眠っていたが、数年前に地元を活性化しようという動きの中で、復帰したとのことである。
お忙しい中、我々のためにお囃子を披露して頂き、大変感激した。

この後、とどろみ体験農園・中政園へ向かい、”栗ひろい”を楽しむ。小学生の頃、栗ひろいをしたという記憶があるが、それ以来のことだ。この中政園では、他にも「椎茸狩り」「いも掘り」「あけび採り」が楽しめる。

止々呂美はかって菊炭の産地であったいう。各家が所有する山に、炭の原木となる櫟(くぬぎ)を植え、切り出して炭を焼いていた。その名残である炭焼き窯が園内にも見られた。

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       地車の飾りつけ

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   中政園・栗ひろいの入口

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          栗ひろい

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      炭焼き窯の跡

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2010年10月16日 (土)

チリ落盤事故から窺えるもの

チリ北部のサンホセ鉱山落盤事故で、約700mの地下に閉じ込められた33人の作業員全員が、世界が見守る中、69日ぶりに救出された。この救出作戦の成功の裏には、一人のリーダーの存在とチリ人の冷静な国民性が大いに関係しているという。

まず、リーダー格であったルイス・ウルスワさん(54)は、落盤事故の直後、仲間を集めて、落盤の状況を調べるために作業員3人を坑道内の探索に行かせた。そして、自分たちが閉じ込められたと判断すると食糧の配給制を敷いた。手元に残っていた2日分のツナ缶と牛乳から、48時間ごとに一人当たりツナはスプーン2さじ、牛乳はコップ半分に制限した。また、全ての決定を、多数決で民主的に決めたという。

まさに驚くべき団結力である。生命が危険に晒されている状況で、皆わがままを言わず、一人の優れたリーダーの下で、人間らしい理性を失わず行動したのだ。

リーダーのウルスワさんは6人兄弟の長男。14歳の時に父を亡くし、幼い時から母親と一緒に、兄弟のしつけをするようになり、兵役の時にも仲間を統率したりして、若くして指導力を身につけていたという。

このようなリーダーがいたからこそ上手くいったともいえるが、忘れてならないのはチリ人の国民性も大きく関係していることだ。冷静沈着、約束や時間を守る、真面目に計画的にやる。我々日本人と似通った国民性だ。また全国民が自分のことのようにかたずをのんで見守った。このようなことが重なって事態は成功裏に運んだのだ。

ところで、今回の事故で改めて反省すべきなのは、鉱山を経営する会社の効率第一の経営方針だ。生産を優先し、作業員の安全性などを無視していたという。このような企業は日本の一部の企業にも見られることだが。

リーダーのウルスワさんが、救出劇成功のお祭り騒ぎの中で、大統領に「二度とこういうことがないように」と釘をさした。

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       救出された33人の方


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2010年10月13日 (水)

To Chilean Government and Chilean People

To Chilean Government and Chilean People

I was very delighted to read in the world news that you have sucessfully achived the resque of 33 persons who were suffered from mine accident.

Please accept my heartiest congratulations on your success.

Yours sincerely,

The Japanese "Kyodo News"(共同通信) reports  as follows:

    【サンホセ鉱山(チリ)時事】チリ北部コピアポ近郊のサンホセ鉱山に閉じ込められた作業員33人の救出活動は、13日午前(日本時間同日午後)も続き、これまでに11人が地底から生還した。事故発生から69日ぶりの再会を待ちわびた家族らの間では、作業員が引き上げられるたびに歓声がわいた。鉱山事故で人がこれだけ長期にわたって地下に閉じ込められ、生還したのは異例。

 最初の「奇跡の生還」となったフロレンシオ・アバロスさん(31)が特殊カプセルで引き上げられたのは同日午前0時(同正午)すぎ。現場で出迎えたピニェラ大統領は「人類史上、比肩するものがない」と述べて、空前の救出作戦をたたえた。

 続いて救出されたマリオ・セプルベダさん(39)は「驚くほど運が良かった。神と悪魔の両方がいたが、わたしを引っ張ってくれたのは神だった」と幸運をかみしめた。朝方、9番目に助け出された最年長のマリオ・ゴメスさん(63)は家族とみられる女性と抱き合った後、ひざまずいて神に感謝の祈りをささげた。

 救出には、作業員をカプセルに乗せ、地下から地上に引き上げるのに必要な約15分間を含め、1人当たりの一連の作業に約1時間かかる計算。作業が順調に進めば、14日午前(同日夜)にも全員が地上に上がる見通しだ。

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2010年10月10日 (日)

尾崎将司さんの世界ゴルフ殿堂入り

私が若い時、男子ゴルフ界は、尾崎、青木、中島の3強の時代であった。シーズンともなると、毎週開催されるトーナメントで、この3人は優勝に絡んでいることが多かった。

当時栃木県の鹿沼や宇都宮に住んでいた私は、尾崎将司さん達の活躍によりもたらされたゴルフブームの中で、近くにゴルフ場が多いこともあってよくゴルフに行った。尾崎、青木選手とは年齢的には、お二人の中間に挟まれた年齢ということもあり、お二人を目標にして、元気を頂こうと意識した。

その尾崎将司選手がようやく世界ゴルフ殿堂入りした。日本選手としては、2003年の樋口久子さん、2004年の青木功さん、2005年の岡本綾子さんに次ぐ4人目の殿堂入りである。

遅すぎた感はある。国内では圧倒的な強さで通算94勝を挙げ、今日に至るゴルフ人気を定着させた立役者であったが、3人に比べ世界での実績が乏しかったからであろう。

尾崎さんは言っている。「日本でゴルフの普及に貢献した自負はある。しかし、世界でゴルフに貢献したことは残念ながら、ない。その気持ちはずっと心の中にある、と」。
私も尾崎さんが世界で目立った活躍をしなかったことを残念に思って来た。

しかし、よいではないか。ついに世界から評価されたのだから。尾崎さんの殿堂入りを知り、次代を担う石川遼、池田勇太も祝福に駆けつけた。

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2010年10月 6日 (水)

大和路まほろぼウォーク(平城遷都1300年祭)に参加

奈良は現在賑わっている。というのは、今年は710年の平城遷都後1300年に当たり、各種のイベントが奈良県各地で行われているからだ。

大和路まほろぼウォークもそのひとつのイベントであり、10月1日~3日までの3日間行われた。私は最終日・10月3日、家内とともに参加した。

当日、5時半に起床、奈良に向かう。当日は天候が悪く、天気予報は雨といっていたが、運よく時々小雨が降る程度で、日射も少なくウォーキングにはかえってよかった。

近鉄大和西大寺で下車し、徒歩で出発点の朱雀門に向かう。8時半に朱雀門に到着。既に多くの参加者が集まっていた。

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今回のウォーキングは、5km、10km、20km、30km コースの4つのコースがあったが、我々は20kmコースを選んだ。

9時にスタート。コースは奈良市役所→三条通→猿沢池→ならまち格子の家→今西家書院→志賀直哉旧居→春日大社→若草山→二月堂→東大寺大仏殿→奈良気象台→奈良YH→ウワナベ古墳→コナベ古墳→磐乃姫命陵→朱雀門というルートだ。

参加者の多くは健脚の持ち主だ。早く歩く人は時速7km、遅い人は時速4kmといったところ。時速7kmといえば競歩並みの速さだ。我々は久しぶりの奈良を楽しむためにゆっくりと時速4km程度で歩いた。

参加者は北海道から沖縄まで、日本各地から来ているようだ。外国人の姿も見られる。

道中、ご一緒した人の話によれば、このようなウォーキングは年中、各地で行われているということだ。マニアの人も多いらしい。日本ウォーキング協会というところが主催しているという。

静かな奈良のまちなかを歩くと大変癒されるという気持ちがする。
次の写真は格子が見られるまちなみだ。

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小学校の遠足以来訪れたことがない若草山を見ると昔の懐かしい記憶が蘇る。しかしフェンスで囲まれていた。若草山の向いにある茶店付近には多くの鹿が観光客に餌をねだっていた。

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これも久しぶりに見る二月堂は厳かな様子を呈していた。

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午後2時過ぎにゴールの朱雀門に到着。完歩証をもらう。到着直後から雨が激しくなった。
朱雀門から見る大極殿は煙って見えた(近鉄線が間に走っている)。
久しぶりの20kmのウォーキングには満足感を覚えた。

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