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2010年12月 6日 (月)

明治維新後の坂本龍馬像について

今年は久しぶりにNHKの大河ドラマ「龍馬伝」を欠かさず観た。フィクションを少し採り入れ、面白く演出されていたこともあるが、それなりに楽しめた。

さて、明治の統一国家をつくるために尽くした龍馬の功績は大きいが、明治政府が龍馬が望んでいた様なレベルの民主国家といえるものには少し物足りないものにしかならなかったのはなぜだろうか? すなわち、封建制が強く残る体制にしかならなかったのはなぜか? という疑問を私としては持った。

その点に関連して、司馬遼太郎氏は、”歴史の中の日本”の中の「龍馬像の変遷」というエッセイの中で次のように述べている。

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龍馬の場合、明治国家における彼の歴史的位置というものは、ほとんど無きに等しかった。小学校の教科書でも、明治の元勲というのは木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通の三人で、その後はいきなり伊藤博文、山県有朋という明治国家の作り手たちが登場する・・・・・龍馬という人物は、とくに国の枠の中で触れられなかったのではないでしようか・・・・・明治国家が薩長のものであり、明治政府をつくった人たちの利害の上に立って考えれば、この政府は自分たちがつくったのだと言いたかったのでしよう・・・・・だから、何もことさらに龍馬の名前を出す必要はない。という以上に、坂本龍馬の思想に危険性を感じていたんでしよう。

彼の思想については・・・・たとえば、彼のつくった海援隊を見ても、長という名のつくものがおらず、極めて民主主義的に運営していることに驚かせれます。すでに思想が基底にあることがよくわかります。・・・・・封建性を否定する思想がかなり濃厚に見られます・・・・・・どうしてこんな人物が出たのか、同時代の人たちからも、ともかくとびぬけた人物です。
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龍馬が明治の元勲とは違って、土佐藩の下級武士の出身であったということも、当時としては革新的な思想を持つに至った背景としてあるのではないかと思うのである。

写真は、京都にある坂本龍馬・中岡信太郎 の墓

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