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2011年6月

2011年6月27日 (月)

箕面・為那都比古神社

6月18日、みのお市民まちなみ会議のタウンウォッチングに参加した。
ウォッチングの途中、為那都比古神社に立ち寄った。

箕面・千里2号線の東側に鎮座する為那都比古神社は、大化改新以前からこの地を支配していた為那都比古の一族が、氏族の祖神として祀ったのが始まりとされている。

応神天皇の時代には、呉国から工女(ぬいめ)を迎え、機織裁縫の技術を伝えさせた(池田市の呉服神社の由緒と同じ)。工女の功績に比古の称号を与え合祀した。

また、明治40年(1907年)、萱野地方の神社10社などが合祀された。なお境内は白島村の飛び地であった。

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2011年6月13日 (月)

愛宕信仰の祠

6月12日(日)、箕面観光ボランティアガイド主催のオープンハイキングに参加。梅雨の最中のハイキングであったが、懸念された雨が降らず幸いであった。

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このような天候にもかかわらず、45名もの方が参加され完歩された。コースは龍安寺広場→風呂ヶ谷→才ヶ原池→如意谷愛宕→白島愛宕→箕面駅 の約9kmの道のりであった。

コースの途中、愛宕信仰の祠があった。愛宕信仰とは、京都市の愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社から発祥した、火防の神に対する神道の信仰である。

愛宕山の愛宕神社は、古くから修験道の道場となり、愛宕山に集まった修験者によって江戸時代中頃から愛宕信仰が日本全国に広められた。中世後期以降、愛宕の神は火伏せに霊験のある神として広く信仰されるようになった。

ここ箕面でも愛宕山に登ってお札をもらい祠をつくってお供えをした。祠の多くは裏山につくられ火の見櫓(やぐら)のような役目をしたという。下の写真は如意谷愛宕及び白島愛宕である。
        
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2011年6月 6日 (月)

映画「幸せの経済学」に感動!

東日本大震災に伴ってもたらされた福島原子力発電所事故。これにより人類が自らつくったものをコントロールできない原子力発電に対する懐疑とこのような危険なものを使わないようにしようとする運動が世界的に起きている。

近年、GNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)といった指標に翻弄され、どれだけ経済成長したかということが「豊かな国」と定義され信じられて続けて来た。そして人々はこのような「見かけの幸せ」の陰で、実質的な幸せを失った。事実、自分は幸福であると感じる人の割合は下がってきている。

GNPと共に議論されなければならないのが近代科学技術の発展である。科学技術は不治の病を治療するような「善」な技術を生み出す一方、原子力などの間違えば人類を破滅に陥れる「悪」の技術を生み出した。また我々人類は便利さの代償として人間らしさ、人の絆を失いつつある。
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このような中、映画「幸せの経済学」が最近公開されたことは大変意義深く感じた。この映画は、グローバル経済で我々は幸せになれるだろうか?と問いかけている。

この映画の制作者で監督の一人であるヘレナ・ノーバーグ・ホッジさんは「人間の真の豊かさを取り戻すには、地域の結びつきを育てることが大切と話す。
(朝日新聞の記事より)

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スエーデン生まれで言語学者だったヘレナさんは、1975年から北インド北部ヒマラヤ近くのラダックに住み、急速な近代化のひずみを目の当たりにした。大量の商品と消費をたたえる西欧の文化が流れこみ、伝統的な暮らしが一変したという。

(映画の一シーン)
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映画の前半ではグローバリゼーションが引き起こす問題を描く。長距離輸送で浪費される資源。物質的に豊かな米国で、幸福と感じる人の割合が下がっていること。貧富の差が拡大し、対立や原理主義の台頭を生み出していること。

そして、解決の糸口として「ローカリゼーション」が提起されている。買う人に生産現場が想像できないほど巨大に膨れ上がった経済を、地域レベルにしようとする動きが採り上げられている。日本からは、有機農業を核に地域活性化が進む埼玉県小川町が紹介されている。

私自身まだこの映画を観ていない。是非観てみたいと思っている。
ネットにその予告編があったので、参考に示す:

映画「幸せの経済学」予告編
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2011年6月 2日 (木)

竹内街道と太子町

5月末、太子町を家内と一緒に訪れた。予めお願いしていた太子町観光ボランティア「太子街人の会」のガイドの女性のお二人(KIさんとKMさん)と叡福寺前のバス停で落ち合った。お二人のガイドさんの説明は、大変丁寧でわかりやすく、自然と古代の出来事へ思いを馳せることができた。好天にも恵まれ、楽しい一日であった。

大和の飛鳥には何度か足を運んだが、この「ちかつ飛鳥」と呼ばれるこの地域も、同じ様に古代の面影を所々に残した風景が広がっていた。
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大阪と奈良の府県境にそびえる二上山。万葉集にも詠まれたこの山の西麓に、太子町がある。この辺りは昔、ちかつ飛鳥と呼ばれ、飛鳥時代、奈良の都と、大陸との玄関口だった難波を結ぶ「大道」(現在の竹内街道)が整備され、この地を小野妹子らの遣隋使や、大陸からの使節が行き交った。

大道を整備した推古天皇の摂政を務めたのが、町名の由来となっている聖徳太子だ。人口1.4万人の町には、叡福寺境内にある太子御廟をはじめ敏達・用明・推古・孝徳の4天皇陵、小野妹子らの墓が点在していた。一帯は「王陵の谷」とも呼ばれている。

当日ガイドさんに案内頂いた主な個所を記し、私自身の備忘録としたい。

*叡福寺
推古天皇が聖徳太子の墓を守護する香華所として建立したもの。織田信長の兵火で焼失したが、その後豊臣秀頼により聖霊殿が再建され、次第に伽藍の整備が進んだ。また、日本仏教の祖ともいうべき聖徳太子の墓所があることから、空海、親鸞、日蓮など新仏教の開祖となった僧たちもこの寺に参籠した。
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*聖徳太子御廟
叡福寺の奥にある円墳。太子の石棺と共に、太子の母・穴穂部間人皇后及び妃の膳郎女の石棺が安置されている。墳丘は二重の結界石によって保護されている。
聖徳太子の「廟窟偈碑」が墓の前にあった。
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*マンホール
太子町のマンホールには全て、「和を以て貴しと為す」という聖徳太子の17条憲法の一文が刻まれていた。
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*小野妹子の墓
科長神社南の丘陵上にある。小野妹子は華道の池坊の道祖とされている。
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*科長神社
平安時代の「延喜式」に記録された「式内社」と呼ばれた由緒ある神社。二上山にあって風の神「級長津彦命」を祀っていたが、この地に遷座されたという。
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*山本邸住宅
大和から河内にかけて街道沿いに残る「大和棟」の民家。母屋の屋根は茅葺きの切妻屋根の両側が本瓦葺きで、妻部分が高壁造り。
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*孝徳天皇陵
大化改新に即位した天皇の御陵。墳丘は「うぐいすの陵」と呼ばれ、「枕草子」に代表的な御陵として最初に採り上げられている「うぐいすのみささぎ」はこの御陵と考えられている。2011_0525_142220dvc00009

*妙見寺
蘇我馬子の開基とされる大寺院であった。蘇我馬子の位牌が現存している。
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*竹内街道
堺市の大小路から奈良県葛城市の長尾神社に至る全長30kmの街道。

日本書記に「推古天皇21年(613年)に難波より京に至る大道を置く」と記された我が国最古の官道ともいえる大道ルートと大部分が重なっている。

飛鳥時代、中国や朝鮮半島の優れた文化は、難波からこの街道を通じて飛鳥の京にもたらされた。710年の平城遷都により次第に外交路としての意味を失い衰え始めるが、中世末には自治都市・堺が栄え、堺と大和を結ぶ経済の道として再び脚光を浴び、この頃竹内街道の元ができあがった。

そして江戸時代になり、西国巡礼や伊勢詣りなどが盛んになるにつれて、宗教の道として意味をもつようになった。
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*二上山
雄岳、雌岳の二峰からなる。万葉集では「ふたかみやま」とも呼ばれ「二神山」に通じるとも言われている。かって火山活動によって生成された二上山から産出するサヌカイト、凝灰岩、金剛砂の3つの岩石は歴史上で重要な役割を果たした。
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最後にまとめとして文化財保護の点から述べたい。

太子町は小さな自治体であるが、文化財保護や街の景観には大変力を注いでおられる様で、事実、町は美しい。しかしながら財政面から、例えば竹内街道の街並み景観の維持などで、充分な配慮がなされているとは言い切れないとガイドさんは言っておられた。

我が国のどの地域にも同じようなことが言えるのではないかと感じた。

by 八木経営システム研究所
http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

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