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2011年7月

2011年7月22日 (金)

祇園祭を楽しむ

今まで関西に住みながら祇園祭へ行ったことがなかった。今年は東日本大震災もあったこともあり、町衆たちはいつにも増して準備に熱が入っていると聞く。

8月17日の山鉾巡航の日、朝9時の巡航開始に間に合わせようと、早く起きて阪急河原町に9時前に到着。山鉾出発地点から少しのところにある「辻回し」地点は、既に沢山の人出で前に進むのが難しいくらいだ。

ようやく見学地点を定め、待つこと15分。最初の山鉾「長刀鉾」が到着し。辻回しを始めた。竹を車輪の下に敷き、それに水をかけての作業。1回目、2回目と方向転換を試みるが失敗。3回目にようやく成功した。

あとから聞くと大体3回目で方向転換(辻回し)できるらしい。所要時間は約15分。成功すると「わっと」いう歓声が起こるのも祭らしい。

続いて、鉾や山が次々と見学地点を通過した。

とにかく大勢の人出であるが、時々このように身動き出来ないほどの人ごみにもまれた状態に身を置くというのも皆の元気を頂くようで楽しいものである。来年は7月16日の宵山にも行ってみたい。
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ところで、祇園祭は、京都市の八坂神社(祇園社)の祭礼である。平安時代の869年(貞観11年)、天災を引き起こすとされる怨霊を鎮める朝廷の儀式「御霊会(ごりょうえ)」が起源とされる。

この年、全国で疫病がはやり、マグニチュード8.5 の激しい地震と大津波を伴う貞観地震が東北地方を襲った。この祭りは、薬師如来の化身・牛頭天王を祀りとりおこなわれている。
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2011年7月18日 (月)

なでしこジャパン、米国を倒し優勝(W杯)

第6回女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会の決勝戦で、日本代表「なでしこジャパン」が世界ランキング1位のアメリカを破る快挙を成し遂げた。大変感動的な試合であった。

今まで勝ったことのないアメリカを相手にしての勝利だけに大変価値のあるものだった。1981年に初めて代表が結成されてから苦節30年。主将・澤さんを中心とした、まさにチームワークによる勝利とも云える。

東日本大震災の復興が政治家の党利党略により、今一つ盛り上がりを感じなく、行く末に一抹の不安を感じている現在、なでしこジャパンの皆様の奮戦は、我が国に明るさと希望をもたらすものである。

(写真は時事ドットコムより借用)

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2011年7月14日 (木)

今は、行き過ぎた技術文明を見直す良い機会だ

技術文明の発展は、不治の病の根絶や過酷な肉体労働の軽減などに寄与した一方、行き過ぎた便利さや生活環境の改善は、確実に人類を精神的にも肉体的にも蝕んで来た。

原子力発電によりもたれされた過剰な電力は、我々人間の生活を必要以上に便利にし、人間を蝕んだ。例えば、30年前以上前ならば、エアコンなしで暑い夏や寒い冬を過ごしたものだ。それによって暑さや寒さに耐えうる体力が自然と身についた。

今夏、熱中症により病院に運ばれたりする若者が急増している。何故なのだろうか。これは多分にエアコンなどの恵まれた生活環境の下で育った若者の体力が、著しく低下しているためだと思われる。自然環境に耐えきれない弱い若者が増えているのだ。

若者の体力は一昔前に比べると確実に低下している。当然、彼らの寿命も、今の中高年の人たちと比べると短くなるであろう。

福島原発事故による節電の必要性が叫ばれているが、これは人間を適度な、自然に近い生活環境に戻して、鍛え上げる良いチャンスだと思えば良い。

原子力発電を段階的に減らし、自然エネルギーによる発電だけでやって行けるような生活環境をつくるのに良い機会だ。

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2011年7月 3日 (日)

農園 杉・五兵衛・農業を越えた農耕の園

6月半ば、取材のため、大阪府枚方市にある農園 杉・五兵衛さんを仲間と一緒に訪れた。目的は杉・五兵衛さんが行っておられる独特の農業経営について、代表者の野島五兵衛さんからお話をお聞かせ頂くためであった。

(注)野島さんの姓名で、「ノ」の字は、パソコン辞書にない特殊な文字ですので仮に「野」を使っています。

野島さんの家は戦国時代からの農家で、ずっとこの地で農業を営んで来た。現在、杉・五兵衛さんで行っている姿の農業をやると決めたのは、今から40年前の大学時代であった。農学部で学んでいたが、どのような農業をやるかで当時は悩んだ。そのことについて親との葛藤もあったという。

その現在行っている農業とはどんなものであるか、それは、少なくてもいいから一番良い状態で、農作物を消費者に提供したいということであった。大ロットで市場に出荷することは儲けるという観点では有利であるが、そんな農業は野島さんの眼中にはなかった。

杉・五兵衛さんで行われている農法とは、「有機循環農法の輪」と表現されている。これは、”ロバがいて人がいて野菜がある”ということに尽きる様だ。

すなわち、畑の雑草や野菜の残渣がロバの餌となる→ロバの糞を微生物の力を借りて発酵させ堆肥化する→農薬や化学肥料を使わず、この自家製の堆肥とぼかし肥料で野菜を育てる→地下水を利用して野菜本来の味を活かす料理を手作りし、お客様に五感で季節を感じて頂く。という流れだ。

野島さんは、我が国の農業は正当な対価を得ていないと言う。良い農作物は、少々高くても、皆がそれを受け入れる気持ちがあれば、充分やっていけるのではないかとも言っておられた。良い農作物を食べて健康になることが大切なのに・・・。

このような農業を育てて行くには国としての対応も求められる。欧州の国々の農産物自給率が高いのは、国が補助をしているからだ。そうでなければ、たとえばオーストラリア産の大規模農業で効率的につくられたものには対抗できない。

さて、杉・五兵衛さんの農園には、新しい農業を求めて若者も多く集まって来ているが、他に仕事がないから農業でもというような若者は、長続きしない。やはり多少苦しくても、我慢して働く信念のある若者が生き残るという。男女の割合は半々であるが、どちらかと言えば女性が多い。

農園を訪れる顧客は、老若男女であるが、やはりどちらかと言えば女性客が多い。一度来て、気に入った客が、新しい客を連れて来てくれるので、最近では優良広告は必要ないという。

最後に、杉・五兵衛さんのHPに記載のある次の言葉は、野島さんのお話を聞いて後、現在の我が国の農業を鑑みる時、非常に意義深いものに感じた。
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農業を越えた農耕の園:

農耕とは自ら種を播き、耕し、育て、そしてそれを食した。その育てるという過程におのずと教育が生まれ、花が咲き、実がつくことにより情操が生まれる。更に収穫したものをいかに蓄え活かし食するという中に文化が芽生える。

農業という産業に分科してからは、いかに多くの金銭を得るかとすることばかりに重点が置かれ、「農」の楽しみがなくなり、教育や文化までも衰退してしまっている。

農業にとって農地は仕事場であり生活の場でもある。まず、そこを快適な場、誰もがそこに住みたくなるような場にするのは当然のことであるのに、今までの「農」に対する考え方にはそのことが欠如している。
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代表者の野島さん(農園を背景にしての撮影)

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和風農園レストランの入り口
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佐藤芳之氏・アフリカの人たちのために奔走する人

こんな日本人もいるのだ!ということを認識すると共に、同じ日本人として誇りを感じさせてくれる人がいる。ケニア最大の食品加工メーカー「ケニア・ナッツ・カンパニー」を創業した佐藤芳之氏だ。

佐藤氏は現在71歳。約50年前に単身でアフリカに渡り、一代で年商30億円の同社を育て上げた。その目的は、アフリカ人の自立と貧困からの脱出だ、儲けるなどというようなことは、この人には無縁のことだ。

下記の写真は、朝日新聞の記事より借用。
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ケニア・ナッツ・カンパニーは、マカダミアナッツを中心に紅茶、コーヒー、ワインなどを生産・販売している会社で、その取引先は「ネスレ」など世界企業である。工場で働くスタッフに、原材料のナッツを作る農民など、生み出した雇用は10万人。その収入で支えられる家族は100万人で、人工4000万人のケニアの40人に一人という勘定だ。

ここに至る道のりは苦難の連続だった。ケニア社員の遅刻、無断欠勤、衛生面に無頓着な態度などが同氏を苦しめた。そこで持ち込んだのが「社員を大切にする日本的経営だ」。

無料で社員が利用できる医務室、家族が病気になれば面倒をみる制度、10時のティータイム、社員のための独自の社内ローンなどだ。これらと佐藤氏の誠実は態度がケニアの人たちの心を動かした。今や同社はケニアの人たちによって運営されている。

「役割が終われば去る」というのが佐藤氏の持論だ。
同氏は68歳にして、この会社をケニア人に譲り、今度はルワンダに向かう。1994年の民族大虐殺で100万人が殺害されたという悲しい過去を持つ国だ。ここで同氏はバクテリアを利用した公衆衛生事業を日本の専門家の協力を経て始めた。そして消臭浄化剤を現地で生産し、ルワンダ政府を巻き込んだ公衆衛生事業を始めている。

同氏は今回の東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の出身だ。震災後、アフリカより一時帰国し、故郷のために、仮設住居のトイレの衛生化などに尽力された。

最後になるが、同氏のことに少し触れたい。同氏は東京外国語大学を卒業後、直ぐにアフリカの人たちのために何かをしたいという思いで、ガーナに留学している。こういうところが普通の人と違うところだ。また子供の頃、左目が失明し、このハンディキャップを克服して来たという。このことも同氏のその後の人生に少なからず影響を及ぼしているものと思うのである。

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