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2011年7月 3日 (日)

農園 杉・五兵衛・農業を越えた農耕の園

6月半ば、取材のため、大阪府枚方市にある農園 杉・五兵衛さんを仲間と一緒に訪れた。目的は杉・五兵衛さんが行っておられる独特の農業経営について、代表者の野島五兵衛さんからお話をお聞かせ頂くためであった。

(注)野島さんの姓名で、「ノ」の字は、パソコン辞書にない特殊な文字ですので仮に「野」を使っています。

野島さんの家は戦国時代からの農家で、ずっとこの地で農業を営んで来た。現在、杉・五兵衛さんで行っている姿の農業をやると決めたのは、今から40年前の大学時代であった。農学部で学んでいたが、どのような農業をやるかで当時は悩んだ。そのことについて親との葛藤もあったという。

その現在行っている農業とはどんなものであるか、それは、少なくてもいいから一番良い状態で、農作物を消費者に提供したいということであった。大ロットで市場に出荷することは儲けるという観点では有利であるが、そんな農業は野島さんの眼中にはなかった。

杉・五兵衛さんで行われている農法とは、「有機循環農法の輪」と表現されている。これは、”ロバがいて人がいて野菜がある”ということに尽きる様だ。

すなわち、畑の雑草や野菜の残渣がロバの餌となる→ロバの糞を微生物の力を借りて発酵させ堆肥化する→農薬や化学肥料を使わず、この自家製の堆肥とぼかし肥料で野菜を育てる→地下水を利用して野菜本来の味を活かす料理を手作りし、お客様に五感で季節を感じて頂く。という流れだ。

野島さんは、我が国の農業は正当な対価を得ていないと言う。良い農作物は、少々高くても、皆がそれを受け入れる気持ちがあれば、充分やっていけるのではないかとも言っておられた。良い農作物を食べて健康になることが大切なのに・・・。

このような農業を育てて行くには国としての対応も求められる。欧州の国々の農産物自給率が高いのは、国が補助をしているからだ。そうでなければ、たとえばオーストラリア産の大規模農業で効率的につくられたものには対抗できない。

さて、杉・五兵衛さんの農園には、新しい農業を求めて若者も多く集まって来ているが、他に仕事がないから農業でもというような若者は、長続きしない。やはり多少苦しくても、我慢して働く信念のある若者が生き残るという。男女の割合は半々であるが、どちらかと言えば女性が多い。

農園を訪れる顧客は、老若男女であるが、やはりどちらかと言えば女性客が多い。一度来て、気に入った客が、新しい客を連れて来てくれるので、最近では優良広告は必要ないという。

最後に、杉・五兵衛さんのHPに記載のある次の言葉は、野島さんのお話を聞いて後、現在の我が国の農業を鑑みる時、非常に意義深いものに感じた。
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農業を越えた農耕の園:

農耕とは自ら種を播き、耕し、育て、そしてそれを食した。その育てるという過程におのずと教育が生まれ、花が咲き、実がつくことにより情操が生まれる。更に収穫したものをいかに蓄え活かし食するという中に文化が芽生える。

農業という産業に分科してからは、いかに多くの金銭を得るかとすることばかりに重点が置かれ、「農」の楽しみがなくなり、教育や文化までも衰退してしまっている。

農業にとって農地は仕事場であり生活の場でもある。まず、そこを快適な場、誰もがそこに住みたくなるような場にするのは当然のことであるのに、今までの「農」に対する考え方にはそのことが欠如している。
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by 八木経営システム研究所
http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/

代表者の野島さん(農園を背景にしての撮影)

Img_8649

和風農園レストランの入り口
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