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2011年9月

2011年9月28日 (水)

外国人留学生の受け入れ

大阪大学国際教育交流センターが主催する、外国人留学生のホストファミリーの集いが本日あり、我が家として、二人目の留学生を受け入れることになった。

今回受け入れるのは、韓国からの女子学生、K・Sさんである。大学当局から紹介を受け、家内と一緒に懇談。彼女は、日本語が堪能で、日本に滞在中は日本文化をできるだけ学びたいとのこと。我が家としても国際親善のために、家庭料理を食べてもらったり、日本文化や歴史にふれてもらう機会をできるだけ多く提供したいと思っている。また、我が家としても、逆に韓国の文化を学ぶ良い機会だ。

ところで、東日本大震災による福島原発事故の直後、日本への留学生が急激に減少したと聞いていたが、本日の様子ではかなり回復したように感じる。

我が国の様々な分野での存在感は、諸外国との親善の程度に大いに関係しているといっても過言ではないので、留学生がもっと増えればと願っている。

今回の留学生の顔ぶれを見ると、中国、韓国、台湾、タイ、フィリッピン、インドネシアなどのアジア諸国が多いが、ドイツ、アメリカ、カナダなどの国もかなり含まれている。尚、ルールとして、ホストファミリーは、受け入れ希望の国を指定することは出来ない。

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2011年9月27日 (火)

天川村の円空仏:微笑のやさしさに感激

8月末、箕面の瀧安寺さんが主催した、大峰山方面へのツアーで訪れた天川村の栃尾というところに、円空が遺した円空仏があった。この円空仏は地元・天川村栃尾の村人の手によって大切に伝承されて来たのだという。当日、地元で管理されている方のご厚意により、円空仏が安置されている観音堂を開扉して、見せて頂くという幸運に恵まれた。
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円空は江戸初期、岐阜県羽島近くに生まれ、23才で出家。庶民教化と衆生救済のため、32才の時、木仏12万体の悲願を立てて、北海道から関西までの諸国を遍歴した。ここ天川村・大峰山にも二度訪れている。

円空上人は、庶民の中で生きた無名の遊行僧であり、旅の間に農民や漁民の信仰に応えるために神仏の姿を刻んで与えるという宗教的動機から彫刻を志した。

このためその作品は無欲無心で、素朴で、荒削りの力強い「のみ」のあとや丹念に小刻み彫られた「ノミ」のあと、また、その鋭い刀法の冴えとは逆に、目もと口もとに漂う微笑のやさしさは、拝む者の心に強烈に響き、親しみ、安らぎ、生きる喜びなどを感じさせてくれる。

栃尾観音堂には、聖観音菩薩立像、大弁財天女立像、金剛童子立像、護法神像の4体が安置されている。
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観音堂の裏山には、円空が仏像を彫るために籠ったと、云い伝えられる洞窟があった。
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2011年9月19日 (月)

箕面市にある、社会を明るくするNPO団体

箕面市には多くの様々な分野のNPO団体があるが、これらのNPO団体が一堂に会する、「みのおNPOフェスタ2011」が9月18日(日)、箕面市・萱野にある箕面マーケットパークヴィソラで開催された。30団体が参加したが、休日ということもあり、親子連れを含む多くの方の参加を得て賑わった。

私は、「みのお市民まちなみ会議」の一員として参加したが、他のNPO団体としてどのような団体が参加しているのか興味があり、様々なNPO団体の方と交流させて頂いた。その中から次の団体を紹介したい。

これらの団体は、行政の手が行き届かない社会問題の解決にささやかながら貢献されている。以下の団体の説明文は、それぞれの団体のちらしなどの内容からの引用である。

*しんぐるまざあず・ふぉーらむ・箕面
「ひとりで子育ては大変です。経済的にも精神的にも悩みは多いと思います。私たちは箕面で母子家庭の支援として、講座やおしゃべり会を開催してきました。孤立しがちなシングルマザーライフを、いかに楽しく生きていくのかを共に考えていきませんか」

具体的な活動:おしゃべり会や箕面の滝道を歩く会、などを開催しています。(連絡先:090-6734-0609)

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*ひとつぶのたね・CAPグループ (箕面)
「子供の人権が尊重された暴力のない社会の実現を願って活動しているCAPぐるーぷです。CAPとは、いじめ、痴漢、誘拐、虐待、性暴力などのさまざまな暴力から自分の心とからだを守るための人権教育プログラムです」

具体的な活動:おとなワークショップや子供ワークショップを開催しています。(連絡先:072-722-0206)

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*@School (箕面)
「大阪大学の学生が立ち上げたNPOです。スタッフの多くは一人親家庭出身で、自分たち自身の経験から一人親家庭の皆様に届けたい熱い思いがあります!」

具体的な活動:子供たちと一緒に遊んだり、子供塾を開催したり、様々なサービスを廉価で提供しています。
(連絡先:072-702-0020)

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*みのおフェアトレードの会 ”楓”
「フェアートレードとは公平貿易と訳されます。途上国でつくられた商品を適正な価格で取引することで貧しい人々の自立につなげる貿易のしくみです。それはまた私たちの暮らしも豊かにしてくれます」

具体的な活動:箕面山麓線でフェアトレード店 ”エスペーロ”を開店しています。(連絡先:072-728-1221)

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ブログの良さを再認識

昨年始めてみたツイッターであるが、最近殆どご無沙汰である。ツイッターは使用目的によっては有用であり、情報を簡潔に、即座に発信するのには良いかも知れないが、やはり限られた語数で、知らせたいことを正確に発信するには、情報量不足である。伝えたいことを衝動的に発信できるのでストレスの解消になるかもしれないが、それは空しい。

またツイッターは匿名性が認められているので、発信相手の人がどんな人か分からないことも多く、しばしば発信することに躊躇を感じることもある。フェースブックは匿名性がないので安心感があるようであるが、逆に露出性が高いこともあり、今のところ登録はしたが、使用を検討中である。

その点、ブログは自分の云いたいことを、ある程度充分に、しかも正確に伝えることができるので、最近はブログに専念することにしている。現在、複数のブログ記事を書いているが、ブログ記事を書いて、しかもツイッターをするとなると、パソコンに向かっている時間が長くなり、自分で考えたり、読書したりする時間が減るからである。ただ、ブログは閉じた世界であり、相互の情報の交換は殆どないが、長らくブログを続けていると、それなりに読者も増えて来るので、発信の面白さがある。

最近、SNSでは、ツイッターやつぶやきの出現で、まとまった記事(ブログ)を書く人が激減しているように感じる。ブログがいいか、つぶやきがいいか、は分からないが、まとまった記事を落ち着いて書く人が減っていることに淋しさを感じるこの頃である。

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2011年9月11日 (日)

天川村(役行者縁の地) 訪問記

地元・箕面市にある、瀧安寺が主催する天川村(奈良県南部に位置する)へ向う修業ツアーがあったので参加した。訪れたのは8月28日。その後、台風の影響で、天川村がかなりの被害を被られたという報道を知り大変悲しく感じている。

瀧安寺と天川村とは、どのような関係があるかというと、瀧安寺を開山した役行者が、天川村の大峰山で修業をしていたという縁による。

天川村のホームページMap_dorogawaによれば、天川村は高い山と深い谷によって形成されており、耕地に適した農地がほとんどなく、冬季はきわめて寒冷であるため、古くは人々が定住することがなかった。また、高天原に所以するとされる「天の川」という名称が、この地方の河谷に名づけられたという伝承があり、この地域が定住することが憚られた一種の聖域だったという。

Map_centerそしてこのことが修行者たちの「行場」を開く契機となり、約1300年前に、役行者により大峰開山がなされて以来、、山岳修験道の根本道場として栄えた。そして、平安時代には、宇多天皇や藤原道長、白川法王などが熱心に大峰山への御岳詣を行った。

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*天川河合バス停で降り、清浄大橋から天河大弁財天社へ向う。山伏姿は瀧安寺の住職さん。
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*天の川
(河原で若者がキャンプをしているのが見える)
この辺りは先日の台風12号の影響でかなりの被害を被ったと聞く。残念だ。
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*天河大弁財天社
壬申の乱の時、大海人皇子は、大和朝廷を守護する神々のふるさと吉野を訪れ、天心地祇に勝利を祈願して琴を奏じた。すると、その音に乗って唐玉緒を纏った天女が現れ、戦勝の祝福を示した。この天女は、役行者が弥山山頂に祀ったとされる弥山大神であった。これに力を得た皇子は、壬申の乱に勝利を収め、即位して天武天皇となった。

その後、天皇はこの天女の加護に報いるため、麓に神殿を造営し、「天の安河の宮」とされた。これが天河大弁財天社の始まりだと伝えられており、天川村の名前の由来になったとも言われている。御祭神は中央に弁財天、右に熊野権現(本地仏:阿弥陀如来)、左に吉野権現(蔵王権現)が祀られており、神仏習合の形態を今も残している。

また、神社は大峰修験の要の行場とされ、古来、高僧や修験者たちが集まるところで、特に弘法大師・空海の参籠後は、大峰参り、高野詣りと併せて多くの人々が訪れた。Img_9234_2

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*栃尾観音堂・円空仏
地元の方が、祖先より大切に守ってきた円空仏を拝見できる機会に恵まれた。円空も天川村を訪れた修験者の一人であった。円空は江戸初期、岐阜県羽島市近くに生まれ、諸国を遍歴し、12万体の木仏を彫ったと言われる。天川村でも円空仏と確認されたものは16体が確認されている。

円空仏に見られる荒々しい彫法、大胆な省略、人を魅了させずにおかないその微笑は、それを作り上げた円空の豊かな人間性が生んだものだと言われている。

ここ栃尾観音堂には、聖観音菩薩立像、大弁財天女像、金剛童子立像、護法神像の4体が安置されている。
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*龍泉寺
役行者が大峰の山々を行場として修行中、山麓の洞川に憩われた時、こんこんと湧き出る泉を発見した。そして龍の口と名づけて、そのほとりに小堂を建て、八大龍王を祀られれたと伝えられる。それが龍泉寺の始まりである。龍の口から湧き出る清水は、役行者以来、今も絶えることなく清冽な流れを境内にたたえ、修験者の清めの水として大峰山中第一の水行場となっている。
洞川から登る修験者は、この寺に詣で、水行の後、八大龍王尊に道中安全を祈ってから、山上ヶ岳に向かうしきたりになっている。
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*旅館・土産物店
龍泉寺を中心にして、大峰信仰の登山基地として栄えた洞川温泉には沢山の旅館・土産物店がある。
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我々が休憩した西清旅館
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*母公堂
大峰山で修行に励む役行者(役の小角)を案じた、小角の母親(白専女)が麓の町・洞川に住む小角の弟子を伴い、大峰山に登ろうとした。谷にさしかかったところ、大蛇がいた。二人が谷を渡ろうとすると、大蛇は大きな口を開けて襲いかかろうとして、行く手を塞いだ。二人は諦めて洞川の里に引き返し、里に庵を結び、大峰山に手を合わせて小角の無事を祈った。

すると光の中から阿弥陀如来が現れ、「お前たちは小角の修行を妨げてはいけない。小角が下山するまで里で待ちなさい」と告げた。以来、その谷が蛇ヶ谷と呼ばれ、女人禁制の結界口と定められた。里人は庵跡に堂宇を建立し、母公堂と呼ばれるようになった。
ここで堂宇の管理をしているおじさん、おばさんよりお茶と金平糖をごちそうになった。
以前はここに女人結界門があったが、今は以下の写真の場所に移動している。
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*大峰山と女人結界門
大峰山は今も、女人禁制の山である。このような山は日本では数えるほどしか残っていない。時代遅れというべきか、宗教的伝統を守り続けている真摯な姿をほめ称えるべきなのか、何とも言えない。

山上ヶ岳(通称大峰山)を臨む
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山上ヶ岳(通称大峰山)の修行を終えた者を迎える女性の方々。私も今回は山に登らず、迎える側にいた。このような女人結界門というものを目の当たりにしたのは初めてであり、厳粛な宗教的雰囲気を感じた。
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