天川村(役行者縁の地) 訪問記
地元・箕面市にある、瀧安寺が主催する天川村(奈良県南部に位置する)へ向う修業ツアーがあったので参加した。訪れたのは8月28日。その後、台風の影響で、天川村がかなりの被害を被られたという報道を知り大変悲しく感じている。
瀧安寺と天川村とは、どのような関係があるかというと、瀧安寺を開山した役行者が、天川村の大峰山で修業をしていたという縁による。
天川村のホームページによれば、天川村は高い山と深い谷によって形成されており、耕地に適した農地がほとんどなく、冬季はきわめて寒冷であるため、古くは人々が定住することがなかった。また、高天原に所以するとされる「天の川」という名称が、この地方の河谷に名づけられたという伝承があり、この地域が定住することが憚られた一種の聖域だったという。
そしてこのことが修行者たちの「行場」を開く契機となり、約1300年前に、役行者により大峰開山がなされて以来、、山岳修験道の根本道場として栄えた。そして、平安時代には、宇多天皇や藤原道長、白川法王などが熱心に大峰山への御岳詣を行った。
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*天川河合バス停で降り、清浄大橋から天河大弁財天社へ向う。山伏姿は瀧安寺の住職さん。
*天の川
(河原で若者がキャンプをしているのが見える)
この辺りは先日の台風12号の影響でかなりの被害を被ったと聞く。残念だ。
*天河大弁財天社
壬申の乱の時、大海人皇子は、大和朝廷を守護する神々のふるさと吉野を訪れ、天心地祇に勝利を祈願して琴を奏じた。すると、その音に乗って唐玉緒を纏った天女が現れ、戦勝の祝福を示した。この天女は、役行者が弥山山頂に祀ったとされる弥山大神であった。これに力を得た皇子は、壬申の乱に勝利を収め、即位して天武天皇となった。
その後、天皇はこの天女の加護に報いるため、麓に神殿を造営し、「天の安河の宮」とされた。これが天河大弁財天社の始まりだと伝えられており、天川村の名前の由来になったとも言われている。御祭神は中央に弁財天、右に熊野権現(本地仏:阿弥陀如来)、左に吉野権現(蔵王権現)が祀られており、神仏習合の形態を今も残している。
また、神社は大峰修験の要の行場とされ、古来、高僧や修験者たちが集まるところで、特に弘法大師・空海の参籠後は、大峰参り、高野詣りと併せて多くの人々が訪れた。
*栃尾観音堂・円空仏
地元の方が、祖先より大切に守ってきた円空仏を拝見できる機会に恵まれた。円空も天川村を訪れた修験者の一人であった。円空は江戸初期、岐阜県羽島市近くに生まれ、諸国を遍歴し、12万体の木仏を彫ったと言われる。天川村でも円空仏と確認されたものは16体が確認されている。
円空仏に見られる荒々しい彫法、大胆な省略、人を魅了させずにおかないその微笑は、それを作り上げた円空の豊かな人間性が生んだものだと言われている。
ここ栃尾観音堂には、聖観音菩薩立像、大弁財天女像、金剛童子立像、護法神像の4体が安置されている。
*龍泉寺
役行者が大峰の山々を行場として修行中、山麓の洞川に憩われた時、こんこんと湧き出る泉を発見した。そして龍の口と名づけて、そのほとりに小堂を建て、八大龍王を祀られれたと伝えられる。それが龍泉寺の始まりである。龍の口から湧き出る清水は、役行者以来、今も絶えることなく清冽な流れを境内にたたえ、修験者の清めの水として大峰山中第一の水行場となっている。
洞川から登る修験者は、この寺に詣で、水行の後、八大龍王尊に道中安全を祈ってから、山上ヶ岳に向かうしきたりになっている。
*旅館・土産物店
龍泉寺を中心にして、大峰信仰の登山基地として栄えた洞川温泉には沢山の旅館・土産物店がある。
我々が休憩した西清旅館
*母公堂
大峰山で修行に励む役行者(役の小角)を案じた、小角の母親(白専女)が麓の町・洞川に住む小角の弟子を伴い、大峰山に登ろうとした。谷にさしかかったところ、大蛇がいた。二人が谷を渡ろうとすると、大蛇は大きな口を開けて襲いかかろうとして、行く手を塞いだ。二人は諦めて洞川の里に引き返し、里に庵を結び、大峰山に手を合わせて小角の無事を祈った。
すると光の中から阿弥陀如来が現れ、「お前たちは小角の修行を妨げてはいけない。小角が下山するまで里で待ちなさい」と告げた。以来、その谷が蛇ヶ谷と呼ばれ、女人禁制の結界口と定められた。里人は庵跡に堂宇を建立し、母公堂と呼ばれるようになった。
ここで堂宇の管理をしているおじさん、おばさんよりお茶と金平糖をごちそうになった。
以前はここに女人結界門があったが、今は以下の写真の場所に移動している。
*大峰山と女人結界門
大峰山は今も、女人禁制の山である。このような山は日本では数えるほどしか残っていない。時代遅れというべきか、宗教的伝統を守り続けている真摯な姿をほめ称えるべきなのか、何とも言えない。
山上ヶ岳(通称大峰山)を臨む
山上ヶ岳(通称大峰山)の修行を終えた者を迎える女性の方々。私も今回は山に登らず、迎える側にいた。このような女人結界門というものを目の当たりにしたのは初めてであり、厳粛な宗教的雰囲気を感じた。
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