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2011年10月

2011年10月25日 (火)

ネットで知己となったバルセロナのアーティストの個展に参加

ネットで偶然に知己となったご夫妻に、初めて現実にお会いする機会があった。ご夫妻は、奥さんがスペイン人で、ご主人が日本人である。ご夫妻はスペインのバルセロナと日本の倉敷の二都市を基盤にして活躍されている。

昨年、高山右近の肖像画(モザイク画)がスペインのイグナシオ・ヨコラ聖窟教会にあるということを知り、ネットで調べている内に、このご夫妻と知り合いになった。

今回、奥さんのマルタ・モンカーダさんが10年ぶりに日本の各地で個展を開くために来日された。京都であった個展の初日は、10月18日。銀閣寺近くの和風のギャラリーで開催された。
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ご夫妻の知り合いの方が多数、来場され、またジェスカ・グランベールがバルセロナの不思議なご縁ということで友情出演していた。

マルタ・マンカーダさんの素晴らしい工芸品を観賞しつつ、ジェスカ・グランベールの生演奏を聴くという芸術尽くめの一日を楽しむことができた。

ちなみに、ジュスカ・グランペールは、ギター「高井博章」とヴァイオリン「ひろせまこと」による京都出身のインスト・アコース ティック・デュオである。ジプシージャズ、パリミュゼット、ラテン、タンゴ、クラシックなど幅広い要素を吸収した「ジュスカ・サウンド」は、情熱的で美しいメロディが特徴で、年齢、性別を問わず幅広く人々に愛されている。SK2のCM曲でも名が知られている。
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2011年10月20日 (木)

音楽で仏教界へ新風を吹き込む女性僧侶・三浦 明利さん

三浦 明利(あかり)さんは、奈良・吉野の古刹・光明寺(浄土真宗)の住職にして、シンガー・ソングライターだ。寺の長女として生まれ、一人っ子でもあり、いずれは住職を継ぐつもりであったという。そのために龍谷大学の大学院で仏教研究に取り組んだ。

2008年、父の突然の退任で、予期していたよりも早く住職を継ぐことになる。龍谷大学時代、音楽への夢もあり、学生時代にはバンドを組み、ギターとボーカルを担当、2004年には、全国区のコンテストでグランプリを獲得している。
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跡継ぎとともに、バンドを脱退したが、その後も仏教関係の学校やお寺などで演奏を続ける。住職になるということは、音楽をあきらめることだと思っていたが、音楽を通じて、仏教の教えを伝えることが出来ると感じた。彼女の場合、仏教の話をしながら、演奏する形で、演奏と法話が半々になることが多いと言う。

仏教に気付かされたこと、知らされたことを曲の中に盛り込んでいくことは、仏教用語を使わなくてもできることだと彼女は言う。

昨夏にシングル「ありがとう~私を包む全てに ありがとうを伝えよう」を出した。この歌は、一つ一つの人との出会いを大切にすると共に、咲いた花にも、食べた何かの命にも感謝の気持ちを伝えたいという気持ちでつくられたものだという。
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女性の住職は、瀬戸内寂聴さんなどの例もあり、決して珍しいことではないが、彼女のように若くして僧侶になることを志願する人が存在することは、仏教界にとっては明るいニュースとも言える。

ところで、我々日本人は、自らを無宗教だと自虐的に言うが、池上彰さんが指摘されているように、日本人の「無宗教」の「無」は、仏教でいう「無」であり、「空」でもある。日本人の体に宗教は沁みこんでいて、意識しないだけだという。よく考えてみると確かにそうだ。

そうだとしても、日本人の多くを占める仏教徒は、私もそうだが、仏教徒でありながら仏教というものに、ある種の頼りなさを感じていると思うが、三浦 明利さんのような人が今後沢山現れて、仏教界を改革することになればいいなと願うものである。

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2011年10月15日 (土)

ならまち散歩

10月初め、家内と留学生Kさんの三人で奈良を訪れた。東大寺、薬師寺、唐招提寺へ向かう前に立ち寄った「ならまち」は、古の都のたたずまいを残し、素朴で、癒しを与えてくれる美しい町であった。

710年、平城京への遷都の時、飛鳥の法興寺(飛鳥寺)が元興寺として平城京に移され、この「ならまち」付近は「平城(なら)の飛鳥」と呼ばれていた。

「故郷の飛鳥はあれどあおによし平城の明日香を見らくし好しも」(大伴坂上郎女)・・・古京となった飛鳥もよいけれども、青丹よき奈良の明日香を見るものよいことよ・・・という万葉集の歌が遺されている。Img_9483

現在、この元興寺の旧境内を中心とした地域は「ならまち」と呼ばれているが、平城京への遷都以来、まちづくりが続けられて来た。江戸時代の末期から明治時代にかけての町屋の面影を今に伝える「ならまち」は、都会からやってきた我々に、やすらぎと潤いを与えてくれる町であった。

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2011年10月13日 (木)

箕面富:箕面市・瀧安寺の伝統行事が復活

先日、10月10日(祝)、箕面山・瀧安寺「観音堂」で、古来より、身体健勝・商売繁盛に強いご利益があると知られた「箕面富」が、多数の参加者を得て行われた。

この富くじとは、江戸時代に流行った一種の宝くじである。興行主が番号入りの富札を発売し、別に用意した同じ番号の木札を箱に入れ、期日に箱の小穴から錐(きり)で木札を突いて当たりを決め、「福」を授ける。主に寺社が修復費募集の場合に、幕府から許可されて興行主となった。

箕面山・瀧安寺は、この富くじ発祥のお寺で、昨年の秋、古式に則り復活したものである。このような伝統ある儀式が復活したことは、誠に箕面市の活性化にとって、大変喜ばしいことである。

  瀧安寺・観音堂
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  筑前琵琶「箕面富」の奉納
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  富くじの当たりを決めているところ
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2011年10月12日 (水)

次の世代の息吹を感じる

10月の始めに、孫娘が在籍している幼稚園で運動会があるというので、朝早くから出かけた。孫娘はまだ年少組であるが、お姉さんやお兄さんにまじって、遊戯、かけっこ、玉ころがし、などで、元気に奮戦している様子を見て、ほほえましく、楽しく感じた。
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このような運動会を見るのは、久しぶりだ。次の世代を担う若い幼稚園児の息吹に触れ、元気をもらった。

また、これらの幼稚園児を教える先生は、殆どが若い女性であるが、彼女らのきびきびした振る舞いと、運動会を上手く取り仕切る姿には感動を覚えた。特に年長組による踊りなどは、かなり長時間で、踊りも複雑であるのに、どのようにして子供たちに教えたのかと、思ったりした。

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2011年10月10日 (月)

楽天・山崎武司選手の淋しすぎる退団

2005年の球団創設以来、楽天球団の主砲であった山崎武司選手の突然の退団は、彼のファンである私にとって淋しすぎるニュースであった。
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オリックス球団を追われて、創設されたばかりの楽天球団に入団。草野球並みの楽天を今日、他球団と互角に勝負ができる球団に育て上げた功労者の一人である。野村監督のアドバイスもあって、彼の年齢からは無理だと思われた2冠王も獲得したし、400号本塁打も達成した。

彼の活躍によって勇気づけられた方も多くいるだろう。球団首脳部やコーチとの確執による戦力外通告が基となった退団だと聞くが、チームの功労者でありながらこのような扱いを受けることには淋しい思いが残る。

山崎選手は現役を続行するとのことだが、悔いのない野球人生を終えて欲しいものだ。

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2011年10月 5日 (水)

彼岸花を見かけたふたつの風景

彼岸花は、今年も夏がこれで終わり、秋が近づいて来たことを知らせてくれる。そして何となくもの悲しい気持ちにさせられる。

写真は、箕面駅近く、高橋邸近くの箕面川で見かけた彼岸花
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河内長野市を訪れた時見かけた、田圃の畔に咲く彼岸花
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