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2011年11月 7日 (月)

教員に対する成果主義適用は問題だ

橋本氏が主導する「大阪維新の会」は、大阪府と大阪市の二重行政というムダをなくすため、「大阪都構想」を掲げている。ムダをなくすことによって財政的に楽になるということらしい。確かに私もそのように感じていた一人である。

大阪にかぎらず、我が国における行政は、進取の気風が不足しているところが多い。それに風穴を開け、新風を吹きこむという意味で、彼には大変期待していた。やり方によっては上手く行くのではないかと。

しかし、ここに来て疑問を生じるような気持ちになった。それは大阪府教育基本条例案を巡る問題である。

現在の教育委員会制度は決して優れた制度ではないが、橋本氏が主張するような、知事が教育の目標を決め、あとはトップダウン的に校長→教師と指示を流していくというやり方は多分に権威主義的であり、知事やトップが人間的に問題がある人物であればという心配がつきまとう。

また、特に問題だと思われるのは、教員の評価に成果主義を採り入れようとしていることである。この成果主義であるが、一時、企業社会でもてはやされたが、これを信奉するものは、少なくとも元気に頑張っている企業の中には皆無であり、時代遅れとなっている。このような成果主義を採用した企業は概ね衰退の一途と辿っているといってもよい。成果主義は、皆が助け合って物事を解決して行こうとする気風が強い我が国の社会風土には馴染まないのだ。

大阪府教育基本条例によると、教師を5段階で評価し、2年連続で最低の「D」を付けられた人は免職を含む処分の検討対象になるという。評価は給与にも大きな影響を与える。それに「D」評価は、必ず一定の割合で割り当てるという。誠に愚かな考えだ。

こんな制度を導入すれば、企業において失敗したように、自分だけが良くなればよいという教師が自然と増え、教員同士の協力がなくなり、ぎすぎすしたものになるだろう。そして、できる生徒を囲い込んで要領よく成果を上げる先生が得をして、問題のある生徒を何とか育て上げようとする地道な努力をする先生が損をするようなことになる。

教育とは学力の向上だけが目標でないはずである。人の生き方には色々あり、それによって学ぶ内容も異なるはずである。一律な学力基準を決め、それによって人を評価することには反対である。

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