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2011年12月

2011年12月31日 (土)

長淵剛さんの自衛隊慰問ライブに感激

長淵剛さんが、東日本大震災の1か月後、自衛隊松島基地で行った慰問ライブの映像を、先日テレビで観て感激した。

1500人もの自衛隊員の方を前に、乾杯などの歌を熱唱。「みなさんは日本の誇りである。僕の大事な誇りである」と激励したという。隊員の方々が肩を組んで、涙に咽びながら合唱している光景は感激的であった。このライブが行われたのは、長淵さんが大震災後、被災地から遠くへ疎開したことに対する自責の念からであったという。

このライブは、音楽というものが人間にとって共通の思いを共有する強力で、大切な道具であることを改めて考えさせてくれた。

また、自衛隊の皆様の活動が、大震災復興というような平和的な活動に注がれる世界になって欲しいと思った。

ネットにYouTube の映像が掲載されていたので、下記に転用させて頂く。

長渕剛 航空自衛隊松島基地 隊員激励ライブ_乾杯
2011年4月16日、松島基地で行われた、隊員激励ライブの模様。

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フェイスブックに参加

おくればせながらフェイスブックに参加することにした。今年の始め頃から参加の是非といっては大袈裟であるが、フェイスブックは、mixi と同じSNSであるが、mixi がどちらかといえば閉じた世界であるのに対し、フェイスブックは開かれた世界を対象としていることにわずかながら不安があったからである。

とにかく、mixi にも、フェイスブックにもそれぞれ、一長一短があるので、その良いところを利用するのが得策であると感じた。フェイスブックでも情報の公開度については、自分の判断でコントロールできるし、またある程度の情報を公開しなければ、知りたい情報や友人が得られないということだ。

数日前、開始したばかりである。今後に期待したいと思っているが、目的を定めてやっていきたいと思っている。

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2011年12月18日 (日)

かやぶきの里・北村

11月末、バスツアーで訪れた「かやぶきの里・北村」は、都会の喧騒から隔離され、美しい茅葺の集落がひっそりと今なお中世の趣きと歴史を伝えている、癒しを感じる空間であった。ひと時の短い滞在ではあったが、現代社会から失われた、時間がゆっくりと過ぎていく瞬間を味わうことができた貴重な体験であった。
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かやぶきの里・北村は、京都府南丹市美山町北にある山村集落である。この集落は中世には、丹波国弓削荘という荘園に属し、村の主産業は林業であった。集落の中を通る街道は、いわゆる“鯖街道”の一つとされ、京都と若狭・小浜の中間に位置し、多くの旅人が往来した。

そのため、建築や生活文化には色々な地域の影響が見られる。北村の現在の茅葺屋根は寛政8年(1796)建築のものが最古であるが、19世紀中頃までの建物が18戸と江戸時代に建てられたものが多く、北山型民家に分類される特徴をよく伝えている。丈の高い入母屋造りの屋根と神社の千木のような飾りが特徴だ。
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北村は、現在、50戸の集落で、その内、38棟が茅葺屋根である。平成5年12月には、国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けた。地区では「かやぶきの里保存会」を組織し、公民館・農事組合・かやぶき屋根保存組合などと連携し、歴史的景観の保全と地区住民の生活の維持が両立し、後継者が育つ方向を目指して様々な検討を重ねて来た。

その結果、村人が出資して「有限会社・かやぶきの里}を設立し、訪れる人々にくつろぎと感動の場を提供しようと「お食事処きたむら」「北村きび工房」「お土産処かやの里」「かやぶき交流館」を一体的に運営している。民宿も3軒ある。

自分たちの手で守り育てた建材など、自然の恵みを使った家に住み、囲炉裏を囲みながら、まわりの田地山野から収穫した、米、蕎麦、きび、粟、よもぎ、など四季折々の自然の恵みを楽しむ。かつてはごく当たり前だったそのような暮らしを、一度は失いかけて、いま再び、新しい形で取り戻しつつあるのが、かやぶきの里、北村だ。
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茅葺職人は、一時は後継者がいなくなりそうであったが、修業を積んだ若い棟梁がこの村から誕生し、美山を中心に全行的に活躍しているそうだ。

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2011年12月13日 (火)

大和路・まほろばウォーク

11月27日(日)、奈良県で行われた “まほろば” ウォークに参加した。一行は、家内と留学生のKさん、それに今回お誘いした友人のHさん夫妻の5人のメンバーであった。当日は、雨続きが多かった週の中で、久しぶりに好天に恵まれ、ウォークングを楽しめた。

Img_9933_2 ”まほろば”ウォークは、昨年に続いて2度目の参加である。昨年は、平城遷都1300年記念ということで、旧平城京跡を起点として行われた。今年は橿原神宮森林遊苑がスタート・ゴールであり、20km のコースに挑戦。全員、完歩証を得た。

今回のウォーキングは、歩くだけでなく、観光スポットに配置された観光ボランティアの人たちから説明を受けたり、また橘寺や石舞台、飛鳥寺に立ち寄ったりして、古代の歴史・文化にも触れるこができて、非常に健康的で且つ文化の香りを楽しめた一日であった。

因みに今回のウォーキングのルートは、次の通りであった。

橿原神宮森林遊苑→久米寺→土佐街道→キトラ古墳→高松塚古墳→鬼の俎、鬼の雪隠→亀石→橘寺→石舞台古墳→伝飛鳥板葺宮跡→飛鳥寺→甘樫の丘→橿原神宮森林遊苑

最後に立ち寄った飛鳥寺は、蘇我馬子が発願し、推古天皇の時代に創建された日本最初の寺であり、今は小さいが、創建当時は壮大な伽藍であったという。本尊飛鳥大仏(釈迦如来坐像)は鞍作鳥によって作られた日本最古の仏像であり、仏教が朝鮮半島から我が国に伝えられた頃の大陸的な仏像の面影を残したものであり、大変興味深く感じた。

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2011年12月 5日 (月)

東福寺の紅葉

東福寺というお寺が京都にあるということは知っていたが訪れたことがなかった。家内が紅葉を見るには、この東福寺がいいと言うので、調べて見ると、紅葉の季節に京都で最も人出が多いお寺だという。

五木寛之さんの「百寺巡礼」によると、東福寺の名前の由来は、鎌倉時代、時の摂政関白・藤原(九條)道家が、奈良の東大寺と興福寺というふたつの大きな寺にあやかって、その名前からそれぞれ「東」と「福」の二文字を取って名づけたのだという。

創建当初から、奈良の巨刹にも劣らないほど大きい寺であり、今も京都最大の寺といえば東福寺ということだ。

11月末、早速、行ってみた。凄い人出だ。本堂と開山堂を結んで架かる橋は、「通天橋」と呼ばれているが、ここから眺める渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)の紅葉は絶景であった。
黄金色に染まる珍しい三ツ葉楓は、当寺を開山した聖一国師が宋から伝えた唐楓といわれている。

「通天橋」からの眺め


Photo

本堂(仏殿)
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開山堂
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