赤穂浪士・萱野三平の墓碑が箕面市の有形文化財に!
赤穂浪士として有名な箕面出身の萱野三平の墓碑が、箕面市の有形文化財に指定されました。いささか遅すぎた感じがしますが、とにかく箕面市にとって喜ばしいことです。
添付の写真は、箕面市の広報誌「もみじだより」の記事です。
このお墓は、阪急バス「萱野三平前」で下車し、少し南の方に行ったところにある萱野三平記念館「涓泉亭(けんせんてい)」から、西国街道の石畳や春にはレンゲが咲き誇る田畑の間の道を南へ300m程行ったところにあります。
萱野三平は俳人としても有名で、涓泉亭という名前は彼の雅号から名付けたものです。
元禄14年(1701)、浅野内匠頭の吉良上野介に対する刀傷事件の一報を赤穂に知らせる使者となった三平は、途中、萱野の実家の前で母の葬儀に遭遇しますが、主君の用が大事と涙ながらに掌を合わせ、そのまま赤穂へ向います。
その後、大石内蔵助らと仇討に加わろうとしますが、父が反対。主君への忠義、父への孝行という板挟みに悩み、主君の月命日である元禄15年1月14日、時世の句を残し切腹しました。享年28歳でした。
時世の句「晴れゆくや
日ごろ心の 花曇り」
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箕面にお出かけの際は、お立ち寄り下さい。
(記:八木芳昭)
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