新緑の吉野から宮滝まで歩く
5月の初め、6名の仲間と新緑の吉野を訪れた。万葉ツワーと称した小旅行である。吉野に来たのはこれが2回目だが、桜の季節に来た前回とは違い、旅行客も少なく、静かな雰囲気を楽しむことが出来た。
ところで吉野は桜の名所だが、これは1400年程前に信仰の山として開かれたことと深い関係がある。修験道の開祖、役行者が金峰山寺蔵王堂を創建後、参拝者がヤマザクラの苗を植樹し続けた。16世紀の中頃には豪商・末吉勘兵衛が1万本の桜を寄進、そして豊臣秀吉が5千人の家臣を従えて盛大な花見の宴を開くほど見事な桜の山となった。
吉野には悲劇的な話が残っている。吉水神社は兄頼朝に追われた源義経が隠れていた場所だ。南北朝時代には南朝が置かれ、後醍醐天皇ゆかりの寺社も多い。
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金峰山寺・蔵王堂:
ロープウエイの吉野駅を降り進むと、黒門から先に銅(かね)の鳥居と呼ばれる金峯山寺銅鳥居がある。金峰山入峰の第一門である。金峰山とは、吉野から山上ヶ岳に至る地域の総称であり、修験道の根本道場である大峰山(山上ヶ岳)頂上の大峰山蔵王堂までに、発心・修行・等覚・妙覚の4門があるが、その最初の門だ。二王門を抜けると蔵王堂がある。
蔵王堂は、吉野・熊野修験道を総轄する修験道の根本道場金峰山寺のシンボルである。
役行者が金峰山で難行苦行の末、感得した蔵王権現の尊像を桜の木で刻んで、これを修験道の悪魔降伏の本尊にしたという言い伝えがある。
金峰山寺は役行者によって開山され、行基によって創建されたと言われる。役行者によって開かれた大峰山(山上ヶ岳)山頂の蔵王堂への道は険しく、1年の内の半分以上が雪に覆われて参詣が困難なために、行基によって吉野山山下にもこの蔵王堂が建てられた。
尚、蔵王堂は山頂に向かって南面し、二王門は北面している。これは、吉野・熊野修験道には本山派(天台宗聖護院)と当山派(真言宗三宝院)の2派があり、その入峰順路が異なるために、蔵王堂を挟んで南北に相対した門が必要であったからである。
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吉水神社:
吉水神社は、吉野へ潜行した後醍醐天皇、源頼朝に追われた義経・静御前一行が潜んだ歴史の舞台である。豊臣秀吉が花見の本陣とした境内からは中千本や上千本の眺めが素晴らしい。
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花矢倉:標高600m辺りにある展望台からの眺めは素晴らしい。ここから上千本、中千本、蔵王堂などが見渡せ、金剛山も一望できる。歌舞伎「義経千本桜」の舞台としても有名。
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吉野水分(みくまり)神社:
吉野八社明神の一つで子守明神とも言われている。水を分配する神、天水分神を祀る。「みくまり」が「みこもり(御子守)」に転訛し、子授けの御利益があるとして信仰を集めるようになった。
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上千本の辺りより宮滝へ向う。
その昔、吉野参詣の旅人が一息入れたという象(きさ)の小川の祠が途中にあり、本居宣長や葛飾北斎もここに来たと言う。ここから少し下ったところに「高滝」と呼ばれる滝があった。かなり大きい滝だ。説明文には、義経がここで馬を洗ったとある。
更に進むと、「象の小川」の説明掲示があった。象の小川は、今も喜佐谷集落の貴重な水源だそうである。万葉の歌の説明も添えられている。
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桜木神社:
天武天皇が近江から吉野へ隠遁した時、近江から派遣された刺客に襲われたが、桜の木陰に隠れて難を免れたという伝説から、天武天皇を祭神にしている。本殿の御神木の杉の木は見上げるばかりの高さである。
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宮滝:
象(きさ)の小川が吉野川に流れ込むところに「宮滝」がある。奇岩の間を流れる川は、万葉の古歌にもよく詠まれている。ここは古代の吉野離宮のあったところで、持統天皇はここに31回も行幸している。
柴橋を渡ると左側に、中庄小学校がある。校門の横に宮滝遺跡についての説明文がある。縄文・弥生時代の遺跡が発掘されており、古代の人が住んでいたところでもある。
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