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2012年6月 8日 (金)

日本語の大切さについて思う

永年、英語が好きで、英語の勉強のために膨大な時間を投入して来た者として感じることは、国際社会を生きぬいていくためには、英語は必要であるが、

しかし、流暢な英語を話したり、書いたりすることは、外国人と複雑で、微妙なコミュニケーションを行わなければならない政治家やビジネスマンあるいは学者に求められることであり、それ以外の人は、普通程度に英語を学ぶことで事足りるのではないかと思うのである。

それよりも日本語をしっかりと勉強することが必要であると思う。公用語を英語にすべきだという馬鹿げたことをいう学者もいるが、これは日本文化を否定するものである。
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万葉学者である上野誠さんが、日本語の必要性について氏の著書で述べていた。説得性のある内容だと思った。

国際社会を生き抜くためには、英語は必要である。しかし、言語は生活世界そのものである。この千年以上をかけて蓄積して来たインフラを最大限に活用して、日本語で考え、話し、書くことを鍛えることの方が我が国にとっては必要である。過去の歴史と決別した言語文化など、世界中のどこにも存在しない。

文明の歴史とは、それぞれの民族の使う言葉と、それぞれの言葉を表記する方法を模索し、獲得していく歴史でもあった。日本人は漢字に加えて、ひらがな、カタカナを発明したことにより、我々の話し言葉を率直に文字に置き換えることができるようになった。

日本人が持つ文化を、微妙なところまで英語で表現することは困難である。文字とは数百年、数千年単位で蓄積されてゆく文化なのである。

紫式部が世界に誇る源氏物語を書けたのも日本語があってこその話である。夏目漱石は漢字塾をやめて英語に転向するが、しかし彼は英語を教えながら、日本語で小説を書いた。英語では全てを表現できなかったからである。

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コメント

日本は独特の文化により経済的にも発展を遂げだ。
我が国は、東西文化の橋渡しになるべき国であり、世界もそれを期待している。
しかるに、我が民族は、思考力と表現力に乏しい。

英語は、自分の考えを伝える言葉である。内容がある。正確に伝わっているかが問題になる。
日本語は、相手に考えを委ねる言葉である。内容がない。どう解釈されたかが問題である。

日本人が英米流の高等教育を習得できれば、その考え方を全世界に伝えることが可能になる。
ただし、フィリピン流の英語の普及では、我々は依然12歳の大人を脱することはできない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2012年6月 8日 (金) 20時14分

nogaさんの言われていることは理解できます。外国人とsevereな事項について議論する場合は、それぞれの専門家がしっかりとした英語で対応することが必要でしよう。
あくまでも外国人と理解しあうための道具として、高度の英語は必要であると思います。しかし国民全般には高度な英語は必須ではないと思います。

投稿: やぎ | 2012年6月 8日 (金) 21時12分

>しかし国民全般には高度な英語は必須ではないと思います。

そうかもしれませんね。
ただ、我が国民が ’12’歳’ と評されない程度にしておきましょう。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: | 2013年4月13日 (土) 18時39分

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