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2013年3月

2013年3月26日 (火)

認可保育所不足問題で、行政不服審査法に基づく異議を申し立て/政治家に重い責任

最近各地で、小さな子供さんを持つお母さんたちが、認可保育所に入れない問題で、行政不服審査法に基づく異議を申し立てている。

近年、核家族化の進展、都市化の進展により、生活のために働きたいが、子供を預けるところがないという悩みを持つ若いお母さん達が増え来て来ているのにもかかわらず、適切な方策を打ち出せない政治家の責任は重い。

人々の生活を守るのが第一に考えるべきなのに、オリンピックの招致や無駄な公共事業の推進などに明け暮れている人たちは一体このような問題をどのように感じているのだろうか。

下記は、2013年3月25日付、東京新聞の記事「認可保育所不足 さいたまでも異議申し立て 母ら「現状改善を」です。


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みのお市民まちなみ会議パネル展「箕面の緑」開催

みのお市民まちなみ会議は、箕面の「まち」の美しい景観を守り育てると共に、美しく人に優しいまちなみ景観を創造することを通じて、箕面を住み良いまちにすることを目的とし、活動しています。私も広報担当として参加しています。

この会では、毎年3月末に「まちなみパネル展」を開催しています。今回は『箕面のみどり』という主題で、箕面のまちの『緑』に焦点を当てています。写真やスケッチなど様々な展示物により、人々に安らぎを与えてくれる木々、樹木などの大切さを実感して頂きます。

パネル展は本日326日(火)~42日(火)、午前9:30 ~午後5時まで、箕面市生涯学習センターのメイプルホールロビーで開催しています。皆様のお越しをお待ちいたしております。

写真は、パネル展のちらしと324日に行われた会場の設営風景です。

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2013年3月23日 (土)

人間味のある経済成長を!

最近、アベノミクスの柱であるリフレ政策が主張され始めてから、景気回復の兆しが見え始めたと言われています。本当にそうなのかはもう少し様子を見なければわかりません。

アベノミクスで景気が回復し、賃金も増えて暮らしも良くなるという期待感を持つことはよいことですが、これが失望に変わらないようになって欲しいものです。現在は、『景気も気から』ということで、少し状況が良くなっているのかも知れません。

経済学者は、医者や物理学者のように、明確な解決の処方箋を示すことが出来ないと言われています。経済状況が芳しくない時は、政策を魔法の杖のように吹徴して世間にちやほやされる学者がいますが、経済学の原点を忘れない学者の声も平等に聴くことが必要です
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ところで、欧州は債務危機の問題で大変ですが、成長に幸せを感じないという人たちも増えて来ているとのことです。グローバル化している今日でも、低成長でも福祉の質を保ち、人間としての暮らしを豊かにすることができないかと彼らは考え始めています。

このような中、あるフランスの思想家が言っている次の言葉には説得性があるように感じました。「脱成長のために重要なのは、グローバル経済から距離を置き、地域の経済や文化を再生する、『再ローカル化』である」。

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労働市場の流動化

安部政権による産業競争力会議と既成改革会議というふたつの会議で、労働市場の流動化が大きなテーマとなっている。

労働の流動化そのものは、悪いものではなく、衰退産業から成長産業への働く人の移動を促進しようということも考えられているらしいが、メンバーの多くは大企業の経営者や学者であり、その中の一部のメンバーにより、働く人を解雇しやすくするために、『雇用自由の原則』を法律に明記すべきであるという提案が出されている。

リーマンショックの時も非正規社員の人を始めとして多くの人が解雇され、路頭にさ迷ったが、このようなことがないように国民は十分に監視しなければならない。新自由主義のデメリットである、経済回復のためには、儲かるためには何をしても良いという主張は多くの国民の支持を得られないだろう。

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新ローマ法王フランシスコ1世

新ローマ法王フランシスコ1世

第266代ローマ法王にフランシスコ1世(ベルゴリオ枢機卿)が選出された。初の南米出身の法王であるフランシスコ1世は、貧しい人たちの救済に注力して来たと言われている。

バチカンのサンピエトロ広場で行われた就任ミサで新法王は、「貧しき者、弱き者、重んじられない者を守るために、腕を開く。飢える者、渇く者、土地になじめぬ者、守られぬ者、悩める者、獄にある者を守る」と誓った。

... 『フランシスコ』という新法王名は、13世紀初め、貧者救済に尽くし、アッシジ・フランシスコ会の創設者として知られるカトリック修道士・聖フランシスコに因み、自ら決めたという。

今、政治の世界を見ると、儲けるためにはどんな手段を使ってもよしとする強者の論理がまかり通っており、弱者を切り捨てようという風潮がある。我が国においても然りである。しかし、自由競争も大切だが、一方では弱者を守るシステムを維持し、人々が仲良くやっていくことが、人類の平和のために求められる。

このような時、宗教界の一大勢力であるローマカトリック教会の法王に、フランシスコ1世という謙虚で、貧者の味方である人が選ばれたことは朗報である。今後は、特にイスラム教との宥和、またギリシャ正教や仏教、他の宗教とも交流を図り、平和な世界になるよう貢献して頂きたいものだ。
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カンヒザクラ

我が家のカンヒザクラが満開です。今朝見た時、小鳥が2羽、枝に止まっていたので、これはいい写真になると思い、カメラを取りにいきましたが、その間にいなくなっていました。

このカンヒザクラは、大体いつも梅が咲いた後、桜が咲くまでの期間に咲きます。釣り鐘状の花が特徴で、花が下向きに咲きます。このサクラについて、ウイキペディアで調べて見ると、「河津桜」の基となるサクラであり、沖縄では桜と言えば、このサクラを指すそうですが、始めて知りました。下記はウイキペディアでのカンヒザクラの説明で...す。
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旧暦の正月あたりに咲くことからガンジツザクラ(元日桜)と呼ばれることもある。また、ヒカンザクラ(緋寒桜)と呼ばれることもあるが、ヒガンザクラ(彼岸桜)と混合されやすいため、近年はカンヒザクラと呼ばれることが多い。

釣り鐘状の花が特徴で、花が下向きに咲く。花の色は白から濃い桃色まで様々。この早咲きの特性と、下向きに花が咲く特質が、他のサクラと交配した時に影響を与え、各地で優秀な園芸品種が出来ている。その中でも有名な物は、このサクラとオオシマザクラの自然雑種、サトザクラ「河津桜」が近年、有名になり観光名所に植えられている。

中国南部から台湾にかけて分布する桜である。日本では主に沖縄県で野生化し、沖縄で「桜」と言えばこのカンヒザクラを指す。また、沖縄や奄美でのサクラの開花予想及び開花宣言はこのカンヒザクラの開花に対して発表される。沖縄では1月から2月に開花し、また、関東より南でも植えられており、2月から3月にかけて花を咲かせる。

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2013年3月17日 (日)

サムエル・ウルマンの詩「青春」

新聞を読んでいて、サムエル・ウルマンというアメリカの詩人が作った「青春」という詩があることを知った。

詩の最初の出だしの一節は、

「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」 とある。
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この詩は、マッカーサー元帥が座右の銘とし、松下幸之助氏も好きだったという。また、ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞にこの詩の一節を引用したことでも有名だという。原文は勿論英文であるが、漢詩調の訳文は素晴らしい。

私はこんな素晴らしい詩があることを今まで知らなかった。青春とは縁のない私であるが、詩を読んでいると、青春とは気持ちの持ち方次第だということが改めて実感され、元気を頂いた。今後、この詩の言葉を忘れないでいたい。
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詩の全文は次の通り:

『青春』サミエル・ウルマン

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年
月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる
事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
  人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
  人は自信と共に若く 失望と共に老ゆる。
  希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして
偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞うる他はなくなる。

(注)・怯懦(キヨウダ):おくびょうで気の弱いこと ・孤疑(コギ):疑ってためらうこと  ・芥に(カイに)ごみ  ・星辰(セイシン)星のこと、辰は天体のこと ・欽仰(キンギョウ)つつしみあおぐ  ・剛毅(ゴウキ)意志が強固で不屈なこと

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2013年3月14日 (木)

東大寺二月堂のお水取り

今まで奈良の東大寺二月堂のお水取りを見に行ったことがなかった。3月12日は、お水取りのクライマックスである籠松明(かごたいまつ)が行わるというので、急に思い立って家内と一緒に出かけた。

5時に近鉄奈良駅に着き、軽い食事をしてから5時半頃、二月堂前まで行くと、既に大勢の人波。若い方もかなり多い、外国人の姿もちらほら。警察官の方は人波の整理に忙しい。


 
待つこと2時間、午後7時半にようやく場内放送でお水取りの説明があった後、松明が次から次へと点火された。観客は警察官に誘導されて少しずつ移動、後から来る人にも見る機会を平等に与えるためだ。松明の数は11本(これは練行衆の数と同じ)、40分後の8時10分頃には全ての松明に点火された。始めて見るお水取りに満足感を感じて帰途についた。下記は私の備忘禄としてお水取りの説明を記したものの一部である。

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お水取りは、正確には「修二会(しゅにえ)」という。例年31日から14日まで本行が行われ、終わるころには冬が明けていることから、春を告げる行事ともいわれる。奈良時代から続く伝統行事で、752年以来、途絶えたことがない。旧暦の時代は21日から実施されていたため、二月に修する法会「修二会」と名付けられた。二月堂の名もこれに由来する。人々に代わって罪を懺悔(ざんげ)し、天下泰平や五穀豊穣を祈る。練行衆がお堂入りしたあと、燃えさかる松明は舞台の欄干に掲げられるが、これがお水取りの中で最も有名な「おたいまつ」と呼ばれる場面。降り落ちる火の粉が無病息災をもたらすと言われていることから、たくさんの参拝客が集まる。本行のクライマックスは12日深夜。籠松明(かごたいまつ)がたかれ、練行衆は祈りの合間に、二月堂下にある若狭井(わかさい)に水をくみにいく。これがいわゆるお水取りの儀式だ。くみあげた水は「香水」と呼ばれ、本尊である十一面観音に供えられる。
 
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2013年3月13日 (水)

ヴェトナム戦争/澤田教一さん(報道写真家)の写真に思う

先日放映された『旅チカラ ヴェトナム 玉木宏 伝説の戦場 カメラマンの愛と真実』という番組を観ていて、今から48年前のヴェトナム戦争を思い出した。

俳優でありカメラマンの玉木宏さんが、故澤田教一氏(報道写真家)の足跡を辿りながら、澤田さんが撮影した家族を訪ねてヴェトナムを訪れる場面があった。ヴェトナムは私の大好きな国の一つである。我が国に似た国民性を持ち、謙虚で勤勉な国民である。それだけに一層この番組に惹きつけられた。

ヴェトナム戦争といっても知らない方が多いと思う。このヴェトナム戦争は、腐敗し、国民の支持を失った南ヴェトナム独裁政権を支援するアメリカが、民主主義を守るという美名の下に、南ヴェトナム解放民族戦線との間に行った大義のない戦争であった。特に1965年始まった北爆は非道で、悲惨を極め、人道主義的見地から世界各地から非難の声があがった。
 
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添付の写真のひとつは、澤田さんがヴェトナム戦争の最中、撮影した写真『安全への逃避』であり、もうひとつは澤田さんの仲間で、ヴェトナム人のフィン・コン・ウトさんが撮影した写真『戦争の恐怖』である。この二つの写真共ピューリッツア-賞を受賞している。この賞は卓越した新聞等の印刷報道に贈られるもので、大変権威ある賞である。澤田さんは受賞の3年後、戦火に逢い亡くなられた。享年34歳であった。
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澤田さんの写真では、米軍に爆撃された村で、戦火を逃れるために川を渡る二組の母親と子供たちが写し出されている。子供たちを守ろうと必死に泳いでいる母親の姿を見ていると、早く逃げて欲しいと、思わず祈りたくなるような気持ちにさせられる切迫感溢れた写真である。この写真が撮影されたのは1965年頃。今から48年前のことである。

 
今、この二人の母親は既にこの世にはいない。3人の子供たち(二人の女の子と一人の男の子)は立派に成長し健在だ。玉木さんは、澤田氏の足跡を辿りながら、当時子供であり、今は立派な大人に成長したこの3人の方を訪れ対談するが、彼らとの対談で、澤田さんの人間的はやさしい側面が窺われる:

彼らは、澤田さんがカメラを構えているのを見た時、敵だと思い、持っているのは鉄砲で殺されると思った、そして岸にたどりついた時は、これで自分たちの命は最後だと思った。しかし澤田さんはやさしく手を差し伸べてくれ、もう心配は要らないよと言ってくれた時、救われた気持がした、と語っている。今、彼らが母親との思い出として残っているのは、誰かからもらったのであろう、この澤田さんが撮影した写真だけだという。以後大切に保管しているという。澤田さんには感謝の気持ちで一杯だと語っていた。

番組には登場しなかったが、もうひとつのフィン・コン・ウト(Huynh Cong Ut )さんが撮影した写真『戦争の恐怖』に写っている少女も今、立派な大人に成長しているということであった。真実を報道し世界に発信するために、命を賭けて活動していた澤田さんの素晴らしい生き方に感動させられた番組であった。

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2013年3月11日 (月)

東京オリンピック招致よりも東北地方復興優先を!

東日本大震災の発生から早くも2年が経過した今、アベノミックスによる効果であろうか、見掛け上は、円安の進行と共に株価は上昇し、景気は回復基調にあり、世間は明るさを取り戻しているかのように見える(実態はわからないが)。

しかし、その一方で、大震災後の東北地方の復興はそれ程進んでいるようには思えないし、脱原発のムードがトーンダウン、原発再稼働を積極的に進めようとする人が元気を取り戻している。

また東京へのオリンピック招致キャンペーンが盛んである。オリンピックを招致することに賛成でも反対でもないが、何故この時期にオリンピックかという疑問も残る。オリンピック開催による経済効果も期待されるというが、私はもっと東北地方復興を最優先すべきだと思う。

日本はオリンピックなどやっている余裕がないはずである。またスペイン(マドリード)も財政難に喘いでおり、失業率も高く、とてもオリンピックをする余裕がない。従って今回はトルコのイスタンブール開催が最も望ましいと思う。トルコは親日国でありますし、イスラム世界初の開催という意義もあり、トルコでの開催を心から願っている。

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2013年3月 7日 (木)

歌「春よ来い」のこと

春よ来い 早く来い
 
あるきはじめた みいちゃんが
 
赤い鼻緒(はなお)の じょじょはいて
 
おんもへ出たいと 待っている

             (相馬御風 作)
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これは新聞紙上でふと見かけた懐かしい歌である。年配の方なら誰もが口ずさんだことのある童謡「春よ来い」の歌詞である。『じょじょ』は草履、『おんも』は表を意味する幼児語である。

最近ではこの歌を聴くことが殆どなくなった。淋しい感じがする。小学校唱歌として親しまれて来たこのような『日本のこころ』を伝える歌がなくなっていくのは、生活習慣や風習、生活スタイルなどの変化を反映した時代の流れかも知れないが、少しは後世に残っていって欲しいと感じる。
 
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四季の中で最も切実に待たれるのが春である。我が国の勅撰和歌集でも、春の到来を告げる歌が多いという。

写真は、
我が家の裏庭に植えた梅の花。18年程前にお正月の御祝いとして頂いた盆栽の中にあった梅の木を庭に直接植え替えたところ、すっかり大きく成長し、毎年春の訪れを告げてくれる。ただ庭といっても隣家との間隔が狭く小さな庭なので、日当たりが少々悪く、世間一般よりは開花が遅い。それでも我が家に春を告げてくれる大切な梅の花である。
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2013年3月 6日 (水)

高山右近の誕生地を訪れる

先日、箕面観光ボランティアガイドの皆様と、箕面5山縦走ということで、箕面駅前を午前9時半に出発、箕面の滝道⇒天上ヶ岳⇒堂屋敷⇒長谷山⇒鉢伏山⇒明ヶ田尾山というルートで五つの山を縦走して来ました。その後高山右近が生まれたという高山に出て、そこからはバスで、午後4時15分頃阪急池田駅まで帰って来ました。走行距離は約18KMでした。

高山は大阪府豊能町にあり、1552年、高山右近が生まれ、幼少期を過ごしたところです。高山右近生誕の地という碑や高山高札場の史跡跡がありました。高山高札場には、キリシタン禁教令などの札が掲げられていました。

その札には、「定 切支丹宗門の儀は これまで禁制 禁の通り 固く相守る事 邪宗教の儀は固く禁止候う事」と書かれていました。

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中村桂子さんと鷲田清一さんの対談・東日本大震災からの2年・縮小時代の復興

先日、「生命誌絵巻」の件でご紹介した中村桂子さんと、哲学者鷲田清一さんとの対談記事が、雑誌『潮』に掲載されています。

  特別企画「東日本大震災から2年」・・縮小時代の復興~新たな価値観を求めて~ という記事です。

これから読んで見ようと思っています。写真は、雑誌『潮』の見出しと前回ご紹介した「生命誌絵巻」に関する私のブログ記事です。

今後の科学技術には、人間や自然との同化が求められるということが強調されています。
  前回のブログ記事:http://yagikeieioffice.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-a56a.html を参照下さい。

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2013年3月 3日 (日)

生命誌絵巻・自然と人間、そして科学

写真にある美しい扇状に描かれた絵は何だと思われますか?これは「生命誌絵巻」と呼ばれ、科学者である中村桂子さんが作られた『絵巻』である。

中村さんによれば、扇の要は、地球上に生命体が誕生したとされる38億年前で、以来、地球上の生き物はこの38億年前に存在した細胞を祖先とし、時間をかけて進化し、多様化し、複雑な生態系をつくって来た。それ故、全ての生き物はDNA(ゲノム)として、それぞれの体内に38億年の歴史を持っているという。因みに我々人類は扇の最外縁部に位置している。

中村さんは、そこにある歴史物語を読み解くことから、生命・人間・自然を知り、それらを大切にする社会づくりに繋げて行きたいという想いを持って、研究を続けて来られた。
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ところで、この『生命誌絵巻』のことであるが、先日NHK番組 『宗教と人生・こころの時代~震災後改めて問われる人間と自然~』の中で中村さんが話されていたもので、これに関して、次のようなことを言っておられた。
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西欧に始まった近代合理主義に基づく科学は、自然と人間は同体であるという考えから遠く離れて発展して来たところに問題がある。その結果、公害の問題とか、原子力汚染とかいった問題に充分対応することができず、今日に至っている。それ故、今後の科学開発は、自然と人間は一体であるということを肝に命じてやっていく必要がある。

詳しくはJT生命誌研究館をご覧下さい:http://www.brh.co.jp/about/
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