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2013年6月19日 (水)

スペインにある日本人の子孫が住む町

我が家でお世話しているスペインからの留学生・マリアさん(大阪大学)から聴いた話、初めてヨーロッパに渡った日本の武士が支倉常長で、その時、一緒に渡った日本人の中で、日本に帰らず現地に留まった人たちの子孫が住む町があることを、前回記したが、今回補足して記す。

航海術も不十分な時代、危険を冒して海外に渡った人たちの話は、感動的だ。
 
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その町の名は、スペイン南西部、地中海に面した都市・セビリア近郊にある港町『コリア・デル・リオ』。そこには日本を意味する『ハポン』(Japon)という名字の人たちが1500人ほど住んでいる。今から約400年前の江戸時代の初め、仙台藩主伊達政宗が派遣した、支倉常長をトップとする慶長遣欧使節団の子孫とされる。
 
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先日614日、日本スペイン交流400周年行事の一環としてスペインを訪れている我が国の皇太子さんが、この『コリア・デル・リオ』を訪れ、『ハポン』さんの集まりに参加し、懇談した(添付の朝日新聞記事『ハポンさん熱烈歓迎』に掲載されている)。コリア・デル・リオにある「支倉常長協会」は、東日本大震災後、支援活動に奔走。支倉常長の銅像前で黙とうを呼びかけ、同町のホームページで「こちらに避難したい方には市民権を与えます」と発信したそうだ。
 
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ところで慶長遣欧使節とは?

 
今から約400年前の1613年(慶長18年)、仙台藩主伊達政宗が、仙台領内でのキリスト教布教容認と引き換えにメキシコ(当時スペイン領)との直接貿易を求めてイスパニア(スペイン)国王およびローマ教皇のもとに派遣した使節である。この背景には、この2年前の慶長16年に起こった慶長三陸地震津波によって大被害を受け、塩害により米の収穫もできず疲弊した藩経済の活路を見出そうとした伊達政宗の英断があったと言われている。

支倉常長は、宣教師ルイス・ソテロとともに、仙台藩で建造された様式帆船「サン・ファン・バウティスタ」で太平洋を横断。メキシコを経てスペインに至り国王フェリペ3世に謁見、更にローマ教皇パウロ5世に拝謁したが、徳川幕府のキリスト教弾圧などの国内事情などが足かせとなって目的を達成することができず、7年後の1620年、失意のまま帰国した。添付の写真は、支倉常長の肖像画(スペインで描かれたもの)、石巻にある帆船「サン・ファン・バウティスタ」の復元船である。

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