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2013年6月 4日 (火)

悲劇の女性・細川ガラシャのこと

先日学生時代の友人3人と一緒に、大阪の上町台地を難波宮跡から四天王寺に向って散策しました。難波宮跡の東隣にある玉造近辺は、古墳時代、勾玉などを製作する玉作部が置かれていたと言わ

れています。この辺りには二人の悲劇の人物にまつわる史跡が残っています。一人は細川ガラシャ、もう一人は真田幸村です。

細川ガラシャは明智光秀の娘玉で、キリシタンとなり洗礼名はガラシャです。聖マリア大聖堂入口には細川ガラシャと高山右近の像が立っており、聖堂内には聖母マリア、細川ガラシャ、高山右近の肖像画が飾られていました。

また聖堂の近くに『越中井』がありました。ここは細川越中守忠興の屋敷があった所で、その屋敷内にあった井戸です。関ケ原の戦いの前、石田光成が諸大名の妻子を人質...として大坂城に移そうとしましたが、ガラシャはこれを拒み、家臣に自らの胸を突かせ亡くなりました。その時、彼女は次の辞世の句を残していますが、その歌碑が立っていました。

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
死を前にして、自分の運命を花にたとえ、この世を去っていく無念の気持ちを詠ったのではないかと解釈しました。いい歌です。

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