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2013年7月

2013年7月27日 (土)

天神祭

7月25日、初めて天神祭を現地で楽しみました。平安時代中頃、951年に始まったこの祭りは、祇園祭、神田祭とならんで日本三大祭の一つですが、大阪に住みながらまだ行ったことがありませんでした。今まではテレビ大阪の番組を観て、この祭りの様子を楽しんでいましたが、やはり今回現地で観ることにより、古代から続いてきた伝統ある祭りの厳粛さと熱気を肌で感じることが出来たように思います。

7月25日は本宮で、この祭りのハイライトは「船渡御(ふなとぎょ)」が行われました。天満宮表門を...出発し陸渡御を終えた一団が、天神橋北詰で次々と船に乗り込みます。その船団は数百艘。菅原道真の御神霊を乗せた「御鳳輦船(ごほうれんせん)」や「供奉船」は天神橋を発進し、大川の上流へ。一方、御神霊を迎える「奉拝船(ほうはいせん)」の一団は、都島駅近くの飛翔橋から大川を下ります。今回、私たちは大阪商工会議所の奉拝船に乗せて頂きました。尚、この船には司会者として桂蝶六さんが乗船し案内してくれました。

奉拝船での遊覧は午後6時から9時まで3時間に及びました。その間、「御鳳輦船」や能が演じられている「能船」、手漕ぎの船「どんどこ船」、また天神橋商店街やライオンズクラブ、日清食品などの「奉拝船」など、沢山の船と出会いました。タレントの眞鍋かおりさんが乗船している船にも出会いました。船渡御では、船と船がすれ違うたびに「大阪じめ」という挨拶が行われることを始めて知りました。浪速の商人には欠かせない習慣だそうです。(大阪じめ⇒ ①打ちまーしよ、チョンチョン ②もひとつせー、チョンチョン ③祝うて三度、チョチョンがチョン)。

天神祭の人出は100万人だそうです。大川の沿岸、天神橋や天満橋の上、ビルやマンション、大勢の方が見物されていました。後でテレビ大阪の天神祭中継録画を観ました。祭りにはやはり人を高揚させる特別な雰囲気があるのでしよう。その番組では天神祭での思い出話について、アンケートを募集していましたが、祭りの時にプロポーズされたとか、何かの事情で離婚したものの、年に一度、祭の時には再会しようと約束し、幾度か会う内に、再婚し今は幸せに暮らしているとか、恋に関するものが60%も占めていたのは、印象的でした。
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2013年7月24日 (水)

参議院選挙を終わって・福沢諭吉に学ぶこと

今回の参議院選挙は自民党の圧勝に終わりました。しかし議席こそ、自民党は121議席中、65議席を獲得し、その割合は53.8%でしたが、得票率は34.7%でした。従って自民党は、民意の圧倒的な支持を得たとは思わず、驕らず、謙虚な態度で政治を行って欲しいと思います。ところで今回の選挙では、「ねじれ」の解消ということが大きな話題となり、ねじれが悪いように解釈されていますが、ねじれは政治の世界では決して悪いことではないと思います。

そもそも衆参二院が存在するのは、一度の選挙で、その時の社会的雰囲気の中で、風に乗って多数派を形成した政党が「暴走」するのを抑制するためにあります。このように無駄とも思われる二院制をわざわざ設けたのは、一党の一時的で、気まぐれ的な勝利で国のかたちが、危険な方向に大きく変わらない様にするためです。

我が国が誇る良心の人・福沢諭吉は、「文明論之概略」の中で、「人間の本性からして、権力を持つ者は権力に溺れてこれを濫用する弊害があると」と述べています。更に「学問のすすめ」の中で、国民は主客の両面で責任を果たさなければならないと説き、政治が劣化した時や政府がその分限を越えて暴政をおこなうことがあれば、「主」に戻って、行動しなければならないと述べています。これは現代にも通じるもっともな見解です。

従って国民は今後、原子力問題や憲法問題、弱者保護などの政策で自民党が民意を取り入れた政策を行っているかを監視すると共に、衆参二院で適度な「ねじれ」を持たせるために、リベラルな勢力の奮闘を期待し、その育成を行っていかなければならないと感じました。

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2013年7月18日 (木)

政治を変革するためには「客」ではなく「主」に徹しよう!・福沢諭吉の言葉

一万円札に描かれた人物が『福沢諭吉』であることは皆さまご存じのことと思います。明治34年生まれの人です。福沢諭吉は、幾度も政府の高官職を持ちかけられましたが断り続け、独りの民間人として生きた孤高の人でありました。
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福沢諭吉といえば「学問のすすめ」という著作が思い浮かびます。この著作の初編の有名な言葉、『「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生じるには、万人はみな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差...別なく、・・・』と続き、人は皆平等に生まれて来たことを強調した上で、学問というものがいかに大切であるかを説いています。

さて、この「学問のすすめ」の第七編「国民の職分を論ず」では、『国民たる者は一人にして二人前の役目を勤むものなり』と述べ、国民は主客の両面で責任を果たさなければならないと説いています。これは議会制民主主義の下で、平時の時(何事も問題がなく平穏な時)、国民は「客」であってもよいが、政治が劣化した時や政府がその分限を越えて暴政をおこなうことがあれば、その時は「主」に戻って、政府がやることを、有難いと思うような「客」になるず、主体的に動きなさいと言っています。明治時代というはるか昔に福沢諭吉が、既にこのように進んだ、現代にも通じるようなことを説いていたことは驚きです。
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今、我が国の現状を見ると、選挙があってもどうせ変わらないのだから選挙に行くのは止めようという諦めムードが蔓延しているようです。経済が大切なことは言うまでもありませんが、それ以外の社会福祉、原子力をどうするか、諸外国といかに仲良くやっていくか、等々、多くの問題が横たわっています。

福沢諭吉の言葉に従えば、現在の日本国民の多くは、主客二人前の役を果たさず「客」になりきっているのではないでしようか。世の中を良くするには、「主」の立場に戻って考えてみる必要があるのではないでしようか。
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2013年7月15日 (月)

蓮(ハス)の花を楽しむ

ここ1週間、二人の孫娘が娘の手を離れて我が家で過ごした。娘が、嫁ぎ先の身内の方の危篤、お通夜、葬儀という慌ただしいスケジュールの中で、二人の孫娘(5歳と2歳)の世話を見るのが大変であったからである。彼女らの滞在最後の先週土曜日、万博公園へ蓮(ハス)の花を見に行った。

なぜ蓮の花かというと、数日前、5歳の孫娘がテレビで蓮の花が咲き始めたというニュースを見ていて、「まあ綺麗!蓮の花」と歓声を上げた。孫娘にも美しいものを見て感激するような感性が芽生えて来たのだと思うと嬉しく思った...

それならば、法事が終わり少し厳かな気持ちが残っている時に、仏教とも縁の深い蓮を見せてあげようと思った。蓮といえば近くに万博公園の蓮園があることを思い出した。『この公園には睡蓮(スイレン)園もある。蓮と睡蓮との違いは、蓮は水面より高く花を咲かせるが、睡蓮は水面に浮かぶように花を咲かせる』

ということで、万博公園の蓮園へ。着くと、広い蓮池一面に無数の蓮が密集して咲き競っている壮麗な風景は、今まで見たことがなく素晴らしかった。この園は、シーズン中は朝6時から開演している。蓮の花は早朝に咲き、午後には閉じてしまうが、我々が行ったのは午前11時頃であるので、もう少し早く来ておれば、もっと壮麗な光景であったのかも知れない。それでも開花した蓮もかなり残っていたのでよかった。

蓮は泥の中に根を張り、じっと成長の時を経て、大きな葉とともに大輪の花を咲かせる。そして泥水が濃ければ濃いほど、蓮の花は大輪の花を咲かせるという。長く泥の中にありながら、“決してその泥に染まらず”清らかな花を咲かせる姿に、仏陀の尊厳を象徴させたのであろう、如来や菩薩の仏像は、蓮の花を象った台座に坐している。

蓮の花をしばらく眺めていると静寂感とともに、暑い夏の最中であったにもかかわらず清涼感を感じた。葬儀も昨日無事終わり、ほっとした気持ちになり、心の安らぎも得た。孫娘も子供ながらしばし蓮の花に魅入っていた。

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2013年7月 9日 (火)

わび、さびについて(2/2)

日本の文化として話題になるものに能や文楽歌舞伎、茶道、茶道などがあり、その精神の基となっているのが「わび、さび」である。前回、国学者・中西進氏の説明で「わび」について記した。今回引き続いて「さび」についての説明を紹介します。
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武士が質疑の応答の際使われていた「然り」という言葉。「さ」とは「しか(然)」が約(つづ)まったものである。 だから“ いかにも本来の姿らしい”ということが「さぶ」である。たとえば...老人がいかにも老人らしいことを「翁さぶ」といい、現代でも神々(こうごう)しいことを「神(かん)さびているという。鉄の場合、鉄が酸に弱い本性そのままに「さび」ていれば、それこそ鉄らしく、それが錆なのである。

また日本人は、万事自然を尊ぶ精神が強い。だから神社建築などの建物も白木=素木(しらき)を材料とすることが多く、けばけばしくペンキを塗らない。

このように「さびている」ことは、何のプラスもない、その物の姿だから「さびしい」という感情も孤独感に他ならない。

「さびしさに 宿をたち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮」((良暹法師、後拾遺集)という歌がある。「孤独にさいなまれて外の景色を見ると、全て孤独な秋の夕暮だった」というのだから、景色すら秋の夕暮「さびて」、何の援軍もなかった、と詠むのである。身も景も一色。ここに究極の秋の夕暮があるとは、「さび」の典型といえる。

何の甘えもない峻烈な孤独。それが「さび」である。こんな美を愛でてきたのが日本人である。従ってこの美の誕生の背景に、先に記した「わび」と同じ歴史があることが分かる。同じ死の美学といってもよいだろう。
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以上、2回に分けて国学者・中西進さんの「わび、さび」の説明を紹介しました。以上の紹介文は、できるだけ原著に忠実に記しましたが、私自身の理解のために若干表現を変えたところもあります。その出処は「情に生きる日本人 中西進著 ウエッジ社」で、今年4月に出版されたものです。興味のある方はご覧下さい。
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わび、さびについて(1/2)

<わび、さび>
日本の文化として話題になるものに能や文楽歌舞伎、茶道、茶道などがある。そしてその精神の基となっているのが「わび、さび」であるが、この「わび、さび」という言葉は難解で、分ったようで、実はわかった気がしなかったが、国文学者である中西進さんが、次のように説明をされているのを読んで少し分った気がした。

まず「わび」であるが、百人一首に道因法師が詠んだ次のような歌がある:「思いわび さてもいのちは あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり」(恋人を恋いしたっていても、それでも生きてはいられるが、辛くて仕方ないのは涙が止めどなく溢れることだ)

「思いわび」とは「死にそうになりながら、何とか命をとりとめているという様な意味」であるという。現代でも「死んでお詫び(おわび)をします」という表現がある。要するに「わびしい」とは死にそうになるほどの状態(仮死状態)だということだ。

この仮死のあたりに至極の境地を定めたものが、千利休の「わび茶」であり、松尾芭蕉の「わび、さび」の主張だった、ということになると説明されている。

最後に、中西進氏は、戦国乱世とは、合戦による死者の屍を日本が列島各地に積み重ねた時代である。この死の時代を経由して「わび」という美が生み出された。つまり死は、もうひとつの生として「わび」の名を与えられ、日本美のひとつを形づくったといえるだろう。この日本人の心境の深化を、貴重なものにしなければならないと、結んでいる。

長くなったので「さび」については、次回に記します。

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2013年7月 4日 (木)

文化とは

世界の国々は、観光産業の促進に余念がない。自国を訪れた外国人の数ではフランスなどがトップを走り、我が国はというと現在のところ低位に甘んじている。

これはある観光を巡るTV論議の中で、ある日本在住の外国人の方が言っていたことであるが、ある国(地域)では「日常」と思われていることでも、他の国(地域)では「非日常」と思われることが多い。これはそれぞれの国における風俗、習慣などを指すもので、広く文化といってもいいものである。

たとえば、我が国には日本的な「わびさび文...化」である茶や生け花、能などの明らかに日本的なものに加えて、列車の時間が正確であるとか、治安が良いとか、忘れ物をしても大抵は戻ってくるとか、という日本人には当たり前であっても外国人から見れば「非日常」的で驚きをもって感じられるものもある。

外国とは異なる文化の違いが、外国人を惹きつけるのだ。我が国は、明治維新後、西欧文明を取り入れ西欧化が進んだ、戦後はアメリカ化が進んだ。そして現代、人やモノ、情報が自由に行き交うグローバルな時代である。我が国にとって、今の時代でも日本的な文化がまだ多く残されていることは幸せである。

「文化」と云うのは文明とは似て非なるものであると私は思っている。ある方が、故司馬遼太郎さんの見解として次のように文化と文明の違いを紹介されているのを見て、これは素晴らしく納得のいく説明であると思い感動した。
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司馬さんは「文明」と「文化」という言葉をきれいに定義している。司馬さんがよく使われる文化の例は、日本の女の人が座敷に入る時には両膝をついて両手でふすまをあけて入る。その形を、見ている人は美しいと思うし、やっている方も気持ちがいい。合理的っていうのだったら立ったまま開けてもかまわないのだけれど。これが日本文化なのです。しかしそれは、他の国に持っていくことはできませんと。それに対して文明の方の例としては、信号。赤は止まれ、青はGOだと。これは世界的に通用する普遍的なもの、これが文明です、と。
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簡単に言えば、文明というのは普遍的なもので科学技術的なニュアンスが強く、人間を幸福にするものかと言えば、必ずしもそうでないのに対し(例えば交通技術の発展や原子力)、文化は精神的なものである。祖先から伝承されて来た文化を維持していく限り、我が国は観光に限らず、世界に存在感を示すことができると思うのである。

(奈良市 ならまち格子の家)
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2013年7月 3日 (水)

原発ゼロを目指す

科学技術の発展は人間に幸せをもたらすであろうか?-- 幸せをもたらすものもあれば、逆にそうでないものもある。後者の例としては、人間が生み出した最大の失敗作・原子力がある。人間は自ら作り出し、自ら制御できないこの原子力に翻弄され続けて来た。広島、長崎への原爆の投下、チェルノブイリ原発における事故、そして我が国での東日本大震災における福島原発事故などである。

東日本大震災の後、原子力による被害者という経験を下に、原子力を無くして行こうとする気運が国民の間で盛り上がった。原子力依...存をなくして行こう、原子力に代わる代替エネルギーを開発しようという動きが、国民の多くの偽らざる意見であったように思う。しかし今、このような動きが色褪せて来たように思われる。

日本国民は多くの良い面を持ちながら、「台風のように突破的に燃え上がりながら、しつっこい所がないし、きれいに諦める傾向がある」。これは風土と人間の関係を述べた和辻哲郎氏の説であるが、まさに最近の様子を見るとこれが当たっているように思われるのは残念なことである。

参議院選挙前に、6月29日大阪市内で行われた9政党の幹事長・書記長らによる公開討論会。「『原発ゼロ』を目指すか」の問いに、自民党を除く他の党の全員が『NO』と表明したのを見て、ほっとした。我が国にもまだ良識が存在しているのだと。

昨日の『たけしのTVタックル』。この番組は全ての政党に門戸が開かれており、各党が喧々諤々と意見を述べ合う優れた番組であると私は思う。その番組でゲストとして招かれた福島県・大熊市で農業を営むご夫婦の悲痛な叫びを聴いた。「政治家は我々を人間と思っていないのではないか? 地元が汚染されて帰れないなら帰れないと早く言って欲しい!我々も年だし余命も余りないのだから』等々。アベノミクスによる景気回復の期待も理解できないことはないが、何事にも先に政治家が為さねばならないのは、東日本大震災の復興ではないかと思い知らされた。

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