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2013年7月15日 (月)

蓮(ハス)の花を楽しむ

ここ1週間、二人の孫娘が娘の手を離れて我が家で過ごした。娘が、嫁ぎ先の身内の方の危篤、お通夜、葬儀という慌ただしいスケジュールの中で、二人の孫娘(5歳と2歳)の世話を見るのが大変であったからである。彼女らの滞在最後の先週土曜日、万博公園へ蓮(ハス)の花を見に行った。

なぜ蓮の花かというと、数日前、5歳の孫娘がテレビで蓮の花が咲き始めたというニュースを見ていて、「まあ綺麗!蓮の花」と歓声を上げた。孫娘にも美しいものを見て感激するような感性が芽生えて来たのだと思うと嬉しく思った...

それならば、法事が終わり少し厳かな気持ちが残っている時に、仏教とも縁の深い蓮を見せてあげようと思った。蓮といえば近くに万博公園の蓮園があることを思い出した。『この公園には睡蓮(スイレン)園もある。蓮と睡蓮との違いは、蓮は水面より高く花を咲かせるが、睡蓮は水面に浮かぶように花を咲かせる』

ということで、万博公園の蓮園へ。着くと、広い蓮池一面に無数の蓮が密集して咲き競っている壮麗な風景は、今まで見たことがなく素晴らしかった。この園は、シーズン中は朝6時から開演している。蓮の花は早朝に咲き、午後には閉じてしまうが、我々が行ったのは午前11時頃であるので、もう少し早く来ておれば、もっと壮麗な光景であったのかも知れない。それでも開花した蓮もかなり残っていたのでよかった。

蓮は泥の中に根を張り、じっと成長の時を経て、大きな葉とともに大輪の花を咲かせる。そして泥水が濃ければ濃いほど、蓮の花は大輪の花を咲かせるという。長く泥の中にありながら、“決してその泥に染まらず”清らかな花を咲かせる姿に、仏陀の尊厳を象徴させたのであろう、如来や菩薩の仏像は、蓮の花を象った台座に坐している。

蓮の花をしばらく眺めていると静寂感とともに、暑い夏の最中であったにもかかわらず清涼感を感じた。葬儀も昨日無事終わり、ほっとした気持ちになり、心の安らぎも得た。孫娘も子供ながらしばし蓮の花に魅入っていた。

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