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2013年10月

2013年10月18日 (金)

五輪真弓さんのこと

「SONGS 五輪真弓」というTV番組を観た。
五輪真弓さんは私の大好きな歌手である。清々しい声、淋しさをどことなく漂わせた歌い方には、いつ聴いても魅了される。カラオケを歌う場合、私のレパートリーには、石原裕次郎や水原弘などの男性歌手に混じって五輪真弓さんの歌が幾つかあった。中でも「恋人よ」や「リバイバル」はよく聴き、よく歌った。

五輪真弓さんは五島列島の出身だ。音楽好きな父の影響で自然と歌を唄うのが好きになったのだという。子供の時、父が買ってくれたギターには忘れられない思...い出があるそうだ。
この島にはクリスチャンが多い。番組では迫害されたキリシタンのお墓を訪問する場面があった。五輪さんの親戚にもキリシタンが多いという。江戸時代、島でのキリシタン弾圧は残酷を極めた。そのような歴史をもつ島で生まれたことが、五輪さんの歌に独特の影響を及ぼしているのだと、番組を観て感じた。

1972年に「少女」で衝撃のデビューを飾り、女性シンガーソングライターの草分けとして、数々の名曲を送り出してきた五輪真弓さんだが、デビュー40周年を記念してシングル「BORN AGAIN」(作詞・作曲:五輪真弓 編曲:船山基紀)を7月24日にリリースしたそうだ。心に湧きあがったという五輪さんの今の想いが込められた壮大なバラードである。オリジナルシングルとしては2004年の「ふれあう時を信じて」以来、実に9年ぶりだ。
是非、買って聴いて見たい。
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2013年10月14日 (月)

世界が認める印刷会社・グラフ株式会社(兵庫県加西市)

兵庫県加西市にあるグラフ㈱という印刷会社。先日、カンブリア宮殿でも放映されていたが、観ていて久しぶりに感動した素晴らしい会社であった。

モノづくりにおいて機械や道具はある程度、商品を生み出す手段として重要であるが、それ以上に大切なのは、感性とか細やかな神経とかを含む人間力であることを改めて感じさせられた。このグローバル化の時代、我が国の製造業は、諸外国におされて衰退気味であると自嘲気味にいう人もいるが、そんなことはない。我々日本人が有する特別なものづくりの精神は、我が国の...風土の中で培われてきたものであり、決して他国がマネできないものも沢山ある。

グラフ㈱は、現社長の北川一成さんが、お父さんから引継ぎ育ててきた会社で、元々は北川紙器印刷という、従業員40人程の地方の一会社に過ぎなかった。少し前までは完全な下請け会社。それを、北川一成さんが、世界が認める印刷会社に一新させた。

この会社の特徴は、「印刷技術+デザイン」だ。どんな色配合でも可能で、それに感性に満ちたデザイン力。これは北川さんがデザインを専門とするところに依っている。それに加えて、顧客企業のブランド戦略に関与し、企業のイメージアップを図る提案力が素晴らしい。まさに企業再生屋ともいえる存在だ。今までもあの有名な老舗「バウムクーヘン」や酒造業・「冨久錦」を再生させた。

写真は、GRAPHがブランディングを手がけた地元の純米酒蔵「富久錦(ふくにしき)」。ロゴマークの作成から、酒ラベルのデザイン、印刷までをトータルで手がけた。

グラフHP:http://www.moshi-moshi.jp/

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2013年10月11日 (金)

司馬遼太郎・最後の長編小説「韃靼疾風録」を読んで

司馬遼太郎さんの最後の長編小説「韃靼疾風録(だったんしっぷうろく)」を最近読んだ。この本は、亡き義父の蔵書にあったもので、いつか読もうと思っていたが、日常の仕事に忙殺されて読む暇がなく書棚の片隅に眠っていたものである。先月、梅原忠夫さんがある随筆で、この本を絶賛されていたのを見て、興味を感じて読んだ。
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我々日本人は、東アジアに住んでいながら、西欧の歴史に目を向けがちであるが、本書を読んでいると、世界の歴史における東アジア地域...の遊牧民族の存在が如何に大きいかを思い知らされる。

この物語は、桂庄助という下級武士が、九州・平戸に漂着した韃靼王族の王女・アビアを、その故国へ送り届ける過程で遭遇する東アジアにおける時代の変化を描いた壮大なロマンである。スケールの大きさに驚かされる。司馬さんはどのようにしてこの構想と必要な知識を得たのであろうか? 時代は、明が滅び、満州族の清が王朝を樹立するまでの期間で、民族としては満州、蒙古、漢、朝鮮、日本の五民族が入り乱れて登場し、それぞれの民族の歴史・文化や精神的特徴が興味深く描かれている。

韃靼とは、モンゴルの一部族タタールを指す呼称であると聞くが、この物語では、中国東北地方に住む小さな民族で、女真人とか満州人のことで、清をつくった民族のことである。
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この小説の最後で、司馬遼太郎さんは、次のような言葉で結んでいる。
・・・・それは別として、庄助やアビアはいつ死んだのであろう。そのことを詮索する根気は、筆者においてもはや尽きた。・・・・(完)
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作家にならないとわからないが、このような大作を描くには、相当のエネルギーと若さ、それに時間を必要とするらしい。司馬さんもこの小説を書いて疲れ果てられたのであろう。そういえば、アニメを描いておられる宮崎駿さんが『風立ちぬ』完成後、同じような趣旨のことを言っておられたのを思い出した。
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2013年10月 8日 (火)

日本・ベトナム共同制作ドラマを観て・両国の友好のために

静岡県袋井市、遠州灘の近くに常林寺という大きくはないが清楚な寺院があり、ここに、浅羽佐喜太郎公記念碑という碑が、訪れる人も少なく静かに立っている。この碑は、今から約100年前の大正7年、ベトナム人の潘偑珠(ファン・ボイ・チャウ)が、浅羽佐喜太郎の恩に報いるべく建てたものである。

ファン・ボイ・チャウはフランスの植民地下で圧政に苦しんでいたベトナムの独立運動に生涯を捧げた人で、今でもベトナムでは多くの人々の尊敬を集めている。ファンの校名を持つ学校も建てられている。一方浅羽佐...
喜太郎は、開業医で、ファンが1905年日本に渡航して明治政府に独立運動への支援を求めた時、彼を精神的、経済的に支え、大隈重信や犬養穀とのコネがあったことにより、ファンと大隈らの間を取り持つなど尽力した人である。

しかし1907年、日本政府は、フランスと日仏協約を締結するに至り、ファンを見捨てた。国外退去になったファンは身を隠しながら、中国、ベトナムなどで独立運動に奔走する。彼はこの潜伏活動の最中、佐喜太郎の訃報を聞く。そして1917年、危険を賭して日本に密入国し、地元の人たちの協力も得て、佐喜太郎への感謝の意を込めてこの碑を建てた。
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先日、2013年9月29日は、日本とベトナムが国交を樹立してから、丁度40周年に当たり、上記の史実に基づいた、日本・ベトナムのテレビ局が共同で製作したドラマ「パートナー」が放映された。大変感動的な優れたドラマであった。ベトナムは日本とよく似た国民性を有する国で、私も大好きな国である。両国は、今後ともこのようなドラマの共同制作などを含めて、様々な分野で友好関係を深めたいものだと思った。

以下に添付したのは、浅羽佐喜太郎公記念碑と浅羽佐喜太郎氏及びファン・ボイ・チャウ氏の写真である(袋井市会議員 寺田守氏のHPより借用)。

 
(東浅羽村の人々との写真、
下段の右から2人目がファン・ボイ・チャウ氏)
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