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2014年1月

2014年1月31日 (金)

『勝った、負けた』という空疎な言葉

先日、TV番組を観ていて思ったことがある。『勝った、負けた』という言葉のやりとりが、女性の間でなされているという。持ち物や衣服、また自分の子供のことなどについてのことである。この言葉そのものは、人間の向上心を刺激すると云う意味ではいいのかも知れないが、表だって云うべき言葉ではなく、思いやりに欠ける言葉であり、聴いていて空疎な感じを受ける。勿論この言葉は、男性の間でもよく使われていることだが。

最近、隣国との関係で、一方通行の自己主張が横行し、不安に思う。自己主張も必要だが、相手国の歴史・文化も尊重しなければならないと思う。独裁国家・中国はさておき、韓国とはお互いに努力すればうまくやって行けるのではないかと思う。『勝った、負けた』の議論をいつまでもすることは無駄である。我が国はまた、我が国が大戦中に行った加害性についても、目をそむけずに直視しなければならないのではないかと思う。

このことに関してのことだが、同じ「零戦」をテーマにした映画で、「風立ちぬ」を制作した宮崎駿さんが、百田尚樹さんの「永遠の0」に意見を申している。宮崎さんの「風立ちぬ」は戦争を否定したものであるのに対し、百田さんの映画は、ゼロ戦を賛美し、我が国の加害性を無視しているということだ。そう云えば、百田さんが経営委員になったNHKの今後の政治的中立性について注目していく必要がある。

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2014年1月22日 (水)

JR北海道の経営問題・国鉄民営化は成功だったと云えるのでしようか?

JR北海道のレール点検数値改ざん問題の原因は、JR北海道自身の放漫経営に起因することについて云うまでもないが、しかし同情的に見れば、JR北海道が国鉄分割民営化当初から抱えていたハンディキャップにあることも考えてみる必要がある。経済合理主義の観点から一方的に判断することはおかしいと思う。

JR北海道の問題は、人員不足の問題に尽きると思う。
国鉄分割民営化によって、国鉄は分割されたが、分割は平等な経営環境をもってなされたのではなく、当初からJR東海、JR東、などの“裕福な”会社とJR北海道やJR四国の“貧乏な”会社に分かれてのスタートだった。これを補正するために、経営安定基金というのを設け、その運用益で不採算会社の経営をカバーしようしたが上手くいかなかった。

JR北海道は、“貧乏な”会社であるが、営業路線が比較的長い、利用者が比較的少ない、加えて北国であるので、維持管理費用も嵩む。それ故、毎年300億円前後の営業損を出すので、人員の補充も十分にできなかった。一方、JR東海などは、儲かるので次から次へと設備を更新し、人員も補充する。

これから云えることは、国鉄の民営化は全体から見れば、成功とは云えなかったのではないか。分割された会社間の貧富の格差を出さないように、JR全体として、黒字の会社の利益を、赤字の会社に回すというようなトータルなシステムをもっと考えて構築すべきだったのである。

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2014年1月20日 (月)

名護市長選・品位に劣る自民党

沖縄県名護市長選挙は、現職で辺野古移設反対派の稲嶺氏が再選された。沖縄県民の思いが反映された結果だ。大多数の沖縄県民は、辺野古反対であり、本来ならばもっと大差で稲嶺氏が勝利するはずだが、それほどの大差がつかなかったのは、どうせ反対しても最後は自民党の強行執行によって移設が進むだろうという諦めの気持ちも働いたのかも知れない。
稲嶺氏は、元々は賛成派でも反対派でもなかった人らしい。それが反対派に転じたのは、故郷沖縄が、沖縄住民の意志とはかけ離れた政策によって、踏みにじられていくという現実に危惧を抱いたからだ。

それにしても今回の選挙において遺憾に思えたのは、自民党がなりふり構わず行った沖縄振興基金という金による選挙民の誘導である。「お金で人の心を買う」という、政治家として最も品位に劣る、恥ずべき行為を行ったと云わざるを得ない。一時、自民党は古い体質から少し脱却し、少しましになったように見えていたのは、ほんの束の間だった。

かつての自民党には、リベラル派と云われる沢山の方がおられて、国家主義的な危険な政策を志向する一部人間の独走を抑えて来た。今や安部首相に意見を述べる人はあまりいないようである。
アメリカもこんなに多くの沖縄の人々が嫌がっていることを無視して、強引に辺野古移設を進めるのだろうか。アメリカの良心が問われる。オバマ大統領は、沖縄に関しては無関心を装い、何も言わない。このようなことを世界でしていたら、アメリカ嫌いな人も増えてくるだろう。アメリカのためにもならない。ケネディ大使はイルカ漁のことを心配するのもいいが、もっと人間を、特に沖縄県民のことを心配してほしいものだ。

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2014年1月 8日 (水)

対談:瀬戸内寂聴 vs ドナルド・キーン

昨日、ビデオで取り置きしておいた、瀬戸内寂聴さんとドナルド・キーンさんとの対談番組『ニッポン・不易流行』を観た。お二人とも同じ91歳。老いて益々若い。これからも未だ人生にやり残したことがあるのだという。寂聴さんは今後も『あおぞら説法』などを続けられるということだし、キーンさんは、石川啄木についての伝記的な著作を、余生で完成させるのだそうだ。

「世の中で、自分は生かされている、少しでも人の役に立ちたい」がお二人に共通した意識だ。私も対談を聴いていて刺激を受けた。これ程の高齢のお二人が、こんなにも、まだ元気な気持ちを持っておられるのだ、私も目的をもって頑張ろう!と。
...
キーンさんは2012年に日本国籍を取得された。日本人の心情を限りなく理解して下さっている数少ない外国人の一人である。源氏物語に魅せられたのが、日本を好きになったきっかけだということだが、日本文学の素晴らしさを世界に発信することにより、日本の良さを世界に宣伝して頂いている。ありがたいことだ。

ところで、源氏物語は、過去には、谷崎潤一郎や円地文子などによって翻訳されている。寂聴さんは2010年?に、この完訳を終えられた。翻訳にあたっては、「子供でもわかるように易しく」を心掛けたという。実は私も寂聴さんの源氏物語を愛読しているが、読みやすく面白い。源氏物語を完読する秘訣は、「あさきゆめにし」の様なマンガ本で大意をつかみ、次に寂聴さんの著作のような翻訳本を読み、最後に原文を読むのがいいそうだ。もっとも私は難しい原文を読むつもりはなく、寂聴さんの翻訳本で十分だと思っている。

番組では、他に、伊勢神宮・遷宮の素晴らしさ、三島由紀夫、川端康成のことなどが話題に上っていたが、最後にお二人とも、最近の社会的・政治的状況を嘆いておられたのが印象に残った。原発問題が収束しない中でのオリンピック開催、特定秘密保護法案の法律化など。
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2014年1月 3日 (金)

新年を迎えて 今年も明るい年に!

今年はどのような年になるのか予測もできませんが、
自分のことでも、家族のことでも、世の中のことでも、
明るく希望の持てる年に なって欲しいと願っています。

「新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の
                 いやしけ吉事(よごと)」  (大伴家持)...

 (新しい年の初めの初春の今日、めでたくも降る雪のように、
                 いよいよ良いことが重なるように)

私の好きな、万葉集の最後を飾る大伴家持が詠んだ歌です。彼は759年の正月元旦の賀宴においてこの歌を詠みました。当時、正月に雪が降るのは、豊年になる前兆と云われていました。
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この歌は、いわゆる“明るい歌”ではありませんが、歌そのものは明るい歌のように見えます。

晩年の大伴家持は不運に見舞われました。家持の庇護者であった左大臣橘諸兄の死後、時の権力は藤原仲麻呂に移り、そのため、一族もろとも中央から遠ざけられました。この歌は家持が、左遷され、因幡守(いなばのかみ)となり赴任した、現在の島根県で詠んだ歌です。

悲運の中でも、希望を求めて懸命に生きる家持の気持ちが表われている様な歌です。写真は富士山の写真です。私の静岡に在住する友人が送ってくれました。

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2014年1月 2日 (木)

紅白歌合戦を観て

2014年明けましておめでとうございます。
  今年も昨年に引き続き、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
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<紅白歌合戦>
昨晩は、小学生の頃から毎年観続けている紅白歌合戦を楽しんだ。毎年のことだが、歳をとるにつれて紅白歌合戦の内容の変遷を感じる。今年は舞台デザインに工夫を凝らし、今まで以上に、賑やかさ、華やかさが強調されたようである。北島三郎さんが今回を限りに引退を表明し、歌手の間での世代交代も進む。昔と違って、様々なジャンルの歌が存在するためか、平等を帰すため、それぞれの歌の分野での人選がむつかしく、自分が贔屓にしている歌手が人選から漏れるのは淋しい。

紅白歌合戦を観ていて、毎年感じるのは、心を揺すぶる様な、心に響く様な歌で、後世に名曲として残っていくような歌が少なくなっているように感じる。若い人たちが好む歌には、早いテンポで、しかも意...味をなさない言葉を並べて、刹那的な喜びや悲しみを表現した歌が多い。このような歌は彼らが大きくなった時、再び彼らによって唄われるとは思われない。美空ひばりさん、山口百恵さん、石原裕次郎さん等が唄った歌のように、意味のある歌とはいささか異なる。

我が国が、アメリカナイズ化され、日本古来の、心を打つような、聴いたあとで余韻に浸れるような歌が少なくなっていくことを『日本文化の衰退』というのは言い過ぎであろうか。
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昨日聴いた歌では、AKB48が唄ったような、この世の暗さを吹き飛ばすような楽しい歌も、人々を元気づけるためには確かに必要だろう。しかし一方では、「福田こうへい」の「南部蝉しぐれ」のように地方の歴史に根ざした、悲しみを帯びたもの、「美輪明宏」の「ふるさとの空の下に」のように、原爆体験を踏まえた感情を述べたもの、「泉谷しげる」の「春夏春秋2014」のように生活実感が籠ったもの、「いきものがたり」の「笑顔」のように、人との触れ合いを唄ったもの、などの歌が後世に残る名曲となっていくのだろう、と思った。

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