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2014年3月15日 (土)

日本人の信仰心について思う

地元市民活動の仲間の間で、月一回発行されている冊子に投稿した内容です。

<日本人の信仰心について>
中近東のサウジアラビアというところに40歳前後の時、仕事で滞在していた時がある。サウジアラビアはオアシスがある所だけに都市が偏在し、それ以外どこにいっても、どこを眺めても荒涼たる砂漠が続き、ましてや木々の緑などは目に入ってこない。この地上に頼るべきものは一つもないということが実感として迫ってくる。このような所では、唯一の絶対的な価値はどこに求めればいいのかわからず、最終的には、天上のはるか彼方に求める以外にない。まさに一神教の成立する背景がここにあると実感した。我々日本人の祖先は、荒涼たる砂漠に住む民とは違って、何も絶対的な価値の源泉を天空の彼方に求める必要はなかった。地上そのものが仏の住む世界であり、神の住む世界であり、人間の住む...世界であり、そしてご先祖様が息づいている世界だったからである。箕面に住むこと約30年になるが、箕面には山あり、川あり、野ありで、海さえも山に登れば遙か遠くに大阪湾が望まれる恵まれた場所だ。箕面に住んで、上で述べたような思いを新たにした。

ある外国人の評論家が次のようなことを云っていた。 “日本に独特な景観の最たるものは、海辺と山地の極端な近接が織りなす沿岸地帯に見られる。北九州を初めて訪れた古代中国人は、この景観を「山島」と表現した(魏志倭人伝)。一目で見渡せる狭小な空間に、あらゆる地形が一挙に圧縮されたかのようにして混在する。まさしく箱庭と呼ぶにふさわしい美しさがそこにある”  私も外国に居住し、外国を旅した経験などから、日本の自然風景自体に、大陸的な広大な自然風景などに較べれば、こじんまりした可愛らしさを、人生の後半にして初めて感じるようになった。
また、日本は全般的には温暖な気候に恵まれた国であるが、一方時々地震や台風、豪雪などに見舞われる。即ち穏やかさだけでなく、厳しさも抱え持つ。ただこの厳しさは持続するものでなく、季節的・突発的なものである。このような風土は日本人の重要な気質である、“いさぎよさ”と仏教の無常観と結びついた“もののあわれ”という美意識を生み出した。更に「わび・さび」という美意識も生み出した。

このような自然風土の中で、自然信仰というものが生まれ、日本文化を形成する上で大きな影響を及ぼしたと云える。それは自然の豊かさ、温和さについては、自然に任せればいいという考えである。それ故、西洋とは異なり、自然を何とか制御しようという気持ちがなかった。神道には教義がないと云われるが、日本人は、元来、このような自然の中に生きているので、ルールなど必要なかった。唯一の道徳的規範は、聖徳太子の時代の『十七条憲法』と云えるが、そのようなものでさえ7世紀を迎えるまで存在しなかった。自然信仰というものが、ただ言葉として受け取るのでなく、実践の中に示されている教えが日本にはあった。

日本人は無宗教だとよく云われるが、お正月になると、大多数の国民が初詣をする。普段はまったく関心がないのに、その時だけは神社や寺に行くというのは、日本人の遺伝子であり、潜在的に体の中に染み込んでいる。信仰心が篤い国民だといえる。西行が晩年、伊勢で詠んだ次の歌が思い出される。神道の真髄をうまく歌った歌である:“何事の おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる” 神道では、あらゆる自然に神が宿る。伊勢という領域は、まさに「何事のおはしますかは知らねども」という気持ちにさせたわけである。言葉で表現することができない、あるいは、言葉で表現する必要のない信仰があって、それが、「かたじけなさに涙こぼるる」という風に感動させたのである。

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