中国はどこへ
当時ソ連邦においては、ゴルバチョフ氏がペレストロイカを表明し、同国の民主化を進め、ソ連の共産党独裁政権が崩壊した時期に重なります。
中国においても、同時期の1986年、共産党の総書記に就任した胡耀邦氏は、「百花斉方・百家争鳴」を唱え民主化を進めましたが、鄧小平氏らの保守派の抵抗...に遭い1987年に失脚。後任者には、やはり改革派の趙紫陽氏が就任しました。
しかし1989年に胡耀邦氏が死去したのを契機として、民主化を求める学生デモ運動が激化。学生デモ隊に同情的な発言をした趙紫陽氏も失脚。天安門広場に集結した学生を中心とした一般市民デモ隊に対し、鄧小平を中心とする長老派の指示により、本来民衆を守るはずの中華人民解放軍が武力弾圧を行使し、民主化運動は鎮圧されました。ソ連の崩壊の様には行きませんでした。
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ソ連において共産党の独裁政権が崩壊する契機となったのは、政権内部にいた良心的・人間的なゴルバチョフ氏がいたからです。中国の場合も、胡耀邦氏、趙紫陽氏という良心的な人物がいましたが、もう少しのところで力及ばず独裁体制の崩壊に至りませんでした。
胡耀邦氏は1980年、チベット視察に訪れた時、チベットの惨憺たる有様を見て、涙を流したと云われ、チベット政策の誤りを認め謝罪し、直ちに政治犯を釈放したと云われています(胡耀邦失脚後チベット弾圧は復活)。中国共産党と云っても、内部には胡耀邦氏、趙紫陽氏のように人間的な立派な人がいるのです。両氏による改革が成功していれば、世界はもっと平和になっていたでしよう。
ゴルバチョフ氏や胡耀邦氏、趙紫陽氏の様な人の再来を願うものです。
写真は、戦車の侵入を阻止しようといて立ちはだかる若者です。彼の名はわかりません。どこへ連れ去られたかもわかりません。
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