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2014年8月

2014年8月18日 (月)

写経を試みる

ここ数日間読書を集中的にしたので疲れました。今朝は気分転換に一時間ばかり、近くを散歩。昨夜の雨のせいか、少し涼しかったです。勝尾寺から中山寺に向う巡礼道に沿った所々で、栗や柿の青い実が見られ秋の気配を感じました。

午後は以前から時々やろうと考えていた般若心経の写経をしました。般若心経練習帳というものを買い求めてあったので、この中にある手本を下敷きにして写経しました。これからも時々、写経をしてゆっくりとした気分を味わおうと思っています。近くのお寺でも写経道場を開いているところがありますが、まだ行ったことがありません。そのうち行ってみたいと思っています。

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終戦記念日・我が国に求められるもの

昨日8月15日は終戦の日であった。
安部首相は、昨年の戦没者追悼式と同じく、歴代の首相が繰り返してきた式辞内容の一部を変え、アジア諸国に対する加害責任への言及や不戦の誓いという言葉を意識的に避けた。日本が行った侵略行為があたかもなかったように振舞いたかったのであろうか。残念に思う。

戦争行為に対する謝罪は、幾らしてもし過ぎることはない。何回も繰り返す内に次第にお互いのわだかまりが解けていくものだと思う。過去の過ちは過ちとして正直に反省しなければ、未来への出発はない。韓国や中国に言われるまでもなく、自主的にやらなければならないと思う。ましてや独裁国家中国に日本攻撃の口実を与えているのは残念だ。
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第二次世界大戦後、ナチによる犯罪行為の反省を求められたドイツは、国民一人一人がファシズムを排除する学習を永遠に続ける他ないと、反省した。大統領以下、謝罪を率先して繰り返し、国民にもナチスに憧れる素朴な心情をも法律で禁止した。ドイツはファシズムの歯止めである憲法及び“戦う民主主義”を制度化した。

メルケル首相は「われわれはナチスの各種犯罪、第2次大戦犠牲者、そして何よりホロコーストに対し永遠の責任がある」と明らかにし、限りなく謝罪を続けている。イスラエルを訪問しユダヤ人犠牲者に参拝したし、ポーランドで開かれた第2次大戦勃発70周年記念式では、ブラント元首相に次いでドイツ首脳としては2番目にひざまずいて欧州人に謝罪した。

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長崎平和宣言のホームページ

先日の長崎市「平和・原爆」長崎平和宣言」のホームページです。
最後に次の様な文があります。
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賛同される方は、右の「クリック」ボタンをクリックしてください。 (長崎平和宣言の賛同者数を調査しております)
http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/ … 賛同される方は、右の「クリック」ボタンをクリックしてください。 (長崎平和宣言の賛同者数を調査しております)
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私もクリックしました。
今の世の中の動きを見ていると、日本人は戦争の悲惨さ、残酷さを忘れ去ろうとしています。過去の歴史を直視し、風化させず、後世に伝えていかなければならないと思います。

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小学校の同窓会の案内

3年振りの小学校・クラス同窓会(堺市立)が10月に予定されている。幹事として案内を出さなければならないと少々焦っていたが、昨日発送してほっと一息。

同窓会の幹事として、いつもは、他に同封する情報が多いので、手紙に返信用はがきを入れて送っているが、今年は往復はがきでいこうと考えていた。ところが往復はがきの印刷の仕方がわからない。それで、「筆ぐるめ」のマニュアルを取り寄せた。作業は案外簡単に終了し、一安心。

小学校の同窓会、いつまで続くかわからないが、皆が健康で元気であるかぎり続けたい。

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2014年8月10日 (日)

広島、長崎平和祈念式典に思う

平和というものは武力によって解決できないものだと思います。武力は武力を呼ぶ悪循環に陥ります。イラク、アフガン、中国・新疆ウイグルなどの例を見てもそれは明らかです。

我が国においても、自国を守るということは必要ですが、他国の戦争に巻き込まれるかも知れない集団的自衛権などの政策を打ち出すことは愚かな選択であると思います。平和は本来、武力を持たないことによりもたらされるものだと思います。

今夏も、広島、長崎と相次いで行われた平和祈念式典には被爆者や遺族の方々が多数参列して行われました。戦争体験者、被爆者の方々は次第に高齢化し減り続けています。これらの方が訴える不戦、反核の願いを風化させず、世代が変わっても永遠に叫び続けることが必要だと改めて感じました。

我々日本人は、過去のことをあっさりと忘れ去るという独特の性向があります。この性向は良い面でもあり、また悪い面でもあります。悪い方向に向かわないように一人一人が注意しなければならないと思います。
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長崎で行われた平和式典。田上長崎市長は、一歩踏み込んで、安部政権の集団的自衛権の行使容認に触れ、日本国憲法が誇る不戦の誓いという平和の原点が揺らいでいるのではないか、政府に対してこの不安と懸念に真摯に向き合うことを求めました。
また被爆者代表・城臺美彌子さんも、今進められている集団的自衛権の行使容認に触れ、これは日本国憲法を踏みにじった暴挙ですと訴えました。戦争ができる国になれば、核兵器が使われた当時と同じ状況になりかねないと思い、被爆者代表を引き受けたということです。

一方、安部首相は広島、長崎でも従来と代わり映えのしない、平和への熱意に欠けたスピーチをして、被爆者から非難されました。平和式典に渋々義理で足を運んでいるように見受けられました。

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2014年8月 8日 (金)

家族葬

先日、姉が亡くなった。姉は6人兄弟の一番上で、私は一番下だった。兄弟といっても姉とは一回りも違うので、中学生ぐらいまでは母親代わりの様な存在であり、学校の行事などには時々親代わりに付添ってもらったものだ。

昨年の始め、ガンであることが見つかり、異常な部分を摘出。その後小康を保っていたが、転移があったため今年の5月末再入院した。しかし病状は重く手遅れだった。姉は元々健康で、風邪などもひいたことが殆どなく、病院などとは無縁の存在で、従って定期検査も受けていなかった。その健康に対する自信が禍となった。病状が早期発見されていれば、このようなことにはならなかったであろうと思うと残念だ。

最後に姉がお世話になったのは、箕面にある細川ガラシャ病院。ホスピスを主体として運営されている病院である。そこでの、若い看護師さんの皆様の親切で、献身的な対応は素晴らしいものだった。姉もそのような温かい雰囲気の中で満足し、安らかに安眠できたと思う。姉の入院以来、出来るだけ時間を割いて看護に当たってくれた家内の看護も、亡き姉にとっては忘れがたい思い出として残ったであろうと思う。

姉は絵が上手で、意匠デザイナーとして事務所を開き、生涯の殆どを、子供もいなく、一人で生きて来た。それ故、最後のお別れは、少人数で、ささやかにしようということで、家族葬で行った。

下記は、姉の遺品です。画材、作品、著作など。棺の中に入れました。

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