<旧吉田茂邸で出逢った、リヤカーを引き徒歩で日本一周の旅人>
先日、娘夫婦と箱根観光をした後、横浜にある彼らの自宅へ車で帰る途中、昔家族一緒に住んでいた保土ヶ谷にあるマンションに立ち寄りたいという望郷の念?が皆で共有されたので、海岸沿いの国道1号線の進路を選んだ。箱根駅伝のルートでもある。大磯町に入った時、旧吉田茂邸という標識が目に飛び込んだので、これは是非とも見ておきたいと思った。
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ここで、徒歩でリヤカーを引き、日本一周をされている方(Aさん)に出逢った。Aさんは私と同じような年頃だと思うが、名古屋から歩いて来られたという。どういうわけで歩いて来られたのかと聞くと、徒歩で海岸沿いの日本一周の旅をしているのだと言う。日本一周は長年の夢で、奥さんの反対もあり、なかなか実現しなかったが、この程ようやく奥さんを説得して旅立ちができたとのこと。
リヤカーに生活用品を収納し、これを手で引き歩く。大体一日20kmの行程で7か月程かけて、北海道から日本海側へ出て名古屋に戻るという行程。それから少し休息後、今度は西日本への旅に出るそうだ。因みに費用を倹約するため、3日に一度は旅館に泊まり、あとは野宿とのこと。
Aさんとは短い逢瀬であったが、Aさんの旅の安全と成功をお祈りして別れた。今はどの辺りを歩いておられるのだろうか。
滅多にないAさんのような冒険家との出逢いを幸せに感じた。Aさんに見習ってもっと元気を出さなければと、自分に言いきかせた。
写真はAさんとリヤカー。「伊能忠敬」「歩いて日本の海岸一回り」の文字が見える。
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ところで、吉田茂邸のことだが、言うまでもなく吉田茂は戦後の政治史に燦然と輝く政治家である。吉田茂は昭和19年頃から昭和42年までをここで過ごした。
戦後、GHQ・マッカーサーにずけずけとものを言える政治家として活躍。対GHQとの折衝策を相談するため白洲次郎などがよくこの吉田茂を訪れた。政界引退後も多くの政治家が「大磯参り」で訪れたことでも有名である。外国人要人、今上天皇などが招かれたこともある。
写真は兜門(サンフランシスコ講和条約締結を記念して建てられた)、日本庭園の写真である。数寄屋風の総檜造りの本亭は、平成21年3月22日焼失。現在大磯町が主導して再建中である。






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